隙間を埋めるもの

 元一が転校してから二ヶ月が過ぎようとしていた。

 人が一人いなくなっても、日常は変わらずに続いていく。

 クラスの中で唯一の友達だった元一がいなくなり、私は前の世界でそうであったように、また一人ぼっちになってしまうのかと思っていた。

 しかし意外なことに、夏休み前とは打って変わってクラスメイトたちは私に話しかけてくるようになった。しかもそれは、『親友を失ってしまった気の毒なクラスメイトを慰めてあげよう』といった感じではなく、以前から私に興味があったのにこれまでは話しかけられずにいた、といった様子なのだ。

 私と元一は、揃ってクラスの皆から敬遠されているのだと思っていた。しかし実際は元一だけが――つまり片角かたずみの家だけが――畏怖いふの対象だったということらしい。

 確かに現在の彼らの表情は、夏休み前と比べると明らかにのびのびとしており、どこかホッとしたような、安心したような雰囲気を漂わせている。

 私はそれがたまらなく悲しかった。


「また今日も言われた」


 昼休み、いつもの中庭でお弁当を広げていると、りりのが私の隣に座りながら言った。


「またって?」

「尾礼さんってぇ、一組の武敷くんと付き合ってるのぉー? だって。みんな恋愛のことばっかり」


 りりのはいつものパンをまずそうにかじりながら、しかめ面をする。


「違うって言えばいいじゃん」

「言ってる。でも実際はどうかなんて関係ないんだよ。あの人たちはただ自分が楽しみたいだけなんだから」

「あの人たちって……一応クラスメイトでしょ」

「一応ね。でもそれだけ」

「そっか」


 りりのは……結局、元一を探す旅に出ることはできなかった。

 驚いたことに、りりのの考えに一番反対したのは空手の魔法使い様だった。どうしても街を出るなら魔法の力を剥奪はくだつするとまで言い渡されたそうだ。

 害獣を倒すためだけに眷属になったりりのにとっては、二度と戦うことができなくなるという選択肢は私が思っている以上に重いもののようだった。りりのは数日間悩み続け、そして最終的には、私が提案した妥協案を選ぶことになった。

 それは、普段の生活はそのままで、休日の間だけ他の街に出かけて元一の行方を探すというものだった。

 いくら魔法使い様でも、眷属が休日に出かけることまで禁止する訳にはいかない。私たちはたまたま他の街に遊びに行って、たまたま目に付いた高校で元一が転校して来なかったか聞いてみるだけで……それをいちいちとがめられるいわれはない、そういう建前だ。


 そうして私たちは、週末になると二人揃って他の街に出かけるようになった。

 私は内心、わざわざ出かけなくても電話で済むのではないかと思っていたのだけれど、他校の高校生を名乗る正体不明の人物から電話がかかってくるのと、実際に高校生二人が顔を見せるのとでは相手の対応がまるで違った。

 最初のうちは聞き込みは順調だった。

 この世界ではまだ個人情報の取り扱いが厳しくなっていないらしく、頼んでもいないのに名簿まで見せてくれる学校もあった。

 ひとつひとつ、確実に候補を潰していく。

 時には回答を拒否されることもあったが、そういう時は部活などで登校している生徒に直接聞いてみるという荒業を駆使して聞き込みを続けていった。


 しかしある日、トラブルが起きた。

 土曜日に他の街に出かけ、初めて訪れる高校の受付でいつものように事情を話すと、対応に出た職員は私たちに対して露骨に疑いの目を向けてきた。あなたたちは本当にその高校の生徒なのか、転校した友達というのは実在するのか、それを知って何をする気なのか……などといった質問を執拗しつように繰り返してきたのだ。

 恐らくそうした質問の中に地雷があったのだろう、りりのは突然怒りをあらわにして職員に詰め寄り、感情のままにまくし立てた。驚いた私は慌てて止めに入り、ほとんど逃げ出すような形でその高校を後にすることとなった。

 そして次の日の日曜日、念のため昨日とは別の街の高校を訪れると、これまでとは明らかに反応が違っていた。職員は私たちの顔を見るなり話もロクに聞かずに、今すぐ出ていくようにと告げてきた。その日は他のどの高校を回っても同じような対応だった。中にはいきなり警察を呼ぼうとする人さえいた。

 その日はそれ以上聞き込みを続けることもできず、二人して意気消沈しながら帰宅することになった。


 これは後で知ったことだが、最初にトラブルを起こしてしまった高校は、過去に付きまとい被害を受けていた生徒を他校から受け入れたことがあったそうだ。そして事情を知らなかった職員が、その生徒の友達を名乗る男にうっかり情報を漏らしてしまった。その結果付きまといが再発し、被害を受けていた生徒は自殺未遂をするほどまでに追い込まれてしまったらしい。それ以来、その高校では生徒の情報を慎重に取り扱うようになったのだという。

 そんな事情があるとも知らず、私たちは不用意な行動を取ってしまったのだ。高校側が警戒するのは当然だし、街のくくりを越えて他の学校に情報が共有されるのも時間の問題だったのだろう。


 そして翌日の登校日。私とりりのは揃って生徒指導室に呼び出されていた。

 前日の夜に学校側から連絡があり、明日の授業には出なくていいから正午に保護者同伴で学校に来いとのお達しがあったのだ。

 事情聴取という名目のお説教が一通り終わった後、私たちは三日間の自宅謹慎処分を言い渡された。

 まあ、聞き込みをする時に生徒手帳を見せてバッチリ自分たちの身分を明かしていたのだから、こうなるのは当然のことだった。

 私はそんな風にどこか諦観ていかんしていたのだが、りりのはそうではなかったらしい。

 りりのは泣いていた。

 大切な友達を探し出したいだけなのに。

 何も悪いことなどしていないのに。

 どうしてあんな風に言われなければならないのか。

 どうしてあんな目で見られなければならないのか。

 どうして。

 その嘆きの声は、私の胸を強く締め付けた。彼女のために何かしたい、彼女を放っておくことはできないと心の底から思った。

 私がなんとかしなければならない。今、彼女のことを一番理解してあげられるのは、私だけなのだから。

 それから三日間、私は毎日りりのの家に電話をした。彼女に妙な考えを起こさせないようにと、どうでもいいような雑談を繰り返した。

 それが功を奏したのかは分からないが、自宅謹慎が明けると、彼女はいつも通りに学校に登校してきた。顔色も悪くなく、特に精神的に参っているようには見えなかった。

 ただ……以前よりも少しだけ、彼女は冷笑的シニカルになった。言葉や行動の端々から、どこか投げやりな雰囲気が見て取れるようになった。

 害獣との戦いではそれがより顕著けんちょになり、己の身をかえりみないような戦い方をするようになった。ペアである私はあえてそれをいさめることはせず、新たに手にした剣を使ってできる限り彼女に危険が及ばないように手を尽くした。

 りりののためにと考えて動くのは全く苦にならず、むしろ自分にしかできない仕事を遂行していることに喜びすら感じていた。

 私が彼女をサポートしなければならない。全ての事情を知っていて、近くにいてあげられるのは私だけなのだから。


 昼休みも、放課後も、短い休み時間も、私たちは顔を合わせるようにしていた。

 会って何をするというわけでもない。ただ、二人で一緒にいるのはごく自然なことのように感じていた。


「りりの、今日もうち来る?」

「ん……行く」


 私たちは、もうあの百貨店には行かなくなっていた。

 あそこに行くとどうしても元一のことを思い出してしまうからだ。

 その代わり、私の部屋にりりのが遊びに来るようになった。


 遊びに、とは言っても……余談だが、この世界にはテレビゲームのような娯楽は存在しない。

 若者たちの娯楽と言えば、マンガや小説、音楽やアナログゲーム、そして球技などの体を動かす遊びくらいだった。

 面白いことに、この世界にもいわゆるライトノベルのようなものが生まれていた。

 それらは俗に『漫画小説』と呼ばれており、まさに漫画のようにセリフの掛け合いだけで物語が進むものや、キャラクターのイラストを大胆に挟みながら余白に文章が書かれているものなど、多岐に渡っていた。

 私はそんな『漫画小説』の中でも比較的純文学に近い、それでいて読みやすさを重視したような、つまり前の世界のライトノベルに似た形式のものを好んで買い集めていた。

 そういった若者向けの本はジャンルが幅広く、もう二度と読めないだろうと思っていた『新道多喜江』が書くようなジャンルでさえ見つけることができたからだ。


「ただいまー」

「お邪魔します」


 私は鞄をその辺に放り出すと、息をするように魔法少女に変身した。

 やはりこの姿の方が落ち着くし、本当の自分に戻ったような気がする。できれば一日中ずっとこの姿でいたいのだけれど、学生の間は我慢するしかないだろう。

 狭くなった歩幅でとてとてとフローリングの廊下を歩き(当然変身した瞬間に靴は消すようにしている)、部屋の窓を全開にする。

 涼しくなってきたとは言え、南西に大きな窓があるこの部屋は日中の熱がこもりやすい。窓を開けると爽やかな風が部屋に入り、私の長い髪を揺らしていった。

 本当は変身していれば暑くても寒くても平気なのだが、りりのは戦闘以外で変身することを嫌がるため、その辺りはこちらが合わせるようにしていた。


「麦茶でいい?」

「うん。氷はいらないから」

「あいよー」


 いつの間にかりりの専用になった、青いライン入りのグラスに麦茶を注いで部屋に戻る。

 りりのは私のベッドを背にして床にぺたりと座り込み、以前読みかけのまま置いていった本の続きを読んでいた。

 背の低いテーブルにグラスを置くと、私も机の上に放置してあった本を手に取り、ベッドの上に座って読み始める。壁に背中を預け、腰のあたりにクッションを挟むと、いい具合に読書がはかどるのだ。

 こうしてお互いに別々のことをして過ごすのが私たちの日課になっていた。

 時々ちょっとした雑談を挟むこともあるけれど、基本的には無言の時間が流れていく。

 しばらくすると、りりのがベッドの上に上がってきて、当然のように私の隣に腰を下ろした。そして私の片腕を自分の両腕で抱えるようにしながら、再び本を読み始める。これもいつものことで、私がわざと離れると、りりのは無言で追いかけてくるのだ。


「あのさ、前々から思ってたんだけど」

「なにー」

「りりのの部屋ってさ、ぬいぐるみとかいっぱいあるでしょ」

「……なんで知ってんの?」

「や、そうだろうなと思って」


 恐らくりりのは、自分の部屋ではぬいぐるみを腕に抱えながら過ごしているのだろう。さしずめ私はその代用品という訳だ。私が変身しているとやたらと抱きついてくるのも、単純に可愛いものが好きだからだろう。

 そう考えると、なんだかとても微笑ましい気持ちになった。


 ぺらり、ぺらりとページの擦れる音だけが静かな部屋に響く。

 時折身じろぎする衣擦きぬずれの音。

 こんなにも密着しているのに、お互いに別々のことを考えている。

 ただ体温だけがそこにあって、頭の片隅でお互いの存在を感じていて、それだけで十分に満たされている。


 ふと気付くと、だいぶ部屋の中が暗くなっていた。

 魔法少女の目なら暗闇の中でも本を読むのに支障はないが、変身していないりりのはそうは行かない。ついでに先日診察を受けた先生の「暗い所で本を読むな」という言葉を思い出して、それじゃあそろそろ電気でも付けるかなと顔を上げると、不意にりりのと目が合った。

 いつからこちらを見ていたのだろう。本を読んでいる間に体勢が崩れていたせいで、前髪が触れ合うほど顔が近い。

 私たちはなんとなく見つめ合ったまま、声も出せず、身動き一つ取れずにいた。

 やっぱり目が大きいな、とか、ちゃんとメイクしてるんだな、とか、唇がきれいだな、とか……とりとめのないことを考えている内に、気付けば唇と唇が触れ合っていた。

 心臓の鼓動や、息遣いさえはっきりと聞こえてしまいそうな静寂。

 それは僅か五秒にも満たなかったはずなのに、恐ろしく長い時間のように感じられた。


 私が目を開けると、りりのは急に笑い始めた。


「あははっ……なんでアタシらキスしてんの……うけるんだけど……くふふ……」

「いやー、なんでだろう。なんとなくそこにあったからかな……つい……」


 それは照れ隠しでも何でもなく、私の正直な本音だった。

 なんとなくそこにあって、なんだか綺麗だなと思って、ついしてしまったのだ。

 自分でもどうしてこんなことになっているのかよく分からない。


「つい、って……ふふっ……しっかり目閉じてたくせに」

「ちょっ、見てたの!? ていうか普通ああいう時は目を閉じるのがマナーでしょ!?」

「ショウコちゃんがどんな顔してるのか見たくなっちゃって。可愛かったなー」

「もー、バカ!」

「あっ、ちょっ、わはっ……やめ、脇腹はやめて……!」


 キス顔を見られていた恥ずかしさを誤魔化すように、ベッドの上でどったんばったんとじゃれ合う。

 体格で劣っていても、変身した眷属に普通の人間が敵うはずもない。私はあっという間にりりのを組み伏せて、仰向けになったりりのの体の上に覆いかぶさるような体勢になっていた。

 ぎしり、とベッドのスプリングが鳴る。奇妙な沈黙。薄暗くなってきた室内で、お互いにお互いの目を覗き込みながら、相手の感情を読み取ろうとしている。


「今日の昼に話したこと……」


 りりのの声を聞いて、ハッと我に返った。

 私は今、一体何を考えていたのだろうか?


「今日の昼? なんだっけ」

「アタシとショウが付き合ってるか聞かれたって話」

「ああ……」

「アンタもそういうこと、クラスの子から言われたりする?」

「ん……まあ、たまにね」


 私は咄嗟とっさにそう答えたが、本当はかなり頻繁にそういう質問をされていた。

 二人揃って自宅謹慎になったことで、事実とは全く異なる噂が独り歩きしたのだろう。私がクラスメイトによく話しかけられるようになったのも、実はそれがきっかけだったりする。


「……面倒くさいよね」

「うーん、まあちょっとだけ、そうかも」

「いちいち否定するのも面倒だしさ、アタシたち、本当に付き合っちゃおうか?」

「ぷっ」

「……なんで笑うのよ」

「マンガのセリフみたいだなと思って」

「アタシもそう思った」


 私につられるようにして、りりのも笑った。

 その屈託のない笑顔を見て私は、やはりさっきの言葉は冗談だったのだと思った。

 ……思ったのだけれど。


「……やっぱりアタシといると迷惑かな」

「んっ!? え、いや、りりのと一緒にいて迷惑なんて思ったこと一度もないけど」

「じゃあ、付き合う?」

「じゃあって……まあ、うん。いいよ」


 私の返事を聞いたりりのは一瞬真面目な表情になり、それから悪戯っぽく笑って、何かを待つように目を閉じた。

 私は少し考えてから、ああ、そういうことかと思い……今度はなんとなくではなく、ちゃんと自分の意志で、彼女の唇にキスをした。


 それは決して恋ではなく、ましてや愛でもなく、性的な欲求を発散するためといった即物的なものですらなくて。


 それはきっと、二人の心に空いてしまった隙間を埋めるために必要な儀式だった。

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