第2話 魔力なき少女の炉となりて

 ◇7


 揺れる馬車の中で白リスは少年の肩にとまって饒舌に喋っていた。


「俺の名はマル・レイボウ。そうだな、王子にはレインとでも呼んで貰おうか」


 王子ルムはイヤな顔をした。


「なんだ、その顔は。レイン様がお前の旅をエスコートしてやろうっていうんだぞ。光栄に思え」


「僕はね、復讐に行くんだよ」


「知ってるぞ、だから旅立ちの前にお前と別れを惜しむ女の前では黙っていてやったではないか」


 がたんと馬車が揺れると門を離れていく。

「城砦を出たな。気をつけろよ王子、ここから先は盗賊やならず者が沢山出てくるからな」

「レインは戦えるの?」

「無理だな。見ろこの体を、籠の中でクルミを食いまくってたらぶくぶくに太ってしまった」


 レインの体はぽっちゃりしていた。

 リスと云うよりは団子のようですらある。


 不安そうな王子の顔にレインは王子の隣にとすんと下りる。


「そう不安そうな顔をするな。魔女の里なんてすぐだ、なにせ入り口はそこら中にあるんだからな」


「どういう意味?」


 小さな指を立ててレインが得意げに顎を上げる。


「つまりだ、魔女っていうのは臆病なのだ。考えても見ろ、魔女だぞ? 魔法使いとは別物だ。国に属さない彼女たちは独自のコロニーで魔法を研究している。女しかいないのは一子相伝だからだな。魔法の秘密を継承する古代の魔法使いみたいなものだ」


「レインは物知りだね」


「まあな。王子とは生きている年数が違うぞ」


 ◇8


「ここで馬車を止めろ。歩くぞ王子」


 王子が馬車を降りると御者台の男が王子に金子袋を手渡した。


「うむ、ご苦労」

「どうしてレインがお礼を言うのさ」

「俺の食費だからな」


 馬車を見送ると目の前には湿原が広がっていた。


「水に濡れそうで嫌に思うだろう。そういうところに魔女は入り口を作るのだ」

「へえ」


 レインが王子の肩に乗る。

「さあ進め。入り口は近いぞ」

「うん」


 王子の革靴にべちゃりと水の音が響く。

 一枚で作られた上等な革靴だけに水が染みる事は無いが、それでも泥の感触は王子に感じたことのない不快感をもたらした。


「レイン、本当にこっちであってるの?」

「王子に良いことを教えてやろう。予言者は間違わない」


 夕暮れに湿原は白い霧を赤く染めていく。

 水面に反射する陽の色は泥と相まって独特な臭いを発した。


 びちゃびちゃと進み続けた王子はやがてレインの声に制止する。

「王子、そこに洞穴があるだろう。少し休むぞ」

「え、日暮れまではもう少しあるよ」

「黙って休め。雨が降るから冷えるぞ」


 洞穴は王子が入って丁度納まるほどの大きさだった。

 ぽつりぽつりと湿原に雨が落ちる音が鳴り始める。


「本当だ、レインの言う通りだよ」

「まあなあ」


 得意げなレインは石の上で寝転がっている。

 王子も腰を下ろすとレインとは対面する格好になった。


「王子、火を起こしてくれ」

「ごめん、僕は魔法使えないんだ」

「冗談だろ王子、一国の主にもなろうという人間が火も起こせないなんて」

「冗談じゃないんだよ、本当だよ」


 顎に手をやったレインは小さな目を両手で揉むように擦った。

「夢じゃないのか」

「夢じゃないね」


 レインはしばし呆けた後、そっと王子の膝元に戻る。


 ◇9


 翌朝になって寝息を立てるレインを膝から石の上に置いて外に出た。

 凍えた体を解すように王子は腕を回す。


 雨は止んでおり、湿原は一層の泥と霧を深くしている。


「……」

 ぐうとなったお腹を撫でてから王子は洞穴のレインを揺すった。

「んん? 王子、起きたのか」

「ああ、おはようレイン」


「復讐なんかやめておけ、今日ので懲りただろう? 辛くて惨めで果てしない旅だ」

 王子の目元には薄らと涙が溜まっている。

 生まれて初めて外で明かした夜はレインの言うとおり辛かったのかもしれない。


「僕は復讐をやめたりしないよ。一度決めたことは最後までやらなきゃいけないんだ」

「母親が殺されたことがそんなにショックだったのか? 復讐をして母親が喜ぶとでも思うのか?」


「違うよレイン。僕は母上を殺されたことも辛かったけど、母上を殺しても普通でいられる人が許せないんだ。あの海には黒い魔力が溢れていた。だから、母上を殺した人はきっと悪い心を持った人だ。人を殺しても平気でいられる人を僕は許さないだけだよ」


 レインが首を振って小さな腕を上げ道を指した。

 

「この先に魔女の里への入り口がある。日が暮れる前に急ぐんだな」


 昨日よりも泥濘ぬかるんだ足下に覚束ない足取りでゆっくりと進み始めた王子。

 いくつかの深い沼を迂回してレインが苦しそうにお腹を抱える頃、レインが何もない場所を指さした。


「着いたぞぉ」


 間の抜けた声に王子が俯いた顔を上げると何もなかったはずの場所にぐるぐると青い光が浮かんでくるのが分かる。


「すごいねレイン」

「早くくぐれ王子。この門はすぐに閉じるからな」


 沈み込んだ足を持ち上げてぐっと前に進むと王子の視界は白に染まった。


「うわっ」

 空気が重く震動する音に驚きながら王子が尻餅をつくと辺り一面に見たことのない石造りの家があった。

 家と呼んで良いのかはわからないが、とても大きく辺り一面玩具や飾りだらけである。


「ん? 来客か?」

 声のする方を咄嗟に見た王子はテラスにいる女性に息を呑んだ。

 全身見たことのない衣装で包まれた女性は見る者を圧倒する華やかさがあった。


「珍しいな、この空間に来られる人間はそう多くはないはずなのだが」


 時折舞い散る花びらは美しく城の外を飾る。

 レインはぶるぶると背中を震わせてから王子の肩に飛び乗った。

「初めまして」


 王子が声に上げた瞬間、女は一瞬で王子の目の前に現れた。

「ここでは私の許可なく口を開くな。ここで口を開くということは私への宣戦布告となるからな」

 王子は戸惑いながら頷く。

 レインは王子の頭の上に乗って女を見下ろした。


「このお方はイヴガルムの王子であるが、魔法は使えないから安心しろ」

「ほう、喋る魔獣か。お前はどうだ? 魔法は使えるのか?」

「俺か? 俺はただのリスだ。使えるわけがなかろう、魔女というのはお前のように皆臆病なのか?」


「ッチ、予言の女の魔獣か。まあいい、わざわざ王子が出向いたからにはそれ相応の理由があるのだろう。まさか、魔女を妃にする変人でもあるまい」


 舐めるような視線を受けても王子は顔色1つ変えずに頷く。

「まさか……」

「王子は素直でな、お前が口を開けと言わない限り口を開かないかもしれないぞ」

「わかった、喋って良い」


 王子は頭の上にいるレインに視線を泳がせてから魔女を見た。

「僕の名はルム=イヴガルムと言います。わけあってあなたたちの助力を請いに来ました」

「ふうむ、長くなりそうだな。家に上がるといい、あの偏屈王が息子のお前をここに寄越したということがそもそも意外だしな」


 魔女に案内された王子は城の造りを感心して眺めていた。

 光る宝石の壁や自動で動く玩具の鳥。

 水が浮いたり、鏡が喋ったりしている。


「王子は魔女と会うのは初めてのようだな。私の名はヘルメス。ま、今ではただの管理者だ。姉妹は皆出払っていて今は私しかいない、適当に掛けろ」


 白い木で出来たテーブルの前にはリボンで綺麗に作られた椅子があった。


「待て、それは私の椅子だ。お前はこれに座れ」


 指を鳴らすとどこからともなく丸椅子が出てくる。 

 一見してただの切り株だった。

「王子、俺は少し休憩するぞ」

 レインが唐突にそう宣言して王子の頭上で寝始める。

 さながらふっくらした帽子のようだ。


「予言者の魔獣の噂は聞いていたが、本当に喋るとはな。何の力も持たないとは思えないが……本題は王子のほうだったか」


 王子は事の顛末を話すとヘルメスは高笑いした。


「復讐か、それは面白い。だが生憎と私はお前に付き合ってやる義理などない。他の魔女も同じだろう、魔女は人間ごときに肩入れしない。それが例え王であってもな。ま、母親を殺されて復讐に燃えるなどありきたりすぎて魔女は誰も興味を見せんだろうよ」


 差し出された茶色い飲み物は小さな湯気を揺らしている。

 パンも付け加えられて王子は徐に手を伸ばした。


「僕は……」


「そもそも自分勝手な提案じゃないか? 魔力を渡して自分の代わりに復讐させようだなんて虫が良すぎる。魔女じゃなくてもそんなことに同意する奴などいないだろう。諦めろ、王子。お前は自らに掛けた呪いによって自滅するのを待つだけだ」


 ◇10


 魔女の慈悲で寝床と食事を与えられた王子は次の日、窓辺で1人物思いに耽っていた。

 あの光景が脳裏に浮かぶ度に王子は言いようのないやるせなさを感じる。

 あの魔力は悲しくそして罪深かったと。


 王子はそんな感想を抱くと同時に自分に何が出来るのかと考える。


「おや、王子は諦めて帰国するかあ? さて、今日のレインちゃん運勢は……王子の名前を一番初めに呼んだ人が運命の人だそうだぞ」


 レインが王子の寝床で寝そべっていた。

「僕は自分で魔法が使える方法がないかヘルメスさんに聞いて見るよ」


 城の中を歩き回る王子はレインを頭に乗せて迷いなく進んでいく。

「あの魔女も王子がそんなことを思いつくとは思わなかっただろうな」

「なにかおかしいかな」

「さあなあ、だが刻印を無視して魔法を使うのは無理だろう」


 王子が進んでいくと地下に続く道があった。

 その扉だけは他の木製扉と違って鋼鉄で閉ざされている。


「いかにも怪しい扉だな」

「もうここしか見てないところはないよレイン」


 扉を開くと王子はイヤな臭いが立ち籠めたと思いむせ返った。

「ヘルメスさん?」

 声は反響しながら奥へと続いたが返事はない。


 階段が蝋燭で薄暗く照らされており、一歩ずつ下りる度に王子の感じる気温は下がり身の毛がよだっていく。


 ◇11


「ヘルメスさん」


 どれくらい地下を歩き回ったのか、もはや帰る道さえ覚束ない王子にレインは興奮した声を上げた。


「あれを見ろ。人間だ」


 王子には一瞬それが人間には見えなかった。 

 ただ、廊下の先に見える影は近づくごとにその輪郭を人間に近づけていき、やがて幾人かの人間がそこにはいた。


 檻の中に閉じ込められた人。

 一様に若い女の人たちだった。

「こんな……まるで動物じゃないか」


 衣服を剥がれ、鎖で手足を繋がれた人間たちは皆揃って刻印をその身に宿している。


「王子」


 オクターブ高い声が後ろから掛かる。

 ヘルメスの姿がそこにはあった。


「見てしまったのね」

「鍵は掛かってなかったぞお」

  

 レインが抗議するがヘルメスの目は笑っていない。

 蝋燭に浮かぶ怪しげなその表情は時折怒りに似た醜悪さに染まる。


「ここは私の工房。魔女の炉。魔女は古くから続くその魔法のことわりを追究してきた。でもだめ、秘密主義に徹している魔女は己の魔法だけを極め続けて本当の特別になりきれない。だって魔女は沢山沢山いるんですもの」


 ゆっくりとヘルメスが指さす先には檻がある。

 王子の背中だった。


「だからこうして全ての魔女を集めて本当の特別になろうとしている。王子は私の言っていることがお分かり?」


「この人たちを殺すの?」

「刻印を見ればわかるでしょう。彼女たちはここから出たいがために私には何でも素直に話す刻印を刻んだ。それが私と彼女たちの友好の証ですもの」


 一際冷たい空気が辺りを満たした。


「王子、こいつはヤバいぞ」

「でも僕は戦えないよ」

「そういやそうだったな」


 レインの棒読みは渋い男の声だった。


 ◇12


 あっさりと捕らえられた王子は彼女たちと同じ牢に入った。

「あなたも黙っていれば1年で死ぬでしょうし、彼女たちと牢に入ってなさいな。あなたのような愚か者を誰も探しはしないでしょう」


 レインは尻尾を掴まれ布で簀巻きにされて縛り上げられていた。

「もう少し優しく! おねがっ――あん」

「このデブリス結構重いわね……」


 担がれたレインは「おうじ~運がなさ過ぎですぞぉ!」と叫びながら廊下の角に消えていく。


「……王子というのは本当ですか」


 部屋の隅にいた女の子の1人が三角座りで芋虫のようにゆっくり寄ってきた。


「そうだよ」

「私はリュナと言います」

「僕はルム・イヴガルム。王子といっても後1年くらいさ」


「ルム、イヴガルムさま……イヴガルムといえば大国じゃないですか! なぜこのようなところに?」


 王子は事の顛末を話すとリュナは相づちを打って頷いた。

「リュナもそのような人は許せません。リュナに何かお手伝いできることがあれば良いのですが……リュナには魔力がないのです」


「魔力がないってどうして?」

「リュナは気付いたら当てもなく森を彷徨っていました。そこで偶然さっきの女性に拾われたのです、魔力がないと分かってからは見ての通りですが……」


 牢の鉄格子のところにいた女性がリュナに声を上げた。


「魔力がないなんて嘘よ」


「嘘じゃないです。魔法が使えないんです」

「記憶がないっていうのも嘘だわ」

「嘘じゃないもん……」


「じゃああなたのその刻印のせいね」


 リュナの額には刻印が丸く幾何学模様を描いている。

 それほど大きくはないがリュナの大きなおでこにはよく映えていた。


「リュナはどんな魔法が使えるの?」

 

 王子の質問にリュナは目を輝かせる。

「ええとですね、切断したり燃やしたり、あとは強化もできます」

「はっ、ほとんど異端魔法じゃない。切断? 燃やす? 殺人鬼が好みそうな魔法だわ」


 リュナは俯いて黙ってしまう。

「いいじゃないか、ここを出るために使ってくれるかい?」

 リュナは王子を羨望にも似たまなざしでぱっと見上げる。

「も、もちろんです王子! でも、リュナには魔力が――」


「大丈夫だよ。僕の魔力を使えばいいんだから……君の力を貸してくれる?」


 リュナの手をそっと王子が握る。

「王子……」

 涙が零れそうなほどにリュナの瞳が潤む。


 淡い光が2人の手を包むように広がった。

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