魔法使いの家

「また通り魔だって」

「早く捕まらないかな……」

「犯人は人間じゃないとか」

「どの死体にも動物に噛みつかれたような傷跡があるんだって」

「それって……」

「害獣?」

「また?」

「違うよ、女の子だって」

「見た人がいたんだって」

「誰が見たの?」

「誰?」


 ◆


 意識が覚醒する。しかし、眠っていた訳ではなさそうだ。

 ゴトゴトと揺れる視界。

 正面には、窓ガラスに映った自分の姿が見える。右隣には目を閉じるりりのの姿。左隣にはおじいさん、その向こう側に六狼さんが座っている。

 地下鉄はゆっくりと進んでいく。

 速度を出すことができない理由が、何かあるらしい。


「物騒だね」


 おじいさんが言った。


「夜は出歩かないようにしなさい」

「そうですね」


 薄暗い車内の蛍光灯が軽く明滅する。


「今回は、眷属がやられたそうです」


 六狼さんが腕組みをしたまま言った。

 サングラスの奥の表情までは読み取れない。


「なんでも片角の者だとか」

「あいつは認めんだろうがの」

「どちらにしても、用心に越したことはありません。ショウさんたちも」


 りりのは穏やかな寝息を立てていた。

 無防備に投げ出された手を握ろうか少し迷い、窓ガラスに映る自分の姿を見て思い留まった。


「大丈夫ですよ」


 私は自分がどうして地下鉄に乗っているのか、思い出そうとしていた。


 ◆


 エレベーターから降り、駅舎の外に出ると、まるで季節が逆戻りしたかのような夏日だった。

 目がくらむような日差し。

 金色の稲穂が視界の半分を埋め尽くし、大気はむわっとした独特の香りに満ちあふれている。

 舗装された太い道路が四方に伸び、そこから枝分かれするようにして、わだちの跡がくっきりと残る農道がどこまでも続いていく。

 遠くには連なるビニールハウス。田畑をまたぐ鉄塔や果樹の林、放牧されている家畜の姿も見える。

 ここは蒲田農場。東京国に二つある巨大な農場のうちの一つだ。


「懐かしいな……アタシ、この景色が好きだった」


 りりのが感慨深そうに言った。


「りりのは来たことあるの?」

「うん、大森から近かったからね。ちょっとした遠足とかで何回か来た」

「ここはその頃と変わってない?」

「多分……ずっとこんな感じだったと思うよ」


 私は少し複雑な気持ちだった。

 ここは、前の世界で私が住んでいた田舎を思い出させるからだ。

 辛く苦しい記憶と共に、先輩のことが脳裏をよぎる。その瞬間、頭の中でパチリと電気が弾ける。


 もう三十分は歩いただろうか。

 未舗装の農道を歩くのは嫌いではないが、強い日差しにやられてしまいそうになる。

 六狼さんはともかく、おじいさんはよく平気な顔をしていられるものだ……。

 そんなことを考えていると、田んぼと畑に囲まれるようにして建つ、木造の平屋が見えてきた。

 生け垣の前には小さな水路。涼やかな水の音がひどく郷愁きょうしゅうを誘う。

 どうしてこんなに懐かしく思うのか。少し考えてみると、その理由が分かった。

 この蒲田農場には川があるのだ。

 本来であれば、壁に囲まれた街には川というものが存在しないはずだ。ここは街ではないが、人が活動する以上、当然壁に囲まれている。

 やはり農業には水が欠かせないから、貯水池から引いた水を地下から汲み上げて、人工的に川を作っているのだろうか……。


「いらっしゃい。久しぶりねえ」


 まるでこちらの訪問を待ち構えていたかのように、完璧なタイミングで引き戸が開いた。

 そこに立っていたのは、どこぞの若奥様といった容姿の女性だった。

 ゆるくウェーブのかかった髪、柔らかい体つきと穏やかな目元が母性を感じさせる。


「ご無沙汰しております。今日は久々にご挨拶にと思いまして」

「まあまあ、ようこそいらっしゃいました。あら、そちらのお二人は……はじめましてかしら?」

「彼はわしの養子のショウくん。それと、ガールフレンドのりりのさん」

「養子! あらあら、元蔵ちゃんがねえ。それは良かったわねえ」


 私は『ガールフレンド』という言葉を一瞬否定しそうになったが、確かにりりのは名実ともに私のガールフレンドであることを思い出して、余計なことは言わないでおくことにした。


「はじめまして」

「どうも……」


 私とりりのは揃ってしまらない挨拶をした。

 まあ、いきなりどこの誰とも知らない主婦の方を紹介されたら、こんな感じになってしまうのは仕方のないことだと思う。


「あらまあ、可愛いわねえ。私は変異の魔法使い。よろしくね」

「えっ」


 今度は二人とも絶句してしまった。

 【変異の魔法使い】と言えば、この国の人間にとって最も敬うべき魔法使い様のうちの一人だ。

 食糧とエネルギーの二大問題を解決させ、それ以外にも数え切れないほどの貢献をしてくれているという、まさに神様のような人である。

 その重要性から、住んでいる場所や容姿など、個人を特定できるような情報の全ては非公開となっているはずなのだけれど……。

 そんな超々重要人物が、まさかこんな田んぼと畑に囲まれた所に普通に住んでいるなんて、誰が想像できるだろうか?


「さあさあ、立ち話もなんだから上がって上がって。あの人も待っているわ」


 呆然としながら、私たちは案内されるがままに家の中にお邪魔することになった。


 家の中は完全な和式の内装で、おじいさんの屋敷に少し似ていた。

 サラサラと、庭に植えられている棕櫚しゅろの葉が風に揺られて奏でる音が、屋内にいても聞こえてくる。今日は気温が高いから、色々な所を開け放しているのだろう。


「よお、久しぶり。元気そうじゃん」


 居間に入ると、アロハシャツを来た男性が寝っ転がっていた。

 金色に近い茶髪と日焼けした肌。歳は三十代前半くらいだろうか。まだまだ若者に混じって一晩中遊べそうな感じの風貌だ。


「ご無沙汰してます、親父もお元気そうで」


 おじいさんは軽く手を上げて挨拶した。

 親父……というのは、アレだろうか。六狼さんがおじいさんのことを親父と呼ぶ感じの……ということはこの人が武敷の家の親分的な……?


「ショウくん、こちらは除湿の魔法使い様。わしの父親でもある」

「あ、どうも……」

「親父、彼はショウくん。わしの養子です。隣の子はガールフレンドのりりのさん」


 ……父親? 魔法使い様? おじいさんのお父さん?

 私の混乱をよそに、おじいさんは和やかに紹介を続けていく。

 隣のりりのを見ると、彼女も私と同じように目を白黒させていた。


「ほーん、君がショウくんか。彼女連れで挨拶とは感心だねえ」

「あ、いえ……あの、おじいさんの……お父様なんですか? 魔法使い様が?」

「そうだよ。元蔵は俺の息子さ」

「え、じゃあお母様は変異の魔法使い様……?」

「ハハッ、違う違う! 母親はとっくに死んじまったよ。俺は変異の護衛として一緒にいるだけ」

「そうですか……」


 なんとも言えない気持ちで助けを求めるような視線を向けると、おじいさんは悪戯っぽくニヤリと笑った。

 詳しい説明をせずに「古い知り合いに挨拶に行く」なんて言っておいて、実は最初から私たちを驚かせるつもりだったのだ。

 まるで子供みたいな……しかし、どこまでも憎めない人である。


「この嘘の色が見える目も、親父の影響だろうね。わしは生まれつき人より多く魔力を持っていた。だが……そのおかげで眷属にはなれんかった」

「そうなんですか……?」

「どの魔法使い様とも契約できんかったのよ。もちろん親父とも」


 おじいさんの話を聞きながら【除湿の魔法使い】様は起き上がって胡座あぐらをかき、あごの無精髭を触っていた。


「それに関しちゃ、本当によく分からないんだ。なにせ魔法使いたちの中で子供を作ったのは俺だけだったし……俺ももう色恋沙汰って歳でもないしなあ……」

「ほっほ、またそんな嘘を。変異様と楽しくやりたいと顔に書いてありますよ」

「お前はまた……! 魔法使いの嘘を読むんじゃねえよ、ったく。つーか変異のことは言ってなかっただろーが……」

「あら、私の話ですか?」


 振り返ると、お盆に人数分のお茶を乗せた【変異】様がニコニコした表情で立っていた。


「あらまあ、お客様を立たせたままで……すみませんねえ」

「いやいや、お構いなく。今日は他に用事もありますので」

「そう言わないで、お茶だけでも、ね。私にも何のお話をしていたのか聞かせて下さいな」


 おっとりした口調とは裏腹に、【変異】様はテキパキとお茶の入ったグラスをテーブルに置き、座布団を用意する。

 それまでダラダラとしていた【除湿】様は急に落ち着かない様子になり、何かを思いついたように立ち上がった。


「そうだ、せっかく来たんだから面白いものを見せてやろう。な、いいだろ?」

「アレですか……? 構いませんけど、そんなに急がなくても」

「いーや、急ぐね。用事があるって元蔵も言ってただろ? お茶なんてまた今度来た時でいいじゃないか。さ、こっちこっち」


 若干不満そうな【変異】様の返事を待たずに、【除湿】様はずんずんと歩いていってしまった。

 私たちも慌てて後を追う。


「ここだ」


 母屋の隣に建つ小さな蔵にかけられた錠前が、ひとりでに音を立てて外れた。

 中に入ると、床一面に緑色の苔が生えていた。それはふわふわと柔らかく、小さな赤い実がついているものもある。それを【除湿】様は無造作に踏みつけながら奥に進み、人が通るにしてはやけに大きな扉を開いた。

 ズズズ、と扉が手前に開く度に、床の苔が剥がれていく。一体どれだけの時間、開けられていなかったのだろうか。

 扉の奥は地下へと続く階段になっていた。私はいつだか入りそこねたシェルターを思い出して、なんとなくりりのの表情をうかがってみたが、彼女は「?」という顔で見返してくるだけだった。

 階段も壁も隙間なく苔に覆われていた。オレンジ色の電球に照らされる苔むした階段はどこか幻想的で、不思議とワクワクしてくる。

 しかし、そんな浮ついた気持ちは、階段を降りきった瞬間に消えてなくなった。


 そこには害獣がいた。

 今まで出会ったことがないほど大きな四ツ足。私が作り出す狐よりも一回りほど大きい。

 その四ツ足が、牢もかせもなく、狭い地下室の真ん中に寝そべっていた。


 その姿を認めた瞬間、私とりりのはほぼ同時に変身していた。

 いや、りりのは既に槍を突き出していた。この距離なら一歩踏み込めば十分だ。

 しかし槍は害獣に届かなかった。

 私たちの後ろを歩いていたはずの【変異】様が、いつの間にか害獣の前に立ち塞がり、槍の穂を指先だけで止めていたのだ。


「優秀な眷属さんね。でもごめんなさい、この子は殺さないで」


 【変異】様が軽く指先に力を込めると、りりのの槍は穂先から持ち手までもが一斉に砕け散った。


「あの……これはどういうことですか?」

「あらまあ、あなたショウくんよね? その姿……へえ……空手ちゃんが入れ込むのも納得だわ」

「あの、私の話を……!」


 私と【変異】様が話している隙に、りりのは新しい槍を手に持ち、まるで周りのことが見えていないかのように再び害獣に向けて突っ込んでいった。

 だが少しも進まないうちに、彼女は足をもつれさせて派手に転倒してしまう。普通の倒れ方ではない。私は慌ててりりのに駆け寄った。


「猪みたいなお嬢ちゃんだなあ……心配するな、瞬間的に体液の何パーセントかを失って失神しただけだ。今はもう戻してあるから死ぬことはない」


 あっけらかんとした様子で【除湿】様が言った。恐らく彼が何らかの魔法を使ったのだろう。

 話も聞かずに攻撃を続けようとしたりりのにも非はあるのかも知れないが……それでも私は、胸の内に湧き上がる怒りを抑えきれずにいた。

 しかし……


「あなた、やり過ぎですよ!」


 私が何か言うより先に、【変異】様の大声が響いた。


「だってよー……」

「だってじゃありません!」

「……すまん」

「謝る相手が違うでしょ!」

「はい……ショウくん、それにりりのちゃん……は聞こえてねーか……まあその、悪かったな。だが分かってくれ、この害獣は替えがきかないんだ」

「まったく、最初から説明しておけばこんなことには……」

「いや……びっくりさせようかと思って……」


 あっけにとられたまま二人の魔法使い様のやり取りを見ているうちに、私の怒りはどこかへ霧散してしまった。

 あのおっとりとした【変異】様が、まるで子供を叱るみたいに怒っている姿を見ていると、すっかり毒気が抜かれてしまう。


「……それで、この害獣は何なんですか?」


 【除湿】様が土下座の一歩手前まで追い詰められたあたりで、私は話を戻すことにした。


「この子は、私が魔法をかけて変異させた害獣よ。ほら、普通とは違うでしょう?」

「確かに……」


 そう、この害獣は図体こそ大きいが、最初から私たちを襲おうとはしなかった。

 普通の害獣なら、人間を見つければ即座に攻撃してくるはずだ。

 しかし目の前で寝そべっているこの害獣は違う。そもそも私たちに興味がないようですらある。


「害獣の攻撃性を消す実験は、実は何十年も前から密かに行っていたの。でも成功したのはこの子だけ」


 そう言って【変異】様は、愛おしそうに害獣の鼻先を撫でた。


 人を襲わない害獣……それはもはや、何と呼べばいいのだろうか。

 栄養を摂る必要がなく、老いることもなく、繁殖もせず、ただそこにいるだけで周囲の植物を活性化させるもの。

 この世に存在する理由を消された、生物でも無機物でもない何か。

 私は不意に、目の前の真っ黒な獣が、ひどく歪んだ醜悪なものに見えた。

 何かを汚されたような、自分でもよく分からない感情が胸に去来していた。


「この子は人類の希望なのよ。害獣を無害化することは不可能じゃないという唯一の証明。ここを足がかりにして、どう発展させていくか……その研究にあと何百年かかるか分からないけれど、ゆっくり考えていくわ」


 私の胸をむしばむ違和感は、しばらく消えなかった。

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