落とし所

「なによそれ……今のアンタの話……つまり全部あの幻想の魔法使いってやつが悪いってことじゃん……!」

「そんなことはない。悪いのはわたしだけ」

「っ……! アンタ、正気に戻ったのにまだ分かってないの!? アンタは利用されてたんだよ! 都合よく動かされて、全部の罪を被せられて! それなのにどうしてまだあんな奴のことをかばったりできるの!? それともまだ洗脳が解けてないの!?」


 りりのは、これまで自分の家族が殺された原因はシールの魔法使いにあると――公然と口にすることはなくとも――心のどこかではそう信じて生きてきたのだろう。

 もちろん直接的な原因は害獣だが、奴らにいくら怒りをぶつけようとも、その害獣が自分の家族を殺した個体なのかどうかなど判別できるはずもない。だから、どれだけ害獣を倒そうとも、彼女の心が晴れることは決してない。

 結局の所、彼女の悲憤ひふんを晴らすすべは、直接シールの魔法使いに問いただす以外になかったのだ。

 ところがいざ本人から真相を聞いてみると、今まで自分が信じてきたことは全くの見当外れで、しかも本人はそれに気付いていないというオマケ付きで。それはりりのが今まで抱えてきた怒りの行き場を惑わせ、彼女自身にすら理解できないほど感情をヒートアップさせてしまうという結果をもたらしたようだった。


「だって幻想は何もしてない……わたしが勝手におかしくなったから……」

「だからそれはアンタの勘違いでしょ……!」


 どこまでも噛み合わない会話。

 そもそもの認識がずれているのだから、噛み合うはずもない。


「りりの、ストップ。たぶんは僕たちだけが知っていることだから、きちんと説明しないとすみれちゃんを困らせるだけだよ」

「……ああ……ごめん、そうね」


 私はひとまず、怒りを募らせるりりのと困惑を深めるばかりのすみれちゃんの間に入り、これ以上の無益なやり取りを中断させることにした。


「ねえすみれちゃん、一つ聞きたいんだけど、大森の件があった後も時間の感覚が狂うことってあった?」

「……ない、です。たぶん」


 やはりそうだ。

 もしも本当にすみれちゃんの体……いや、魂に問題が起きているとするならば、時間感覚の狂いがそれ以降一度もないというのは不自然だ。


「やっぱり、すみれちゃんはおかしくなんかなっていないと思う。多分、さっきの話の中で言っていた名付きのところへ行くための幻想の扉をくぐった時に、時間の認識を歪まされたんだ」

「あー、自分もやられたアレっすね」

「どういうこと……? 空手も……って?」


 困惑するすみれちゃんに、フーコは苦々しい表情を浮かべて見せた。


「結論から言うと、幻想の魔法使いの正体は災厄の魔法使いだったんすよ。で、あいつを追っかけて幻想の世界に入った時に、自分も時間の感覚をおかしくされたんすよ。あんたの場合はたぶん行きと帰りで二回食らったんじゃないっすかね」

「ちょっとまって……災厄の魔法使いって……そんなわけ……」

「ショウさん、説明お願いできるっすか?」

「そうだね。それじゃあ……」


 口で説明しても、きっと今のすみれちゃんには信じられないだろう。

 私はシールの魔法を再現し、自分の記憶の一部を紙片に込めた。


「その魔法、わたしの……すごい、やっぱり魔法使い様はすごい……!」

「僕の記憶を封じてある。これを見れば分かってもらえると思うけど……ただ、この魔法は見た記憶を自分の記憶と混同してしまう可能性があって、ちょっと危ないんだ。だからこれを見るかどうかはすみれちゃんに任せるよ」

「……見ます。じぶんの魔法のあつかいには、慣れてるから」


 そう言うとすみれちゃんは、私の手に乗った紙片を壊れ物でも扱うように、両手でうやうやしく受け取った。

 紙片は彼女の小さな手の中に溶け込み、その役目を果たす。

 しばらくの間両目を閉じていた少女は、やがてうっすらとまぶたを開き、つらそうに片手で顔を押さえた。


「大丈夫? 具合悪くなってない?」

「だいじょうぶです……あの人幻想がどんな人だったのか、あなたがどれだけ大変な経験をしてきたのか……理解できました」

「……うん」

「この記憶の中には映っていなかったけど……ここではない別の世界で幻想と一緒にあなたの記憶を書き換えたのは……わたし、ですよね」

「うん。でもそれは別の世界のことだよ。今のすみれちゃんとは関係ない」

「くやしい……もしかしたらこの世界でも、わたしはあなたをめちゃくちゃにしていたかも知れないんだ……」


 すみれちゃんは苦痛に耐えるように顔を歪ませながら、ぎゅっと拳を握りしめた。

 小さく震えていた手はしかし、ふいに力を緩める。

 彼女はどこか……自分の心の中を探るようにして目を伏せ、そしてゆっくりと深く呼吸をすると、決然とした様子で「それでも」と言った。


「それでも、そんな風に騙されていたって分かっても……それでも……わたしは幻想のことを憎めない。敵だと思いたくない……です」

「ちょっとアンタ、まだそんなこと……!」

「りりの、待って」

「全部ウソだったとしても。わたしを利用していただけだとしても。それでもわたしが寂しくて泣きそうな時に声をかけてくれたことは変わらない。長すぎる時間の中で壊れてしまいそうだったわたしの心を救ってくれたあのぬくもりは……そうしてくれたという事実だけは……変わらないから」

「……」


 すみれちゃんの言葉に何か思うところがあったのか、激昂げきこうしかけていたりりのは落ち着きを取り戻したようだった。


「……そんなに、あの魔法使いのことが大切なのね」

「うん」

「それなら、アンタはその大切な人が世界を滅ぼそうとしているのを、黙って見てるわけ?」

「……」

「大切な人が明らかに間違ったことをしようとしてるなら、アンタはそれを止めるべきなんじゃないの?」

「それは……」


 まるで挑発するかのように、りりのは淡々と正論を述べていく。


「それができないっていうなら、アンタにとって幻想の魔法使いって奴は、別に大した存在じゃなかったってことじゃん。アンタ自身の問題の方が、そいつより大事だったってことでしょ?」

「そんなこと……ない」

「アンタ、さっきアタシに土下座してみせたよね? 自分のせいで大森の人たちを死なせてしまったって思い込んで、申し訳ないって、そう思ったからでしょ? じゃあ人類が滅びるのはどうでもいいの? さっきのアレは、ただの自己満足でやったってことなの?」


 有無を言わせないような勢いで言葉を紡ぐりりのは、しかし、決して感情に振り回されている訳ではないようだった。

 冷静に、それこそ背筋が寒くなるような冷たさでもって、追い詰めるかのようにひたすら問いを積み重ねていく。


「そんなことない! わたしは……大森で生き残った人たち全員に……同じように謝ろうって決めてた……わたしにできることなら何でもしようって……決めてたはずなのに……」

「でも、しなかった。アンタにはできなかった。幻想の魔法使いにそそのかされてたから。優先順位をすり替えられていたから。でしょ?」

「それは……そんな……」

「……それならさあ、アンタじゃなくて、実際にやった奴に謝らせるのが筋ってもんじゃないの? 幻想の魔法使いをとっ捕まえて、皆の前で謝らせてさ……そうしなきゃ、いくらアンタが謝ったって、そんなの何の意味もないよ」

「捕まえて……? 幻想を……殺さないでくれるの……?」

「はぁ? 最初から殺すなんて誰も言ってないでしょ」


 どうやらすみれちゃんは、雪美さんを……災厄の魔法使いを殺すことが私たちの目的だと思っていたようだ。

 もちろん、最終的にどうしようもない場合はそうするしかないだろうけど……私だって、先輩のお姉さんを手にかけるような真似はできればしたくない。


「それなら……幻想を止められるなら……わたしもできる限りのことをしたい。わたしの力なんて微々たるものだけど……」

「いやいや、十分助かるっすよ。シールの証言があれば、他の魔法使いたちに話を信じてもらえる可能性が高くなるっすからね」


 重々しく口を開いたすみれちゃんの肩を、フーコが軽く叩く。


「そもそも自分たちの一番の目的は、幻想が人類に危害を加えようとするのをやめさせることっす。それをどういう形で実現できるかは分からないっすけど、積極的に息の根を止めに行こうって訳じゃないんすよ」


 そう、これはフーコとは既に話し合って決めていたことだった。

 少なくとも雪美さんはこの百年間、魔法使いとして人類の復興に貢献してくれた。その裏にどんな計画があったのかは分からないけど、その事実は変わらない。

 ……とは言え、これはすみれちゃんの話を聞く前に決めたことで……雪美さんが既に暗躍して街を一つ滅ぼしていたとなると、実害が出ている以上、あまり悠長なことは言っていられなくなる。どれだけ上手く事が運んだとしても、全てが元通りという訳にはいかないだろう。


 それでも、できることなら私は、彼女自身をも救いたいと思っていた。

 雪美さんは、あり得たかも知れない私のもう一つの未来の姿なのだから。

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