第20話 サクヤ・白舟という知り合い

 深い睡眠のあとの起床は、まだ慣れることができない。

 ジュンとの手合わせを終えたあと、怪我の治療を済ませて眠らないようにしつつ、ようやく安定したからと寝る時も、だいたいこういう状況に陥る。今回は肉体的疲労に加えて、精神的にもきていたが、俺らにとってはこんなもの、言い訳に過ぎない。

 頭の奥、芯の傍がじんじんと痛むような感覚が残ったまま、俺は躰を起こす。あまりにも無防備な睡眠に起床、この状況では殺してくれと言わんばかりだ。本来ならば避けるべきだが――どうにも、こればかりは未だに直っていない。

 一瞬、場所もわからなかったが、すぐに気付く。時計を見るが上手く読めないくらいには、頭がぼーっとしている。

「あ、おはようございます」

「んー」

 タオルケットをどかして立ち上がり、吐息が一つ。

「シャワー浴びてくる……」

「はあい」

 温かいシャワーを浴びれば、次第に目頭あたりに溜まっていた何かが抜け出し、なんとか思考が復帰する。この時点で眠りに落ちた時のことなどを軽く思い出して、今ある現実と繋げつつ、浴室を出た。

 俺の着替えはここに置いてあるので、とりあえず部屋着の作務衣を着た。脱いだものは洗濯機の中に入れて、スイッチ一つで乾燥までできる――ん?

 ドライヤーなんか使わなくても髪は乾くだろうと、そのまま出る。

「なあ、俺、ネクタイどっかやったかー?」

「寝ちゃったので私が取りましたよー、そっちにかけてあります」

「そか、ありがとな」

 そういえばタオルケットもそうだが、そこまでされて気付かなかったのか俺は。

 ソファにあったタオルケットを畳んで、一息。

「寝てる間になんかあったか?」

「いえー、特になにもないですよ」

「そか。あんたは――」

 ……ん?

 なんか違和感があるな。

「――学園どうしたよ」

「今日は休みですよ」

「そうだっけ?」

 時計を見れば十時過ぎ。とりあえず俺は珈琲を落とすことから始めた。

「あんまり覚えてないんだけど、俺、あんたに触らなかったか?」

「ええまあ、抱き上げられてソファを奪われました」

「……そうだったのか。大丈夫だったか? 躰は痛めてねえよな?」

「はい、大丈夫ですけど」

「俺は対武器格闘術を扱うって言ったろ? あえて言わなかったんだけど、こいつは〝人〟そのものも効率的に壊せる。だから俺は、基本的に人に触れることは避けてる――んだが、よっぽど気が抜けてたらしい。俺も人並みに、触れ合うことはできるんだなあ……困ったことも悩んだこともなかったけど」

「……」

「なんだよ」

「このまま抱いて寝たら気持ちよさそうとか言ってましたけど?」

「ああそう、たぶんそうなんだろうけど、なんで睨まれてるんだ俺は……」

「それと私のこと、名前で呼んでました」

「――へ?」

 マジか?

 あー……ん? はて?

「……なんでだろ」

「私にはわかりません」

「だよな。俺もよくわからん――けどなんだろう、妙にこう、呼びたくない? 照れくさい? 変な感じがする」

「はあ、そうですかー」

「だから、なんだその反応。不満なのか?」

「んー、不満というか……その」

 一息。

「私は、名前を呼ばれて、嬉しかったですよ?」

「ああそう……」

「うわ、なんか軽い返事ですね!」

「いや納得してただけ。なんか妙に距離感が違うなと思ったんだが、近づいたのはあんたじゃなくて、俺だったか……道理で、よくわからんわけだ」

 だがまあ、今更なんだよなあ。

「わかった、まあいいや」

 珈琲が落ちたので、マグカップを取り出して注ぐ。

「いるか、りり」

「ひゃいっ、いただきまふ!」

「おう……? なにを赤くなってんだ?」

「き、気にしないでください。改めて名前を呼ばれたら、妙な破壊力があってですね!」

 合コンとかしてんだから、慣れてんじゃないのか、この女は。

「んで、鍛冶系の教員って、いるんだよな?」

「どうも。ええと、一応いますよ。工房の管理もしてます。イシグロ先生が、カザマの出身ですね」

「そうか。一応、あの刀は提出しとくか……どこまで見抜けるかは、定かじゃないけどな」

「見抜ける?」

「一流の鍛治師ってのは、完成品を見ただけで錬度がわかる。そうすりゃ、都合が良いんだよ。学園卒業レベルは越えてる代物だし、こっちの学園でもそれなりに好き勝手できそうだ」

「この一ヶ月、好き勝手してなかったんですか……?」

「はは、公私混同はしてたかもな」

 何しろ仕事のために学園の工房を使っていたのだから。

「これからはどうするんですか?」

「そりゃ、ようやくこっから、術式関連を……ん? 来客か」

「みたいですね」

「いいよ、俺が出る」

 どうせ知り合いだと思ったら、その通り。

 しかも、リコ姉の祖父に当たるサクヤ・白舟びゃくしゅうだ。もう七十過ぎだろうに、わざわざ俺に付き合って未踏破エリアの案内をしてくれた人である。

「よう、十三じゅうぞう

「……、ソウか?」

「まあな。邪魔か?」

「んー、ま、大丈夫だろ」

 どうぞと中に招いておいて、俺は先にリビングへ。どうもソウが俺の居場所を明かしたらしい。隠してもいないが。

「りりー、俺の客。サクヤさん」

「はあい」

「邪魔するよ。……へえ?」

 部屋に入ってきて、真っ先に俺の刀へ視線を向けるとは、どういう観察眼だ。

「抜いてみていいか?」

「壊すなよ?」

「どっちも壊さねえよ」

 笑われた。というか、刀そのものと周囲の調度品の二重の意味を、すぐ気付くのがこの人だ。

 無言のまま半分ほど引き抜き、すぐに元の位置に戻した。

「なるほどね」

「珈琲どうぞー。あ、座ってください」

「おう、ありがとな。……Dの娘か」

「あ、はい、そうです」

霧子きりこも世話になってるみたいだな」

「それだ、サクヤさん」

 俺は珈琲を取りにキッチンまで行き、サクヤさんの隣に腰を下ろす。この人を相手に距離なんて気にしたことはない。何しろ、爺さんの友人だからだ。

「リコ姉、ありゃ鈍ってるぞ? 術式で芯をズラされたとかで、対処できないとか、どうなんだ?」

「クソ不味い料理を作るようになったんならともかく、そっちは俺の領分じゃねえなあ」

「……よく言うよ」

「実際に俺は、戦闘はできん。逃げ方を知ってるだけだ。といっても、料理だって娘の方がよっぽどできるようになっちまった」

「お陰で暇だって?」

「お前の面倒が見れるくらいにはな」

 年齢を考えろよと言えば、考えるのはお前だろう、なんて返される。そりゃそうだけど、返事に困る。老骨に鞭を打つような真似を、若い俺らが〝させるな〟と言いたいらしい。

「で、うちの爺さんか?」

「そっちは楽観してるだろ。お前の様子見だ」

「見ての通り、ようやく仕事が済んで、これから術式を学ぼうってところ」

「ふうん。お前の体術に術式が混ざるってのは――……ま、やめとくか。口出しされたいか?」

「俺はどっちでも」

「そうか。じゃあお前さん、自分の特性に関しては掴んでるか?」

「へ? 私ですか? 一応、領域を区切ることを前提とした、場の作成というものだと学生の頃に理解しましたが、役に立ったことは今のところありません」

「戦闘じゃ、そうだろうな。魔術特性センスとしては〝形型クリート〟に該当するのは知ってるか?」

「いえ……それは、初耳です。そんな特性があるんですね」

「十三」

「場の作成、領域の区切り……いわゆる結界か? いや、だが、ただそれだけとは思えない。形……型……パズル?」

「存在の持続、固定物の認証」

「――在るものを、ただ〝そういうもの〟だと定義する?」

「だとして?」

「……」

「お前さんはどう考える?」

「そうですねえ、個人的に困ったことがあったのは、なんというか……〝所有権〟の定義でしょうか」

「所有権――領域の支配か!? そうだろサクヤさん!」

 いつものよう、サクヤさんは笑ったまま、肯定も否定もしなかった。

「えっと、どういうことですか?」

「対一戦闘、その指揮官、審判――この図式を将棋で見ると、駒、指し手、審判に該当する。領域の支配とは、その錬度にもよるけどなりり、つまるところルールを決める存在に限りなく近しいんだよ」

「……お互い、右腕を使うことは禁じる?」

「お互いに適応する必要もないだろうけどな。故にそれを、盤面を作ると言う。だからこそ区切りであり、場の作成だ。……なるほどね」

 あるいは、未踏破エリアの存在も、この延長かもしれない。

「あの、サクヤさん?」

「なんだコノアメ」

「随分と詳しいようなので、私からも一つ、聞いてもいいですか?」

「おう」

「私の両親がアレなので、多少の知識はあります。そのため、どうしてソウコエリアでは魔術が扱えるのか、その理由に関しては、霧の発生などから考察した上で、未踏破エリアとの境界線が曖昧だから、と結論を出しました」

「何故だ?」

「――?」

「りり、境界線が曖昧だと、どうして術式が使えるのかって理由だよ」

「え、ああ、そこでしたか。そもそも未踏破エリアは魔術が扱える場所だからです。しかし、これは扱える理由であって、ネズやカザマでは扱ない理由ではないと思うんです。確かに、未踏破エリアとの境界線がはっきりしているから――と、それも事実でしょうけれど」

「りり、あのな?」

「なんですか、スズシロくん」

「サクヤさんが言った〝何故〟は、だからそこなんだって。境界線がはっきりしているから使えない、曖昧なら使える。これは状況そのものであって、じゃあ未踏破エリアで術式が使える理由はなんだ? それがわからないと、使えない理由もはっきりしない。そこに対する疑問なんだよ」

「……うわっ! そうでしたかー」

 うん、驚く気持ちはわかる。サクヤさんは、だいたいそういう話し方をするから。

総司そうじあたりが詳しいだろ」

「俺は触りしか聞いてねえよ。それにソウは、ここから出たことはないって話だ」

「俺とお前らとじゃ条件が違うし、あっちでも術式は使えるよ」

「――え?」

「ふうん、条件ね。りり、術式を使う場合、何がないと使えなくなる?」

「……、魔力です。少なくとも私は、カザマにいた頃に魔力を感じたことがありません」

「さすがに俺じゃ情報が足りないな、今度ソウに聞いとく。んで、本当に俺の様子見をしに来たわけじゃないんだろ」

「ん? いや、それも一つだが、こっちには久しぶりに来たから、ちょっと留まろうと思ってな。そこでだ、霧子に連絡しといてくれ」

「なんで俺が」

「その方が面白いだろ?」

 そんなもんかと、俺は携帯端末を取り出して、そのまま耳に当てた。

『……なに? もう起きた?』

「ようリコ姉、おはようさん」

『心配はしてなかったけど、りりが気にしてたから、ちゃんとなさい』

 すぐに説教かよ、冗談じゃない。

「はいはい、それはともかく」

『話をそらさないの』

「サクヤさんがこっち来てるぞ?」

『――え!? じーさん来てんの?』

「うるさいぞ、リコ姉」

『どこにいるのよ!』

「はあ? なに言ってんの、俺がそんなこと教えるわけないじゃん。しばらくこっちに留まるとか言ってたから、今日中に見つけないと、サクヤさんがどこで寝るかもわかんないぞ? 孫としてそれはどうなんだって話」

『くっ、このっ……! あんた覚えてなさいよ!』

「嫌だよ面倒臭い。連絡しただけ、ありがたいと思ってくれよ。じゃあなー」

『もうっ!』

 通話を切れば、サクヤさんが立ち上がっていた。

「珈琲、ご馳走さん。またな」

「うんまた」

「お気をつけてどうぞー」

 玄関まで見送ることもなく、俺は空のカップを片付ける。

「凄い人ですね。思考が飛んでる感じですか?」

「思考速度よりも、たぶん先読みと本質の捉え方。俺は楽でいいって思うんだけど、リコ姉とかは、もっとちゃんと話せって怒ってるよ」

「楽でしょうか」

「だって、ちゃんとこっちに合わせて、視線の動きや思考の誘導をした上で、簡略化してるから。そういう気遣いって、実際にやろうと思うと大変なんだぞ」

「……凄い人なのには、間違いないですね」

「まあね。ちなみにあの人の奥さん、ハクナ・コトコだから」

「――技術革新の立役者」

「そう。昔は一緒に旅をしてた仲間なんだってさ。うちの爺さんや、ソウの爺さんも」

「へええ、面白い縁ですね」

「……一つ、疑問がある」

 実は、以前からこの疑問は抱いていて、未だに結論は出ていないのだが。

「爺さん連中は〝当事者〟だ。――だから、口を噤んだ。その息子世代、つまり俺の親父連中は、外に出た。――だから、家を空けてる。そして、俺らの世代は、そのほとんどが居座ってる。何故だ?」

「……十三じゅうぞうくん」

「お、おう?」

 なんか、改めて名前で呼ばれると、こう、どぎまぎする。

「知りたいのは、なんですか?」

 そして、問いの本質に気付くこいつだからこそ、俺は苦笑して肩を竦めた。

「そうだな――俺は、本当に外に行くべきかどうか、まだ悩んでるってことだろうな」

 自然な流れとして、現実にそうなっているのならば、俺もこっち側で生活すべきなのかもしれない。

 つまるところ俺は、どう動くべきか、悩みを抱えたままなのである。



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