第13話 猫の目の糸使い

 ソウコエリアって工房あるのか? ――なんて言われたので、それを言い訳に学園へ行かず街を、霧の中をふらふらと歩いていた俺だが、何故か総司そうじから連絡があり、学園へ足を向けていた。

 よくわからんのだ。

『いいから教室に来い! ――あっ、てめえら手出しすんな! いいかもっと頭を下げてだな――』

 とか、やっぱりよくわからんやり取りがあったので、そのまま通話を切って向かっているのだが、はて、何かあったのだろうか。

 ちなみにソウコエリアには、いわゆる個人工房と呼ばれるものが二つほどあった。一つは魔術武装というものを専門に作っているらしく、まあなんだ、術式が扱えるような武装らしい。詳しくは聞いていないが、本人との特性が合うと、相乗効果も期待できるそうだ。

 頭の後ろで手を組んだまま、学園の敷地内に入る。まだ二限目くらいだろうか、昼休みも遠いのに俺を呼びだすとは、何の要件だ。くだらないものだったら報復も考えておこう。そうすれば気安く呼び出しなんぞしなくなるはずだ。

 やや騒がしさを感じる校舎内、中休みの合間かと気にせず教室へと向かう。十二組は三学年ともに、ほかの組とは離れた位置に教室があるので、面倒がなくて済む。いやほかの連中も、意識すらしていないだろうけれどな。ほとんど魔術に適性のない十二組――だから。

 それを〝ひっくり返す〟のも面白いんだろうが、それは学生として楽しむ場合だ。俺がその手助けをすることは、まあ、ないだろう。

 そして教室に到着して扉を開けば、そこに。

「ようやくかよ遅いぜ純一郎これなに!?」

「……なんでお前がパニックになってんだ?」

「だってこれなに!?」

 ひいふうみい……九匹くらい、大小の猫があちこちにいた。

「俺にそれを聞いてどうする、知らん。どうせ授業でも受けたいんじゃないのか? とりあえずノートを広げてみろ、その上で丸くなって眠りだす」

「いやそうじゃなくてだな、猫様の安眠場所の確保じゃなく」

「こいつらの扱いについての助言でもなく?」

「でもなく」

 今、いくつかの可能性を追っているところなんだけどな。その中には嫌な可能性もある。

「お前は何の関係もないのかこれ」

「……程度によるだろうなあ」

「なんだそれ」

「見てみろ、俺が来たって、傍によってくることはないだろ? つまり俺への用事があったとしても、火急じゃない。むしろ誰かが招き入れたと考えるべきだろうが、まあ、俺との繋がりが〝ない〟と、断言はしないから、総司の判断は間違っちゃいない。――俺が足を運んだ労力そのものと釣り合いは取れてないが」

「いやおま――ぬっおっ……!?」

 机を足場に、肩から頭上へと一匹の猫が跳躍し、総司はあからさまに硬直した。この状態なら、こいつ殺し放題だな。

「……純一郎、一つ、聞きたいことがある」

「一つだな?」

「そうだ、一つだ」

「言ってみろ」

「…………俺、どうすれば、いい?」

 マジ混乱じゃないか……頭の上の猫は顔を洗っていて俺を見ないので、まあよくわからないが、ともあれ。

「がんばれ、総司」

「……え、なにを? っていうかそれだけ?」

「猫相手に、何をどうしろってんだ」

「そこはほら、な? ほら?」

 知るか。あとお前は猫を神聖化し過ぎだ。

「あのう、クスくんはいますか――って私教室間違えました!? 猫の学校!」

「うるさい黙れりりさん、いいから黙れ。――猫様の前で大声を出すな……!」

「ひいっ」

 殺意出してんじゃねえよ馬鹿。

「いたっ、ちょっ、猫様、頭を噛むのやめていただけませんか……?」

「あ、ええとあの、クスくん」

「どうした?」

「よくわかりませんが、裏に当たる来客用の玄関に、お客さんが待っていますよ」

「へえ、ちなみにあんたは、そこに疑問を抱いたか?」

「まあたまにありますよねえ……」

 諦めか。おい目を反らすな馬鹿。というかここには馬鹿しかいないのか。

「諒解だ。じゃあ行く」

「お、おい純一郎さん? 俺は放置ですか?」

「だから、がんばれ」

 知ったことじゃないし、俺をそんな手順で呼び出した相手の方が問題だ。まあ既に全快はしているし、こっち側だからそう面倒なことにはならないだろうけれど、油断は大敵。

 だが、身構えてはいけない。

 ――どうであれ。

 感情を揺らすことは、極力避ける。隠すのではなく、避けなくてはならない。何故ならば隠すということは、感情の揺らぎを認めることでもあるから。

 そして、その揺らぎこそが、油断なのである。

 来賓用の玄関に行けば、十三じゅうぞうが待っていた。

「よう」

「おう」

 挨拶はそれだけ、以上の問いもなく外に出て、俺は十三の後に続く。呼び出したのはお前か、なんてことを訊ねることすら、無粋で、馬鹿馬鹿しい。

 ただし、俺の左手は軽く鞘を握っていて、右手はだらりと下げている状態だ。もちろんそれは、いつでも刀を抜ける姿勢であるし、それ自体を十三に向けているわけではない。

 ――そして。

 大通りにある軽食屋のテラス席に、赤色と黄色が目立つ和服の少女が、俺を待っていた。

 人型で長く、人に混ざり、だが人ではなく、人に成りきった、人になれない者――。

猫目ねこめ

 そう、今世における三大勢力の一つ、その渡世は騒ぎ騒がれのお祭りばかり。

 現状で、三本の指に入る妖魔が、俺を、待っていた。

「元気そうだにゃあ、原茂はらしげ。隣、隣座れ」

「……」

 吐息が、一つ。

 左手を、あろうことか鞘から離した俺は、一度空を見上げてから、諦めて隣の椅子に腰を下ろせば、一度椅子から降りた少女に、頭を撫でられる。

 誰かに見られたら、などとは思わない。たぶん、見られることはないし、認識もない。そもそも猫目が〝対処〟をしているのならば、破れるのは同位の存在しかいないのである。

「大きくにゃったにゃあ……」

「十三、お前いつから猫の勢力に入ったんだ?」

「え? 俺? まさか、入ってないよ。強制じゃないし、むしろ俺は人間だからこっち側だろうよ。つまり勢力とじゃないよ? だよな、猫目様」

「うん、そうだにゃ、違う……にゃ?」

「そうだよ、そうだ」

「そうだにゃ」

 もう半分入ってんじゃねえか、なんで様付けしてんだよお前は。

「で、何の用だ猫目」

「む……こいつ、まだあっしのことを、母さんと呼ばにゃい」

 誰が呼ぶか、目だけが猫の癖に。

 言っておくが、本当に猫の目をしているだけで、猫族との関連性はない。ただ本人がものすごく猫が好きであるのは確かだ。そして母親じゃない。

「めんどくせえから十三、説明」

「あー俺に用事があったらしくて来たんだけど、それを理由にしてジュンに逢いに来たっていう本音を隠したまま、あれこれ面倒なことを考えてたから、俺がストレートに誘ってみた。つまり猫目様は俺に感謝をしてもいいと思う」

「ご苦労だにゃ」

「どーもどーも」

 お前らなんか仲良いな。

「……ま、俺の家に直接こなかっただけ、配慮はあるか」

「行ったにゃー」

 待て。

「なんかちっこいのおったから、母親として挨拶しておいたにゃ」

「…………」

「あ、ジュンがマジで殺そうかどうか悩んでるぜ」

 その通りだから、ちょっと黙ってような十三。

「にゃっはっは、まだまだあっしを殺せるまでには至ってにゃいにゃー」

 その通りだけど笑ってんじゃねえよクソ猫。

「まあいい……で?」

「ん? あ、そうだ、そうだった猫目様、そういや俺に用事ってなんだったんだ?」

「あーそれにゃあ、お主あれ、サクヤから聞いたけど鍛冶できるよにゃ?」

「まあ基本から応用は最低限だけど」

「お主の対価はそれにゃ」

「それって……なにか造れ?」

「うむ。ミヨシのだけどにゃ」

「……え?」

「ハヤカワのことだろ、覚えてろよ」

「いやそれはわかってる。猫目様、ええとつまり、あの巨体の?」

「まさか、そうではにゃく、二メートルくらいの手合わせする際の姿にゃ」

「ちょっと安心した。要望は?」

「かたにゃ」

「諒解。ところでジュン」

「普通の工房は一つ、あと学園の設備にある」

「じゃ、とりあえず一ヶ月くれ。五本ほど試作品を創るから、ひとまずそれを使って感触を確かめて欲しい。真打ちはそこからする」

「じゃあ一ヶ月は滞在できるにゃあ」

 ……は? なんと言ったこの猫。

「十三」

「いや三日じゃさすがに無理だ」

 こいつもこいつで、俺の台詞を先回りしやがって……!

「誰の世話になるつもりもにゃいから、安心するにゃ。ところでここの管理を任せてる萌香もかはどうしてるにゃ?」

「楽しくやってるよ、こっち側でな」

「猫目様、知ってるんだ」

「あっしが配備したんだから当然にゃ。あやつ、どうにも臆病だから心配してたにゃ」

「そこらは上手くやってんだろ。お前らがこっちの領域に手を出さないなら充分過ぎる」

「お主らみたいなのがいるからにゃあ」

「俺はだれかれ構わず喧嘩は売らない」

「俺だって相手を選んで手合わせしてるぞ?」

 たぶん、俺も十三もこの瞬間は、心が通っただろう。

 ――お前と違って。

 そう付け加えるべき言葉を、心の中で思い浮かべたからだ。

「俺から一つ聞いておく」

「にゃんだ?」

「ハヤカワの〝頭なし〟は、直接このソウコエリアに関係はないんだな?」

「にゃい」

「ならいい」

 俺を尾行していたことに関しては、まだ考察の余地はあるが、どうせこの猫は話そうとしないだろう。そして、あちこちに配備されていることも同様だ。

 楽しみがそこにあるのに、先にネタばらしをするような妖魔ではない。

 妖魔というか、もう存在自体は天魔に限りなく近いほど、人間らしい妖魔だが、それでも、今では一つの勢力の筆頭である妖魔だ。

 五年前、二度目があって、今日で三度目になる、顔合わせ。

 たぶん、俺が初めて見た妖魔が彼女であり――そして、初めて武術を見せてくれた相手でもある。

 この猫は、妖魔でありながら、相当な〝糸術しじゅつ〟を扱う。

 少なくとも、俺が扱う糸だけでは、敵わないくらいに。

 断言できる。

 この猫目という名の妖魔は、人が好きだ。溺愛とまではいかずとも、それに近い。というか俺に対しては限りなくそうだ。

 だから、殺すよりも成長させたい意志を見せる――が、そこは妖魔、その結果として死ぬのならば構わない、くらいの心持ち。

 彼女は俺の母親ではない。ないが、似たような立場なのは確かで。

 ――たぶん、俺の〝敵〟には、ならない。

「原茂もにゃかにゃか、やるようににゃったにゃあ」

「にゃが多い」

「うるさいにゃ」

「というか教室にいた猫ども、あんたが連れて来たんだろうが」

「違うにゃ。あいつらがあっしの後ろをついてきたにゃ」

 そうだろうよ……猫族と妖魔との関連性は、ある、からな。

 面倒なことに。

 俺に言わせれば〝悪い〟ほうの、適性があるのだ。

「おい、あいつらまさか、俺の家に居座るつもりじゃないだろうな……?」

「ああそれはにゃい。おみゃあさんの家にいた小娘が毛を逆立ててたからにゃあ」

 もう先に確認済みか。フシャー言ってる風深ふうかは、あれはあれで可愛いのだが、ちょっと怖い。本気で腕を噛まれたこともある俺が証人だ。……うん、ちょっとじゃないな、あれは怖い。

「けどま、余計なことをするつもりはないんだな、猫目」

「念押しするにゃあ……うん、そのつもりはにゃい」

「だったようやく、俺もソウコエリアでの生活をまともに始められそうだ。どういうわけか、あれこれ面倒が多くて、馴染めてなかったからなあ――」

 たぶん、俺は悪くないと思うんだけど。

 とりあえずここらで、視点を俺以外に変えてもいいだろう。だいたい俺の〝やり方〟みたいなものも、見えてきたはずだし――またトラブルがあれば、こうして俺が語ることになる。

 ただ。

 そう、もうちょっとだけ、俺の回想にでも、付き合ってもらおうか。



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