第11話 奇妙なじいさん

「なんだ?」

 新たにやって来た街の、その中心辺りにある市場までやって来た時だった。市場の真ん中に何やら人だかりが出来ている。

「なんだ?なんだ?」

 近寄ってみると、その人だかりの中心でなにやら変なじいさんが何か叫んでいる。私はもっと詳しく見ようと首を伸ばす。だが、しかし、背の低い私にはうまく見えない。そして、人垣の頭の間から中を覗こうとするが、人が多く、やはり、うまく見えなかった。

「何を叫んでんだ?」

 私は思い切って人垣の中に顔を突っ込んだ。そして、そのまま人と人の間に分け入っていく。意外と、人垣はうまいことするすると抜けられた。

「何やってんだ?」

 そして、私はその人垣の先から顔を出した。

「わっ」

 人垣から顔をのぞかせたまさにその瞬間だった。その人垣の中心で叫んでいたじいさんのその剥き出されたようなバカでかい目と、真正面から思いっきり目が合ってしまった。

「わっ、しまったぁ」

 じいさんの容姿と、その目つきに、瞬間的にこれはやばいと思った。だが、その時にはすでに遅かった。じいさんと思いっきり目が合ってしまい、誤魔化しようもなく、しかも、顔を引っ込めようと思っても、来る時はスルスルと進んだ人垣が、戻るにはどうした訳かまったく微動だにしない。

「お譲ちゃん」

「は、はい」

 じいさんがばかでかいどこかイってしまっている、その剥き出された大きな目をさらに剥き出して私に迫って来た。なんか知らんが滅茶苦茶怖い。

「お前はヒマラヤへ行ったことがあるか」

「はい?」

 剥き出した目がぎょろりと私を覗き見る。顔が間近まで迫っているので、白目に走る毛細血管の枝分かれまでがはっきりと見える。それがまた怖い。

「ヒマラヤはよいぞ。あれは神の山だ」

「か、神の山?」

 訳が分からなかった。何でいきなりヒマラヤで神の山なんだ?

「すばらしい山だ。ヒマラヤは。あれほどのすばらしい山はこの世に存在しない」

 しかし、私の反応などまったく無視して、じいさんは勝手に話を進めていく。

「あの山には偉大なエネルギーが満ち満ちている。あれは生命の山だ」

 神の山ではないのか・・。あっという間に、言っていることが変わっている。

「よしっ」

「えっ」

 そして、そこでじいさんは突如奇妙な踊りを踊り始めた。

「うおっ、きやっ、かあっ」

 奇妙な掛け声とともに、バカデカい数珠をどこからともなく取り出し、それを振り回したかと思うと、でんぐり返しに逆立ちと、やりたい放題でゴロゴロと地べたを転がった。

「ぐわああああぁあ~」

 かと思うと、今度は奇声を発して、人垣を突き破るようにどこかへ走り去って行ってしまった。

「・・・💧」

 私と観衆たちは、呆然とじいさんの走り去った方を見つめる。

「わあっ」

 と、思うと、またものすごい形相と勢いで長い白髪と巨大な数珠を振り乱し戻ってきた。みんな滅茶苦茶驚く。

「何やっとる」

 そして、再び人垣の中心に戻って来たじいさんは、また私の真ん前にやって来て、その巨大な目で私を覗き込む。

「え?」

「お前も踊るんだ」

「ええ!」

 全力で抵抗は試みたが、しかし、結局私は踊らされてしまった。

 私の踊りは、じいさんの踊りを見ながらなので、ただでさえ奇妙な踊りがさらに奇妙になった。周囲はやんややんやの大喝采。みんな大爆笑だ。衆人環視の中、これほどの羞恥プレイがあるだろうか。踊りながら自分でも顔が真っ赤になっているのが分かった。

「ヒマラヤ~、ヒマラヤ~」

 じいさんは奇妙な歌まで歌いだした。

「もうやめてくれぇ~」

 私は叫び出したい気持ちだった。

「何をしとる」

「えっ?」

「お前も歌うんじゃ」

 やはり、全力で抵抗を試みたが、結局歌わされた。インド人の勢いと迫力は、抵抗を許さない。

「私は一体何をやっているんだぁ」

 私は叫び出しそうだった。私はインドまで来ていったい何をしているんだぁ。聴衆の中には、笑い過ぎて、涙を流しながら、腹を抱えてその場に転げ回る者もいた。

「お前中々やるな」

 じいさんは踊りながらにやりと笑う。

「これで?」

「お前には見どころがある」

 全然うれしくない。

 その後、さんざん歌って踊らされた後、突然、じいさんは素に戻った。

「ついて来い」

 そして、私と観衆が呆然とする中、そう言って、さっさと一人で人垣を突き抜け行ってしまった。

「・・・💧」

 どこまでもマイペースなじいさんだった。かなり真剣に悩んだがここまで来たらと、他に行く当てもなし、仕方なくついて行った。

 市場の人混みの中をスルスルと器用にすり抜け、見た目からは想像できない健脚ぶりですたすた行ってしまうじいさんを必死で追いかけ、辿り着いた先は小さなホテルだった。

「ここに住んでいるのか?」

 私は首をかしげる。

「あんた、どこまで行ってたのっ」

「わっ」

 私は驚く。ホテルに入ると、入った瞬間、すぐにものすごい怒鳴り声が響いた。見ると、玄関先で腕組みをした恰幅のよい女性がものすごい形相でじいさんを睨みつけている。

「まったく、ジャガイモ買って来てって言っただけで、なんでこんなに時間が掛かるの」

「・・・」

 私はさらに驚く。じいさんはどうやらこのホテルを経営している人らしい。

「ま、まあいろいろな・・」

 じいさんはさっきまでの元気が嘘のようにうなだれている。奥さんには、哀れなほどに弱い。じいさんは恐妻家だった。

「ところでジャガイモは?」

「こ、これ」

「なんで、鶏を買って来るの」

 じいさんの手には、いつの間に買ったのか絞めた鶏が一羽ぶら下がっていた。

「いや、あのな、これには・・」

「もういいわ」

 多分、いつものことなのだろう。奥さんは深くは追求しなかった。

「スンマ、スンマ」

 奥さんは従業員らしき若い女の子を呼ぶと、お金を渡して、ジャガイモを買って来るように言った。

「ところで・・」

 そこで、奥さんはじいさんの後ろの私の存在に初めて気づいた。

「あっ」「あっ」

 そして、目が合った瞬間、お互いに驚いた。奥さんは日本人だった。

「まあ、こんなかわいらしい子どこで」

 奥さんはさっきまでの怖い顔が嘘のようにやさしくなった。

「わしが町で見つけて来たんだ」

 さっきまでうなだれて、枯れた草のようにしなだれていたじいさんも急に胸を張る。

「いくつなの?」

 奥さんが私に訊いた。

「十八です」

「まあ、かわいらしい」

「いえ、そんな」

 私は本気で照れた。

「あなたなんで裸足なの?」

 奥さんが私の足を見る。

「あの、ありとあらゆる物を盗まれまして、でも、あのお金はあるんですけど・・、なんか・・」

 結局、カノンと別れた後、ありとあらゆるものを盗まれてからテント以外何も買っていなかったし、救護院で支給されたものは全部返してしまっていた。救護院でも基本裸足だったので、裸足にもなんとなく慣れてしまい、そのままだった。

「こっちに来なさい」 

 奥さんは私の話しが終わらないうちに、ホテルの奥へと私を招き入れる。私は、導かれるままにホテルに上がって行った。

「これが合うわ」

 辿り着いた奥の部屋で、タンスから奥さんが引っ張り出してきたのは、どこかの民族衣装のような珍妙な服と靴だった。

「い、いや、あの、お金はあるんで買おうかなぁと・・」

 それを一目見た瞬間、私はやんわりと断りモードに入る。

「これはあなたに絶対合うわ」

「・・・」

 しかし、奥さんは、一人盛り上がっていて、なんか断れない雰囲気だった。

「いやいろいろ買おうと思ったら、市場でこのおじいさんに会ってですね・・」

 それでも抵抗を試みる。

「さっ、着てみて」

「・・・」

 しかし、奥さんはどこまでもマイぺースだった。

「まあ、やっぱり似合うわ」

 その服を着た私をしげしげと眺め奥さんは言う。

「・・・」

 私は、結局その衣装のような服を着せられてしまった。服だけでなく、ターバンのような珍妙なスカーフまで頭に巻かれてしまった。しかも靴は木靴で、サイズは合っているのだが、ものすごく硬くて履き心地は最悪だった。

「色合いが素敵でしょ」

「は、はあ・・」

 雑巾を煮しめたような色をしていた。いったいどこで買ったのか、どこで誰が着る物なのか謎だった。

 でも、日本の古い着物のような感じで着心地はよかったし、実際来てみるとなんかいいかもとも思えてきた。そして、なんか分からんが、なぜかこれを着ていると、インド人になったような、なんとも言えない感動があった。インド人ですらこんな奇抜な衣装は誰も着ていなかったが・・。


「はい、どうぞ」

 奥の居間に通され、目の前に出されたのは日本茶だった。

「こればっかりはね」

 奥さんが言った。

「わあ、うれしい」

 久々の日本の味に私は感動した。やっぱり、私は日本人だった。そんなことを日本茶一杯に強烈に感じた。

「ところでどうしてインドへ」

 向かいに座る奥さんが私に訊ねる。

「どうして・・」

 どうしてって言われても説明に困った。

「まあ、分かるわ。あなたみたいな人はたくさん見て来た。私もその一人だけどね」

「はあ」

 私自身も自分で自分がなんだかよく分からなかったが、なんか、突然分かられてしまった。

「でもね、あなた」

「はい」

 そこで奥さんの目が怖いくらい真剣になった。

「インドに長くいると帰れなくなるわよ」

「えっ」

「私なんか親の死に目にも会えなかった」

 おばさんは、寂しそうな目で遠くを見た。

「インドははまると怖いわよ」

 おばんさんはその寂しそうな目で私を見つめた。

「・・・」

 その目の奥には、人生の悲しみが滲んでいた。何があったのかは分からなかったが、多分、とても悲しいことがあったのだろうということは分かった。

「わしがヒマラヤで修行していた時の写真じゃ」

 そこへ、突然、まったく空気を読まないじいさんが何やら写真を持って居間に入って来た。

「お前は、何か救いを探しておる」

 そして、じいさんは私の目の前に、その手に持つ写真を突き出した。

「うっ、なぜ分かる」

 案外するどいな、このじいさん。私は少し驚く。

「これを見ろ」

 じいさんの差し出した写真には、もともとのっぽでやせ形のじいさんが、骨と皮だけのガリッガリになってにっこり笑っている姿が写っていた。目は落ちくぼみ、ただでさえ黒い肌がさらに土気色を帯びて黒ずんでいた。しかも、その状態で笑っているところが何とも不気味だった。何千年ぶりかに掘り起こされたミイラが笑っているような背筋が寒くなるような不気味さだった。

「わしの修業時代の写真じゃ」

 じいさんは誇らしげに言った。

「どんな修業してたんだよ・・」

 あまりのその激やせっぷりに、私は思わず呟いていた。

「まあ、まず、大きな穴を掘ってだな、そこに埋められて・・、一週間・・」

 そして、じいさんは訊いてもいないのに、修業時代を語り出す。

「いや、いいです」

 そんな話は全然、聞きたくなかった。私は話の途中で遮る。

「お前もだな。断食をして沐浴をしてだな・・、土の中に埋められて・・」

 しかし、じいさんはマイペースに話し続ける。

「無理です」

 そんなの絶対に無理だった。

「常に裸で」

「だから無理だって言ってるだろ」

 しかし、じいさんの話はとまらない。じいさんはやはり、どこまでもマイペースだった。

「お前はヒマラヤへ行きなさい」

 何がどうなってそういう話になったのか分からなかったが、最後にじいさんがそう言った。

「ヒマラヤかぁ」 

 しかし、それにはなぜか、私は大きく同意してしまった。私もヒマラヤだと思った。なんだかもやもやとした霧が晴れるように私は自分の行くべき道が見えたような気がした。

「よし、ヒマラヤだぁ」

 私は立ち上がっていた。

「あ、こら、まだ話は終わっとらんぞ」

 じいさんがそんな私に叫ぶ。

「あっ、今日はうちに泊っていきなさいな」  

おばさんもワタシに声をかける。しかし、おばさんが引き留めるのも耳に入らず、私は次なる目的地が見つかったうれしさでもう走り出していた。

「イヤッホー、私はヒマラヤに行くぜぇ」

 なんだか、踊りだしたいような気分だった。ホテルを出て、スキップするように走る私は、なんだかヒマラヤに私の求めている答えがあるような確信を感じていた。

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