第12話 愛は嘘とありて

 ◇54


 雷鳴が轟くと同時に黒の勇者の返り血がゆっくりと足下に流れていく。


「リュナ、カンナ、2人とも戦っちゃ駄目だ。僕はリュナを失いたくない」


「リュナを失いたくない? 好きってこと?」


 カンナの問いかけに王子は頷く。


「そうだよ、僕はリュナが好きなんだ。初めて会ったときから、そう思っていた」


 リュナの白い頬が赤くなる。

 額に手をあてて首を振りながら後退するカンナ。


「関係ない……違う、全っ然違う! 好きだから失いたくない? 死ぬから戦っちゃダメ? そこにどんな意味があるの? そんな安っぽいもののために勇者がいるわけじゃない!」


 カンナがリュナに向かって駆ける。

 脳天を狙ったカンナのつるぎはリュナにすんでの所で躱され、

 すれ違い様に掌底をもらってカンナは城砦の横壁を崩した。


「桁外れの魔力ね……あの男が王子の命を狙ったのも分かる」


「王子、下がって下さい。この人、凄く重くて強いです……」

「女の子に重いとか、まあ男の子じゃないからいっか……素直に殺されるならお別れの挨拶くらいは許して上げようと思ったのに」


 カンナの剣が手首でくるんと一回転する。

 かすったブロックが粉々に砕けて消えた。


「やめて、カンナ」


 不意に声がかかったのは階段の方からだった。

 見ればユヌの姿とイリア、それにマルボウがいる。


「わからないわ、白の勇者。なぜ止めるの……あんたも勇者の端くれならあたしの考えがわかるわよね?」


「王子がリュナを失って生きる気持ちを失うなら意味はない。王子を生かすこととは別」


 暗い緑の瞳がカンナを見つめる。


「いいわ……ならどっちが正しいのかわからせてあげる! 生きようと、生きなければと、生き続けなければならないと思うだけの死をこの世に振りまくわ! そうして最後にリュナを自分の手で失えばいい」


 カンナの前に王子が立ちはだかる。

 

「……そんな生き方は嫌だ……やめてくれ」

「だったら今すぐ彼女を殺しなさい」


 刹那にカンナの頬が鳴った。

 イリアがカンナを打ったのは誰の目にも明らかだった。


 イリアが緊張と後悔を浮かべて肩を荒く上下させている。


「勇者を気取るな! 死ぬとか生きるとか、あなたが決めることじゃないでしょ!」


 俯いたままカンナは鼻で笑うように嘲笑を零した。

「ただの人間に何がわかるっていうの」

 

 何事もないかのようにカンナが王子の前に歩き出す。


「……王子、あんたは生きなくちゃいけない。それはあんたに価値があるから、他の人間よりも何倍もね。サクファスの大都だって王子が刻印を宿さなければ滅びずに済んでいたかもしれない。リュナが早くに死んでいれば滅びずに済んだかもしれない」


「卑怯もの!」イリアの声は悲痛を孕んで裏返る。


「あたしは王子がリュナを殺すまで無差別に人を殺し続ける。黒の勇者として世界のために死を振りまく勇者になるわ」


 ◇55


 カンナが消えた後、4人は城砦を後にした。

 サクファスの国王が偽物であったことは歴史上には出てこないものの、次々と大都、首都が壊滅していく世界に人々は黒き覇者の存在を知ることになる。


「僕に一体どれだけの価値があるんだろう……」


 ふと呟いた言葉にユヌが反応する。


「たくさん」


「ネオメシアは世界の未来にとって重要な人物を価値判断することが出来るのだろうな」

 マルボウは植物の種をかみ砕きながら王子の頭上にいた。


「だとしても僕は自分で自分の価値がわからないよ」


「当たり前だ、王子の価値を決めるのは王子じゃないからな」


 飛空船に乗り込んだ4人はそれぞれの胸のうちを吐露し始める。


「私サクファスに行けば役目がなくなると思ってたけどまだ続くみたいね」

「王子を見届ける」


「ユヌはどうしてカンナのようにはならない? 同じ勇者なのにな」


 マルボウの指摘にユヌは固い口調で告げる。

「私たちは相対しているからこそ選ばれた。白と黒、刃を交えることはないけれど、平和に向けて動こうとしているのは同じ」


「人を殺しまくってたら平和とはほど遠いんじゃないのか?」


「問題ない。ネオメシアは人類の数を平和の評価材料に加えていない。かつて彼らは人の命を尊んだけれど、それでは世界は良くならなかったから」


「人がなくて平和というのなら、ネオメシアでさえいらないことになるなあ」


 マルボウにユヌは応えなかった。

「どこに行く?」

 イリアの声に王子とリュナは南を指さした。

 浮かぶ飛空船はようようと空に舞い上がり、4人を乗せて遙か南へと旅立った。


 ◆56


 神話の中に楽園があると信じられている地がそこにはあった。

 広大な平原に点在する農村地帯。

 黄金色に輝く稲が絨毯のように敷き詰められた大地に降り立つ。


 僕はルム=イヴガルム。イヴガルムの王の息子で王子だ。


 自分の刻印に嘘はない。けれど、目の前の少女に罪はない。

 僕の復讐はここで終わり。


 彼女は全てを捨てて罪をその身に刻んでいる。

 

 彼女の罪を最初に許したのは僕で、彼女の罪に最初に気付いたのも僕なのだから。


 この地を目指したのが同じなら、刻印の解除もネオメシアへの抗議も僕らには必要ないということだ。


 ここにあるのはただ、静かな時間なんだ。

 僕たちにはお互いの時間が必要だ。


「王子ぃ――!」


 リュナの元に走る。

 別れと再会スワンの楽園。

 お互いを知った今の僕らにぴったりな場所だ。


 だって生きてゆくのに理由はいらないから。

 だって人はいずれ死ぬ生き物だから。

 

「ちょっと、置いて行く気!?」

 イリアが飛空船から降りるのが見えた。


 色んなものをリュナと見て、僕の残りの時間はリュナとの思い出にしたい。

 

「ここから始まるんだね」

「ああ、ここで2人の誓いを立てよう」

 

 僕はリュナの正面に立った。

 リュナの愛らしい顔が見える。

 柔らかく曲がった眉に大きな瞳、小鼻が小さくて丸っこい顔を間近で見下ろした。


 金色の大地の中に浮かぶ彼女の顔を僕は一生忘れまい。


「僕、ルム=イヴガルムは生涯君を愛することを誓う」

「……王子」


 マルボウが僕の頭の上から飛び降りた。

「おい、娘……返事があるだろ」

「わ、私もだ。私も誓うぞ。この、リュナの名と、魂に……」


 ◇57


 2人のシルエットが重なる。

 イリアの後ろにユヌがゆっくりと近づく頃にはルムとリュナの口付けは終わっていた。

 夕陽の影に浮かぶ2人の姿はどこか神々しく、神々の別れの儀式のようにも映る。


「よーし! それじゃ、次に行くわよ!」


 イリアが振り返った2人に声を上げた。


「なんでお前が張り切るんだ?」

「やめてよマルボウ、私だけが空回りしてるみたいじゃん」


 各地を巡る旅が始まると月日はあっという間に過ぎていった。

 4人は取り立てて人々を救うわけでも無く、誰かを助けることもなかった。


 お互いの存在を確認し合うように遊興に耽り、時間を共有した。


 砂の街、塩の街、海辺の園、山岳地帯、王子とリュナは長い長い旅を経験し気付けばその年月は1年を刻もうとしていた。


 ◇58


 星空が瞬く世界にユヌが座っていた。

 その隣にルムが現れる。

「リュナ?」


「違う」「ユヌか」

 そうとだけ返事をするユヌとルムの間にはわずかな静寂が流れた。


「今日は別れを言いに来た」


 長い旅の中でいつか訪れるであろう別れ。

 ルムは自然とそれを受け入れる。


「そうか」


 横に座ったルムは星空を見上げると無数の星の1つに自分も加わったような気がした。


「……僕の価値はまだ守られるべきものなのかな」

「人の価値は物と同じ。使えるときと使えないときがある。王子の価値は時代の民草が決めるだろう」


 ふっとルムは微笑んだ。


「ほんとうに、ぼくはくだらないことをしたな……誰かを憎むなんて、何の意味もないことだ」


「憎しみからしか始まらない出会いもある。王子とリュナがそう」


 立ち上がったユヌは真白い衣装を星明かりに輝かせて緑の瞳を照らす。

 ルムを見下ろすその姿は神々しくて儚かった。


「リュナに出会うことで僕は気づけたんだ……思い出させてくれて、ありがとう」


「ん、ありがとう。それがあれば王子は立派な王になれる」


 ユヌの姿は別れの言葉も無く夜の帳に消えるように小さくなっていく。


「王子? こんなところにいたんですか?」

「ああ、今ユヌが帰って行ったところだよ」

「寂しくなりますね」

「ああ、それと彼女は心の勇者だったみたいだ」


 徐に微笑み合う2人。

「私も勇気を貰った気がします。自分の罪を認めることからでしか始まらない未来もあると。王子と出会えたのはそのおかげだから……その言葉に私も勇気を貰えた気がしたんです」


 刻印が王子の体を包み始める。

「お別れみたいだ、リュナ」

「……はい、今まで嘘をついていてごめんなさい。王子」


 唐突な告白にルムはリュナの瞳の奥にある恐れや不安、動揺の色を見た。

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