第4話 真実:ある伯爵の狂気

―――なんだ、この光景は?

 医師人形―――イシは目の前の現実が信じられないまま、しかし目を離すことができなかった。

 彼は医師人形として、人形師の弟子として、多くの死と崩壊を見てきた。旅先で救えなかった人間たち。街で動かなくなった人形たち。優しい彼は、そのすべてを忌むことなく、嫌うことなく、ただ受け入れてあげていた。

 しかし眼前ほどの狂気には、彼はついぞお目にかかったことがなかったのだ―――それは「人間」を捨て永く生きた、人形師も同じだった。

 

 人形が、


 人間を食っている。


「おや、お早いお付きですな―――失礼、まだ飾り付けがすんでおらず、とんだお見苦しい所を」

 双子を遣いに出したのですが、迷子にでもなっているのでしょう。伯爵は自慢の口髭を真っ赤に染めて、にこりと、いつも通りの上品な笑顔を浮かべ立ち上がると、帽子を脱いで深々とお辞儀をした。

 それがイシには、どうしようもなく恐ろしかった。

 狂っている。

 おかしくなっている。

「……ぼくの愛し仔、伯爵。ダリウス。これはどういうことかな」

「よくぞ聞いて下さった!」

 伯爵は芝居がかった仕草で帽子―――飛龍の産毛で作られたものだ―――をくるくると片手で弄んでこう言った。

「先々月、吾輩は書斎で読書をしておりましてな。その時に読んでいた一冊、亡き友、ジャックが遠方より持ち帰った書物に記してあったのを、見つけたのですよ」

 『人間になる方法』を!

 呆気に取られたイシと人形師の姿など、最早彼の目に移ってはいない。懐から一冊の本を取り出し、まるで舞台上の俳優のように優雅に、舞うかのように歩きながら、誰に話すでもなく彼は続ける。

「この本によるとですな、「人間を生きたまま七人喰らい、其を絶命さすれば、人の身に非ざるもの、血肉を得て人間とならん」とある!そしてお二人ならお気づきでしょうが、可哀想なヤドから何もかもを奪った連中、彼奴等も丁度七人なのです!」

 吾輩は天啓を受けたような心持ちでしたぞ、と伯爵。

 イシが冷静に辺りを見渡せば、そこにはきっちり三人分の遺体とその肉片が飛び散って家うのに気付いただろうが―――しかし。

 彼は目の前の狂った人形から目をそらすことができずに、ただただ戦慄していた。

 人間に、なるために?

 人間を殺した?

 人間を喰った?

 そんな発想に至る人形を、そんな行動に走る人形を、彼は造られてこのかた見たことなどなかったのだ。

 そして同時に―――人形師はイシ以上の戦慄と、そして申し訳のなさにも似た深い悲しみに襲われた。イシとはまた、違う理由で。

「……そうか。そうだったんだね、伯爵。君はそこまで。すまない、気づいてあげられなくて」

「あぁ造り手殿、どうか勘違いなさいますな!人間になるとはいっても、決して貴方様から与えられたこの身体に不満があるわけではなく……」


「ただ、吾輩はヤドの父親に。温かい、人間としての父になりたいだけなのですよ」


 人形師の白磁のような頬にぽろぽろと涙が滑るのを見て、伯爵は慌ててそう言った。

 人形師はそれを遮って、嘆くような悲痛な声で―――しかしはっきりと、こう、宣告した。

「君は人間にはなれないよ」

 伯爵は不思議そうな顔で尋ねる。まるで学問上の命題を問うかのような、厳正な口調で。

「何故ですかな?こちらの書物にはしっかりと記載が―――まさか、吾輩がどこかで手順を間違ってしまったのですかな」

 いいや、と彼はかぶりを振って答える。伯爵にとって残酷な、当たり前の真実を。

 

「だって、君はそんな本なんて、持ってはいないんだから」

「いいや―――そんな本なんて、どこにもありはしないんだ」


 瞬間、伯爵の顔が凍り付く。先ほどまでの笑顔とは程遠い、思考回路を凍結したような表情になる。


 それはまるで、人形のような。


「やめろ」

 唇を動かさないまま、伯爵はそう言った。

「伯爵、君も知っている通り、この街はかつて存在したとある街の再現だ―――ぼくはその均衡を保つために、文物の交流に至るまで総て把握している」

「やめろ」

 声色が変わったのがイシにも伝わり、彼は懐に忍ばせていた分解のための道具を構えた。

 今のは、「警告」だ。

「だからね、伯爵。ぼくはそんな本がここにないことを知っている。そんな方法が存在しないこともね―――君は方法に従って七人を食い殺したんじゃない、逆だ」

「やめろ!」

 「警告」が、「命令」に変わる。

 しまった、とイシは思う―――今の「命令」で、最早自分は動けない。貴族の命令は人形師のそれには及ばずとも、街の住人達にある程度の強制力を持つのだ。せめて今のうちに、人形師よりも一歩前に出て盾代わりにでもなっておくべきだった。

 次第に怒気を孕んでゆく伯爵の形相を気にもせず、人形師は核心に触れた。


「逆なんだ。君はその七人が、愛しい娘を傷つけた奴らが憎くて憎くて、殺したかったから―――ありもしない本を、「人間になる方法」なんてものをでっちあげたんだ」

「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおぉ!」


 それは「命令」というより、最早懇願に近い叫びだった―――ヤドたちの耳に届いた金切り声の正体が、これだ。

「吾輩は、吾輩は人間になるのだ!いくら旧友、いくら造り手殿とはいえ邪魔はさせませんぞ、吾輩は斯様な冷たい腕ではなく、血の通った肉の腕で、彼女を抱く事さえしなかった人間たちの腕で、ヤドを抱きしめ―――」

 我を失い人形師に掴みかかる伯爵。イシはまだ、右手の制御権しか取り戻せていなかった―――人形師を、造り手たる師を、守らねば。

 しかし彼のその心配は、結局のところ不要なものだった。

 

「さようなら」


 伽藍、と音が鳴る。

 人形師が別れの言葉を言い終わるか終わらないかのうちに、、伯爵のパーツが、部品が、機構が、螺子が、歯車が、その結合を解いてゆく―――人形師が一瞬のうちに、自らの作品である「伯爵人形」を分解したのだ。


「―――ア あ」


 がしゃん、と地に伏せた狂った人形の残骸は、最早機能しない咽喉を酷使して、愛しい娘の名を呼ぶ。

「ヤド。…や ド。―――ヤド、ヤど。可愛い 吾輩の ヤド」

「私は、私はおまえ の」

 ヤドが賭けてくる足音に気づいた人形師は、足元にばさりと落ちた本を、伯爵が持っていた本を拾い上げる。

「……あぁ、伯爵。すまない。さっきの言葉は訂正しなくては」

 そしてそれをそのまま、ローブの懐に隠した。

「確かに君は自らの空想と狂気で、虚構を創り上げたのだろう。だが、君は本当に―――人間に、なりたかったのだね」


 「良い父親になる方法」という題名の、読みすぎてくしゃくしゃになったそれを。


 

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