第9話 死を見つめて

 シヴァが死んだ。極限まで苦しみ抜いた末の壮絶な死だった。

「あんなに元気だったのに・・」

 私はちょっと前まで、あれほど元気だったシヴァの痩せ衰え骨と皮だけになった、紫色の湿疹に覆われ変わり果てたその遺体を見つめた。

「ここではあまりにもたくさんの人が死に過ぎる。私にはどうしていいのか分かりません」

 私は神父さまに訴えるように言った。

「神の思し召しのままに」

 神父さまはそれだけを言った。

「なぜ神さまは助けてくれないのでしょう。毎日神さまにお祈りしているのに、なぜ助けてくれないのでしょうか」

「神の考えは人間ごときには思い及ばないのです」

 神父さまはすべてを神に預けてしまっているようだった。

「・・・」

 私にそれは出来なかった。

 私はシヴァがいつも座って本を読んでいた木の下に一人座った。彼女はまだ生きることができた。生きることができたはずだった。それなのに死んだ。あんなに痩せ衰え、絶望の淵でじわじわと苦しんで死んでいった。一部の人間だけが得をする企業の収益というたったそれだけのために、彼女は壮絶に苦しみ、そして死ななければならなかった。

「・・・」

 何も分からない空白の自分がいた。私の中に普通にあった何かがすっぽりと消えてしまったみたいだった。

 そんな私の足元を小さな名も知らない虫がひょこひょこと歩いていく。私はその虫の懸命に歩く姿をじっと見つめた。


 久しぶりに救護院の外に出て、ガンジス河の河べりに行くと、あのおじいさんが死んでいた。死に場所を探していたおじいさんだ。

「死に場所を見つけたのね」

 私は横たわるおじいさんの脇にしゃがみ、その穏やかな死に顔を見つめた。ガンジス河は私たち人間の営みとは無関係に今日も夕日に美しく輝いていた。

 そんなおじいさんの遺体を、上半身裸のおなかのでっぷりと突き出たおっさんがどこからともなくやってきて、持っていたトンボのようなもので、その辺の粗大ごみでも捨てるように無造作に突き飛ばすようにガンジス河に転げ落とした。

 おじいさんの遺体は、後頭部と背中だけを川面に見せながら、そのままガンジス河をゆっくりと流れていった。

「泣いてはダメだ」

 太ったおっさんが言った。私はいつの間にか泣いていた。

「死は新しい始まりだ」

 おっさんがさらに言った。そういえばあのおじいさんもそんなことを言っていた気がする。

「人生など大したものではない」

 あのおじいさんの言っていた言葉が頭の中で鳴った。

「・・・」 

 私は一人その場所に座り込みガンジス河を見つめた。

「人生など大したものではない」

 もう一度のおじいさんの言葉が私の頭の中に流れる。私もガンジス河を見つめていると、何となく不思議とそんな気がしてきた。


 私は真っ白なサリーを脱いだ。私はここを去ることにした。

「私、また旅に出ます」

「そうですか」

 神父さまは、そう言っただけだった。

「あの・・、これ」

 私は元少年のお金を差し出した。これは、ここで使われるのが一番いいのではないかと思った。

「それはもっと必要としている人たちがいるはずです」

 だが、神父さまはそう言って受け取らなかった。

「気をつけてね」

 先輩シスターたちは、わがままな私を笑顔で送り出してくれた。

「神さま・・」

 私には結局最後まで神さまのことは分からなかった。 

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