第149話 詩織先輩の涙

 貰ったUSBの中身は一応解析した。

 中は三つのフォルダに別れていた。


 ひとつは杖そのものの設計図。

 CAD形式なので手順さえ間違えなければこのデータだけでモノセロスの杖を作る事が出来る。


 ひとつは論文一式で、参考図面等も含む。

 これはまだ難しすぎてざっと読んだだけ。


 もう一つのフォルダはモノセロスに使われている理論の簡単な説明と略図。

 論文と設計図から抜き出して簡単に概要を説明している。

 これは非常に参考になった。

 これだけである程度この杖について理解できる。


 なおUSBの内容をコピーして典明も同じものを見ている。

 典明は自分用のノートパソコンを持ち込んでいるからそれで見ている訳だ。


「この理論にたどり着くまでが、なかなか壮絶そうな感じだな」

 典明がざっと論文を読んだ上での感想だ。


「これって過去の論文や魔道書まで含めた文献から類似する機構を探し出し、共通点を抜き出したって事だろう。どれだけ読み込んだのか気が遠くなるようだ。それにこんな論文出すなんて一般の大学3年のレベルじゃないだろう」


「それは修先輩が半年以上関連論文を調べて読み込んだ成果のひとつなのですよ」

 解説担当が何も無い処から出てくる。

 いつもの事なのでもう気にしないけれど。


「半年以上って、高専の時にですか」

 詩織先輩はパイプ椅子に座り、頷く。


「そうなのです。高専の3年の冬から独自に論文を集めて読み込んだのです。その直接的な成果がヘリテージで、進化したのがプログレスとモノセロスなのです」


 3本とも修先輩の作った杖の名前。

 ヘリテージとは典明や愛希先輩が持っている木製の高級そうな杖。

 プログレスが軽金属製の安っぽく見えるけれど最強の杖。

 そして僕と愛希先輩共有の杖がモノセロスだ。


「修先輩は1年の時から魔法杖を作っていたそうなのです。最初は由香里先輩に頼まれたのがきっかけなのだそうですが。

 それが評判になって色々シリーズを作って。

 最強の杖造りは元々海外に出る奈津希先輩へのプレゼントとして計画したものなのです。この試作品一つを作るのに7ヶ月かかっているのです」


 そう言って詩織先輩は僕に小さな見覚えのあるキーホルダーを渡す。

 そう、あの魔法訓練具。

 招き猫のキーホルダーだ。


「これは元々は奈津希先輩に渡す最強の偽装杖の試作品だったのです。この前のデータは取り終わったので原型に戻してあるのです」


 そんなに大変なものだったのか。

 貰った時には全く気づかなかった。

 改めて右手に持って構えてみる。


 今の僕にはこの招き猫の構造も何となく魔法でわかる。

 確かに今のこれは魔法杖だ。

 それも僕が前に使っていた生命の杖テュルソスよりヘリテージに近い。

 構造的にも性能も。

 前に典明が言っていた通りだ。


「いいんですか、こんな大事なものを」

 詩織先輩は頷く。

「これは私の未練でもあるのです」


 えっ。

 思ってもみなかった単語が出てきた。

 それはどういう意味だ。


「これを作るのに、修先輩は1月から7月頃まで、旅行やどうしても抜けられない用事がある時以外、毎日2時間以上、普段は4時間位毎日論文を読み込み、ノートを取り、メモしていたのです。

 修先輩は『僕は天才じゃ無いから』と言っていたのですが、きっとそれは天才でも真似が出来ないのです。


 ただ修先輩あのひとは、気づかない人なのです。

 どんなに特異な事でも、本人にとってはそれが当たり前の行動にしか過ぎないからなのです。

 どんなに危険な事であろうと、相手がどう思っていようと、修先輩あのひとにとっては当たり前の事だから何も気づかないのです。何も。


 そんな間違った当たり前の象徴が、そのキーホルダーなのです。

 私にとっては」


 僕は思う。


「それならなおさら、これは詩織先輩が持っていた方がいいんじゃないですか」


「だからこそ、私は持っていない方がいいのです。それは間違った当たり前の象徴で、そして私の未練なのですから。

 でもそれでも、大事にしておいて欲しいのです」


 詩織先輩はそう言うと立ち上がる。


「懐かしい部屋で懐かしい話をして懐かしいものを出してしまったので、我ながら調子が狂ったのです。少し夜風に当たってくるのです」


 詩織先輩の姿が消える。

でも姿が消える直前、僕は確かに見た。

 詩織先輩の目に浮かんだ、涙を。

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