幕間 欠席者の多い緊急会議

 時間は少しさかのぼる。

 ショウの魂がこの世界のショウと一つになり、全ての記憶を持って目覚めた日の、その翌日。



 蛍光灯が明滅する薄暗い会議室は、どこか深夜のような雰囲気で参加者たちを出迎えた。

 ロの字に並べられた長机には人数分のパイプ椅子が用意されていたが、普段に比べて空席が目立っていた。

 予言の魔法使いが欠席するのはいつものこととして、今日はそれに加えて空手の魔法使い、シールの魔法使いまでもが欠席している。その理由を知らない他の魔法使いたちは、ひとまず議長席に座る幻想の魔法使いに目を向けた。

 緊急の会議において、彼女が率先して議長を務めるのは非常に珍しいことだ。

 どこかただ事ではない気配を感じたのか、いつもなら挨拶代わりに軽口を叩くことが多い投擲の魔法使いや除湿の魔法使いも、今日ばかりは神妙な面持ちで席についていた。


「全員揃ったわね」

「……いや、揃ってねえけど?」


 逆立てた真っ赤な髪が特徴的な投擲の魔法使いが半目で突っ込みを入れるが、幻想の魔法使いはそれを無視して軽く咳払いをした。


「ついこの間定例会議をやったばかりで申し訳ないけど、今日は本当にまずい事態になったので集まってもらいました」

「前置きはいいから本題に入ってくれよ。今日はオレ忙しいんだよ」

「……そうね。では単刀直入に言いましょう。使が現れたわ」


 彼女がそう言うと、シン、と一瞬だけ静寂が訪れ、それから低くどよめくような声が部屋中に広がった。


「みんな、静かに。まずは幻想から詳しい話を聞こう」


 ヒューア・メロードが白色人種特有の瞳を眼鏡の奥で光らせながら、よく響く落ち着き払った声でそう告げると、波が引くようにざわめきが収まる。


「……災厄の魔法使いが出現したのは昨日の夕方。場所は戸越街」


 戸越、という名前を聞いて、皆の視線が一斉に空いている席の一つに集まった。

 そこは言うまでもなく戸越街の管理者である空手の魔法使いの席だった。


「おい、まさか空手の奴が来てねえのは……つーか、戸越は大丈夫なのかよ!?」

「空手は別に殺された訳じゃない。戸越もいたって平和よ。……まあ、彼女が死んでいた場合より状況は悪いとも言えるけど」


 投擲の魔法使いが発した問いに、幻想の魔法使いは律儀に答える。どういうことだ、と言いたげな彼の視線に応じて、彼女は言葉を続けた。


「空手は災厄の魔法使い側についた。つまり敵になったってこと」


 今日一番の大きな動揺がその場の全員に走った。

 そんなことはあり得ない、まず起きるはずのないことだ……と誰もが思ったが、もくして語らない空席が否応なしに最悪の事態を突きつけてくる。


「ウッソだろおい! なんでそんな……」

「待て、投擲。……おい幻想よ、どうしてそんなことになったのか、頭から順番に話してくれないか」


 思わず立ち上がってがなり立てようとした投擲の魔法使いを、アロハシャツに短パンというラフな格好をした除湿の魔法使いが静かに制止した。

 普段ならば彼は見た目通りの軽薄なキャラクターを演じつつ、下らない冗談の一つも飛ばした所だろうが、今回ばかりはそんな仮面を被る余裕もない。


「……最初からそのつもりだったけど」


 余計な質問をしてきたのはそっちでしょう、と言わんばかりに軽くため息を吐くと、幻想の魔法使いは淡々と説明を始めた。



『災厄の魔法使いは最初は普通の人間として戸越街に潜んでいたが、空手の魔法使いと眷属の儀式を行ったことにより覚醒した』


『彼女は開闢かいびゃくの魔法使いを自称し、その場に居合わせた私を指して災厄の魔法使いであると言ってのけた。そしてその嘘を空手の魔法使いは信じ込んだ』


『空手の魔法使いから攻撃を受けそうになったため、私は身を隠さなければならなくなった』


『これは真実である』



「つーかなんで空手はそんな嘘を信じたんだ? 明らかに怪しすぎるだろうがよ」

「……こっちが聞きたいわよ、そんなこと」


 若干呆れ顔で指摘する投擲の魔法使いに対して、幻想の魔法使いは素っ気なくあしらう。


「それは、そういう魔法を使われたってことだろ。相手に嘘を信じ込ませるような魔法をさ」

「それならよー、なんでなんだよ。幻想を味方に付けなかったのはどうしてだ? 戦力は多いほうがいいんじゃねえの?」


 除湿の魔法使いが、敵も魔法使いなら当然だろう、といった調子で指摘するが、それに対する投擲の魔法使いの疑問も当然だった。


「……もしかしたら、最初から私たちの中の誰か一人を災厄の魔法使いとして仕立て上げるつもりだったのかも知れません」


 ふわふわとした雰囲気をまとう大人の女性といった印象の変異の魔法使いが、控えめに意見を述べる。

 普段はこういった会議の場ではあまり発言しない彼女の言葉に、除湿の魔法使いはなるほど、と膝を打った。


「俺たちの中に実は災厄の魔法使いが隠れていた……ってことにすれば、それ以外の魔法使いは自然と自分の仲間になるって寸法か」

「あー……仮に全員が信じなくても、一度疑いの種を仕込まれちまうと、いざって時の連携にも隙ができやすくなるしなぁ」


 自らも東京国の首都を自衛するための組織を束ねているだけあって、何か思うところがあるのか、投擲の魔法使いはため息混じりに呟く。


「へっ、んなこと言ったって誰も幻想の話を疑ってねーって時点でいきなり失敗してんじゃん。ホントに災厄の魔法使いなのかよ、そいつ」

「……おいヒカリ、態度が悪いぞ」

「あーうっせ」

「下着が見えていると言っているんだ」

「見んなよオッサン。ヘンタイかよ」


 耳に無数のピアスをつけた金髪の女子高生……光の魔法使いが行儀悪く机の上に脚を投げ出しながら言うと、着流しを着た長身の怪人といった出で立ちの撃滅の魔法使いがまるで父親のように注意する。会議ではよくある光景なのか、誰も彼らのやり取りに口を挟む者はいない。


「僕もヒカリの意見と少し似たようなことを考えていた」


 と、そこでヒューア・メロードが静かに告げると、自然と皆の視線は彼の元に集まった。


「幻想の意見を総合して考えると、空手に嘘を吹き込んだその人物が本当に災厄の魔法使いかどうかは疑わしいと思う。その人物は、空手と眷属の契約を結んだ。つまり、ただの眷属が洗脳の魔法を発現させて空手をそそのかした、と考えても辻褄つじつまは合うんじゃないかな。まあ、魔法使いを洗脳しようとするような眷属はどっちにしろ危険ではあるけどね」

「……いいえ。彼女は間違いなく魔法使いだった」

「その根拠は?」

「魔力よ。彼女の魔力は私たち魔法使いと同等のものだった」

「ふむ……幻想がそう言うならそうなんだろう。悪かったね、余計な口を挟んでしまった」

「いや、ちょっと待て」


 ヒューア・メロードがいさぎよく自分の説を引っ込めた矢先、今度は除湿の魔法使いが待ったをかける。

 幻想の魔法使いは面倒臭そうな表情を隠そうともせず、無言で続きをうながした。


「さっきから何か引っかかってたんだが……その原因がようやく分かった。そもそも災厄の魔法使いが出たっていう今日のこの議題、イチから百まで幻想の証言だけに頼り切ってる。確かな証拠が一つもないんだよ」

「……何が言いたいの?」

「例えばだ。災厄の魔法使いが現れたのは本当だとしよう。だが、もしもそいつに操られたのが空手じゃなくてあんただったとしたら? 適当な情報を俺らに信じ込ませて、孤立無援になった空手を抹殺させる……そして次は別の誰かが操られたと言い、一人ずつ減らしていく……そんなやり方も考えられるんじゃないのか?」

「おいおい除湿の兄貴、そりゃいくらなんでも乱暴じゃねーか? つーかそんなこと言い出したらよー、あたしらは一体何を信じりゃいいんだ? おたくは自分が災厄の魔法使いに操られてねーって証明できるんですかねえ?」

「それは……」


 話し合いを根底からひっくり返すようなことを言う除湿の魔法使いは、光の魔法使いから予想外の正論を叩きつけられて、うっとうめく。


「……まあ、除湿の意見はもっともね。私の証言だけで全てを信じろというのは少し無理があったと思う」


 だが、あっさりと除湿の魔法使いの意見を受け入れた幻想の魔法使いに、皆から複雑な視線が向けられた。

 そもそもこれまで、緊急性の高い臨時会議ではいちいち事件や事案の物証などを提示する必要はなく、そのほとんどは当人からの報告だけを元にして話し合いが行われてきたのだ。

 全ては同じ魔法使い同士という信頼関係の上で成り立っているこの会議において、証拠を示せと言わんばかりの除湿の魔法使いの方がおかしい……というか、無茶な話であると言わざるを得なかった。

 しかし、幻想の魔法使いはそんな皆の考えを振り払うかのように片手を挙げて、背後のホワイトボードを示す。


「……だから、証拠を見てもらうわ。私の魔法は……この幻想の世界であれば、私自身の記憶を映像として映すことができるから」


 そう言うや否や、会議室の照明がふっと暗くなり、ホワイトボードに粗い映像が流れ始めた。

 映し出されるのは一人の白い少女。

 マイクが風の音を拾うかのようなノイズに混じりながら、不明瞭ながらも話し声が聞こえてくる。


『……私は、…………災厄の魔法使いとして……』

『世界……滅ぼして……』

『記憶を……』


 それからしばらく無音が続いたかと思うと、突然画面が激しく揺れ、画面外から空手の魔法使いが鬼気迫る表情で向かってくるところで映像は終わった。


「……あー、今のヒラヒラした白いのが災厄の魔法使いか? なんか想像してたのと違う感じだな」

「いや、つーか最後の空手の顔ヤバ過ぎだろ……瞳孔開いてたぜ……あんな殺意むき出しなの初めて見たぞ」


 あえて空手の魔法使いのことには触れないでおこうとしていた除湿の魔法使いは、遠慮なく思ったことを口にする投擲の魔法使いを半目でにらんだ。もちろん、睨まれた本人は全く気付いていなかったが。


「あの空手ちゃんの様子は確かに……普通じゃないわねえ。操られているっていうのも分かるわ……」


 しかし相方とも言うべき変異の魔法使いまでもが空手の魔法使いについて言及してしまったことで、除湿の魔法使いは人知れず頭を抱えた。

 彼は自分の息子が世話になっている関係で、他のどの魔法使いよりも――無論、変異の魔法使いは除くが――空手の魔法使いとは懇意こんいな間柄だった。冬でもアロハシャツを着ているような軽い見た目とは裏腹に、彼はそういった義理や人情を大切にする。できることなら空手の魔法使いを敵として扱いたくない……そんな葛藤が彼の心を揺らしていたのだった。


「てゆーかさあ、そいつ今、自分で自分のこと災厄の魔法使いとか言ってなかった? 最初に幻想が説明したのと話が違くね?」

「そこは僕も気になった。幻想、どういうことだい?」


 しかし、あくまでマイペースな光の魔法使いの指摘に、ヒューア・メロードも同意して質問を投げかけたことで、空手の魔法使いのインパクトに目を奪われていた他の出席者たちの意識は図らずも引き剥がされたようだった。


「……ややこしくなるから省こうと思ってたんだけど……つまり、彼女はここではない別の世界で私にめられて、自分が災厄の魔法使いだと思いこんで世界を滅ぼしてしまった……みたいなことを言っていたの。それで、私を止めるためにこの世界に来た……っていう筋書きみたい」


 幻想の魔法使いがそう説明すると、なんとも言えない微妙な空気が漂った。


「……わざわざそんなった設定を作る必要があるか?」

「空手を騙くらかすために嘘にひと捻り入れたんじゃねえの? それか、そういう設定を考えるのが大好きなお年頃とか」

「理由はともかく……まあ、一応理解はできた。とりあえず次は現状をどうするかという話に進もう」


 やや呆れ気味に呟く除湿の魔法使いに、投擲の魔法使いが適当な調子で応える。

 そしてひとまず疑問が解消されたヒューア・メロードが、話し合いを次の段階へと向けた。


「さて、幻想の報告をまとめると、現状は極めて特殊な状況と言える。災厄の魔法使いが現れ、空手が操られた。しかしそのおかげで今のところ戸越街に被害は出ていない。そして……」


 ヒューア・メロードはもう一つの空席に目を走らせてから、幻想の魔法使いに向き直る。


「聞くのが遅くなったけど、予言はいつもの用事で欠席ってことでいいんだよね? それで……今日はシールはどうしたんだい?」


 彼の言葉を聞いて、すっかりシールの魔法使いの存在を忘れていた他の魔法使いたちがハッと息を呑んだ。

 普段の会議でも存在感が極めて薄く、管理する街を持たないシールの魔法使いは、こんな時でなければ『いてもいなくても変わらない存在』だった。

 しかし今、この会議を欠席しているという事実は……どうしても特別な意味を持ってしまう。


「予言については、そうね。いつものやつ。シールは……最後に彼女を見かけたのは戸越街だった。だから、私はこの会議に彼女を呼ばなかった」

「おいまさか……」

「見殺しにしたってことかよ!?」


 幻想の魔法使いが告げる冷酷な事実に、光の魔法使いと投擲の魔法使いが顔色を変えた。


「シールが今どうなっているかは分からないわ。ただ、空手のことをかんがみれば彼女も同じように操られたか……あるいはこれからそうなる可能性が高いでしょうね」

「おいおいなに冷静に分析してんだよ。お前さんの魔法ならシールのチビ一人くらい簡単にさらってこれるんじゃねえか?」

「無茶言わないでよ……私は空手から逃げるので精一杯なんだから」

「空手がいくら殺る気満々だったとしてもよお……正直あいつ程度の力なら……」

「投擲……あなたは知らないみたいだけど、彼女は強いわよ。私の幻想の世界に穴を空けられるのはあの子だけだもの」

「……なにい?」

「あの子は私の魔法に干渉できるの。だから、私はもう魔法を使って戸越街に行くことはできないし、シールを救い出すどころか、偵察も無理」

「おいおい……マジかよ」


 予想以上に事態が深刻であることを知り、投擲の魔法使いだけでなく他の参加者までもが自然と口をつぐんでしまう。

 場が重苦しい沈黙に包まれそうになった時、それまで黙考していたヒューア・メロードが口を開いた。


「ひとまず、最悪の事態を想定しておこう。つまり、敵の数は三人とする。災厄の魔法使いと、空手、それにシールだ。仮に災厄の魔法使いが僕らを遥かに上回る力を持っていたとしたら、空手を操るなんて迂遠うえんなことをする必要はないから……その強さは多く見積もっても僕たち全員を相手にすることはできない程度、と考えていいだろう。そして現在ターゲットにされているのは幻想だ。彼女を失うことは、こうした会議の場を設けることができなくなるというだけでなく、迅速な意思伝達や連携、つまり僕たちにとっての一番の強みを失うということになる。故に、彼女だけは死守しなければならない。それらを踏まえた上で……現状、何か打てる手はあるかな?」


 そこで待ってましたと言わんばかりに口を開いたのは、光の魔法使いだった。


「そりゃもちろん、総攻撃だろ。ついに大ボスが出てきたんだぜ? これこそ最終決戦じゃん。魔法使い総出でブッ倒す以外ないだろ?」

「……お前の浅慮せんりょは何年経っても変わらんな」


 勇み立つ光の魔法使いに対し、撃滅の魔法使いが呆れたように言う。


「ああ!? なんか文句あんのかよオッサン」

「考えても見ろ。敵はなぜ街を無傷で残している? 盾にするためだろう。我々が総攻撃など行えば、まず間違いなく戸越は滅ぶぞ」

「そんなもん……事前に住民を避難させときゃいいだろ」

「ほう、どうやって? 戸越の管理者である空手に頼むか? 『お前が開闢の魔法使いだと信じている人物をこれから魔法使い全員で攻撃するので住民を避難させて下さい』とでも?」

「……あたしらが勧告すりゃ勝手に逃げてくれんだろ。ラジオとか使ってよー」

「街の中に災厄の魔法使いが現れたなどと住民に告げたら、パニックが起きるぞ。地下鉄はあふれ返り、将棋倒しで怪我人や死者も出かねん。その混乱に乗じて敵が他の街に逃げなどしたら最悪だ」

「ほんっと、あんたはいっつも悪い想像ばっかしてくれるよな。ひん曲がった性格が出てるっつーかよー」

「客観的事実を踏まえた推測だ。お前も少しは頭を使え」

「っとに一言多いんだよなあこのオッサンは……!」


 いつものようにいがみ合う二人の議論はしかし、その場の魔法使いたちが抱く葛藤を代弁しているかのようでもあった。

 本来であれば災厄の魔法使いという『全ての元凶』が現れたなら、あらゆる犠牲を払ってでもこれを打ち倒すべきなのは明白だ。それは永遠に続くかに思われていた閉塞した世界を打開する、唯一にして最後のチャンスなのだから。

 しかし、彼らは百年という時間の中で力を尽くし、絶望的な世界の中にぽっかりと切り取られたような、平穏と呼んで差し支えないほどの箱庭を築き上げてしまった。

 もしも壁に囲まれた街が今ほど安定しておらず、世界が昔と同じような過酷と混沌の只中にあったなら。毎日誰かが血と涙を流し、生と死とが薄紙一枚で隔たれているような時代であったなら。彼らは迷わず一つの都市を犠牲にしてでも災厄の魔法使いを討っただろう。

 だが、彼らには守るべきものが増え過ぎてしまった。仲間と共に見守ってきた命が、未来が、どうしようもないほどの重みを伴って天秤の片側に置かれている。都市一つぶんの命を生贄に捧げられるほどの英雄主義ヒロイズムは……この百年という時間によって、とうに擦り切れてしまっていた。


「暗殺……と言いますか……少数精鋭で戸越に侵入して、災厄の魔法使いだけを倒すというのはどうでしょう……?」

「難しいだろうね。空手が健在である以上、魔法使いが街に入ればすぐに感知されてしまう」

「ですよねえ……」

「いや、それはアリかも知れねえ。むしろ逆に、堂々と正面から街に入ればいいんじゃねえか?」


 おずおずと声を上げた変異の魔法使いは、ヒューア・メロードに指摘されてあっさりと自分の意見を引っ込めてしまった。元より、発言した本人ですら自分の案が通るとは思っていなかったのだろう。……だが、その意見を思いがけず投擲の魔法使いが拾い上げる。


「どういうことですか?」

「空手は災厄の魔法使いのことを開闢の魔法使いだと思い込んでるんだろ? ならオレたちもそれに乗っかっちまえばいい。仲間になったふりをして、隙を見て囲んじまえば……」

「それはやめたほうがいいわ」


 しかし、とうとうと語られる投擲の魔法使いのアイデアは、幻想の魔法使いによってバッサリと切り捨てられてしまった。


「なんでだよ」

「無防備に敵の前に出ていったら即洗脳されるに決まってるでしょ……ミイラ取りがミイラになるのがオチよ」

「幻想の言う通り、敵の強さや魔法の詳細がはっきりと分からない以上、最大限慎重に行動するべきだと思う。こちらの戦力が相手側に渡るのは、ただ倒されるより倍も悪いからね」


 ヒューア・メロードがそう締めくくると、いよいよ場は行き詰まったような雰囲気に包まれ始めた。

 完全に後手に回っている。戸越街と空手の魔法使い、そして恐らくはシールの魔法使い……一度に三つもの駒を取られ、守りを固められてしまった。数の上では優位に立っているにもかかわらず、反撃の糸口が掴めない。

 誰もがそんな考えで頭の中を一杯にしているであろう中で、幻想の魔法使いはただ一人、表情一つ変えずに彼らの様子を無機質な目で観察していた。

 彼女はこれ以上意見が出ないことを確認すると、満を持して口を開いた。


「こちらから攻めるのが難しいなら、向こうから出てきて貰えばいいのよ」

「……街の外におびき出すってことか? それくらいオレも考えたけどよ、街一つまるごと人質にするような奴だ……かなり慎重な性格のはずだぜ。簡単に誘いに乗ってくれるとは思えねえ」


 投擲の魔法使いはため息混じりに言う。

 彼は派手な見た目とは裏腹に、東京国の首都を守護する役割を与えられるほどに、こと防衛戦に関しては熟練の勘を備えている。そんな彼の言葉は相応の重みを持っていた。

 だが、次に幻想の魔法使いが口にした意見は、彼の想定を超えるものだった。


「私が餌になる。敵が今最優先で始末したいのは私よ。私を倒すためなら、きっと街の外へでも出てくるわ」

「いやいや待て待て。ヒューも言ってたが、お前さんだけは死守しなきゃなんねえんだよ。危険過ぎる。却下だ、却下」

「……最後まで話を聞きなさい。本当に私が囮になる訳じゃない。『私が潜伏している場所の情報』をリークしてくれればいいのよ。そして、その場所には私が魔法で罠を仕掛けておく。一度入ったら出られない迷路の世界をね」

「そんなもん作れんのかよ……?」

「ええ、時間はかかるけど。そして、情報を流すのは空手から何らかのアプローチがあった後にして欲しいの」

「何らかのっつーと……なんだ?」

「まあ妥当な所だと電話でしょうね。幻想の正体は災厄の魔法使いだから気をつけろとか、居場所を知っていたら教えて欲しいとか……そんな話をしてくるはず」

「あー、なるほど、確かにな。自分が正常なつもりでいるとしたら、オレたちに親切心で連絡してくるってのは大いにあるなあ」

「そういった連絡があっても、『お前は騙されている』とかさとそうとしたり、逆に変に同意しようとしたりしないで。なんだか妙なことを言っているな、くらいの感じで軽く受け流してもらえればいい。その後、もう一度会議を開いて細かい段取りを詰めて行きましょう」


 幻想の魔法使いのアイデアを聞いていたはずが、いつの間にかその内容を実行するための話し合いに変化していることを指摘する者は誰もいなかった。

 彼女の意見は、他に有効な手段がないことを嫌というほど確認した後に差し伸べられた、言わば救いの手だった。これに待ったをかけられるような雰囲気はもはやどこにもない。


「幸い、敵は戸越街全体を盾として使うつもりだろうから、空手が健在なうちは住民への被害は考えなくていい。時間的な猶予ゆうよは十分にあるはずよ。私はこれからすぐに罠の作成に取り掛かるから、皆は何も気付いていないように、普段通りに振る舞っていて」

「おう……しかし敵の親玉がすぐそこにいるってのに何もできないのは……なんつーかこう、精神的にキツいな」

「……そうね、それじゃあ投擲は、眷属を何人か戸越の民間警備会社にでも潜り込ませてくれる? 直接尾行したり監視したりする必要はない……というか絶対バレるからやらないで欲しいんだけど、街の様子をそれとなく探ってもらって、逐次ちくじ報告してくれると助かるわ」

「お、おお、任せろ! 選りすぐりをすぐに手配するぜ」


 投擲の魔法使いが慌ただしく幻想の世界から姿を消すと、それを合図に会議は解散の流れとなった。

 他の魔法使いと言葉を交わしながら、あるいは黙って何事かを考えながら、一人、また一人と魔法使いたちが退席していく。

 そんな中で、幻想の魔法使いに声を掛ける者がいた。

 会議中、一度も発言をしなかった魔法使い。短く清潔に整えられた白髪はくはつに、見た目の年齢に反してスッと伸びた背筋が気品を感じさせる、時の魔法使いである。


「幻想さん、わたくし一つお尋ねしたいことがあったの。会議中は皆さんのお邪魔をしてはいけないと思って、聞けなかったのだけれど」

「……何でしょう?」

「あなたが災厄の魔法使いと出会ったのは、昨日の、何時頃のことかしら?」

「確か……十七時くらいだったかと」

「十七時ね、ありがとう。……うふふ、ごめんなさいね。わたくし時間のことになるとどうしても気になってしまって。性分なんです。それではごめんください」

「……」


 一体何だったんだという怪訝けげんな表情で見送る幻想の魔法使いに、今度は別の魔法使いから声がかかる。

 どこか活気を失ったような様子の、除湿の魔法使いだった。


「……よう、その……さっきは悪かったな。あんたを疑うようなこと言っちまって」

「さっき? 私、何か言われたかしら?」

「いや、だから……あんたの話には根拠がないとか……あんたが操られてるとしたら、とか……悪気があった訳じゃないんだ」

「いいのよ、そんなことは別に」

「そうか……気にしてないならいいんだが。……いや、しかしあれだな! 災厄の魔法使いって奴も、下手な嘘をついたもんだな!」

「……?」

「だってよ、そいつは別の世界であんたに嵌められたとか言ってたんだろ? 馬鹿な話だぜ。幻想はこの百年、ずっと俺たちと一緒にいたってのにな」

「……そうね」

「ひょっとしてあんた、分裂する魔法でも使えるのか? なんて……」

「…………」

「……ハハ、つまんねえこと言っちまったな。悪い」

「…………いいえ。とても面白い冗談だったわ」

「そ、そうかい。それじゃあ……」


 それから、程なくして誰もいなくなった幻想の世界で。

 仮面のように無機質な笑みを貼り付けた彼女だけが、薄暗い会議室の真ん中に、ぼんやりと立ち尽くしていた。

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