第9話 白き旅路は黒となりて

 ◇42


「なぜこの者がここにいるのですか?」


 リュナの声に王子は晴れやかな声で説明する。

「手伝ってくれることになったんだ。これからサクファスの大都に向かうまでね」


「違う、王に謁見するまで付き合う」


 震える手を隠すようにリュナが切り出す。


「でも、どうしてそこまでして下さるのですか? ご迷惑では……」


 ユヌが目蓋をゆっくりと閉じて、次に凜とした瞳でリュナを射貫いたときリュナは全てを悟ったように震えが止まった。


「王子、この人の中には多くの人を救うための力が見える。彼を手助けすることは白き勇者である私の使命」


 マルボウもリュナを見つめていた。

 

「詳細を知らずにここまで言い切る勇者様だぞ、リュナ様がいくら王子を想っていようと愛と使命は違うからなあ」


 いつもなら怒るリュナもがっくりと肩を落として気落ちしている。

 

「リュナ」


 王子が声を掛ける。

 いつの間にか目の前にいた王子にリュナは少しだけ肩に緊張が走った。


「――いつもありがとう、助かっているよ……」

「王子……」


 不意に零れた涙はリュナが今まで心を砕いてきた澱のようなものだったのかもしれない。


「おいおい、リュナ様を泣かしてるんじゃないぞ王子」

「あれ……泣いてるのか、わた…は……」

 

 拭っても拭っても零れてくる涙の理由はリュナにもわからない。

 ただ、心の奥底が締め付けられて絞り出されるかのように流れる涙の理由をリュナは無性に知りたくなった。


「あれ、おかしいな……私にとっての王子は勇者様みたいな存在で……私は王子に勇気を貰った気がするのに……どんどん零れていくみたいで――怖い……」


 マルボウが王子の耳元にそっと囁いた。


「娘の刻印が外れかけてる。王子の魔力を注いで治してやれ」


 王子はそっとリュナを抱きしめた。静かに目を瞑ったリュナ。

 王子の腕や手、顔に褐色の刻印が肌に浮かび魔力が溢れ出す。

 黄金に輝くその色は静かにリュナの刻印へと集まり始めた。


 リュナは王子の腰に腕を回す。


 それを見守るように淡泊な視線で白の勇者が佇んでいた。


 ◇43


 飛空船まで戻ってきた3人。

 マルボウはユヌに今一度確認する。

「王子の目的はあくまで復讐だ。それを手助けしてネオメシアはお前や王子を許すのか?」

「ネオメシアは私たち勇者や外の世界に干渉しない」


「安心したぞ」


 イリアの船の落下地点までいくとそこにはすっかり直った船が佇んでいた。


「戻ったのね!」

 駆け寄ってきたイリアは年相応の無邪気な笑顔を見せている。

 クリーム色の髪は前より少し草臥れていた。


「敬語を忘れるくらいには寂しかったか、娘よ」

「だ、だって私が送り届けた大事なお客様だもん」


 マルボウはイリアに飛び乗る。

「こちらの方は?」

「勇者のユヌさんだよ」

「勇者!?」


 ぺこりと頭を下げた小柄な少女に吊られてイリアも頭を下げる。


「ユヌ、よろしく」

「どうも……イリアです」


 感情の起伏がない声に一瞬戸惑ったイリア。

「このような娘なのだ。さ、イリアよ。次の目的地は大都だ」

「大都? 飛行許可は貰ったんですか?」


 そこでマルボウは勇者を指さす。

「ん」

「そっか、勇者様がいればどこでも行けるんだ」


 ◇44


 飛空船の上から眺める地表が徐々に遠くなっていく。

 青い森は緑の森と混ざり色を見せて、街に連なる屋根は豆のようになった。


 イリアが舵を取りながらマルボウに尋ねる。

「3日しかいなかったけど、楽しい旅でしたか?」

「俺様はいい加減帰りたいぞ」


「ふふ、そっか。

 でも王子が帰ってきたときは本当に嬉しかった……敬語を忘れちゃうくらいに。

 そうそう、魔女っていう人がこの船を直してくれたんですよ」


 マルボウは浅いため息を吐いた。


「あの王子は何一つ自分の力でしてないんじゃないのか……?」


 マルボウの視線の先では王子とユヌが並んでいた。

 甲板で並んだ2人は空の先に視線を同じくしてどちらからということなく声を上げる。


「これから僕のことを話すから聞いてくれるかい」

「聞く」


 ユヌは王子の言葉を一言一句記憶するように黙って聞いていた。


「マルボウはリュナが僕の母を殺した犯人だと言っている。けれど、リュナを殺しても何も解決しないことはすぐに気付いたんだ。僕は一時の感情で復讐を呪いにしてしまったけれど、僕はこの1年の間にやるべきことをしようと思ってる」


 ユヌは栗目を少しだけ大きくして首を傾けた。


「この世界にいるよくない人間をなるべく多く説得するんだ。僕が死んでもリュナやみんなが涙を流さないように」


「立派」

 

 ユヌはそれだけ言うと刀を腰から外して王子の前に掲げた。


「勇者ユヌがこの陽に掛けて汝に誓う。その願いを叶えるため私はあなたにこの剣を捧ぐ」


 赤く染まった空は雲上を黄金に照らし、船の後ろに黒い影を作りながらその光に飲み込んでいた。


 ◇45


 一日休んだリュナは船の上で王子といた。

「大都まではまだかかるのでしょうか」

「多分もうすぐだよ」


 イリアの姿が近づいてくる。

 肩にはマルボウが乗っていった。


「2人は仲がいいね」

「まあ、ぺちゃぱいのリュナ様のところでは俺様、満足でき――

 殴られ吹き飛んだマルボウが甲板から落ちそうになる。

「王子の前でなんということを言うのだお前はっ」


 甲板にある赤いリボンの装飾をつついているユヌを後ろにイリアはすっとツインテールを解いて結っていた紐を王子に手渡した。

「これを私だと思って持って行って」

「おお!? それは結婚――むぐっ」

 マルボウはリュナに抱えられたままの状態で奇声を上げるように叫んだのをリュナの手がふさぐ。

 

「マルボウさんに聞いたの。あなたが本物の王子かどうかは別にしてこれは感謝の印。あなたの復讐が本物なら敵は大きいだろうし……その、心配だから」


 赤い糸で縒られた髪留めは王子の手の平の上に包まれた。


「ありがとう、でもサクファスに着いたら――

「わかってる、私の役目はここで終わり……だからこれが餞別の品よ。ごめんね、こんなのしかなくて」


 徐に首を振って王子は感謝をもう一度述べた。

 わずかに微笑むイリア。


 大きな期待と不安、そして何かが始まろうとしている。

 そんな密かな予感の兆しは舵を握っていたイリアが突然船長室から飛び出したことで現実となった。


「何よこれ……何よこれ……」


 雲を抜けた先でウンと立ち上る巨大な黒煙が正面に現れる。

 黒い柱はいくつもいくつも所狭しと点在し、空を覆いつくそうとしていた。


「ああっ……サクファスが……」


 船上から見下ろした地表は業火の海と化し、地獄の様相から漂う不快な臭いはイリアたちの船を瞬く間に包んでいく。


 サクファスの王さえいるその都は煙と炎に覆われていた。

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