第2話 散骨
「これがガンジス河かぁ~」
歩いても歩いても続く、汚れきった猥雑さから抜け出ると、そこに巨大な水の流れが広がっていた。その雄大さは水の流れというよりも、水の地平と言った感じがした。
「聖なる河」
私は少し感動してしまった。河の中では多くの人が沐浴をし、体を聖なる河の水で清めていた。
「やっぱり聖なる河なんだ」
私はもっと近くで見ようと河畔まで近寄って行った。
「ん?なんだこれ」
河面に無数に何かが浮いている。
「あっ」
それはゴミだった。しかも生活ゴミ。
「ああっ」
うんこまでぷかぷかと流れていく。
「・・・」
というか、周囲をよく見ると、聖なる河で洗濯やら洗髪やら、食器まで洗っている人がいる。なんだか無茶苦茶だった。
「なんじゃこりゃ」
私の思い描いていた聖なるガンジスは、生活臭丸出しの汚い河だった。私の理想はあっけなく崩壊した。
「インド人、すご過ぎだろ・・」
ここに唯の大事な遺骨を流していいのだろうか。私は戸惑った。
「でも、唯はここに流してくれって言ってたしなぁ・・。約束しちゃったしなぁ・・」
私は困ってしまった。
「おいっ、ねえちゃん」
「えっ」
ふと先の方を見ると、そこに一艘の小舟がプカプカ浮いていた。そこに小柄なおっさんが乗っている。
「ねえちゃん、乗らないか。安くしとくよ。観光だろ」
私はしばし考えた。もしかしたら中流辺りまで行けば少しはましかもしれない。
「よしっ、乗った」
私はおっさんの誘いに乗った。そして、船に乗った。
おっさんのカヌーのような木造の小舟は、あまりに細く小さく、頼りなく不安定だった。乗っててちょっと怖かった。というかかなり怖かった。おっさんも小柄で細く、滅茶苦茶頼りなさそうだった。唯の遺骨を散骨に来て、私が死んでいたのでは洒落にもならない。
だが、意外と沈まないもので、船はすいすいと中流辺りまで器用に進んで行く。
「おっ」
中流域は、やはり、私の目論見通り岸辺よりかなりきれいだった。
「ねえちゃんは何しに来たんだ?」
おっさんが後ろに乗っている私を振り返った。
「友だちの遺灰を散骨しに来たの」
「おお、それはいい。聖なるガンジスに流せばすべてが救われる。体も魂もだ」
おっさんは、力強く言った。
「うん」
船頭さんにそう言われて、私はやはりインドに来てよかったと思った。私は間違っていなかった。
私は唯の遺灰を取り出し、ガンジスの水面を眺めた。ちょうど傾き始めた太陽が斜めに当たり、水面が輝いた。
「おおっ~」
母なる河、ガンジスのその意味が分かったような気がした。私はしばしその美しい光景に魅入った。
「ん?」
その時、何か大きな塊が上流からプカプカと流れてきた。
「なんだ?」
私はそれを目で追う。ちょうど、船の真横辺りに来た時、その正体が分かった。それはうつぶせになった水死体だった。
「・・・」
人間の生々しい死体が、目の前を普通にプカプカと流れていく。
「あの・・」
私は死体を指さし、船頭のおっさんを振り返る。だが、おっさんは、そんなものがいったい何?といったように煙草をゆったりとふかしている。
「散骨しないのか?」
「えっ」
逆におっさんは私を不審げな目で見つめてくる。
「・・・」
私は少しためらったが、結局そうするしかないのだと、骨壺のふたを開け、唯の遺灰を骨壺から手に取り、少しずつガンジス河に流していった。
「唯・・」
真っ白な灰になってしまった唯が流れていく。唯との本当の別れだった。私の胸に寂しさが込み上げた。
「死ぬことは寂しくも悲しくもないんだよ」
唯はそんなことを言っていた。なぜか、今、その言葉を思い出す。
「お別れだね」
唯の遺灰は、濁ったガンジス河に溶けるように消えていった。
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