神様は明後日帰る 第2章(インド篇)

ロッドユール

第1話 さっそくインド

 インドはギラギラしていた。暑さも人も、太陽も、堪らなくギラギラしていた。

 唯の遺骨を抱え、空港から一歩出た私は、そのただならぬエネルギーに圧倒されそうになった。

「インドだわ」

 私は右手で日差しを遮りながら、灼熱の太陽を見上げる。

「やっぱり、来てよかったわ」

 だが、私もギラギラと言い知れぬエネルギーに満ち満ちていた。

 空港を出た私は、とにかく歩き始めた。何かに乗る事は考えなかった。インドを一瞬でも見逃したくなかった。

 幹線道路は、車とバイクと排気ガスの渦巻く剥き出しの人間で覆われていた。ありとあらゆる気が、すべて熱く汚れていた。

「マネー、マネー、カネ、カネ」

 歩き始めてすぐに、小汚い、それでいて目だけがギラギラと欲望に光る子どもたちが、私の周りを取り囲んだ。

「マネー、マネー、カネ、カネ」

 私は財布を取り出し、小銭を漁った。

「わあっ」

 その瞬間、四方八方から勝手に手が伸びて来て、あっという間に私の財布の中身は根こそぎ持っていかれた。

「・・・」

 私はあまりの早業と勢いに呆気に取られ、走り去って行く子どもたちをただ茫然と見送った。

「インド恐るべし・・」

「マネー、マネー、カネ、カネ」

 見ると、私の足元で、まださっきの子どもたちよりさらに小さな子どもが、可愛い目をクリクリさせて私を見上げていた。

「ごめんね。お金もう無いんだ」

 私はしゃがみ込んでやさしくその子にあやまった。

「チェッ」

「いてぇ」

 そのガキは私のケツに一発蹴りを入れ、走り去って行った。

「お譲ちゃん、あんなガキどもは無視しないと、ケツの毛までむしられるぜ」

 隣りで見ていた、同じ旅行者らしき白人男性が言った。しかし、早速インドの洗礼を受けた私だが、逆に妙にテンションは上がっていた。

「ここはまぎれもなくインドだぜ」

 ギラギラと汚れた熱気が私を包んでいた。

「お譲ちゃん、なんなら俺と一緒に旅しないか。俺が守ってやるぜ」

 私は白人男を無視して、再び歩き始めた。私はここで何かを得られる、何か変われる、そんな漠然とした、しかし、ただならぬ確信と熱気をギラギラと感じていた。

「ふぃ~、のどが渇いたぜ」

 私は歩き続けていた。インドはむかつくほど暑かった。ギトギトとしたデロデロとした暑さだった。

「何か飲み物」

 見るとインド人たちは、みんな屋台にたむろして。何かコーヒーのようなものをしきりに飲んでいる。

「これ何?」

 道端のおっさんに訊いた。

「チャイだ」

「チャイ?」

「チャイだ」

「おいしいの?」

「うまいぞ。飲んでみろ」

「うん」

 このくそ暑いのに熱いものを飲む意味が分からなかったが、おっさんに勧められるままに私は一杯注文した。愛想のかけらもない兄ちゃんが、屋台のちっちゃな調理場に、真っ黒になるほどたむろする蝿の大群を掻き分け掻き分け、それは出来上がった。

「ほれっ」

 渡す時も、愛想もへったくれもなかった。

「・・・」

 私はその出来上がったチャイを見つめる。衛生などという概念すら無さそうな小汚い屋台で出来上がったチャイに、私は恐る恐る口をつけた。

「・・・」

 まったく見知らぬ、異世界に入っていくような感覚で私はチャイをすする。

「・・・」

 それは恐怖であり、新しい世界の入口だった。

「うまいっ!」

 どぎつい甘さに、たっぷり入った牛乳の粘り気がなぜかうまかった。

「うまいぜ」

 私はさっきのおっさんを見た。おっさんはそうだろうそうだろうとしたり顔に頷いている。

「うまいっ」

 やはり、インドに来てよかったぜ。私は再び確信した。

 私はその後、連続で五杯お代わりした。暑い時に熱いものを飲む。その意味が分かったような気がした。

「グッ、ジョブ」

 そんな私を見て、インドのおっさんが満面の笑みで親指を突き出した。意味は分からんが、私もおっさんに親指を突き出して渾身の笑顔を向けた。

 喉の渇きを一時潤した私は、再び歩き出した。

 なんだか、私の心は何とも言えない快活さに包まれていた。このまま地の果てまでも歩いていけそうな気がした。だが、どうも、お腹の調子が悪い。

「なんだ?この感じ」

 今までに味わったことの無い違和感だった。

「お譲ちゃん」

 通りすがりのおっさんが声を掛けて来た。

「はい」

「あんた臭いよ」

「あっ」

 私は自分で気づかず、うんちを漏らしていた。

「インド恐るべし」

 その後、何回トイレに行っただろうか。私のお腹は完全に破壊されていた。

 ぐきゅるるる~

「わっ、まただ」

 もう治まったと油断していた私はまたトイレを探すべく、辺りを慌てて彷徨った。右も左も分からない私は大通りを外れ、路地に入った。

「あっ」

 路地に入るとそこは、世界の陰だった。

「・・・」

 私はその陰の世界にゆっくりと入ってゆく。

 限りなくすえた雑然がこれでもかと固まり、疼いていた。秩序と秩序が乱れ合い、混沌と混沌が絡まり合い、決して交わり奏でることのないハーモニーが薄黒く満ち、淀んだ時間が漂っていた。

 暗いビルの隙間から、闇に溶け込んだ少年が死んだ目で私を見下ろしている。生きることを失った犬が汚れた舌をだらしなく垂らしてふらふらと彷徨っていく。

「今日もここは死んでいる」

 そんな声がゆっくりと吹きぬけていく。

 ふと見ると、道路脇に普通に人が死んでいた。半分腐乱した死体は笑っていた。

「カオス」

 私はお腹の痛みも忘れ一人呟いた。

 しかし、インドはそれでいてギラギラとしたエネルギーに満ちていた。

「これがインドだわ」

 来て正解だった。私はさらに確信した。

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