第2話 独白:ある旅人の末期

きゅるきゅると、身体が軋む。自分の駆動音をここまで意識したのは、ジャックの稼働時間内で初めてのことだった。

(そしておそらく、最後なのだろうな)

 姿勢を保つことすら億劫になるほどの虚脱感。辛うじて形をなしている全身を襲う痛み。成程、壊れるとはこういうことなのか、と彼は思う。これは人間たちが恐れをなして彼らの崩壊―――「死」から逃避するのも仕方ない、と。

 ……そういった人間たちを、彼は旅の途中で何度も見てきた。

「彼らには、君のようなひと が 必要だったのだな」

 彼はそれでも、ロザリタの方へ、恋した乙女人形の元へ這ってゆく。

 

 ―――この光景を、この惨状を招いたのは、彼女自身だと知っていながら。

 己を壊すのは彼女の軽率な行動であると知っていながら。


「なぁ、私のかわいいロザリタ」

 彼女の身体を大樹にあずける。最早彼の腕には、半身だけとなった彼女を支えるだけの力も残されてはいないのだ。

「私は、うれしいよ」

 自らも倒れるように、その隣に座りこんだ。地面に墜落するかのような衝撃でいくらかまた歯車が飛び散ったが、そんなことはもう彼にはどうでもよかった。

 どうせもう、立つことなどないのだから。

「もしも私が人間のようだったら、ここで恨 み言の一つでも言うのだろ うな」

 彼にはそれを言う必要も、そんなことに割く時間も残されてはいなかった。

「君が動かなくなってしまったのは、悲しい。私がもうす ぐ 動かなくなることも悲しくはある」


 けれど、けれどね、ロザリタ。

 それを補って余りある程に、私は。

「君のそばで終わるのが、こんなにもうれしいのだ」

「君が私への愛ゆえに終わったのが、どうしようもなくうれしいのだ」

 ジャックは、最期に彼女へ唄のひとつでも贈りたいと思ったが、もう声は出ないようだった。

 だから口笛を吹くことにした。彼女が大好きだと言っていた、喜劇の唄を。

 吹いているうちに、ぽたり、と彼の目から一滴の澄んだ機械油が落ち―――ロザリタの肩に弾けたのに、彼は気づかない。


 彼は気づくと、彼女の右腕のなかにいた。その朽ちた片腕でしっかりと、けれど優しく、抱き留められていた。


 ―――あぁ、よかった。君もか。

 彼は残った左腕を、最期の力でロザリタの身体に重ねる。そして彼女の方を向き、一度だけ口づけをして、そのまま活動を停止した。


 彼が最期に見たものは、もう動かない、愛しい人形の顔だった―――彼にはきっと、笑っているように見えたのだろうけれど。二体の『心の歯車』は動かなくなる瞬間まで、確かにキリキリと悲しく、きゅるきゅると幸せを感じながら回っていた。

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