第3話 カノン

 さて、今日はどこに泊ろうか。金はあった。でも、高級ホテルじゃない気がした。そっちには何もない気がした。

 その時、私の目の前を短足の犬が、お尻をプリプリ歩いて行くのが見えた。私はなぜかその犬のプリプリと揺れるお尻に魅かれ、それに導かれるように後をついて行った。

「お前中国人か」

 ふいに声をかけられ、私は声のする方を振り向いた。そこには大きなキラキラとした目が私を見上げていた。

「ううん、日本人」

「日本?」

「中国の隣りの隣り」

「ふ~ん」

 少年は少し首を傾げたが、まったく分かっていないようだった。

「お前何してる」

「今夜泊るとこ探しているの」

「じゃあ、お前、うちに泊れ」

「えっ?」

 突然の申し出だった。

「いいの?」

「全然問題ない。こっちだ」

 私の返事も待たず、少年は元気いっぱい走り出した。私は少し迷っていたが、少年のその勢いに乗せられる格好でその後を追った。

「オレ、カノン」

 カノンは走りながら言った。

「私はメグ」

「メグ、こっちだ」

 カノンは、手招きすると、さらにスピードを上げた。

 カノンの後ろを追いかけ、着いたところはボロボロの朽ちたようなバラック続きのスラム街だった。カノンはなんの躊躇もなくそのスラム街に入って行く。私もその後に続いた。

「・・・」

 そこは何とも言えない変な匂いがした。私は思わず顔をしかめる。

 スラムの中は、巨大なごみの山のような雑然とした無秩序が広がっている。しかし、その中にあってしっかりと道はあり、家の並びのある程度の統一性がある。そこには不思議な秩序があった。

 家々の間の細い通路をすり抜けすり抜け、辿り着いたカノンの家は、そのボロボロの家々の中でもさらにボロボロの廃材とゴミで出来た掘っ建て小屋だった。

「・・・」

 私は茫然とその小屋のような家を見つめた。日本であれば物置にすらならないような代物だった。日本人の感覚の私からすると、ここに人が住んで生活してるということが信じられなかったし、想像すらできなかった。

「どうやって生活しているの?」

 私は思わずカノンに訊いてしまった。

「ここに鶏がいる」

「うん?」

 見ると、その家の前に鶏が三羽ひょこひょこ無邪気に歩き回っていた。

「これが卵を産む」

「うん」

「それを食べる」

「うん」

「だから全然問題ない」

 問題だらけだと思うが、私は黙ってひょこひょこ歩きまわる三匹の鶏をあらためて見つめた。鶏は人間の世界のことなど我関せずといった感じで、とぼけた眼でひょこひょこ餌を探して歩き回っていた。

「メグこっちだ」

 カノンはそんな私を手招きしながら、家の中に入って行った。私もそれに続いて、入口に垂れ下がった玄関代わりの布切れを、まくり上げた。床はそのまま土むき出しの地続きだった。

「わっ」

 家の中に入ると、暗闇の中で白く光る無数の巨大な目玉が私を鋭く見つめていた。

「あ、こ、こんにちは」

 私を鋭く捉えたその目は、ずっと私を捉えたまま離さない。私を射貫くような視線だった。

「お客さんだよ」

 カノンが明るく、その暗闇に浮かぶ目玉に向かって私を紹介する。するとその中でも一番巨大な目が立ち上がった。それは大人の女の人だった。その人は私の脇を抜け、無言のまま外へと出て行ってしまった。

「あれが母ちゃんだよ」

 私はその無言の後ろ姿を見て、何か悪い事をしてしまったのではないかと不安になった。

「こっちは俺の弟たちだ」

 カノンが、残りの目玉たちを紹介する。闇の中に目をこらすと確かに、小さな子どもたちがごろごろと転がっていた。その子たちをよく見ると、カノンそっくりのくりくりとした大きな目をしたかわいらしい子どもたちだった。

「メグ、この辺を案内してやる。行こう」

 そう言って、カノンはまた元気よく外に飛び出した。

「わたしも行くぅ~、ぼくもぉ~」

 小さな兄弟たちもわあわあと立ち上がり、カノンに続いた。上の兄弟に下の子がついていくのは万国共通らしい。私もその勢いにくっついて再び外に出た。

 カノンたちは、スラムのさらに奥の方に入っていく。

「なんか、ここ・・」

 あらためて辺りを見回し、私はなんだか違和感を感じた。

「そう、ここは墓地だ」

 カノンがそれを察したのか私を見上げて言った。

「墓地?」

「あの一つ一つに死体が入ってる」

 カノンが指さした方を見ると、小さなコンクリートのブロックを重ねたオブジェのようなものが無数に建っている。

「あれがお墓だ」

「お墓?あれが?」

「うん、そうだ」

 ブロックの一つ一つに立体的に死体が入っているのだろう。日本のお墓とはまったく違ってい過ぎていて、私はそれをうまく受け入れることができなかった。

「じゃあ、ここは・・」

「そう、俺たちは墓地の中に住んでるんだ」

よく見ると、確かに何かの敷地の中といった感じがある。

「墓地に住んでいるのか・・」

 衝撃だった。やはり、インドは私の想像をはるかに超えていた。

「ところで、カノンのお父さんは?」

「親父は死んだ」

「じゃあ、ここのどこかに眠っているの?」

「いや、ガンジス河に流した」

「えっ」

「ここに入れるのは金を持っている奴らだけだ。ここは賃貸料が掛かる」

「・・・」

「金の無い奴は、河原で焼いて流す。こっちだ」

 カノンは再び走り出した。

 カノンたちに連れられて、墓地裏のガンジス河の河べりに行くと、そこにいくつかの炎の塊が見えた。

「あれだ。死体を焼いている」

 炎の中をよく見るとまだ生々しい人の形が見えた。

 そこかしこから、小さな煙が上がり、異様な匂いがしていたのは死体を燃やしていたのか。ガンジス河の近くに来てから、ふと変な匂いがしていた正体が分かった。

「あっちは焼きあがったぞ」

 カノンの指差す方を見ると、焼き終わったまだ煙のくすぶる灰と炭の塊りを、トンボのようなものでドカドカと無造作に河に流していた。

「・・・」

 ちょっと雑過ぎる気がしたが、あれがインド流なのだろう。ぷかぷかと流れていく死体を含んだ灰を、私は黙って見送った。

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