第109話 落ち着かない露天風呂

 僕は落ち着かない。

 非常に落ち着かない。


 ここは本日の宿の露天風呂のひとつ、菩薩の湯。

 この宿は宿の廻りや裏山等にいくつも露天風呂を持っている。

 今僕がいるのもそのひとつだ。

 宿の下駄で正面玄関から歩く事約10分。


 愛希先輩によればここが一番眺めも雰囲気もいいらしい。

 確かに石造りでいい感じだし岩と緑に囲まれた雰囲気も素晴らしい。

 でも……


「なっ、いい場所だろ」

 横にいるのは愛希先輩1人。

 つまりこの温泉に僕は愛希先輩と2人で入っている訳だ。

 ちなみにここの温泉は水着着用では無い。

 それどころかこの露天風呂には更衣室すら無い。

 脱いだ服を置ける屋根付きの棚がある位だ。


 そのそもこの宿に着いた時から不穏な雰囲気はあった。

 いや、宿が悪い訳では無い。

 建物は古くというか正直ボロいが、いくつもの建物が木造の廊下で繋がったいかにも古い温泉宿という感じのいい宿だ。


 不穏なのは学生会御一同様の方だ。

 いや、薊野工業株式会社御一同様か。

 旅行中は社名から魔法という文字を消しているから。


 まず案内されたのは本館というか旧館の和室4部屋。

 それはいい。

 でも案内の人が消えた途端、いきなり皆が浴衣に着替えだしたのだ。

 こっちの視線にお構いなく。


 ルイス先輩と修先輩はいつの間にか隣室へと逃げていた。

 遅ればせながら俺と典明もそれに倣う。

 着替えた後も当然男女別で回ると思っていた。

 でもルイス先輩が連行され、修先輩も連行され、ロビー先輩はそもそもこっちの部屋には来ず……


 という訳で典明と2人で顔を見合わせ、こっそり2人で消えようかとしていた時。

「さて、じゃあ皆で回るぞ」

 と愛希先輩を始め理奈先輩、美雨先輩、沙知先輩に連行されてしまったのである。


 それでも最初はまともだった。

 フロントで卵を6個購入し、更に本館の裏で先輩達は持っていたボトルに水を汲み、そこここにある露天風呂を見学し、裏山に登り、地面に卵を産めて温泉卵をつくり……


 ちなみにこの場所で詩織先輩が弁当と温泉卵と芋とソーセージを暖めつつ爆食していたのはまあお約束なのだろう。

 不穏さが増してきたのは温泉卵を食べ終え、山から下りてきたあたりからだ。


「露天風呂のひとつひとつが小さいですし、ここで3人ずつに分かれましょう」

 という理奈先輩の提案で、僕、愛希先輩、理奈先輩の組と沙知先輩、美雨先輩、典明の組に分かれる。

 そして温泉プールという名の石造りのでっかい四角い深いぬるめの露天風呂のところへ来た時だ。


「そう言えばちょっとカメラや機材を忘れたので取ってきますわ。お2人は先に行っていて下さいな」

 理奈先輩がそう言って消えたのだ。

 無論あれから20分は経っているが戻ってくる気配はまるで無い。

 きっと典明の方も同じだろう。

 理奈先輩と沙知先輩の仕業に違いない。


 そもそもバスの座席が指定席というあたりから仕組んでいたのだろう。

 そして困った事に僕は愛希先輩の事をなんとも思っていない訳では無い。

 一番話しやすいし顔も可愛いしちょっと小さめな感じも好みだし。

 ついでに性格もいいし常識的でもあるし。

 嫌いな部分が見当たらない。


 強いて言えば先輩は3年で僕が1年だという事くらいだろうか。

 でも高専は5年まであるしどうせ大学か専科行くだろうしで、まだまだ当分は一緒にいられるんだよな。


 あ、いけない。

 これ以上考えたら余計な事を意識してしまう。

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