「ほう、あゆかね」

「天然物だ。この街じゃまずお目にかかれん」

「相変わらずカネの使い方が豪儀ごうぎじゃのう」

「ふん……」


 とある料亭。

 時刻は未だ宵の口である。

 武敷元蔵むしきげんぞう片角一充かたずみかずみつは、それぞれの部下をふすまの後ろに置いて、二人きりで顔を突き合わせていた。

 かつて反目し合っていた組織のトップ同士という二人の間柄をよく知る者ほど、この酒席がどれほど珍しいものか分かるだろう。

 今では和解しているとは言え、それは武敷の組が一方的に身を引くことによって対立する必要がなくなったというだけのことで、当時から互いに歩み寄った部分は一つもない。言わば形だけの和解であり、現に一充は今でも元蔵のことを忌み嫌っている。

 ところが、今回の酒席を用意したのは一充だった。普通で考えればまずあり得ないことだ。

 当然、元蔵の腹心である六狼はこれを何かの罠だと考え、誘いを断るようにと進言した。

 しかし元蔵は互いの関係を前に進めるためのきっかけになり得ると考え、六狼の反対を押し切った。

 元蔵は己の『嘘を見抜く目』を信頼していた。相手の腹に一物あると分かれば、即座に対応できる……そう考えていた部分も、少なからずあったのかも知れない。


「それで、話というのは?」

「……なんだ、やけに急かすじゃないか」


 食事に毒物などが仕込まれていないことは、六狼の鼻によって確認が取れていた。しかし、あまり長居するのは得策とは言えない。

 単純な話、見た目の年齢が若いとは言っても、元蔵がかなりの高齢であることには変わりないのだ。酒に酔い潰れて冷静な判断ができなくなる可能性を考えると、大事な話は先に済ませておきたかった。


「せっかくの上等なさかなじゃ。それを不味くするような話だったら、先にした方がいいと思っての」

「ひどい言いようだな……だがまあ、そうだな。悪いがそんな話だ」


 一充は猪口ちょこに注がれた日本酒をぐっとあおると、今日初めてそうしたかのように、元蔵の目をじっと見た。


「最近、通り魔が出ているのは知っているだろう。直近の三件の被害者は全てうちの者だ。もっと前のやつも合わせれば、もう五人やられている。これがどういうことか分かるか?」

「お主の組織の者が、夜中に危ない場所をうろついていることが多いという話かね」

「おい、とぼけるのはやめようぜ。どうしてうちの関係者ばかり狙われるんだ? 誰かがそう指示しているんじゃないのか?」

「わしが指示したと言うのか。何のために? 今さらお主に嫌がらせをしたところで一円の得にもならんじゃろ」

「だからその理由を聞きたいと言っているんだ」

「あくまでわしを犯人にしたい訳か……話にならんな」


 元蔵は落胆した様子で、持ち上げかけていた徳利とっくりを静かに卓に置いた。

 何かしら収穫があるかも知れないと臨んだ席だったが、どうやら単に難癖をつけるためのものだったらしい。これ以上話しても無駄だろう。


「じゃあ……なぜ……」

「ん?」


 だが、そこで元蔵は、一充の様子がおかしいことに気が付いた。

 まだそれほど酔いが回るような時間でもないのに、一充は顔をうつむかせ、肩を震わせている。

 そして一充はぐわっと勢いよく顔を上げると、吠えかかるように言った。


「なぜ俺の息子を殺した!?」

「……何を言っとるんじゃお主は」


 さすがの元蔵も、これにはぽかんと口を開けるしかなかった。


「お前の孫が、俺の息子を殺したんだろうが!! それでもお前自身には何の責任もないってのか!!!」

「ちょっと待て、落ち着け。お主の息子……元一くんは転校したと聞いたぞ?」

「転校……転校か。そうだ……そういうことにしておいた……メンツのためにな……。だが、もういないんだ。もうあいつはどこにもいないんだよ!」

「その話……本当なのか? ショウくんが……元一くんを……?」

「本当か、だと?」


 瞬間、一充の顔が悪魔に憑かれたかのように醜く歪んだ。

 体中に満ちた憎悪が薄皮一枚を通して透けて見えてくるかのようだ。


「本当かどうか、お得意の能力で確かめてみたらいいじゃねぇか!! ああ!?」


 ビリビリと空気が震える。襖の裏で、六狼が今にも飛び出さんと身構えている気配が伝わってくる。

 言われるまでもなく元蔵は、最初からずっと一充の言葉の『色』を見ていた。

 一充は、一度も嘘をついていなかったのだ。

 それは受け入れ難い事実だった。元蔵は、初めて自分の能力を信じられないと思った。


「嘘ではないようだが……その話は誰から聞いたんじゃ? わしも初めて聞く話で……正直、混乱しとる」

「……魔法使いだ。ご丁寧に体の一部を持ってきてくれたよ。あれは間違いなく元一だった」


 うろたえる元蔵を見て少しは溜飲りゅういんが下がったのか、一充はやや落ち着いた様子で言った。しかしその瞳は相変わらず血走っており、いつ豹変ひょうへんしてもおかしくないような危うい光を放っている。


「ショウくんがやったというのも、その魔法使い様から聞いたのか? 何という魔法使い様じゃ? 空手様か?」

「幻想の魔法使いだ」


 【幻想の魔法使い】……その名前を聞いた途端、元蔵の脳裏に嫌な予感が走った。

 緊急会議の日に唯一怪しい『色』の発言をしていた魔法使い。

 その彼女が、片角一充に接触していたという事実。

 その符号が何を意味するのかまでは分からなかったが、ひどく不吉な予感がした。


「……今日は帰らせてもらおう。本人から直接話を聞いてみる必要がある」

「魔法使いの言葉を疑うのか?」

「そういう訳ではないが……当事者の話を聞かなければ始まらん。その上で……お主の言ったことが全て事実なら、改めて謝罪の場を設けさせてもらいたい」

「ふん……まあ、いいだろう。せいぜいしっかりと話を聞くんだな」


 廊下に出ると、ひんやりとした夜風がひたいを冷やしていった。

 元蔵はその時初めて、自分が少なからぬ汗をかいていたことに気が付いた。


「親父」

「六狼、急いで帰るぞ」


 料亭の裏に作られた小さな駐車スペースに、元蔵が遠出する時に使う白のミニバンが停まっていた。

 ここに着いた時からエンジンはかかったままで、運転席に座る角刈りの男が油断のない目で辺りを見据えている。


隅田すみだ、変わりはねえか」


 六狼が声を掛けると、隅田と呼ばれた角刈りの男は静かに頷いた。


「……念のため、少し動かしやす。離れていて下さい」


 六狼たちの緊張した空気を感じ取ったのか、隅田は用心を重ねて車を動かした。それから扉を開けて外に出ると、車の隅々までチェックを行う。

 仮に姿を消せるような眷属が密かに車に爆弾などを仕掛けていた場合、車が動いたりドアを開けたりした時に爆発する可能性があるからだ。

 隅田は魔法使いの眷属ではなかったが、常に冷静で無駄口を叩かず、丁寧で確実な仕事をすることが評価されていた。


「……オレの目では、問題ありやせん。……兄貴」

「おう、後は俺が見る」


 六狼は、殊更ことさら自分の魔力を放出するようにしながら、再度車をチェックしていった。

 仮に眷属の能力によって爆弾を作れたとしても、それは本人の体から離れた時点で消滅してしまう。しかし何らかの未知の手段によってそれを車に残せた場合、起動に必要な魔力を供給してしまうのは自分だけだ。その可能性を考えて、六狼は自分の魔力をぶつけるようにして車を確認していったのだった。


「……異常ありません。親父、どうぞ」

「うむ」


 今回ばかりは、元蔵も心配し過ぎだと苦笑するようなことはなかった。

 相手が一充だけであったなら、ここまでする必要もなかったかも知れない。

 だが、魔法使いが彼の背後にいると仮定すると、これは用心をしてもし過ぎるということはないはずだった。


 車は問題なく走り出した。

 最近は通り魔事件のおかげで、街の中心から外れた通りを人が歩いていることはほとんどない。


「親父、この後本当にショウさんから話を聞くおつもりで?」

「うむ……ショウくんは元一くんと仲が良かったと聞いておる。もしも一充の話が本当なら、何かしら態度に出ていなければおかしい」

「確かに。ですが、俺はショウさんの言動からそういった違和感を感じたことはありません」

「そもそもわしの目を誤魔化せるとも思えん。十中八九、一充が嘘を吹き込まれただけだと思うが……」

「魔法使い様からですか? だとすると、かなりまずい話になってくる。すぐにでも空手様に報告した方が良いかと」

「それもそうじゃが、まずはショウくんから話を聞いてみるのが先じゃ。しかし……何といって聞いたらいいものか……」

「俺から話しましょう。親父は座っていてくれればいい」

「六狼……お前はちと優し過ぎる……」


 その時、夜の空を青白い炎が照らした。

 それは一瞬後に大きく膨らみ、近くの街路樹もろとも車を包み込んだ。

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