第6話 既知の人は刺客となりて
◇29
港に向かって歩く王子の姿があった。
マルボウは頭の上に乗って王子を見下ろしている。
「イリアの殺したい相手なんかどうするつもりだ王子?」
「……謝ってもらうよ、イリアのお父さんに酷いことをしたのが本当ならね」
イリアの父親はその相手に事故になるよう仕向けられたという。
他界した父の恨みを晴らしたいというのが、イリアの頼む内容だった。
真偽はともかく、2人にはイリアの言うことを聞いて行動を取らざるを得なかった。
「イリアの殺したい相手は飛空士だ、もめ事を起こしただけでこの国じゃ牢獄行きだぞ?」
マルボウの制止はイリアと話したときから続いている。
「もう黙っておれ、王子が集中できないであろう」
飛空船の港には船長である飛空士も滞在している。
イリアのいう人相や人柄の人物が現れることを願うように空が暗くなるまで王子はそこに留まった。
松明と緑の明かりが独特の色を醸し出す仲、続々と港に停船して飛空士が降りてくる。
見知った影に王子は気づかれた。
「王子、また会ったわね」
◇30
カンナの姿をしたそれはたった今仕事を終えてきたところだと言う。
「お前もこの街に来ていたとはな」
「それはこっちの台詞よ、リス」
「マルボウだ」
カンナは特段興味もなさそうに視線をそらして王子の顔を伺った。
「こんなところで何をしているの?」
「お前には関係ないであろう」
リュナが食ってかかるように言ったが、それは素っ気なく「そうね」と返される。
「人は誰しも決断を迫られる時がある。それが大きいか小さいかはその人次第だけれど、やるかやらないかは重要な問題になるわ……あんたが今殺したいと思っているのかいないのかに関わらず、ね」
「どうして知っているのだ?」
リュナの言葉にカンナは頬をつり上げて笑った。
「殺したい人が増えたの? 王子」
リュナはさっぱり分からないといった風に首を傾げている。
「僕は話し合いで解決するつもりだよ」
「それは行動していないのと同じよ。世の中には不平不満を口にするだけで行動しない人間があまりにも多い。あたしを失望させる気がないのなら相手から動かそうとするのはやめなさい」
その言葉は存外に威風を持って放たれ、王子は言葉に窮した。
「無礼者、何様なのだお前は」
「勇者様よ、世界調停機構ネオメシアが選定したうちの1人。黒の勇者カンナ、覚えておきなさい」
「あの偽善団体はもうないはずだぞ」
マルボウの声にカンナは静かに首を振る。
「人は偽善を心地よく感じる生き物よ。組織は失われても統括する人間はいるわよ。白の勇者は離反したけれどいずれあたしたちは再び正義の名の下に蘇るの」
カンナの背後で騒ぎが起き始めた。
悲鳴と叫声が飛んだ。
「それじゃ、あたしは行くから……またどこかで会いましょう、王子サマ」
◇31
王子は何の成果も得られないまま帰路についていた。
騒ぎが大きく、人捜しどころではなくなってしまったためだ。
「マルボウ、あの女の言っていたギゼン団体ってなんなのだ?」
小さくため息をついたマルボウはしっぽを抱きかかえるようにして話し始める。
「ネオメシア、世界大戦の折りにその不幸を終わらせるために勇者が集う団体だ」
「ゆうしゃ……」
「勇者は勇猛、勇敢、勇狭なる者の意だ。強くそして自身に迷いがない、真に完成された人間なのだ」
リュナは「ゆうきょう?」と首を傾げているが王子がすかさず「弱い者の味方ということだよ」と加える。
「ま、世界泰平の暁には様々な行為が戦犯として挙げられ消えた組織だ」
「マルボウは物知りだね」
「生きてる年数が違うと言っているだろう」
小さな胸を張ったマルボウ。
「そんな凄い人間ならなぜ国に属しておらんのだ? 国のために仕えることが世の中のためになるということではないのか?」
宿に着いた2人は離れたベッドに腰掛け膝をつき合わせるように座った。
王子の頭の上にいたマルボウが静かにリュナを見下ろしている。
「かつては娘もそう思っていたのかもしれんな……」
◇31
次の日、イリアの家を尋ねた王子たちは歓迎をもって受け入れられた。
「あなたたちが来るのを待ってたの、まさかその日のうちに片付けてくれるなんてね」
「何のことだ?」
マルボウは踊るように軽快に動くイリアを目で追う。
「お父さんの仇、討ってくれたじゃない」
リュナと王子が顔を見合わせる。
「あの娘か」
マルボウは当然昨日出会った黒づくめの少女を思い出して軽く身震いする。
まったく変わっていなかった。
むしろ、日常の一つとして彼女には殺人行為があるかのような自然な振る舞いが思い出される。
「サクファスに行く用意は出来てるの。後はあなたたちの準備次第よ、あ、今お茶入れるね」
薄い肩が反転して小さなツインテールと背中が見えたときマルボウの声がかかった。
「娘。それで満足したのか?」
「ええ、お父さんも浮かばれるし何よりこれ以上、あの男に苦しめられる人がいないと思うとほっとする」
イリアが家の奥へ消える最中、王子は自然とリュナの横顔を盗み見ていた。
健康そうな肌に短めに切りそろえられた黒色の髪、鳶色の瞳がきらきらと前を向いている。
小顔の丸い顎のラインにちょんと乗った鼻は愛らしくさえあった。
初めてまともに女性の顔を見た気がした王子は少し頬を染めた。
感情を持て余したように王子は手を握ったり開いたりして気を紛らわせる。
「王子? どうなさったのですか?」
「なんでもないよ、リュナ」
少し怪訝な瞳で見つめるリュナにイリアの声が掛かる。
「やっぱりあなたたちってそういう仲なの?」
「はえ!?」
両手を胸の上で握り口をぱくぱくさせるリュナの横でマルボウがやる気のない声を出す。
「なに、少し王子のことに関心が強いだけだ。それより俺たちはもう準備万端だ、行くならすぐがいいぞぉ」
◇32
飛行船は10人乗りの一番小さいものだった。
「わあ! 王子っ私たち飛んでますよ! うわぁ……」
リュナの興奮を眺めながら頬に受ける風に目を細める王子。
「ああ、風が気持ちいいね」
「はいっ」
舵取りをしているイリアは個室の窓からそんな2人を眺め、足下に寝転がるマルボウを一瞥する。
「あの2人、お似合いね」
「そうだろう? 俺様の予言じゃ運命の人だからな」
「……結婚するの?」
「いいや、どちらかが死ぬ。そういう星の定めだ」
「笑えない冗談だわ。魔獣のくせに」
「すべてを擲った時にすべてを得る人間もいるものさ」
それきり2人の会話は閉ざされた。
飛行船は雲を抜ける。
沈みゆく太陽さえ幻想的な風景の中に溶け込んでいるその日1日、王子とリュナは本当の恋人同士のように船の上で語り合った。
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