第10話 刻印に縁ありて
◇46
絶望の狼煙の中に黒装束の少女がいた。
片手に漆黒の剣を持ち、薄いオレンジ色をした髪は時折炎のように赤く照らされる。
火の粉がちりちりと舞う道を歩くその背中に声が掛かった。
「カンナ?」
「……なんだ、王子か」
消耗はしているものの、その立ち姿に疲れの色はない。
「これは一体――」
言いかけて王子は口を噤む。
カンナの肌は血塗れており、よく目をこらせばその血はカンナの全身と剣をも濡らしていた。
「全部、あたしがやったの」
大都は大きさだけで一山分に相当する。
1人で壊滅させるなど、到底無理ではないかとそんな思考を払拭するかのように王子の目の前に一瞬で現れたカンナはにこりと笑った。
「そんなに怯えないでよね。あんたのためでもあるのよ……こうしないと王子は平和のために生きられないでしょ?」
震える脚で王子は元来た道を戻り始めた。
生存者を探して歩くも灰と煙に塗れたこの地に立つ影はもういくつもなかった。
うめきを上げる者、全てを失い狂った者、愛しの人を探し続ける者、その誰もが王子には救えない人々である。
「これが平和に本当に必要なことなのか……カンナ」
◇47
「王子ぃ~」
「探しましたぞ、王子」
マルボウとリュナが丘の上から駆け下りてくる。
船は丘の上に泊まっており、そこは嘘のように平穏だった。
「勝手に出て行くなんて何考えてるの?」
イリアにそう叱責されるとリュナが両手を広げてイリアの前に立つ。
「王子を責めるでない! リュナがお引き留めできなかったのが悪いのだ」
「僕が悪いんだよ、リュナ」
「王子……」
「そうよ、だから自分の命をもう少し大事にしなさい。これは別にあなたのせいでなったことじゃないんだから、ね」
その言葉に王子は口を噤んだ。
カンナの一言が思い返される。
「ユヌは?」
「あの子ならトイレじゃないかしら」
「あの娘、今日まで水しか飲んでおらんのだぞ。どうやって生きておるのやらだ」
王子の頭の上でハナクソをほじっているマルボウを横にリュナは不安そうに眉を下げて王子に寄った。
「これからどうするのですか? 王子」
その声に応えるようにユヌが飛空船の影から現れる。
「野営地、あるはず。そこに行けばいい」
イリアは神妙な顔で腕を組んだ。
「確かにこれだけの街なら逃げ延びた人もいるでしょうけど……そもそもこれ、誰の仕業なの? 兵が荒らしたって感じじゃないし、戦争じゃないよね?」
「黒の勇者」
ユヌの淡々とした声に全員が凍り付いたように静まる。
「待って、黒の勇者ってあなたの友達かなにか?」
「黒の勇者は私と対になる勇者。この大都を破壊したのは黒の勇者がルム王子のためにしたこと」
リュナは首を振った。
「どういう意味なのだ? 王子は何も悪くないのにそれじゃまるで王子が悪いみたいではないか――」
マルボウが深いため息を吐いて王子の頭の上で立ち上がった。
「俺が説明してやろう。ここにいる王子は正式な妻から生まれた嫡子である第一後継者だが、もし王子が死ねば後継者は妾の息子全てに権利が与えられる。その数はざっと20人はいるだろうな」
「20人!?」
ユヌは白い睫の下で瞳をゆっくりと王子に向けながら小さな唇を動かす。
「ネオメシアは破壊と創造、生と死、光と闇のバランスを均衡させるための組織。
「なんで……何でそんなことが出来るのよ……! あなたたち勇者っていうのは……」
イリアは肩を強く抱くようにして強ばっていた。
「勇者が黒と白に別れた理由はそういうことなのか?」
マルボウの問いにユヌはゆっくりと頷いた。
「平和の道は救済だけでは成し得ないとネオメシアは気付いた。だから私たちは殺戮と救済をもたらす存在をそれぞれ黒と白の勇者と名付けることになった」
「平和の道……? は、こんなのただの虐殺じゃない!」
「違う」
「違わない!」
マルボウが静かな口調で王子の頭の上から話す。
「予言では王子は泰平を成す人物となっている。王子の命が失われることがあれば、世界は大帝国イヴガルムの次期王座を狙って戦乱の世になるかもしれないのだ」
「だからって……」
王子に自然と注目が集まる。
黒髪の下に鳶色の瞳がぼんやりと虚空を映している。
王子は静かに首を振った。
「たぶん、黒の勇者は僕が死を受け入れるのをやめるまで世界の人たちを僕のために殺すんだと思う……僕の命が捨てられないと分からせるために」
◇48
「どういうことなのだ?」
リュナがおろおろとし始める。
マルボウはそんなリュナを哀れむような視線で見つめていた。
「それではまるで、王子は生きることを諦めて復讐をやめたというような口振りでは……リュナは、リュナは王子のために復讐をお手伝いすると誓いました!」
「違うんだリュナ……」
マルボウがすっと王子の頭の上から降りてリュナの足下に近づいていく。
「今までずっと黙ってきたがな、娘。俺の予言ではお前が王子の母、フォンテーナ・サクファス様を殺した張本人なのだ」
震える足取りで一歩ずつ後退するリュナ。
誰も顔色を変えない。
「じょ、冗談が過ぎるぞマルボウ。いくら私が記憶を失っているからって……」
「正しく言うならば、この予言は今は亡きフォンテーナ様へ与えたのだ。フォンテーナ様は自分が死ぬまでこの予言を誰にも言わぬよう仰った。この意味がリュナ、お前さんに分かるか?」
リュナは腰を落として涙を浮かべながらただ王子を見上げていた。
「王子を守るために仕えよと、ただそれだけを以て自分の死を許すとお前に伝えるためだ」
「では……それじゃ王子は……」
「待てっリュナ!」
刹那、リュナがユヌの腰に差してある刀を引き抜いた。
王子に対して刃を向けることも厭わず、リュナは周囲を警戒するように立つ。
「王子、リュナは……リュナは幸せでした。記憶の無い私に優しくしてくださって……自分の仇なのにそんな素振りも見せずに……」
イリアが一歩前に出る。
「待って。まだそうと決まったわけじゃないでしょ。マルボウさんだってそれを実際に見たわけじゃない!」
「いいんです、リュナには分かります。この額の模様はリュナが王子の母上を殺した記憶を封じたものなんです。その証拠にこの封印が外れかける度にリュナは王子の魔力で封印を強化されていたんです」
「気付いていたのか」
マルボウの言葉にゆっくりと頷くイリア。
「全部僕のせいなんだリュナ。僕が、僕が復讐を誓ったから君を追い詰め――
「違います! ……リュナは、王子に助けられたじゃありませんか……」
首を傾げて微笑むリュナに王子は言葉を失った。
両眼から溢れる涙。
リュナが刀を逆手に持ち一際高く上げたとき、王子の影が走った。
「そ、んな……」
抱きしめられたリュナは大粒の涙を零して力なく首を振る。
「僕はリュナが好きだ。だから――、死なないでくれ……」
耳朶に触れた王子の声にリュナは慟哭を上げる。
「死ねないです、そんなことされたら……怖くて、死ねない、よおっ……!」
刀が地面に音を響かせて落ちた。
突如マルボウが2人の元に駆け寄り、叱責するような口調で叫ぶ。
「逃げるのだ! 衛兵が来ている!」
銀の甲冑を身にまとった男たちは槍を携えて走ってきていた。
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