第25話 知謀戦、インスピレーション
「なあ龍二、国吉先生の見舞いには行ったのか?」
翌日の朝、俺は国吉先生に近しく、それでいて俺にとって一番話を聞きやすい相手に相談を持ちかける事にした。昨日もやや長めの討論を交わした相手、国吉先生が顧問を務めていたバスケ部キャプテンの親友、大原龍二その人だった。
「いや、それがご家族から控えるように頼まれたって本条先生に言われてな」
「家族から……?」
「命に関わるとか、そういう意味じゃないらしいが。ただ詳細は俺のところにも入って来ていないんだ」
命に関わるような事にはなっていない、それはなんとなく想像がついていた。何故なら、国吉先生の入院が代理戦争に参加している代行者の仕業だとすれば、それはまさにNPCの殺害という違反行為に該当してしまうからだ。
「本条先生は、その詳細を知っているって事か」
「多分な、流石に教師達はある程度の容態を把握しているらしい」
昨日職員室で俺が耳にした会話からもそれは明らかだろう。だが、その辺の教師に尋ねた所で詳細を聞けるとも思えない。真実を追い求めるなら、やはりその相手は本条先生しか居なかった。
本条夜空、国吉先生の代理として俺達のクラスに転任して来た謎の女教師。既に転任から2日間が経過していた。人当たりのいい人物で、俺も直接的に相談というか悩みを出会ったその日の内に軽くさらけ出せてしまう程の人間的な温かみのような物を感じた。
……そして、現在は代行者の疑いを冷泉瑠華からかけられている。
あれから考えてみた、やはり俺には本条夜空を、あの人を疑う事がまだ出来ない。その可能性については昨日冷泉と時間を掛けて議論を交わしたはずだったが、未だに俺の中での印象は揺れ動きこそしても年齢が少し上の頼れる先生でしか無い。
だが、冷泉の事も俺は信じている。
彼女が居なければ、今こうして親友と雑談を交わす事も出来なかった。命を救ってくれた恩人に対して俺は恩義を返さなければならない、悩みは尽きなかった。今の俺に出来るのは、本条先生が潔白だと信じながらあの人の事を調べる事しかない。少なくとも、冷泉が納得してくれるまでは。
「おい修、冷泉さんが来たぞ」
「……そうか」
噂、いや考え事の最中にその人物は姿を現した。クラスメートにとっては2日振り、週末を挟めば実に4日振りとなる冷泉瑠華の登校だった。
「冷泉さん、風邪だったの!? 心配だったんだから」
「ええ、ごめんなさい。もうすっかり良くなったから」
「良かったー! そろそろお見舞いに行こうかと思ってたの」
「……そう、でも大丈夫。ありがとう」
冷泉は教室に入って来るなり、数名の女子の歓迎とクラスメート大半の注目を浴びていた。その中には昨日、一昨日と会話を交わしたはずの俺自身も含まれていたのだが。
彼女は挨拶もそこそこに自らの席、つまり俺の隣の席へと座る。勿論、俺の事など接点の無い、ただの隣人という風な演技をしていた。その態度については、昨日彼女と相談した内容の一つに含まれていた事なので特に違和感を感じない。
しかし一切の視線を合わす事なく、淡々と荷物を降ろしてる姿。それを俺はついつい目で追ってしまっていた。流石に声を掛けるほどの間の抜けた事は出来ないが、ある程度気安く会話を出来るようになったクラスメートの女子を他人の振りで無視するという演技は俺にとって少々ハードルが高かった。
「なあ、冷泉さん。昨日そこの榊原が見舞いに行かなかったか?」
と、その時冷泉と俺の芝居を根底から壊しかねない発言をした人物が居た。それまで知る限りでは、彼女と一度も会話をした事が無かったはずの大原龍二だった。
しまった……そう言えば冷泉の家に行ったのは龍二の発言が一枚噛んでた事を説明し忘れていた。それにしても龍二、どうしてお前はそんなに気安く声を掛けられる。見舞いというか、あいつの家に行ったのは俺のはずだろう。
「……そう、だったの? ごめんなさい、私昨日はずっと家で寝込んでいたから呼び鈴に気が付かなかったんだと思う。そうなんでしょ、榊原君?」
「そう……だな。龍二、残念ながら昨日の俺はそのままトンボ帰りした訳だ」
冷泉は極めて冷静沈着だった。即座にもっともらしい言い訳、俺と冷泉の接点をほぼ無くす事の出来る切り返しで答えた。
そして俺は気が付いていた、彼女が同意を求めた際の怒りの感情に。「合わせなければ……分かってるでしょうね」というほんのひと言で説明出来るはずが、思わずこちらの声が上ずってしまう、裏の冷泉瑠華の威圧を。
「なんだそうだったのか。まあ折角ご近所の席に居るんだし、たまには話相手になってくれないかな。なあ修」
しかしながら、今日の親友の追求はそれでとどまる事を知らなかった。冷泉瑠華の久し振りの登校という、声を掛けるには貴重なタイミングを物にしようと積極的に言葉を掛け続ける。それは問題無いとして、何故こちらにも話を振って来る。
「え、ええ。構わないわ。よろしくね、大原君と榊原君」
「……ああ、よろしく」
既に若干演技が崩れている様な物言いではあったが、冷戦は龍二からの誘いを承諾する事にした。ここで断って無駄に軋轢を生むよりは……という判断だったのだろう。俺も言葉を合わせる事にした。
それにしても良かった、冷泉が登校する前にこの話を龍二としていたら余計面倒な事になっていたかもしれない。
しかし龍二も病み上がり(という事になっている)の冷泉に対してそれ以上話し掛ける事はしなかった。俺は冷泉からの無言の圧力を隣から感じつつも黙って担任代行の到着を待つ事にした。黙っていたのは悪かったよ、冷泉……俺だって忘れていたんだ。
「はい、おはよう。今日も良い天気ね。早速だけど、ホームルームをはじめ……あら?」
ホームルーム開始時間の直前になって教室に入って来た本条先生は、まだ顔合わせを終えていなかった冷泉の姿にすぐ気が付いたらしい。
「冷泉瑠華……さんね。初めまして、本条夜空です。国吉先生の担任代行として月曜日からこの学校に通わせてもらってるの。話ぐらいは誰かから聞いてるかな?」
誰か、という言い方をした時に本条先生はこちらの方を見ながら話していた気がする。個人名を挙げなかったのは俺に対する配慮だろうか、それならとても助かる……本当に察しがいいというか、感のいい人だ。
「……ええ、まあ。よろしくお願いします、本条先生」
そして冷泉は代行者の可能性ありと容疑を掛けている本条先生に対して、そんな思惑をおくびにも出さない自然な態度で挨拶を交わした。その表情は相変わらずの警戒心を纏っていると、俺は気が付いていたが。
「よろしくね。それじゃ冷泉さんには先日みんなに書いて貰ったプリントを渡します。内容はその時と同じ物だけど、みんなは何も言わないようにね。それじゃこれ回して貰えるかな」
「プリント……?」
俺の方を見る事はしなかったが、たった今冷泉の考えている内容は読みとれた。「聞いてなかったんだけど」、悪かったよ冷泉……後で謝る。
冷泉の座ってる席の最前列から一枚のプリントが回って来る。内容は冷泉を除くクラスメートが全員把握している『あの質問』だろう。
――あなたのこれまでの人生を、ひと言で教えて下さい。
本条先生が転任初日、クラスメート全員に記入させたプリントだ。先生曰く、あれは心理テストのような物でその内容如何によっては今後の対応が変わって来るという代物らしい。シンプルながら奥の深い意味合いを含んでいる質問のようだ。
「……これは」
「ホームルームが終わるまでの時間に書いてね。時間は短いけど心理テストのような物だから、あまり深く考えないで記入してもらって大丈夫。他のみんなも同じ条件で書いてもらったの」
「…………」
冷泉は何も言わなかった。分かりました、はい、その様な簡単な返事さえも口にはしなかった。
本条先生もそれ以上言葉を掛ける事は止めて、本日のホームルームを開始した。連絡事項を話している先生に対してクラスメート達が視線を注いでいる中、冷泉は手渡されたプリントを自らの机の上に置くと、そのまま微動だにせず書かれている質問を延々と見つめていた。
「これまでの人生……いや、質問の内容より今考えるべきなのは」
小さな呟きだった。隣の席で、更に注意して耳を傾けていないと聞こえない程の囁きが彼女の口から漏れていた。その集中力を研ぎ澄ましている姿をこっそりと眺めてる俺は、少々驚いていた。
どうしたんだ……冷泉。
その質問に、何か思う所があるのか。
確かに質問の内容自体は本条先生が言うほど簡単な物じゃない、それは分かっている。だが今の冷泉は質問の回答について、俺が先日記入した時とは比較にならない程の葛藤を抱えている気がした。ホームルームが終わるまであと5分、未だに冷泉はプリントへの記入を躊躇っている。
すると、冷泉は突然顔を上げて周囲の席に座っているクラスメートの様子を観察し始めた。クラスの最後尾の席から広範囲に渡って首を動かしている。もっとも、その事に気が付いているのは隣の席に座っている俺と、現在教壇の上で連絡事項を説明している本条先生だけだろう。他のクラスメートは楽しげに先生の話に耳を傾けている様子だった。
「……そういう事か」
何かを悟ったのか、冷泉はおもむろに鞄から筆記用具を取り出すとプリントへの記入を始め……数秒で解答を書き終えてしまった。書き終えると同時に、ホームルーム終了の鐘の音が校内に鳴り響いた。
「さて、冷泉さん。プリントの記入は終わったかな? 時間があまり無かったけど許してね」
「大丈夫です。どうぞ、本条先生」
ホームルームを終えるなり冷泉の席前まで近付いて来た本条先生に対して、冷泉は先程の集中が嘘のような、落ち着いた様子でプリントを提出した。受け取ったプリントの回答を先生が目を通している。
「……はい、ありがとう。冷泉さん、病み上がりなんだから体調が優れないようなら直ぐに保健室へ行ってね。保険医の先生には話を通しておくから」
「すいません、ありがとうございます」
「それじゃ、短い期間だと思うけどよろしくね」
そうして、教室から出て行く先生の姿を、冷泉は無言のまま見つめていた。その視線は、先生が完全に俺達の視界から居なくなるまで、片時も動く事は無かった。
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