第3話 その心、約束されし不幸となりて

 ◇13


 ヘルメスがリスのような動物をまな板の上に載せる。

「待て、俺を食うなんて聞いてないぞ」

 

 キッチンと云えば聞こえはいいが、そこにある大鍋はぐつぐつと赤いどろどろしたものを煮えたぎらせている。


「そんなところに俺を入れるつもりか? 入るなら若い娘と一緒に入りたいぞ」


 ヘルメスは紫色の髪を束ねてから包丁を握る。


「待て待てッ! 俺は旨くないぞ!」


 とすんと振り下ろされたナイフはレインの腹のロープを裂いた。

 一瞬の間に脂肪を移動させてなんとかナイフを躱したレインだったが、ロープが切れたのは全くの偶然である。


「逃げるな!」


 レインは一目散にヘルメスから逃げた。


 ◇14


 逃げた先は王子のところだった。

「俺としたことが、王子のいる牢に向かって逃げるなんて」

 

 王子の姿が牢の中にあった。

「何よ、そのデタラメな魔力は!」

 

 物々しい雰囲気の中、レインは王子の隣に立つ少女を見てはっとする。

「王子! 運命の人を見つけられたのですな!?」

「レイン?」


 王子が駆け寄ってくるレインに気付くが、その後ろの影にも気付いた。


「ヘルメス! レイン危ないよ!」


 詠唱が聞こえたと同時、レインのいた場所が爆発する。


「予言の女が使う魔獣を贄とすれば私は新たな力を手に入れられるかもしれんっ! いや、手に入れられるのだ! 大人しく死ね!」


「なんだァこの女ぁ!? 王子、お助け!」


 牢の中にいる王子に追いすがるレイン。


「ごめん、レイン。今は魔力もリュナに預けてあるんだ」

「なんですと? では、この防壁は……」


 レインが見上げるとリュナが牢の中から魔法を行使していた。


「その丸くて大っきくて白いのは王子のペットですか?」

「そうだよ、預かりものだから出来れば守ってあげて」

「了解ですっ!」


「おおっ、相手を決めたのですな王子」


 ヘルメスは声高々に笑った。


「牢から出られぬ分際で何をほざいている。魔力を封じられた魔女に助けを乞うたところで無意味だ、まとめて死んでしまえ!」


 火炎の球が次々とヘルメスの周囲に浮かぶ。


「りゅ、リュナは防壁魔法も使えました! 今のうちに王子、この牢を破壊してもよろしいですか?」

「ああ、任せるよ」


 見えない壁に爆発が起こる中、リュナは牢に巡らされた鉄格子に手を掛けるが何も起こらない。


「無駄よ、その鉄には土蜘蛛の糸が編まれている。手で触れれば他の場所に魔力が流れて行ってしまうわ」


 牢の中にいる魔女は全員沈んだ顔だった。


「火炎が牢の穴を潜るのは時間の問題……防壁で防ぎ続けられるほどあの魔法は弱くない」


 魔女たちの諦観の中、レインが声を上げる。


「そこの娘! 切ろうと思うな。その壁で押し曲げればいいのだ」

「そっか、それなら!」


 防壁を内側から張り鉄格子を押し広げると膨張に耐えきれなくなった鉄格子が裂けるように弾けた。


「やった、開きましたよ王子!」

 風船が膨らむように魔法の盾は通路を押し込んでいき、ヘルメスさえ押しのけて進んでいく。

「うっ、なんだ!? なにが――」


 壁際まで押し込まれたヘルメスはもがきながら壁と防壁の間に挟まれた。

「こんな魔法――ァ……」


 骨と肉の潰れる音が響き、ぐったりと地に伏したヘルメスはぴくりとも動かない。

「あ、刻印が……」


 魔女たちの腕や足に見えていた刻印が粉のように消えていく。


「ヘルメスが……死んだ」

 魔女の誰かがそう言った。


 ◇15


 牢に囚われていた魔女は6人いた。

 リュナを入れれば7人だが、ヘルメスが死んだことで王子の付き人として付いていくつもりになっている。


「ここに残って療養してもいいのよ? 私たち魔女の命を救ってくれた命の恩人ですもの」


 魔女を代表して赤毛の魔女が1人世話役を買って出た。

 牢を出た以来、他の魔女の姿は見当たらない。


 今は奪われたものを取り返したり、魔女以前に人間としての営みを取り戻す努力をしているのかもしれないと王子は思った。


「いいえ、リュナは王子のお役に立ちたいのです。王子、これからはリュナの魔法にお任せください」

「ああ、期待しているよ」

「王子……」

 レインがリュナの顔をまじまじと見た。

 少し褐色を帯びた肌に元気そうなぱっちりとした瞳をした娘。

 額の刻印が焼きごてのようにはっきりと見えてとても目立っていた。


「王子、いい娘を仲間に出来たな」

「何を当然なことを。あれだけの魔法を使えるのだぞ、そもそもお前が来なければリュナたちがピンチになることもなかったのではないか?」


「う、それは……」

「マル=レイボウとかいったな。お前はこれからマルボウとする」


「なぜだ娘ッ」

「レインでは王子より生意気だからだ。ぶくぶく太ったお前にはマルボウの方がお似合いだ。文句があるならこの魔女リュナ様が生姜焼きにしてやる」


 ひいと短い悲鳴を上げるマルボウは王子の脚の後ろに隠れた。

 

「そのことなのですが、リュナの出自は魔女ではないと思いますわ」


 廊下の影から現れた魔女は赤毛をカールさせた髪を下げてゆらりと現れる。


「申し遅れました、私はフォトナと申しますわ。此度のお命を救って頂いた件、私たちは決して忘れませんわ」


 ちらりと切れ目の奥に浮かぶ鳶色の瞳がマルボウを捉えた。


「救ったなんて大げさだよ。僕たちは魔女に会いに来ただけなんだから」

 王子が落ち着いた物腰で諭すように喋ると魔女の目尻がわずかに下がる。


「まあ、謙虚なお方なんですのね。それに可愛い顔……」

「王子、お下がり下さい! この者は危険ですっ」


 リュナが王子の前に踏み出すとフォトナは片腕を胸の谷間に埋めるようにして一歩引いた。


「あなたは野蛮なお方ですのね。魔女は皆、魔法を使いますがそれは原初の魔法です。火水土風の四元素から光と闇の元素を入れた六元素が魔女と呼ばれる力の所以です。リュナさんの魔法はそのどれでもない魔法……すなわち、魔女の魔法ではありませんわ」


 ◇16


 一泊した王子たちは次の日北の国サクファスへ旅立つことになった。

 魔女の用意した出口は港町に出ており、人が集まるところらしい。

 

「サクファスに向かいなさい王子、復讐を果たしたいのであればそこで母親の足跡を追うのです」


 魔女フォトナの助言により、王子たちは母親の母国サクファスに向かうこととなった。

「忘れてはなりませんよ、あなたの傍には私たち魔女の助けがあるということを」

「ありがとう、フォトナさん」


 黒装束の端から出た手に握られた杖が青い光を放つ。

 すると2人と1匹の周りの空間が歪み、見知らぬ路地裏に出た。


「魔女の使う魔法は不思議ですね、王子」

「ここが港町なんだろうね」


 2人が路地裏から出ると人々の活気が溢れる街路へと出る。

 潮の香りと喧噪が2人を包み込むとリュナは少し緊張した面持ちで歩き出した。

 

「マルボウは随分大人しいんだね」

 すっかりマルボウの改名で定着したレインは沈んだ声で王子を見上げる。

「王子もレインよりマルボウがいいのか?」


「僕は好きだけどね」


 がっくりと項垂れるマルボウ。


「太ったお前にぴったりな名前だ」


 2人はそのまま沿岸に向かって歩くと海港が見えてきた。

 中くらいの漁船が波に揺れているところへいき、王子たちは傍にいた男に尋ねる。

「この辺でサクファスへ向かう船はありますか?」

 

 上体がほとんど裸のせいか、リュナは両眼を軽く覆っているが隙間からばっちり見ていた。


「ああ、お前らサクファスへの帰国者か? あるもなにも国は今大激昂してイヴガルムの船を入国拒否してるよ。生憎だが、漁船を出すのも怖いほどでな。昨日は船が一隻沈められてるんだ」


 ◇17


「リュナにお任せ下さい」


 そう言ってリュナが宿を出て行ったのが先ほどのことだった。

 部屋に残されたマルボウは妙に落ち着かない様子で王子の肩に乗る。

「おい王子、俺の毛づくろいをしろ」

「え? マルボウの毛を引き抜けばいいのかい?」


「何を言ってるんだ。毛の間にあるゴミを取ってくれ」


 王子の膝の上に乗ったレイン改めマルボウは声のトーンを落とした。

「あのリュナという娘だがな……お前の母親を殺したのはあいつだ」


 王子の手が止まる。

「どうして……」

「疑ってるのか? 王国一の予言者の使い魔である俺様を?」

「だってあの子はいい子だよ……人殺しなんかしない……」

「だから最初に言っただろ? この旅は辛くて惨めで果てしないと」


 小さな豆粒のような瞳と王子の鳶色の瞳が見つめ合う。


「あの娘を殺せば王子、お前の命は助かる。あの娘を生かせばお前の命は1年でおしまいなんだぞ」


 王子はマルボウの声に応えなかった。

 ただ黙々と毛を梳いてそれから横になって少し眠った。



 

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