まぼろしの中
ずっと昔から、わたしはいつもひとりぼっちだった。
構ってくれる人や親切にしてくれる人はいたけれど、そんな人たちに対して、わたしはいつも自分から距離を取ってしまっていた。
誰かと親しくなるのが怖かった。兄のように、ある日突然わたしの前からいなくなってしまうような気がして。
そんなわたしの唯一の話し相手は、幻想の魔法使いだった。
彼女は自分で管理する街を持たない代わりに、幻想の世界から他のみんなの橋渡しをする。彼女は誰に対しても同じ温度で接していた。それはわたしに対しても例外ではなく、彼女とだけは不思議と気兼ねなく話すことができた。
ある時、なにげない雑談の中で、ふいに彼女が言った。
「シールという言葉には、封印っていう意味があるのよ」
その言葉、その気付きはわたしの心に大きな衝撃を与えた。
魔法に対する視点が変われば、魔法そのものを変革することができるかも知れない。
わたしは嫌いだった自分の固有魔法を変化させる試みに熱中するようになった。
やがてその成果があらわれたときも、それを報告する相手は幻想の魔法使いだけだった。
素晴らしい、よく頑張ったねと彼女はわたしをほめてくれた。
わたしの魔法は、生きているもの以外なら、様々なものを小さなシールに封印することができるようになった。この力をある程度使いこなせるようになった時、わたしは真っ先に、自分の記憶をさまたげている何かを取り除いた。そうして、あの日わたしを助けてくれた魔法使い様の顔を、声を、思い出した。
でも、結局どうしてわたしたちの記憶が封印されたのかは分からなかった。状況から見ると、魔法使い様以外にそれができる存在はいなかったはず。ならばなぜ、魔法使い様はそんなことをしたのか。いくら考えても分からなかった。
「
わたしはこの魔法で幻想の魔法使いの記憶も戻してあげようと考えた。
一人で考えても分からないことは、他の誰かに相談してみるしかない。そして、わたしが頼れる相手はただ一人、彼女だけだったから。
しかし、彼女はいつもと変わらぬ無表情できっぱりと言った。
「それには及ばないわ。私の魔法は、幻想の世界に私の記憶を映し出すこともできるの。私自身は思い出せなくても、魔法で映し出された記憶を客観的に見ることはできるから。でも……そうね、どうして彼が私たちの記憶を封じたのかは、私にも分からないわ」
わたしは記憶の封印を解いただけで得意な顔をしていたというのに、彼女は誰に自慢することもなく、とっくにそれと同等のことを成し遂げていたのだ。わたしの彼女に対する尊敬はさらに増していった。
「この魔法で、他のみんなの記憶も戻してあげられないかな。そうしたら、どうして魔法使い様がこんなことをしたのか分かるかな」
そう言うわたしに、彼女は少しむずかしい顔をして言った。
「でも、その魔法を使うためには相手を仮死状態にしなきゃいけないでしょう。なんの証拠もないのに黙ってそれを受け入れてくれる人がどれだけいるかしら」
そうだ……わたしはみんなから勝手に距離をとって、いままで交流もなにもしてこなかった。だから、きっと誰も信じてくれない。
「まずは、あなたのその魔法がどれだけ役に立つか証明してみせないと。あなたの魔法でしかできないことをして、皆に認めてもらうの」
わたしの魔法でしかできないこと……それはなんだろう。
考えれば考えるほど、他の誰かの魔法や、五行の魔法で代用できてしまうような気がした。
やっぱりわたしの魔法は役立たずなんだろうか。
「そうね、他の人では決してできないこと、例えば……」
名付きの害獣を封印すること。
何人もの魔法使いが力を合わせてようやく倒せる名付きを、もしもわたし一人で封印することができたなら、それはすごく役に立つことの証明になる。
でも、それは無理だということがわたしには分かっていた。
名付きの強さは身にしみて知っている。わたしが無理だと最初から信じてしまっていると、わたしの魔法はそのとおりになってしまうのだ。
「それなら、魔力の一部を封印するのはどう? 全部は無理でも、少しだけならきっとできるはず。そうしたら、もしも名付きがまた東京を襲うようなことがあっても、あなたがいるだけで敵の戦力を大きく削れるし、封印した魔力を自分に注ぎ込めば一時的にとても強くなれる。あまり戦いが得意ではないあなたの切り札にもなるわ」
……それならできるかも知れない。
でも、名付きはみんな、大決戦の時に西側に閉じ込めてしまった。
名付きがいそうなところまで魔法で飛んで帰ってくるだけで丸一日はかかる。そして、移動のためにそんなに魔法を使い続けたら、戦うための魔力を回復するためにもう一日必要になる。うまくいったとしても、戦いで消耗した魔力を回復するのにさらに一日。相手にできそうな名付きを首尾よく見つけられなかった場合はもっと時間が必要になる。
そんなに長いあいだ、大森の街を空けるわけにはいかない。かといって、他の魔法使いに助けを求めることもできない。
「私の幻想の扉は、壁の向こうの西の果てまで通じているわ」
「……てつだってくれるの?」
「私も忙しいから……そうね、一日だけ。一日でなんとかできるなら、その間だけは大森を見ていてあげる。無理なら仕方ないけど……そうなると私が手を貸せる機会は当分回って来なくなるでしょうね」
今をのがせば、もうチャンスは来ないかも知れない。
わたしは何かに背中を押されるみたいに、幻想の提案に乗ることを決めた。
幻想の扉をくぐり、見知らぬ土地へと降り立つ。
心細さを感じているひまはなかった。
わたしでも相手ができそうな名付きの害獣を見つけ、苦戦しながらも魔力をかすめ取り、安全な場所まで逃げる。
奇跡的にタイミングが噛み合い、どうにか一日のうちに全てを終えることができた。
そうして再び幻想の扉を通り、大森の街に帰ってくると、そこには見る影もなく壊滅した廃墟が広がっていた。
何が起きたのか理解できなかった。
出口を間違えたのかと思った。
でも、そこには確かに幻想の魔法使いがいて、他にも何人かの魔法使いたちが手分けして害獣の残党を片付けたり生存者を探したりしているところだった。
「幻想……これは……なに? どういうこと……?」
「ちょっと、どうして一週間以上も連絡をくれなかったの!?」
最初は悪い冗談だと思った。
でも、応援に来てくれていた他の魔法使いたちからも全く同じように問いただされて、その時わたしは、ついに自分がおかしくなってしまったのだと思った。
思い当たるのは、固有魔法で自分の記憶の封印を外した時。
まだ慣れていない魔法で自分の奥深くにある封印らしきものを取り除いた時、もしかしたら、他の大切な何かも一緒になくしてしまったのではないか。だからわたしは、本当は一週間以上もかかった仕事をたった一日で成し遂げたと思い込んでしまったのではないだろうか。
それは、とても恐ろしい仮定だった。
自分で自分を信じることができない。自分のどんな部分がおかしくなっているのかも分からない。それはとてつもない恐怖だった。
その後の緊急会議で、わたしは皆から何度も追求を受けた。一週間以上も、いったいどこへ行っていたのか。なんのために黙って街を空けたのか。
わたしは何も答えることができなかった。幻想の提案に乗ったということを話せば、彼女まで責任を負うことになると思った。
彼女は何も悪くない。彼女はずっとわたしの相談に乗ってくれていて、わたしのために幻想の扉を開けてくれただけ。悪いのはおかしくなってしまったわたしだ。
「あなたはおかしくなってなんかいない。幻想の扉をくぐる時に、時間の感覚が少し狂ってしまったのかも知れない。だから半分は私の責任よ。一緒に、もう一度皆の信頼を取り戻す方法を考えましょう?」
幻想の魔法使いは、こんなわたしにも変わらず優しくしてくれた。
彼女の言葉ひとつひとつが、彼女の声や表情のすべてが、わたしの救いになった。
そして数年後のある日、彼女は、ついにチャンスが来たと言った。
「今は記憶を失って……いいえ、記憶を封印されているみたい。あの人の記憶を取り戻せるのはあなたの魔法だけ。あなただけが、もう一度救世主をこの世界に呼び戻せるの。そのためには色々と準備が必要だけど……」
わたしにできることなら、なんでもしようと思った。
わたしのせいで死んでしまった人たちのためにできることは、魔法使い様をもう一度復活させて、この世界を救っていただくことだけ。
もしもかみさまがいるのなら、きっとこれが最初で最後の、わたしにおあたえになったチャンスなんだと思った。
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