第26話 調査日、チェンジアンドチャンス

 昼休みの廊下は、おそらく購買や学食へと向かうのであろう生徒達の群れでひしめいていた。彼らと幾度のすれ違いを経験しながら、俺は正反対の方向を目指して歩いている。いつの間にか、こうして教室を抜け出しては校内を闊歩する行為が自分の新たな日常になりつつあるような、そんな微細な生活の変化を感じてしまっていた。


 以前の自分とは違う行動、何も知らないNPCとしての生活をしていた頃に比べれば随分と活動的になったものだと思う。……まあ、数日振りに姿を見せた隣人の登校から既に俺の休み時間の概念は崩壊していたと言えるし、こうして身体を動かしていながらも時折抑え切れない欠伸が漏れてしまってはいたのだが。


 とは言え、間違いなくが変わりつつあった。毎日決まったような日常を繰り返していた頃の生活を否定するつもりは無かったし、戻れる事なら今すぐにでも戻りたいという未練の情を捨て切れてはいなくとも。


 それは結局、『NPCとしての自分』を肯定する行為に他ならなかったのだと思う。作られた機械のように、一定のルーティンを刻み続けるだけ。それでは駄目なのではないかと、俺はあの月影との出会いを境に考え始めていた。


 癪に障るが……変わらなければいけない、と。


 NPCだろうと、代行者だろうと、人というのは常に変化をし続ける存在なのだから。思考や性格、肉体と習慣に環境、それらの変化を纏めて日常の変化と表現したとして、結果が成長へと繋がるなら素晴らしい事だと思うし、仮に退化したとしても仕方が無い。


 今の俺が恐れているのは……『何も変わらない事』だった。それを美徳と考えられる時期には幾ら何でも若過ぎだろうし、既に人生をひっくり返すような体験をした上で今更過去の自分にしがみつくのは無理がある。


 だから、少なくとも『この世界』の中では人間なのだと俺自身が胸を張って宣言する為に、この程度の日常の変化は歓迎すべき事象となりつつあった。


 そんな心の奥底で秘めたる思いを昂ぶらせていた最中、俺は職員室の入口前へと辿り着いた。目的は一つ、昨日と同じ尋ね人を求めて。他に誰かを伴っている事も無い、俺一人だけだった。


 

 

 今朝こそ意味深な仕草をホームルーム中に見せていた冷泉だったが、それ以降は普段通りの仮面を被った転校生としての姿を取り戻していた。

 

 隣の席に座っている一人の男子生徒の事など歯牙にも掛けず、淡々と授業を受けては休み時間になると相も変わらず集まってきた女子達との他愛もない会話を繰り広げる様子。今朝の時点では中々に豪胆なアプローチを仕掛けていた龍二も、この状況では多勢に無勢だとお手上げの様子だった。


 とは言え、チャンスが無かった訳でも無い。


 次の授業、つまりは2時限目の終了ベルが鳴った頃だった。冷泉はそそくさに教室を抜け出すと、休み時間が終わる直前までその姿を消していた。主役の居ない舞台に観客は集わない、無人となった隣人の席は一時の小休止を挟むかのようにその時間に限っては喧騒の鳴りを潜めていた。


 そんな彼女の後を追い掛ける行為を俺自身勧めはしなかったし、同様に気が付いていた親友にしても、野暮用を背負い込んだ相手に対してアプローチを仕掛けるような矮小な性質を持ってはいなかったのだが。


 今更ながら俺は、冷泉が先週も似たような行動を取っていた事を思い出した。先週の自分が微々たる熱意を抱いて探偵業に勤しんでいた時にも、彼女は時々ふらっと姿を消してはそのまましばらく帰ってこなかった事を微かに覚えている。

 

 一体、何をしていたのだろう。


 ここ最近の出来事から彼女の裏事情を把握してしまった現在の俺にとっては、少々気掛かりに思える行動ではあった。しかし、わざわざ詮索する必要も無いと思った。冷泉が俺に対して何のリアクションも見せなかったという事は、それは俺が関わる必要の無い事という意思表示でもあるのだから。

 

 逆に考えると、彼女が俺に対してわざわざリアクションを取った時こそ、必ず「やらなければならない」指令を押し付けられたと認識せざるを得なかった訳だ。

 

 昼休みを迎えると、冷泉は女子達の手招きに誘われるがままに教室を抜け出した。学食にでも赴くのだろうかと俺はその様子を見届けていたのだが、彼女が軽い溜息混じりに自分の席から立ち上がった、その瞬間だった。


 1時限目以降、まるで気に掛けるような素振りを一切見せていなかった俺の席の方に視線を移すと、手書きの紙片を一枚俺の机の上に置いてからこくんと頷いたような仕草を見せたのだ。

 

『調査の方、よろしく』

 ……何とも素っ気ない、彼女からの指令だった。

 

 俺がその記されていた短い内容を読み終える頃には既に冷泉の姿は教室内から消失していたので、とりあえずは言う通りに行動する事にした。龍二には悪いと思ったが、今日も席を外すと伝えた。……そろそろ何か上手い言い訳を考える必要があるかもしれない、明らかに疑っていたからな。

 

 元々俺が一人で国吉先生の容態、本条先生の転任についての調査をするという話になっていた。忘れていた訳では無かったが、昼休みを迎えるまでにこれと言った妙案も思い付かずに悩んでいた俺の姿を見兼ねてのリアクションだったのかもしれない。

 

 妙案が思い付かないならば、まずは行動しろ。冷泉からの無言のアドバイスだったと勝手に想像を膨らませながら、俺はこうして職員室を訪れた。今回の一件の本命である、本条先生を探し求めて。

 

「失礼します」


 今回はノックもせずに扉を開けて、中へと足を踏み入れる。職員室内は昨日と同様に昼食中の教師が数人ほど存在していたが、今回はその中に含まれている本条先生らしき人物の後ろ姿を見つける事が出来た。

 

 彼女の座っている席の方へと歩みを進める。どうやら、俺の存在にはまだ気が付いていないらしい。声を掛けるべきか、悩みつつも近付いてみると……本条先生は、意外な表情を浮かべていた。


 既に何度かやり取りをしたはずの俺自身今まで見た事も無かったような、重々しくも苦々しい表情だった。1枚のプリントを手に取りながら、それに記された内容を食い入るような眼差しで凝視している。


 彼女の外見や年齢からすれば、試験で思い掛けない難問に遭遇してしまった学生のような雰囲気を醸し出していると言えなくも無かったが……そんな穏やかな例え話で済ませるには、昨日までの明朗な表情との差異が強過ぎてどこか違和感を感じてしまう。


「――おっかしいなあ、どういう事なのかな」

「……先生」

「あれ? 榊原君じゃない。何か用事でもあったの」


 気が付けば、声を掛けてしまっていた。


 もしかしたら、千載一遇の機会だったかもしれないというのに。一体何のか、と聞かれれば口を紡いでしまいたくなるが。ようやく俺の存在に気が付いた本条先生は、手に取っていたプリントを裏返しに置くなり普段の明るい表情を向けてきた。


「すいません、昼休み中に。昼食がまだだったなら放課後でも良かったんですが」

「いいよ、放課後はバスケ部の練習を見に行く予定だしね」

「龍二が、いや大原の奴が感謝してましたよ。わざわざ図書館で借りてきた本で勉強してたって」

「せめてルールぐらいは覚えておこうと思って借りてきたんだけど……思ってた以上に奥深いスポーツで驚いちゃったなあ。とてもじゃないけど、国吉先生の代わりを務めるのは無理そう」

「1分1秒を争うスポーツって印象ですからね、俺もやった事は殆どありませんが」

「大原君とは仲が良いんでしょう? 参加してみればいいのに」

「今更俺が参加した所で、練習する時間が足りないですよ」

「そう、残念。初心者の顧問と選手でいいバランスだと思ったのに」


 他愛も無い雑談を数分程交わし、ようやく俺は本題を切り出す事が出来た。


「さて、今日こそお悩みを聞かせてくれるのかな」

「その期待に応えられるかは……ちょっと微妙ですね」

「そう。じゃあ用件は、国吉先生の容態についてかな」


 鋭く、間を置かずに聞きたい内容を切り返された事実に俺は困惑した。


「……相変わらず察しが良いというか、どうして分かったんですか」

「昨日、他の先生方から聞いたの。本条先生のクラスの榊原が嗅ぎ回ってるかもしれないって」

「……そういう事ですか」


 あの時は、教師達が話してた内容がたまたま耳に入って来て、それについて尋ねただけに過ぎないのだが。それは置いておくとして、、か。

 

「何か隠してる事があるんですか、生徒の耳に入れたらまずいような事が」

「さて、榊原君はどう思う?」


 本条先生はどこか楽しそうな表情を浮かべながら逆に尋ねてきた。……実際、楽しんでいるのかもしれない。俺の答え方によっては、詳しい概要を教えてくれるのだろうか。


「……何か大病を患っているとか」

「わざわざ隠すような理由には当てはまらないかな」


 即座に否定されたが、元々この可能性は今朝龍二の口からも否定されていた。俺だって本気でそう考えている訳じゃない。だがそこから先の答えが見つからないまま、俺は先生の元を訪れてしまった。どうする……?

 

「榊原君、私だって生徒から、ましてや教え子からの相談には真摯な態度で答えたいって思ってるよ。まあ、教え子って言える程の期間はまだ経っていないけどね」

「……それでも、話しては貰えないんですか」

「そうだね、今のままでは話せない。口止めされている事だから」


 口止めされている、本条先生はハッキリとそう言った。

 後ろめたい事実が、何か隠されているのは間違いないらしい。


「だから今の榊原君が考えなきゃいけない事は、どうやって私に話をさせるかじゃなくて、今回の件についての真相を予想して突き付ける事。それがあなたの課題かな」

「……課題ですか」


 本条先生は笑顔をこちらに向けたまま、何も語ろうとしない。既にヒントは与えたと無言のアピールをしているかのように。真相を突き付ければ、先生自身教えざるを得ないという事なのか……待てよ。

 

「……。違いますか」

「どうして、そう思ったの」

「この学校側がひた隠しにしようとしてる状況、どう考えても隠蔽ですよね。それなら、もしかしてって」

「まあ、私が否定すればあなたの思い付きは思い付きのままにする事も出来るんだけどね」


 そうだ、これはただの可能性。

 俺の思い付きの範疇でしか無い。


「でも、その思い付きを疑い始めた生徒が他の生徒に吹聴されたら、学校側としては困ってしまう。ましてや、思い付き自体が的を得ていたとすれば。後々真相を公開した時に、何故隠していたんだと生徒やその保護者からの批判は避けられなくなる。だから隠しておきたい側の教師としては、口止め料代わりに認めるしか無くなるかな」


 それでも、本条先生は優しい人だと思った。一方的にロジックを立てて、俺の思い付きを正解と判定してくれようとしている。

 

「認めても大丈夫なんですか、先生。俺がその思い付きを吹聴するようなタイプに見えますか」

「あはは、大丈夫。榊原君がそんな事をするような生徒じゃないのは理解してるから。ただ、私の立場ってまだどうにでもなる状況だから、他の先生方ほどのリスクを背負い込んでいないだけ。あなたは気にしないでね」

「先生……」


 これで、真相の断片を掴む事が出来た。

 そして恐らくこれは……代行者が絡んでいる。

 

「教えて下さい、国吉先生に一体何があったんですか」

「……青山第3総合病院」

「……え?」


 しかし本条先生は優しいだけじゃなく……

 同時に察しが良くて、鋭くて、厳しい人だった。

 

「さっきも言った通り、私は榊原君に関してはこのまま真相を隠してても大丈夫だと考えてる。でも、あなたは私の出した課題を見事クリアした。だからご褒美に、重要なヒントを教えてあげる」

「それが……今の場所ですか」

「国吉先生が入院されている病院、もし行ってみるなら偶然、たまたまって事でよろしくね」

 

 

 

「失礼しました」


 職員室から出た頃には、もう昼休みが終わろうとしていた。結局あれ以上のヒントを本条先生がくれる事は無かった。それでも収穫は得られた……あまり嬉しいとは言えない収穫だったが。

 

 今回の件は、冷泉に伝えるべきなんだろう。本条先生には悪いと思うが、代行者が絡んでいる事件が起こったのは間違いなさそうだ。それなら俺がするべき事は決まっている。先生自身、まさか本気で俺が誰にも黙っているとは想定していないはずだ。

 

『榊原君がそんな事をするような生徒じゃないのは理解してるから』

「っ……」


 少し、胸が痛くなった。これは恋愛感情や憧れ、そういう類の物ではなく……俺自身、理由の見えてこない感情だった。

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