2 戸越街3
ほどなくして病院の前に白いミニバンが到着した。
車を運転していた角刈りの男性が素早く後部座席のドアを開け、おじいさんと六狼さんが乗り込む。
こういう場合、私は助手席に乗ったほうがいいのだろうか……などと
一番奥の席におじいさん、その隣に六狼さんが腕を組んで座っている。私は運転席の後ろに、おじいさんと向かい合う形で座った。
車が静かに動き出す。
エンジンの音があまりしないが、電気自動車ではないらしい。AIで制御された自動運転というわけでもなく、ちらりと運転席の方を見ればギアはマニュアルだ。総じて未来の車という感じはしない。
病院から離れるにつれて、景色はのどかな住宅街へと変わっていった。歩いている人もちらほら見受けられる。あの病院の周辺だけが特に荒れていただけだったようだ。
「僕がいた日本の東京には、壁はありませんでした」
流れる景色を少し目で追ってから、私は、
「僕が知っている日本とこの世界は、多分つながっていないんだと思います」
何か証拠になるようなもの……例えばスマートフォンなどを持っていれば良かったのだが、あのおじとおばが私にそんなものを買い与えてくれるはずもない。
冗談だと思われるか、からかうなと怒られるか、どちらにせよ信じてくれる可能性は低いと思っていたのだけれど、おじいさんの反応は予想外のものだった。
「日本か……。この国をその名で呼ぶ者は、今ではもうほとんどおらん」
「えっ?」
「ここは東京国。日本という土地にある、唯一の国よ」
「それはどういう……」
「……親父」
「うむ、間違いない。この子の言っていることは本当じゃ」
どういうことかと聞こうと思ったのだが、二人とも黙り込んでしまった。
日本ではなく東京国? そして唯一の国ということは、つまり他の部分は……。
私は病院で見た壁のことを思い出していた。あの壁の外には何が広がっているのだろう。そしてなぜ壁を作らなければならなかったのか。そこに答えがある気がした。
「ショウくん、どうやら君は本当にこの世界の人間ではないらしいな」
「信じてくれるんですか?」
「信じるとも、なあ?」
「親父がそう言うなら」
「どうして……?」
おじいさんだけでなく、六狼さんまで。
信じてほしいと思っていたくせに、こうもあっさり信じられると逆に不安になってしまう。
「親父に嘘は通用しません」
六狼さんが信頼し切った様子で言った。おじいさんは白い眉をくいっと釣り上げて、得意そうな顔をしている。
「わしにはな、他人が発した言葉がどういう性質のものなのか、それが色として見えるのよ」
「色……?」
「素直な心で発せられた言葉は澄んだ空のような青色じゃ。しかし嘘が混ざると紫になる。嘘の割合が多くなるほど赤が増す。君の言葉は空の色だったよ」
嘘が色として見える……それが本当なら、おじいさんが最初から私を警戒していなかったことにも説明がつく。しかし……
「もしもそれが本当なら、僕がその、変な妄想にとりつかれて、自分で信じ込んでいるだけとかだったら……」
私の信じている過去の記憶が本物ではないという可能性。
例えば私はずっとこの街で暮らしていて、ある日何らかの理由で意識を失い、目覚めた時には自分は別の世界から来た人間だと信じ込んでしまっていた、ということは決してあり得ない話ではないのだ。
耐えきれない現実から逃げるために、自分で考えた妄想を信じ込むことで自らを守ろうとする脳の防御機能の話をどこかで聞いたことがある。
もしも今私がそんな状態だとしたら、何が本当で何が嘘か、その区別などつかないのではないだろうか。
「自分の妄想を信じ込んでいる場合、これは青がどんどん濃くなっていく。自分の言葉を信じ過ぎているんだな。そして仮に洗脳されているとしたら青は青を越えて黒くなる。さすがに生まれ育つ過程で常識として教え込まれた場合は区別がつかんがね。だが君の場合はそういう話ではなかった」
おじいさんの言葉は確信に満ちていた。
胡蝶の夢を疑い出せばキリはない。
今の私が信じられるのは自分の記憶だけなのだから、それを肯定してくれる人がいるのなら、私もまたその人を信じるしかないのだ。きっと。
「……それは、魔法か何かですか?」
「そんな大それたもんじゃない。ちょっとした特技よ。しかしこれのおかげでわしは
普段なら胡散臭いと思ったかもしれない。けれど、いくら日本にそっくりでも、ここは未知なる異世界なのだ。魔法のような力が一般的なものであっても不思議ではない。
ここでは自分が持っている常識は通用しないと考えて掛かった方が、色々とやりやすそうな気がした。
「そろそろ到着じゃ。続きは家の中で話そう」
言われて窓の外に目をやる。
いつから続いていたのか分からないほど長い塀の途中に、「いかにも」といった感じの和風の門が見えてくる。
ゆっくりと減速して車が止まると、それを待ち構えていたかのように門の前に数人の男の人たちが出てきた。
最初に私が車から降り、次に六狼さん、そして最後におじいさんが降りる。すると、「ーーーッス!!!」と、何とも表現し難い掛け声が出迎えてくれた。
並んでいる人たちの中から一人、リーダー格と思しき男性が前に出る。
「親父殿、お早いお帰りで」
高めの声が特徴的に響く男性だった。オールバックに細い眼鏡、真っ白なスーツが細身の体にピッタリと合っている。六狼さんより若そうだが、なかなかの長身だ。
「会合が早く終わってな。帰りにこの子を拾ってきたんじゃ」
「ほほう、この坊っちゃんが今朝言ってた……」
「
「ええ兄貴。もちろん。いたって平和なもんですよ」
「そうか」
「わしらはこれからちょいと話をするでな、客間使うぞ」
「承知しました。オウお前ら聞こえたなァ!」
宝威と呼ばれた人が後ろの男の人たちに一喝すると、彼らは訓練された兵士のような動きで一斉に門の中に戻っていった。
「宝威、お前も来るか。面白い話が聞けるぞ」
「おやいいんですかい親父殿。ありがてえ。俺ァ面白いことは大好きですよ」
「……おっと、そういやすっかり紹介を忘れちまってたな。この子はショウくんじゃ。ショウくん、こいつは宝威。この家の色んなことを仕切ってもらってる」
おじいさんに背を押されるようにして、私は宝威さんと向かい合った。
病院で六狼さんが間近に迫ってきた時は熱を持ったような圧力を感じたが、宝威さんの場合は鋭い刃物のようにヒヤリとした感覚がある。
「はじめまして、坊っちゃん。
「どうも、はじめまして。よろしくお願いします」
自然に差し出された手を握り返すと、宝威さんはニッと愛想良く笑った。
眼鏡の奥で細くなった目はしかし、じっとこちらの心の奥底を覗き込んでくるようだった。
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