黄金の花

 蔵を出てからほどなくしてりりのが目を覚まし、私たちは魔法使い様たちの家を後にした。

 りりのは特に後遺症もなく、目覚めた後も比較的落ち着いている様子だったが、私があの地下にいた害獣のことを説明すると、苦い表情で「そう」とだけ答えた。


 私たちは駅まで戻り、そこからエレベーターで地下へと降りていった。それは一般の人が使うエレベーターとは別のもので、かなり使い込まれている印象だった。

 六狼さんが専用の鍵で操作ボックスを開け、地下鉄がある階層より更に下へと降りていく。

 おじいさんの話では、本業を見せてくれるということだったが……詳しいことは教えてくれなかった。これも魔法使い様たちの家と同様の、おじいさんからのサプライズ企画なのだろう。

 軽く耳が痛くなるくらい降りたところで、静かに扉が開いた。

 そこは大きな倉庫のような場所だった。足元は踏み固められたむき出しの土で、トラクターや、何に使うのか分からない道具などが置かれている。

 正面に、ぽっかりと口を開けるようにして、出口が明るく光って見えた。

 そちらに向けて進むにつれて、その光がただの照明によるものだけではなく、満開の花びらの色であることが分かった。

 そこは恐ろしく広大な果樹園だった。

 天井に吊るされた照明はそれほど明るくはないのに、ずらりとはるか遠くまで並ぶ樹に咲いた黄金色の花が、光を無限に増幅させている。


「親父殿、遅かったですねェ」


 先に来ていた宝威さんが私たちを出迎えてくれた。

 いつもの白いスーツではなく、作業用のエプロンと長靴、手袋を身に着けている。しかもそれが妙に似合っていて、何だか面白い。


「どうだい、作業の方は」

「ぬかりありません。そうだ、ぼっちゃんもどうです試しに……おや、そちらの子は?」


 宝威さんが私の後ろに目を向ける。どうやらりりののことは知らなかったらしい。


「あ……どうも。尾礼りりのです」

「こりゃどうも、手前は宝威ってモンんです。お嬢さん、ひょっとしてぼっちゃんの……コレですかい?」


 言いながら、小指を立てて見せる宝威さん。そのジェスチャーを実際に使っている人、初めて見たけど……この世界ではまだ現役なのだろうか。


「えっと……」


 りりのが困惑した表情でこちらを見る。やっぱり若い人には伝わらないのかも知れない。私も元の世界の漫画で知ったくらいだし……。


「ええ、まあ、そうです。ところでここは……この樹は何なんですか?」


 あまり突っ込まれないうちに、早めに話題を変えることにした。

 見たところ果樹園のようだけど、やたらと規模が大きい。それにこんな花をつける果物なんて見たことがない。


「これがわしらの飯の種さ。金香桃キンカトウといってね、木にったまま酒になる珍しい果物なんじゃよ」


 宝威さんの代わりにおじいさんが答えてくれた。


「お酒……?」

「そう、こいつは成熟する過程で自然に発酵して、実の中の糖分がアルコールに変わる。ここでしか作れない貴重な酒でな、いい値段が付くんじゃ」


 確か、果物が自然に発酵したものがお酒の始まりだと本で読んだことがあった気がするけど……それが売れるほどのものなんだろうか?


「なにせこれは魔法のかかった特別製だからの。当然、味も極上よ。ショウくんたちにはまだ早いがね……」


 なるほど、魔法という言葉でピンと来た。

 恐らくおじいさんはコネを利用して、【変異】様に全く新しい果物を作ってもらったのだ。

 そしてそれが大きな利益を上げるようになったから、それまでのヤクザ屋さんを廃業したということなのだろう。

 お酒の味のことはよく分からないけど、魔法によって作られたものならきっとおじいさんの言う通り、さぞや美味しいに違いない。


「今は摘花てきかの作業中でしてね、こう、いくつも咲いている花を間引いて、一つの実に栄養が集中するようにするんです。リンゴなんかと違って、葉も枝も摘んだ花も、全部捨てるところがねえのがこいつの良いところでして……」

「おう宝威、説明もいいけどさっきから若いのが指示を待ってるぞ」

「おっといけねえ、それじゃ兄貴、後の説明はよろしくお願いしやすぜ」

「いや俺はそういうのは……」


 いつも以上に饒舌な宝威さんだけでなく、心なしか六狼さんも穏やかな雰囲気だ。

 この空間に漂うかぐわしい香りがそうさせるのだろうか。


「僕たち、ちょっと歩いて回ってもいいですか」


 無口な六狼さんに解説をお願いするのも悪いと思い、私はおじいさんに散策を申し出ることにした。


「ああ、もちろん構わんよ。頭をぶつけんようにな」

「ありがとうございます。それじゃ行こう、りりの」

「あっ、うん」


 私はりりのの手を引いて、黄金色の花が咲き乱れる道を歩き出した。

 金香桃の樹は等間隔で並んでおり、恐らく作業しやすいように、どれも背が低く剪定せんていされている。

 頭のすぐ上に枝が広がり、それぞれに花がついているおかげで、甘く酔ってしまいそうな香りがどこまで行っても空間を満たしていた。

 美しい花と、心地良い香り。

 夜の桜がなまめかしく見えるのと同じように、この薄暗い地下を彩る黄金の花のトンネルは、この世のものとは思えないほど幻想的な光景だった。


「そういえば、りりのが気を失っている間、変異様がずっと付いていてくれたんだよ。悪いことをしたって……すごく気にしてたみたい。除湿様も叱られた犬みたいになってたよ」

「それは……別にもういいよ。魔法使い様の魔法を受けることなんてめったにないことだし……むしろ皆に自慢できるかも」


 それは恐らく彼女なりの強がりだったのだろうけど、それでも思っていたほど落ち込んでいないようで少し安心した。


「……花、きれいだね」

「うん……」


 二人の足音だけが聞こえる。

 宝威さんの言っていた通り、足元には枯れ枝ひとつ落ちていなかった。

 短い草が芝生のように地面を覆っていて、靴越しに柔らかい感触を足の裏に伝えてくる。

 時々金色の花びらが頭上からひらりと舞い降りる。

 遠く、受粉用に飼っている蜂か何かの羽音が、かすかに近付いてきては遠ざかる。


「……いつか、約束したこと、覚えてる?」

「約束?」

「もっと仲良くなれたら……りりののことを教えてって……」

「ああ……うん」

「僕たち、あの頃より仲良くなれたかな?」

「ていうか、付き合ってるじゃん。一応」

「まあ、一応ね」

「アタシは……結構、好きだよ。ショウコちゃんの時だけじゃなくて、今のアンタのこともさ」

「そっか、それなら良かった」

「……別に大した話じゃないんだけどさ。どこにでもあるような話」

「うん」

「アタシが小さい頃、大森に住んでたことは知ってるよね。だからまあ、そういう話なんだけどさ……」


 かつてりりのが住んでいた大森の街は、害獣によって滅ぼされた。

 小学生だったりりのは、目の前で父親と弟が害獣に殺される場面を見てしまったらしい。

 その時味わった衝撃を、幼かった彼女は害獣に対する怒りに変換した。

 そうしなければ、悲しみと恐怖で心が壊れてしまいそうだったから。

 そして、彼女と同じ場面を見ていた母親は、衝撃を真正面から受け止めて心を壊してしまった。

 それからりりのはずっと、心の壊れた母親と一緒に暮らしている。

 今も。これからも。


「今まで、お母さんが厳しいから早く家に帰らなきゃいけないとか、門限があるとか言ってたけどさ……ごめん、あれ嘘なんだ」

「そっか……」

「お母さんさ、もう一日中ずっと座ってるの。何もないところをじーっと見つめて。話しかけても全然反応とかなくて。食事を出せば自分で食べれるし、お手洗いにも一人で行けるからそこは楽なんだけど、着替えとかお風呂とかは全然ダメでさ……。ねえ、知ってた? 脱力したオトナの人ってすごく重いんだよ。アタシ一人の力じゃ湯船に入れたり出したりできないくらい。だからね、その時だけ変身するの。変身するとさ、ほら、アタシいつも槍を持ってるからさ……そういう時ほんの一瞬だけ、変なこと考えちゃう自分がすごく嫌で……怖くて……たまらない気持ちになるんだ」


 確かに本人が言った通り、りりのの話は私の予想の範疇はんちゅうを超えてはいなかった。

 しかし、彼女の口から語られる母親との生活はいやに生々しく、かつて私の目の前でおかしくなってしまった母のことを思い出させた。

 あの時、私は田舎に引き取られて、当時はそれが不幸の始まりだと思っていたのだけれど……。

 もしも母と引き離されずに生活が続いていたとしたら、それは、あの田舎で味わったものとは全く別種の悲しみを私にもたらしていたのかも知れない。


「だからアタシは害獣を殺すしかないの」


 彼女には最初からそれしか選択肢がなかった。

 害獣を殺し続けなければ、心の底から憎み続けなければ、自分の心を保つことができないから。


「だからアタシは、もう誰も好きにならない」


 そんな彼女が恋をすることができたのは、一体どれほどの奇跡だったのだろうか。


「……ねえ、ショウ。好きだよ。だからショウも、アタシのこと好きでいてくれる?」

「もちろん、好きだよ。りりの。ずっと一緒にいるよ」


 彼女は私だ。

 私がいつか選んでいたかも知れない道を、今も孤独に歩んでいる。

 私がいつも胸の奥に感じていた小さな罪悪感は、きっと彼女のためにあったのだ。


 私たちはきっと、お互いに依存していた。

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