第5話 人形師とその弟子①


 これまでのお話にも何回か登場しましたが、かの人形師には二体の弟子がおりました―――「医師人形」のイシと、「産婆人形」のサンバです。

 二体には個体識別のための「名前」が与えられていませんでした。それはなぜかと言えば、街における彼らの役割が余りに重要であったため、みんなが敬意をこめてその役職名

で呼ぶことにしたからです。

 イシは青年の姿をした人形でした。……物憂げな黒曜石の、目つきの悪い目をしていましたっけ。彼の使命、彼の役割は、不具合をきたした街の住人を修繕することでした。

 サンバは、老齢の女性型の人形でした。豊な白髪は人形師が友人の有翼馬から譲ってもらった尾からだとか。顔には深い皺に丸眼鏡、けれど腰はシャンとしていて、厳格だけれども優しい老婦人、といった出で立ちでした。そして彼女の役目は、人形師と共に新たな街の住民を、人形を造り出すことでした。

 

 これからは話しますは、その片割れである若者、イシの物語です。

 あるいは人形になりたかった、とある人間の物語かもしれません。



 先ほどは「若者」と申し上げましたが、イシは街の人形たちのなかでも最も古株と言ってよい部類です。まず私と「あの仔」が、そしてその次に人形師が造り上げたのがイシとサンバでした。

 イシはなんとなくひねくれていて、彼のことをよく知らないひとには不愛想に見えたかもしれません。でも妙に素直なところがあったり、ひとの目に映らないところで優しかったりと(本人はこういった特徴を否定していましたが)彼をよく知る人形たち―――それはつまるところ街の住人全てなのですが―――にはよく慕われ、またその役割を尊敬されていました。

 ……そしてなにより、誰よりも彼を慕っていたのは、先ほどお話した「人間」ヤドでした。勉強熱心な彼女はイシに弟子入りし、保護者であった伯爵亡きあとも優しくしてもらったのでしょう。

 いつしか私は、イシとヤドが互いを好き合っていることに気づいていました。

 けれど、諸手を挙げて喜んだとは決して言えませんでした―――むしろ私は彼らが一緒にいるのを見る度に、どうしようもない不安に駆られていたのです。

 ―――彼らも、あの二体のように。ジャックとロザリタのようにいつしか、恋故に、愛故に、自分たち自身を壊してしまうのではないか。

 そんな暗雲が、私の『心の歯車』にたちこめていました。


 ある日―――伯爵人形ダリウスが亡くなってから半月ほどのころでした、人形師のもとに朝早くからヤドが訪ねてきました。

「……ヤド、どうせなら昼の、いつもの時間まで待てなかったのか。師匠はお疲れだし、お前だって昨日の疲労が残ってるだろうに」

 イシは呆れたように諫めました。その先日は確か、「急性アリス氏父性愛症候群」を発症した人形の治療で工房はてんてこまいだったのです。

 ……私はその時、隣部屋でサンバとお茶を淹れながらこんなことを思っていました。  

「あぁ、男のひとって、どうしてこうも鈍いんでしょう!」。だって彼女は頬を上気させ、涙目で、今にも泣きだしそうで、けれどなにかを固く決意したような、そんな目でイシと人形師を見つめていたのですから。私はてっきり、ヤドがついにイシへの慕情を打ち明けるものだとばかり考えていたのです。だからこそ気が気でいられず、カップを二つも欠けさせてしまいました。

 私は、怖かったのです―――ヤドが語るその最中にも、人形師がまた、あの悲しい目をしないかと。

 しかし彼女が告白したのは、そんなことではありませんでした。

 ……私の想定していた話題の方が、どれほど救いがあったでしょうか。


「……記憶が、戻りました」


「私を人形にしてください」


  結局私はその日、合計で三つのカップを新調しなくてはいけなくなったのでした。


 人形になりたい。彼女はそう言いました。

 そもそも彼女が街へ続く森で行き倒れていたのも、そもそもが噂に聞く「人形の街」を探していたからだそうで―――途中で力尽きたのだとか。

 もう、あの村に戻るのはいやだ。

 もう、あの人たちに関わるのはいやだ。

 いいや、いっそのこと、私が私である限りあんな辱めを受けねばならないというのなら―――私は喜んで、ヒトの身を捨てよう。


「なんてことを、思っていました」

 人間が、人形になろうとした。そこにどれだけの苦悩が、そこに至るまでにどれだけの苦痛があったのか、私には想像もできません。ですが想像するまでもなく、ヤドの身体にはその爪痕が、迫害の痕が、ただの残酷な事実として確かに残留していました。

「でも、今は違うんです」

 私はこの街で、「人形の街」で友人を得て、父を得て、そして、かけがえのない師を手に入れたのです、と彼女は笑って言いました。

「今でも私は、人形になりたい。でもそれは「人間」から逃げるんじゃなくて―――私を受け入れて、多くのものをくれたこの街の、本当の一部になりたいんです」

 そう、思えるようになったんです。

 そう言って彼女はすっかり冷めてしまった紅茶に、熱いミルクをたっぷり注いで一口飲みました。

 あつ、と言って笑う彼女の目じりには涙が浮かんでいるのを、私は確かに見たのです。


『―――君の思いは、よくわかった』

『けれどもう一晩でいい、よく考えなさい。そして決意が変わらないのなら、明日の日暮れに工房においで』

『そしたらぼくとサンバ、そしてイシが、君をすっかり人形にしてあげよう』

 人形師はそう言って、その日はヤドを家に―――今、彼女はイシの家で世話になっているのですが―――帰しました。人形師はいつもの、優しい目をしたままでした。

 そして馬鹿な私はその晩、どうしても寝付けなくて。彼女の父親であった伯爵の墓参りに、街はずれの墓地に行ってしまったのです。

 ……ヤドだって眠れないだろうこと、少し考えればわかりそうなものですのに。

「父さん」

 私は彼女の姿を見るなり、なんとなく悪いことをしているような気分になり、つい大樹の陰に隠れてしまいました。

「……私の、たった一人の―――たった一体の家族になってくれて、ありがとう」

「ほんとは、父さんがいたころに思い出せたらよかったのにね」

 そしたらホントウの家族になれたのに。そう言いながら彼女は、墓石をそっと撫でていました―――ですから私にも、私ではないもう一体の闖入者にも、話しかけられるまで気づかなかったのです。

「よう、奇遇だな」

 そのぶっきらぼうな声の主は、イシでした。いつもの清潔な白衣ではなく、外出用の黒い外套に身を包んでいました。

「……先生、悪趣味ですね。他人の墓参りを立ち聞きなんて」「弟子に手を出す時点で、そのあたりは自覚したさ」

 そう言って、パイプに火をつけてぷかりと一服したまま、ヤドを見ないまま言いました。

「……いいんだな」「いいんです」

 ヤドも振り返らないままで答えました。そうか、とだけ言って、彼は火を消しました。

「それならいいんだ。……邪魔したな」

 そう言って立ち去ろうとするイシを、今度はヤドが呼び止める番でした。

「それだけ、ですか」「あぁ、それを聴きたかっただけなんでな」

「……もっと、なにかないんですか。例えば『同じ人形になってくれてうれしい』とか、『これでずっと一緒にいられるな』とか、そういうロマンチックなもの」

 彼はまた新しい葉をパイプに詰めて一服したあと、宙に煙を吐いて、ただ一言だけ言いました。

「無いな」

 ―――私はどうにもそこにいるのが辛くなって、いたことがばれてしまう危惧もなにもかも放り出して、街への道を駆けだしていました。


 そして、次の日。

 何事もなかったかのようにヤドは夕暮れ時に人形師の工房を訪れ、

 何も問題なく、彼女は人形師と同じく、ヒトから人形になりました。身体は傷も火傷もなく、しかしなるたけ人間の体温を再現して仕上げました。赤い綺麗な瞳は紅玉に、亜麻色の髪は本物の亜麻に。大事な『心の歯車』は、彼女の心臓に最も近かった肋骨から作り上げました。

 

 ……少し、休憩を挟みましょう。ここから先は、話すにも聞くにも―――悲恋、という一言で片づけるのはあまり好きではないのですが。

 だって悲しんだのは、きっと片割れだけの恋でしたから。


 私たち人形にも、人間と同じように(そこまで数多くはありませんが)いくつかの「病」というものがあります。

 例えば、体温恐怖症。

 例えば、ネジ式舞踏症。

 例えば、反面聾唖症。

 他にも自然性毛髪身長性や、アリス氏父性愛症など。 シュウジ・テラヤマという方は最近でもこういった研究をしていると聞きました。

 こういった病気を治すのも、イシの大切な仕事のうちでした。

 

 そうして、人形となったヤドを侵したのは―――「珪素性結晶化症候群」という病魔。身体の端々から水晶にも似た物質で置換・硬化されてゆくという、恐ろしいものでした。


「完治する方法はない。対症療法だけが、その病に対してぼくらができる精一杯のことなんだ」

 人形師は、あの悲しい目をして言いました。

 ベッドに寝かせられたヤドは、笑っていました。

「久々に雑用を休んで、ゆっくり本が読めます」

 それは強がりというよりも、人形師や私の心労を少しでも和らげようとした、彼女なりの優しさだったのかもしれませんが―――頁をめくるその指先が硬く、そして透き通っていたのが余りに悲痛でした。

 

 彼女は人間の苦しみを捨て、結局、人形としての苦しみを受けることになったのです。


 みんながみんな、手を尽くしました。人形師はヤドの記憶と魂を、なんとか新しい機体に引き継げないかと研究し、逆に体調を崩してしまいましたし、イシは彼女が病床に伏せてからというものの、片時も彼女のそばから離れませんでした。朝には珈琲を二人分淹れ、気が滅入ってはいけないと彼女を散歩に連れ出し、いつも通りの憎まれ口をたたいておりました。……彼がヤドから目を離す時といえば彼女が寝静まった夜くらいのもので、しかもそこからは治療法を模索していたのです―――逆に彼が具合を悪くしなかったのが不思議です。

 けれど、ただ一体―――サンバだけは、なにもしませんでした。いえ、何もしてないというよりは、ただ「打開策を探さなかった」というだけなのですが。彼女はただ、ヤドの身の回りの世話をしながら、いつも通りに厳しくも優しく、まるで孫と祖母のようにおしゃべりをするだけだったのです。

 ……この時サンバがなにを考えていたのか、どんなことを思っていたのか、私にはわかりません―――もしこの時彼女と真剣に語り合っていれば。あるいは彼女が引き起こしたあの惨劇を、「人形戦役」を止められたのかもしれませんが。

 失礼、どうも脱線が多くて。

 彼女の闘病生活は、あまり長く続くことはありませんでした。……それがいいことなのか、それとも悪いことなのかは、ひとそれぞれなのでしょうけれど。

 罹患して半年もしたころには、彼女の腰から下、肩や指先などの上半身の末端、そして右目は、結晶体に喰い潰されていました。

「もう、散歩にもいけませんね」

 西日が差し込む日暮れの病室で、彼女は残念そうにはにかみました。

 その様子を、右目に咲いた水晶が陽射しで朱に色づくのを見て―――「綺麗だ」と思ってしまった私がいたのです。

 そして結局、その日が水晶に侵されたヤドを見る最後になったのでした。

 次の日、私が目を覚ましたのは昼過ぎでした―――疲れが溜まっていたのでしょうか、などと思いました。気を遣ってくれたのだろうけれど、それにしたって誰か起こしてくれてもよいのに、とも。

 しかしその日に限っては、あの街で最も「早起き」したのが私なのでした。

 居住スペースから地下の工房に向かうと、人形師がなにかの図面を広げたまま机に付していましたし、サンバも自分のベッドで静かに寝息を立てていました―――耳元で叫ぼうと、肩を掴んでゆすっても起きない程に。その日、街の住人のほぼ全員が、謎の昏睡に陥っていたのです。

 

 おそらく、たった一体を除いては。


 困り果てた私がヤドの元へ向かうと、彼女はすでに起きていました。

 彼女の足元には、何かしら―――あるいは、誰かしら―――の残骸がありました。

 そして、彼女を蝕んでいたあまたの結晶体の破片も。

 全てが寝静まったその日。茫然とする私の耳に届くのは、結晶のない、綺麗な体になった彼女の嗚咽とすすり泣きだけだったのです。


 ここからは後日談になりますが。街の井戸には人形たちの動きを鈍らせ、休眠状態に入るよう作用する薬品が投げ込まれていたようです。ご丁寧に、一日のみで井戸水からその成分が揮発するように仕向けてまで。

 そしてヤドの病は、完璧に治っていました。「信じられない」と人形師は驚嘆していましたが、おそらくは彼も気づいていたのでしょう。街の住民総てを「愛し仔」と呼ぶ彼が、気づかぬはずはありませんから。

 その日、一体の人形が街から姿を消したことに。

 病室に散らばった残骸が。そしてヤドの身体に、結晶に侵された部分を置換するように組み込まれた部品が、イシのそれであることに。

 ヤドはその後、一年ほどのリハビリを終えたのちに、旅に出たいという旨を人形師に打ち明けました。

 人形師はそれを了承しました。ただ、彼女には「自分が人形である」ことを秘匿するプログラムを組み込むことを条件に提示して―――その施術が、新任の医師人形「ドク」の初仕事となりました。

 ……父も、大切な人も「代替わり」してしまったこの街に、最早未練はなかったのかもしれません。

「いろんなものを見たいんです」

 旅立つ前日に、挨拶に来た彼女は言いました。

「いろんなものを見て、いろんな人に会いたい。綺麗なものも汚いものも、いいひともわるいひとも。―――私がいたあの村が世界の縮図じゃないって、教えて欲しいんです」

 人形になって初めて、私は人間を知ろうと思えたんです、と。

 私はその時、不安げな面持ちで彼女を見ていたのでしょう。ヤドは笑って言ってくれましたっけ。

「大丈夫です。どんなに出会うものが、ひとが、残酷でも―――」

 いちばんわるいひとが、此処にいますから。


 そう言って、彼女は紅玉の左目を瞑って。

 かつて結晶の花が咲いた―――そして今は物憂げな黒曜石の嵌った右目を、大切そうに撫でました。

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