第6話 追憶:ある医師の愛
計画はとどこおりなく。今、この街は「人形の街」ではない。誰も動かない―――さしづめ「眠りの街」だろうか。
「……もともと人形ってのは、動かないんだったか」
くつくつと、笑ってみる。笑わなきゃ今にも、俺はこの計画を放り出してしまうだろう―――『心の歯車』が、かたかたと恐怖に打ち鳴らされているのが嫌でもわかる。
怖い。恐い。正直今にも泣きだしてしまいそうなほどだ。俺は案外、素直だった。
だが、もっと怖いことがある。それがあいつの顔を見ればいつでも振り払える「空想」から、どうしようもない「現実」に移行しようとしているのだ。
あいつのいないこの街でなら、この世界なら、俺はもう生きていたくはない。
俺のいないこの街だろうと、この世界だろうと、あいつには生きていてほしい。
―――あいつが「人形になりたい」と言い出した時は確かに驚いた。驚いたが、正直な話、そんなものが吹き飛ぶくらいに、俺は嬉しかったのだ……なんとなく癪だから、そんな素振りは見せなかったけれど。いや、それに何よりも、喜んでしまった自分が許せなかったから。
あいつが、人間として生きられなかったからこそ出した結論を、喜んでしまうなんて。
うっかり俺自身が「俺はあいつを好いている」のだと自覚してしまってからというものの、ずっと不安で『心の歯車』が錆びついてしまいそうだった。つまり、どう足掻いてもも、人間のあいつが先に死ぬ。俺はそのあとも永いこと稼働し続ける。
そのことを思うたびに、心底ぞっとしたからだ。
あいつが人形になった今、その不安は解消されたと思ったが―――あのくそったれな病気のせいで、また俺の病気もぶり返してきた。
あぁ、俺も病気なんだ。
「自分がされたら嫌なことを、他のひとにしてはいけません」。そんな子どもでもわかるようなことを、あいつに強いようとしているのだから。
人形がどこまで分解されると意識を保てなくなるのか。……どこまで分解すると、稼働限界が来るのか。そんなもんはこの何百年かでとうに知り尽くした。不幸中の幸いというか―――あいつの腕や頭部の浸食が速くないのには助かった。移植最中に俺が動かなくなったら、目も当てられないからな。
造り手様には悪いが、俺は一抜けさせてもらうとしよう。彼の周りにはサンバもいれば、奥方も、娘さんもいるんだ。まぁ、俺一体抜けたってそこまで彼の目的に支障は出まい。また「医師人形」を補充すればいいだけの話だ。
小鳥が泣いている。花が春風にそよいでいる。
パイプを一服する。紫煙は、雲には届かなかった。
―――あいつには、生きていてほしい。
おまえを蔑んだ奴等だけが、おまえを苦しめたものだけがこの世界なのだなんて、思わないでほしい。
そう思った。ただそれだけで、俺が崩壊を決意するには十分な理由になった。
あぁ、でも、畜生。
……人形に生まれ変わり、なんてものがあるのなら。
「また、会いたいよなぁ」
癪だから、言ってはやらないけどな。
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