イヴガルムの復讐王子
伊城コト
第1話 復讐の灯火は刻印となりて
真新しい衣装に袖を通すと僕の見た目は鏡によく映えた。
「お似合いですよ、ルム様」
リザードの皮をなめした靴にドランの毛皮を編んだ服。
母上との謁見にはこの上ないほど上等な衣装だ。
「それでは行ってくるよ」
「「お気を付けて」」
多数の使用人たちと別れ馬車に乗り込むと御者台の男が手綱を振るう。
動き出した馬車と同時に高揚する気分を僕は抑えきれない。
母上と会うのは2ヶ月ぶりになる。
そう、僕は次期国王として正式に任命されたことを母上に告げに行くんだ――。
◇1
銀の鱗が煌めく海上に船があった。
その船の帆の上には大国イヴガルムの国旗が掲げられており、太陽の後光に燦々と照らされている。
誰もが目を細めて遠くの地平線を見渡す中、船の影には自然と監視が及ばないでいた。
「そろそろいいだろう」
「はい……」
その影の中に怪しい人影が2人佇んでいる。
2人は小さな船の中で立ち上がると1人は海に飛び込むようにして消え、もう1人はナイフを船に刺して船の横に張り付く。
無人の小舟は影の中で転覆し、沈み消えていく。
それを見届けることなく、細身の影はひょいと身を浮かせて船の中へ跳び乗った。
「今何か音がしなかったか?」
デッキで見回っていた男は首を傾げながら影の横を通り過ぎる。
その刹那に影は陽の当たらない船内へと忍び込んだ。
「ですから、本当に愛していたんです」
「がははは! そりゃお前、勘違いってやつだ!」
談笑に興奮している兵士たちを尻目に影は奥へ続く廊下を一瞥する。
「ん? くせ者だ!」
狭い船内で隠れる場所もないのか、影は諦めたように剣を抜いた。
男たちの引き抜いた
「なっ……子供!?」
戸惑いのうちに男たちは一瞬のうちに斃れ、いとも簡単に影は歩を進めた。
そうやって進んでいくうちに影は一際厳重に守られた部屋を発見する。
「……2人か」
扉の前に2人、影はゆらりと動く。
「何者……ッ」
言葉が終わる前に護衛の男たちは斃れた。
果たして部屋の中に居たのは見目麗しき女。
影を見た女は一瞬戸惑いに目を見開いたものの、小さく息を吐いて鉄のような面持ちで影と向き合った。
「あなたが刺客ですか?」
「……」
影は答えない。
すうと短剣を頭上に掲げてぶつぶつと影は呟いていた。
「――やらないと……やらないと……」
震える吐息に女は何を思ったのか影に近づき始める。
「私にあなたを退ける力はありません、だからどうか――」
……数刻後――。
女の血だまりに影の姿はなかった。
ただその船は白煙を天に伸ばし沈むのを待つのみとなる。
◇2
「母上との謁見が中止されたというのはどういうこと?」
僕は国境で迎えられた隣国パルリスの王に直々の挨拶を述べられていた。
この国の王は父と仲が悪く、国境沿いに発見された鉱山をどちらが所有するかという問題で揉めている王でもある。
この国で僕の戴冠式の一部を開催することも立派な交渉のうちで姫君と仲良くすることも僕の仕事のうちの一つだ。
そして将来はこの国の姫君と結婚して、鉱山を所有物とすることだって夢じゃないと父上は仰っていた。それが一番平和な解決法だとも。
でも僕はまだ結婚とか考えられなくて、今回は母上の祖国であるサクファスから鉱山との取引材料を持ってくる手はずになっていた。
本当はそちらの方が大事なはずなのにその交渉は中止になったという。
「正直に申しますと今日明日中に来るはずの船が未だ港に到着しないのです」
彫りの深い王が僕を前に焦りの色を浮かべている。
いつもは厳かで少し上から物を言うきらいのある王がまだ若い僕を前に焦っていた。
何かいやな予感がする。
でも僕は冷静に努めて応えた。
「恐らくあの母上のことです、遅れているだけでしょう。母に代わってお詫びします。今日はこちらで休ませて頂いて明日を待ちたいと思いますがよろしいですか?」
王は一瞬困った顔をした。
何故だろう。
「ルミナス」
「はい、お父様」
王の一人娘であるルミナスが後ろの白い天幕から現れる。
王はルミナスにひそひそと耳打ちしてから僕に向き直った。
「実はそなたの母君を持てなすために用意した料理や宴が無駄になってしまいそうなのだ。悪いがそなたとルミナスで楽しんでは貰えないだろうか」
僕は一瞬嬉しくなったが、本来ならば母上を持てなす料理に手を付けるのだから手放しで喜んでは子供に見られてしまうと思った。
「お心遣いありがとうございます。ルミナス姫さえよければ喜んで」
「楽しみですわ」
その姫の瞳には僕の嫌いな色が宿っていた。
◇3
その日の宴はいつもと違ってルミナスがずっと僕の側で相手をしてくれた。
けれどその話はいつもルミナスがどれだけ民に人気があって他の国から求婚が絶えないかという話だ。好きな宝石の話とか、衣装の話ばかりするルミナス。
本当はルミナスは僕みたいな弱い男に興味はないと聞いている。
なのにどうしてルミナスは僕の相手をしているんだろう?
「まあ、そんなつまらないことを考えて宴を楽しんでらしたの? せっかくの宴なんですからもっと楽しんでくださいな」
そう言われて軽めの酒を注がれてしまう。
父上とさえ酒を飲み交わしたのは王としての候補に挙げられたときくらいだった。
僕はそっと注がれたコップをテーブルに置いて、目の前で始まった曲芸にぼんやりと視線を注いだ。
母上への心配が先立って手放しで楽しめる気持ちじゃない。
「ルム王子?」
ルミナスの声ではない。
護衛として付いてきた男の声である。
「何やらお加減が優れぬご様子。私めが部屋に案内するよう頼みましょう」
流石、父上が認める剣士だった。
「すまないね、アルエス」
僕はずっと母上のことが気になっている。
◇4
朝を迎えたのに城内は静まりかえっていた。
王に船着き場の様子を聞こうとしたら既に王は船着き場に向かわれたとのことだ。
僕も急いで船着き場に向かう。
いつもなら城から勝手に出ようとすると止めるはずの護衛も今日だけは僕の素行を咎めない。
「いやな予感がします」
僕と同じ気持ちのようだ。
城から外に出ると潮風に乗って燃えた木の臭いが漂って来ていた。
街に降りると至る所から住民の不安の声がする。
「ああ、なんでこんなことに……」
「お労しい」
「不吉だ、近づく気にもならん」
海の上は黒く染まっていた。
禍々しい魔力が海を穢し、火を噴いている。
木片と白い煙。そして夥しい人の死体が浮いていた。
残骸は無残にも沖合に打ち上げられ、船着き場の下まで死体が浮かんでいた。
「今朝なんでさあ! 突然潮の流れが速くなって見に来てみたらこの通りでさ」
海の中を漕いで遺体を上げているのは国王自らだった。
側近が国王を止めようとしている。
部下も多数遺体を運んでいるが、国王は高価な服が臭くなるのもおかまいなしに海に半身を埋めて藻屑を漁っている。
「あ、あぁぁ……」
僕は見てしまった。
王の腕に抱かれる母の亡骸を。
◇5
僕はそれから気付けば自分の城にいた。
一週間くらいだろうか、アルエスが僕を無理矢理部屋から引き摺り出して剣の稽古を付けてくれる。
何度も振り続けた僕の木刀はすっかり草臥れていた。
この稽古で強くなって母上を守るという約束はもう果たせない。
「気持ちが沈んだときは体を動かすに限りますよ、王子」
「今はそんな気分じゃないよ」
それでも自然と剣を正眼に構える。
「はっ」
アルエスの姿が視界から消えたように見える。
前回は僕の護衛として付いてきていたアルエスだけど、国王側近の剣士なだけあってとてつもなく強い。
僕なんか一撃で吹き飛ばされてしまう。
今日は特に強い一撃だった。
床に転がる僕をアルエスが見下ろしている。
「もう少し厳しめにいきましょう。王子は頑丈ですからね」
打たれた腕に幾何学模様が走る。
僕の魔力が暴走しないように施された強力な刻印。
何人もの魔法使いが僕のために命を擲って施した封印術らしい。
「僕は、こんなに辛くても生きなければならないの?」
アルエスの一撃が鳩尾に入る。
僕の体は壁際まで吹き飛んだ。
「そうです、あなたを生かそうと死んだ者たちがあなたを生かしている。そのことを忘れてはなりません」
「こんなに……」
アルエスの一撃は痛い。
けれど、もっと奥にある心臓が痛い。
「こんなに辛いのに……」
僕は母上を殺した奴を許せない。
木刀を握りしめる僕の腕から黒い魔力が漏れる。
「王子、自分を律しなさい。その魔力は王子を殺します」
アルエスが焦りの表情を浮かべて僕を見ている。
「王子……!」
「――僕は母上を殺した奴を殺します。この剣に誓って……」
僕の手の平に伝う赤黒い血が幾何学模様を刻む。
◇6
「聞いたぞ、ルム。母親の仇を取ることを剣に誓い刻印を刻んだそうだな」
「はい」
周囲がざわついた。
「刻印は寿命の代償と共に差し出す思いの力でもあり、呪いの力でもある。だからこそお前の魔力を刻印として封じた魔法使いは皆、死んだ。
お前は愚かにも自身の刻印によって1年と持たぬ命になるであろう……そして魔法の使えぬお前が1人で仇を取ることなど到底不可能だ」
そうだ、僕は普通の人より劣っているのだから。
1人じゃ復讐は果たせない。
「王様、僕は自らの手で母上を殺した者を殺したく思います。だから、僕は刻印にこう刻みました。僕の魔力を扱えるだけの人間を1人選ぶと。その者と共に復讐を果たします」
「馬鹿な、お前の魔力を他人に使わせるだと!?」
父上の隣にいた宰相が声を荒げる。
「お前の持つ強大な魔力を扱えば、その者は欲に溺れるかもしれぬ。お前の言うことを聞かぬかもしれぬ。それにお前ほどの魔力を扱える者はそうはいまい。それでも行くと言うのか?」
「はい」
父上は厳しい視線を僕にぶつけてくる。
僕はそれを真っ正面から受けて返した。
「……そうか、では魔女の里に行くが良い。お前の力になる者を探すのならば魔女だ。だが、あそこは国の自治権を受け入れないところだ。命の保証はせんぞ」
「それでも構いません」
王が手を叩くと籠に入れられた一匹の白い獣が運ばれてくる。
「この魔獣を連れて行け、国に伝わる先代予言者の飼っていた使い魔だ」
リスのようなそいつは小さい口を動かして喋った。
「なんだ? ようやくシャバに出られると思えば今度はガキのお守りか?」
なんとも間の抜けた声だ。
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