2 戸越街2

 「おお……」


 これが輝く未来の世界か……という感嘆かんたんの声ではない。

 逆だ。そこには未来らしさの欠片もなかった。

 病院前のひび割れた石畳の隙間からは、背の高い雑草がにょきにょきと生えている。

 アスファルトで舗装ほそうされた道路の上には大きめの石ころやゴミが散乱しており、立ち並ぶ家々はどう好意的に見てもボロく、それどころか一区画まるごと瓦礫がれきで埋まっているような場所すらある。

 そして平日の昼間とはいえ、ここが東京ということを考えると、あまりにも静か過ぎた。車の音すら聞こえて来ない。

 全体的に灰色の景色で、道を歩く人の姿は一切見当たらず、頭の中でディストピアという文字が強烈に主張してくる。

 おお……としか言えないような光景がそこにはあった。


 出てきた病院を振り返ると、その後ろに大きな壁が見えた。

 病室の窓から見えていた壁はあれだったのか。ビルか何かが建っていると思ったのだけれど、どうやらそうではなかったらしい。

 壁の高さは二十メートルくらいはあるだろうか。相当遠くまで続いているようで、他の建物にさえぎられて両端は見えない。


「あのう、あの壁って……」

「ん? 壁がどうかしたかね?」

「ずいぶん大きいですけど、何かあるんですか?」


 私の言葉に、おじいさんと六狼さんは顔を見合わせた。


「何を言っとるんじゃ?」

「え、いや……」

「まさか、壁を知らないんですか」

「はあ、まあ」


 何かまずいことを言ったのだろうか。

 戸惑い、挙動不審になる私を、おじいさんは目を丸くして見ていた。


「信じられんが……嘘はついていないようじゃの。ショウくん、君は地下で生まれ育ったのかね?」

「地下? いえ、普通に……小学校の低学年くらいまでは東京に住んでいました」

「そりゃ東京に住んどるじゃろうが……その頃にだって壁はあったろう」

「いえ……」

「……どうも、話が噛み合わんの」


 話が噛み合わないのは当然だ。

 私が住んでいたのは2017年の田舎町で、ここは2060年の東京なのだから。

 この世界の常識を知らない私は、はっきり言って不審者以外の何者でもないだろう。そもそも、おじいさんの家の前に倒れていたという時点で怪しいのだから、六狼さんがあれほど警戒していたのも無理はない。

 下手に話を合わせようとすれば簡単にボロが出るだろうし、それだけで際限なく疑いの目は強くなる。それならいっそ、本当のことを話してみようか。


「あの、信じてもらえないかも知れませんけど、さっきベッドで目が覚める前は、2017年だったんです。その頃には多分、こんな遠くまで続くような壁は無かったと思うんですけど……」


 自分で言っておいてなんだが、目が覚める前は四十三年前だったんですなどと言う人間がいたとしたら、私なら足早に逃げる。もしくは頭を打っている可能性を考えて病院くらいは紹介してあげるかもしれないが、あいにく私は今まさにその病院から出てきたばかりなのだ。


「ほう……2017年っちゅうと、四十三年前か」


 意外と計算が早いおじいさん。

 しかし感想を述べるべき部分はそこではないと思う。突っ込まれても困るけど……。


「ショウさん、あまり適当なことを口にするもんじゃありません。その頃にだって当然壁はあります」


 のほほんとしたおじいさんの様子に気を揉んだのか、六狼さんが口を挟んだ。

 その頃、というのは2017年のことだろう。つまり2017年にはすでに壁があった、と六狼さんは言っていることになる。無論、私の記憶にはそんなものはない。

 そこで私は一つの可能性に思い当たった。


「あの、この壁ってどこまで続いているんですか?」

「どこって……壁が街を囲んでいるのは常識でしょう」


 ああ、やっぱりそうだ。

 壁に囲まれた街、戸越。

 そもそもここは私がいた世界ですらなかった。

 全く見知らぬ東京の、未来の姿なんだ。

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