第28話 父と娘、レールオブライフ

 青山第3総合病院。その名称を本条先生から聞かされた瞬間、俺の中でほんの一瞬足りとも幼馴染の名前が思い浮かば無かったのかと聞かれれば否定はしない。


 しかし、たまたま訪れた場所や地名が、たまたま自分の知る友人の名字と同様の名称だと符号する要素があった所で、まさか実際に関連付け可能な繋がりを有しているなどと考える人間はそうは居ないのではないだろうか。


 例えるなら、学校に通う生徒の中にクラスメートと同じ名字を持った人物が他クラスにも存在していたとして、そのクラスメートに対して「兄弟なの?」と尋ねるようなものだ。実際に的を得ている可能性がゼロとは言わなくとも、偶然の一致で片付けてしまえる可能性の方が多いに高い。むしろ後者の場合が大半だと思われる。


 そんな低い確率に掛けて、相手に失礼とも捉えられてしまいそうな質問を投げ掛ける行為は……普通ならば避けるべきだろう。仮に、顔が似てるとか、性格がそっくりだとか――幾つかのヒントが転がっていたのなら話は別だが。


 そう、今回の件に関して言えば確かにヒントはあった。


 俺が今日この場所を訪れた事は、たまたま本条先生からの情報提供があったからに他ならない。今まで風邪というものを引いた事が無いとされている自分が今後その病気を発症したとしても、おそらく地元に近い個人病院を訪れる行動に留めると予想される。下手をすれば、一生縁のない場所で終わるかもしれなかったという事だ。


 そんな偶然訪れた機会で、同じ地元に住んでいながらも病院の名称と同じ名字を持つ『青山結衣おさななじみ』と偶然の遭遇を果たしたのだから、俺は多少なりとも、その重なった偶然に対して何かしらの疑問を抱いても良かったのかもしれない。


「驚いたよね、やっぱり。ごめんね修ちゃん、今まで黙っていて」

「いや……別に結衣が謝るような事は何もしてない。驚いたのは事実ではあるけど」

「修ちゃん、私のお父さんには会ったこと無かったよね。こういう場所で働いてるから、中々家に帰ってこれないみたいで」


 結衣の言う通り、俺は彼女の父親に会ったことは一度も無かった……はずだ。それがと理解はしていても、彼女の自宅をこれまで何度か訪れてその度に彼女の母親に挨拶をした事を憶えていても、父親の姿を見掛けた事は一度も無かったように思える。


 今まで、その事について結衣に理由を尋ねた機会はあっただろうか。記憶が存在していたとしても、俺自身が忘れているだけなのかもしれない。


 幼馴染とは言え、女の子の父親と接するのは俺としても抵抗があるというか、向こうにしてみれば気が気でならないと思われてもおかしくないだろう。ある意味では望ましい状況だったと言えるのかもしれない。


「これだけ大きい病院なら納得も行くな。似たような建物が二つ並んでたようだけど……あれもそうなのか?」

「うん、でも全部が病院として機能している訳じゃなくって、一つは医療の専門学校みたいな物らしいよ。たまに講師として教鞭を取ってるって、昔聞いた事があるから。病院としての設備もちゃんと用意されているから、一応名称は青山第1総合病院なんだけど」

「……お前の父親がとてつもない人物に思えてきたな」


 更に結衣から話を聞くと、どうやら彼女の父親という人物は俺たちが会話している場所の目の前で悠然とそびえ立っている第3総合病院、更にはその近隣にまるで兄弟の関係の如く並び合っている第1・第2総合病院を含めた全ての院長を務めており、理事も担当しているらしい。


 医者としての腕前については一人娘である彼女も把握していないようだが、推測するまでもなく名医に違いないと断定しておおよそ間違い無いだろう。こうして事実だけを列挙してみると、やはりとてつもない人物である。


 聞かされた相手によっては疑いを持ちたくなるような話だが、まさか結衣が俺に対して嘘を付いているとも思えない。代理戦争という現実離れした出来事を経験したのにも関わらず、心境としては驚きっぱなしだった。


 こういう事を考えるのは野暮かもしれないが、さぞ裕福な暮らしが出来ているのではないかと想像する。病院の院長どころか、一般的な父親の稼ぎすら知らない俺にはピンと来ない話だが。


 ……父親か。

 俺の記憶の中には、その人物の表情すら思い浮かることができない。


 果たして俺の生活費をどのような方法で稼いでいるのだろうか。そもそも実在しているかどうかも怪しければ、定期的に振り込まれている生活費が『ただの設定上の都合』として処理されている可能性がある以上、深く考えても袋小路なのかもしれない――少しだけ、幼馴染の事を羨ましく思えてしまった。


「修ちゃん。どうしたの?」

「いや、何でもない。しかし、一人娘としては誇らしい父親なんじゃないか」

「そう……だね。あはは」

「……?」


 そう口にした結衣の表情は、少々苦々しいものだった。何故だろう。まさか、俺の心境が言葉や表情として漏れていたのだろうか。それならば反省せざるを得ない。自分自身の環境と比較して皮肉を言ってしまう、ありがちな嫉妬心じゃないか。


「……どうした? 気に触ったのなら謝る」

「ううん、修ちゃんは気にしないでいいの」

「そうか」


 あまり事情を掘り下げるのも良くないだろうし、結衣が気を遣ってくれてそう言ってくれているだけかもしれない。俺は納得したように見せて、自らの言動には注意を払おうと誓った。


「それで、協力できるかもって話だったな」

「うん。お父さんに事情を伝えれば、国吉先生の面会を許可してくれるんじゃないかなって」

「それは……」


 どうなんだろう、結衣の話を聞く限りでは厳格で真面目な父親という印象しか思い浮かばなかったのだが。むしろ失礼な人間と思われて、今後の彼女との関係に支障をきたすかもしれない。逆に、一人娘には優しいというか、甘い父親という可能性も無くはないが……。


 とは言え、このまま無策で病院内に入ったとしても、何の成果も挙げられないまま終わる公算の方が大きい。それならば、一縷の望みを掛けて結衣の父親に取り次いでもらう方が諦めも付くというものだろう。それに、抵抗が無い訳じゃないが俺個人として彼女の父親に会ってみたいという気持ちもある。


 結局、俺は幼馴染の協力を得る事を選択したのだった。


「分かった、それならお願いするよ」

「期待に添えなかったらごめんね」

「結衣は気にしなくていい、駄目だったならまた手を考えるさ」


 偶然に偶然が重なった幼馴染との遭遇だ。

 それならば、この偶然には何かしらの意味がある。

 心の何処かで、そんな事を考えていたのかもしれない。




 青山第3総合病院の待合室というか、一階のフロアは建物の外観に恥じない立派なものだったと思う。病院という施設だけにあまり派手な装飾がされている訳では無かったが、少なくともそれなりに上等なホテルのそれと勘違いしても不思議では無い広さと、綺麗さを両立しているように俺には感じられた。


 しかしながら、結衣の話によると料金が他所の病院施設と比較しても特別に割高という訳でもないらしく、外来で訪れてると思われる人達の一般的な身なりからしてもそこまで敷居の高い場所では無いらしい。受付や辺りを巡回している職員達の雰囲気も、言ってしまえば普通だった。


 これだけ大きな病院ならば、働いている人達もその分野のエリート達が集っているのでは無いかと思ったのだが。


「お医者さんならともかく、看護師さんの募集はそこまで厳しく無いみたいだよ。最低限の知識は勿論必要だけど、あくまでも重要なのは人柄なんだって」


 先導して前を進んでくれている結衣の後ろをついて行きながら、俺は彼女の話を聞いている。地元からは距離のある場所だが、病院内の構造は熟知しているらしく歩みに無駄が無い。おそらく、これまでに何度も通っているのだろう。


「それもそうだな……身体にどこか不備のある人達と接する訳なんだから」


 医者の人柄は無視しても良いという事では無いだろうが、知識や技術を溜め込んだエリート達が集まるだけで病院という場所は機能しない。患者に対して、優しくも丁寧に根気強く接する事ができる人柄を持った看護師達の存在も、また必要不可欠なのは明白だった。


「まあ、最近は頭ばかり良くて人柄に欠けてる若者が多いってお父さんも嘆いてるみたいなんだけどね」

「そういう意味じゃ、優しい人柄ってのもまた一つの才能になりつつあるのかもしれないな」

「私たちもその若者にあてはまるんだから、ちょっと複雑な話だね」


 そんなやり取りを目の前を歩く幼馴染としながら、俺は考えていた。彼女の天真爛漫で、それでいて暖かみを感じられる人柄ならば、看護師の道を選ぶという選択肢は充分にあり得るのではないかと。人柄が全てとは言わないが、最低限な知識さえ身に付けれるのならば結衣がその職種の条件を満たせる事に対して、俺個人としては太鼓判を押せる。


 ましてや父親がこれだけ大きな病院の院長だ、向こうも一人娘の身内に同じ道を歩ませたいという考えがあってもおかしくないだろう。まあ、本格的な医者としての跡継ぎという話ならば結衣にとって厳しい話かもしれないが……待てよ。


 先日、俺は結衣と将来の話をした。それは、お互いにどういった道を辿りたいのか、簡単な人生設計の話をした程度の事だったのだが……そこに病院で働きたいとか、医者や看護師を目指したいなどの話を彼女はしていなかったはずだ。


 別に親と同じレールに乗った人生を辿る事が正解という事でも無い。全く違うレールに乗る選択肢を選ぶ事も、自分の可能性を追い求めるという観点から見ればまた一つの正解だろう。大人の視点から見れば、世迷い言として捉えられる考え方なのかもしれないが……結衣本人は、その事について、どう捉えているんだろうか。


「……なあ、結衣」

「着いたよ。修ちゃん」

「あ、おい」


 いつの間にか乗り込んでいたエレベーターの扉が開くと、結衣は足早に歩き出して行った。話すタイミングを見失った俺は、仕方無いと後を追い掛ける。……結局、自分の道を選ぶのは結衣自身なのだから、口を挟んだところで迷惑なだけかもしれない。口を挟むのは、彼女が悩みを相談してくれた場合に留めるべきだろう。


 自分の道、それを今の俺がしっかりと選べているのかはさておき、だ。


 どうやら到着したのは、最上階である七階のフロアらしい。この階に病室は存在しないのか、職員達が利用するための部屋が端から端まで並んでいる。医療目的というよりは、事務関係の仕事を管理するための階と言ったところだろうか。


 廊下の窓からは名結市の市街地がある程度一望できる作りになっていて、火災等の不慮の事故が発生した場合の対応が迅速に行いやすいという話らしい。あまり偉そうな事を言える身分じゃ無いが、結構な事だなと思った。


 病院の建物内へと足を踏み入れてから、俺の一歩前をずっと歩き続けていた結衣がようやく足を止めたのは最上階の最奥、『院長室』というプレートの掛けられた部屋だった。漫画で例えるならば、強敵が待ち構えていそうな場所と表現したくなる最深部。


 実際の所、俺たちはこれから室内の主に対してお願いというか交渉事を行う訳だから、その比喩表現も案外間違ってはいないのかもしれない。心の準備が欲しかったところではあったが、仮に上手く事を運べたとしても病院の面会時間まであと一時間程度しか無かったので、あまりここで時間を掛ける訳にはいかないだろう。


 俺は結衣に先の行動を促すと、彼女はコンコンと適度な大きさのノックを鳴らした。


「お父さん、その……私だけど、来たよ」

『ああ、入ってきなさい』


 分厚そうな扉越しだったのではっきりとは聞こえなかったが、壮年の男性らしき声がした。さて……どんな人物が待ち構えているのだろうか。意を決して、というのは流石に言い過ぎかもしれないが、せめて失礼の無いようにと、扉を開けた結衣の背中を俺は追いかけて行くのだった。

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