第11話 負け犬の事後説明
翌日、朝からパンツ一丁でストレッチをしていたら、
「珈琲淹れたけど」
「おう」
「……頭?」
「違う違う。そっちは通常通り。こういう怪我の場合、一日ぐらいでかさぶたをはがすみたいに、躰をほぐしておかないと、元通りになるのに時間がかかるんだよ、俺の場合。さすがに痛いし、左肩と腕はそうもいかないけど」
「ふうん」
まただらだらと血が出てくるので、服を脱いでいるだけだ。一通り躰をほぐしてから、シャワーを浴びて、寝間着の襦袢姿で戻れば、珈琲を差し出された。
「学園は?」
「さすがに肩と腕が動くようになってからだな、心配かけたくもないし。といっても動くんだが制限付きって感じか。脱臼は癖にしたくないし」
「そだね」
「あっさりしてんなあ……」
「心配はしてない。今生きてる」
「そういうとこ好き」
「ありがと」
さっぱりしているというか、何というか、こういう信頼は受けていて嬉しいものだ。
「来客」
「おう」
りんごーん、なんて呼び鈴が鳴ったので玄関に行けば、そこにいたのは総司と――あと、肩を貸してもらってなんとか動いているミイラだった。
「どうした? うちは葬儀屋じゃないから、棺桶は余ってないぞ?」
「ああ、棺桶が欲しいならうちにあるぜ、いわくつきのやつが。いいか?」
「そりゃいいけど、そんな粗大ごみ、どこで拾ったんだよ」
「霧子さんに押し付けられた。あの人、またネズに戻るって」
「へえ……ま、入れよ」
「お邪魔するよ」
「ジュン、てめえ、俺に対する扱いが……んぎっ、がっ、ソウ、段差! 段差!」
「あー悪い、ここまで連れて来るのにいい加減うるさかったから、もう気にするの止めたの、言ってなかったな」
そりゃ俺と違って、一日やそこらで動ける怪我じゃなかったしなあ、こいつの場合。
リビングまで行けば、珈琲を用意していた風深が振り向く。
「あ、昨日の――ミイラ?」
「
「いいけど、その子の許可いるから」
「……この猫の?」
ソファに丸くなっていた猫が、薄目を開けるようにして十三を見た。尻尾がゆっくりと、先だけがソファの表面を叩く。
「先住してるんだ、ちゃんと許可を取れよ十三」
「くっ……場所を貸してください」
じっと、しばらく見ていた猫が目を閉じ、大きくため息を一つ落とした。
「いいってよ」
「しぶしぶだけどな!? ――っ、いてぇ、声を上げ過ぎた……」
「総司、朝飯は?」
「そっちの配慮はいらないよ。珈琲ありがとう、ミリクネさん」
「ん。……あ、私は風深・ミリクネ。霧子隊長の部下。好きに呼んでいい」
「わかったミリ、俺も適当でいいぞ。リコ姉とは幼馴染だ――ジュンと同じでな」
「同じってこたねえだろ。総司聞いたか? こいつの爺さん、あのギィールさんだから」
「そうなのか? そりゃ初耳だ、あの人とはしばらく逢ってない。おい十三、俺の爺さんがチィマなんだよ」
「――はは、妙な繋がりもあるもんだな」
「まったくだ。……で、おいジュン、てめえこの野郎」
「なんでお前は喧嘩腰なんだ?」
「うるせえよ。だいたい昨日のありゃなんだ? 随分と手慣れていやがった」
「そりゃお前、俺はそっち側の住人だからな。お前が未踏破エリアに行くって決めたのは勝手だが、俺はずっとそっちで生きてた」
「マジかよ……」
「上手く隠してただろ? 調査隊の仕事を手伝ってたのも嘘じゃないけどな」
「おいおい、上手く? あれでか? ――冗談だろジュン、どこが上手いんだ?」
「それでも、お前に確信を持たせなかったところだ」
「言ってろ……お前の無手格闘をようやく見れた」
「俺が見せたくなかった理由がわかったか?」
「――ああ。躰の造りが違うってことを、痛感させられたよ。そして、お前がまだ造ってる最中だってこともな」
やっぱり、そこまで見抜くか。
風深から珈琲を受け取った十三は、軽く口をつけてから、深呼吸を一つした。
「どういうことだ?」
「なあソウ、俺はまだ魔術ってのはよくわかんねえが、お前から見てあの戦闘、どう見えた?」
「どうもこうも……俺はあの妖魔の威圧に耐えるのが精いっぱいだったよ。それに俺が行う戦闘とは、かなりかけ離れてた――が、その上で言えたのは、技の多様性だ。あれが全てじゃないにせよ、一つの行動の派生を考えるだけで馬鹿らしくなる」
「……なるほどね」
「十三は、そう見えなかったのか?」
「いや、そうだろうよ。少なくとも多様性に関しては、俺が真っ先に白旗を上げた部分だ。といってもそれは、無手じゃなくてジュンが得物を使って鍛錬……あれ、三回目くらいに気付いたんだよ。五年前?」
「――まあ、そんくらいだな。俺と十三は、半年に一度くらい、お互いに死なない程度の手合わせをずっとやってきた」
「マジかよ、……羨ましいな、相手がいるってのは」
「こいつの技は、三つを一幕として数えて、基本的には九章まである」
「二十七か」
「それが、
「百と三十五かよ!?」
「で、それが得物ごとにあって」
「わけわかんねえ……! おい純一郎マジなんだな!?」
「全部を習得したと、まだ言えるだけの実力は有してない」
「真に受けるなよソウ、それもまあ事実なんだろうが、型だけはできるから。それに、普通の人間じゃ扱うことはできない」
「躰を造ってるって話のことか?」
「いや、それ以前の問題だ。ソウ、一秒での選択が致命傷になりうる近接戦闘において、種類が多いってのがどれほど困難か、わかるか?」
「――選択肢が多すぎて、迷いを生む。そうか、手数が多いからこそ、選択そのものの発生が細かく、状況に適した一つを選択することが困難だ。そうか、多様性の問題点はそこにあるのか……」
「でだ、昨夜の戦闘を思い出す限り、少なくとも刀、槍、棍の三種を使ってた。わからなかったのは、腕を掴まれてからのやつだけだが……ほかは、見たことがある」
「見たというか、お前に得物持って仕掛けたもんな」
「そうじゃなきゃ、気付かなかったぜ、ありゃ。お前の無手格闘術はつまり、自分そのものを得物にして、あらゆる得物の技を扱う――だろ?」
口の端を歪めた笑いを見て、俺は視線を反らして珈琲を口にする。
わかっているさ。
お前の中ではもう確信を持っていて、その上で今、肯定を求めるわけじゃなく――だったら。
だったら、どうすれば打破できるか、頭を動かしてるんだろ? 十三は、そういう野郎だ。
「けどお前、関節とはいえよく壊せたな? あいつ、ハヤカワ、すげー硬いだろあれ。金属でも、もうちょいしなりがあるぞって思ったくらいだ」
「お前にわかりやすく言うと、意識を反らした上で基本四種を同時使用しつつ、関節部に二連続で叩き込んだ」
「――お前馬鹿だろ」
「ああ?」
「そもそも衝撃を内包して一点集中させる〝
俺を馬鹿にするのか悔しがるのか、どっちかにしろよ。あと馬鹿はお前だ。
「そりゃ妖魔なんてのは魔力の塊だ。あれだけ強いヤツなら、実体化している部分の魔力濃度が高いに決まってる。そう簡単に壊せないだろ……でも、純一郎は術を使わなかったんだな?」
「当然だ、手合わせだからな。最初の一手で拳を合わせた際に、ハヤカワも保持している、具現化していない部分の存在を引き寄せて補完しなかった。お互い様ってわけ」
「ばーかばーか」
「うるさいぞ、そこの負け犬」
「というかそもそも、最初に手合わせしたのは十三なんだろ? なんでまた?」
「なんでって……ここ三ヶ月ちょいくらい、サクヤさんに連れられて、あちこち未踏破エリアの〝常識〟ってやつを教えてもらったんだよ」
「ああ、こっちじゃまだ一ヶ月になってないけどな」
「――は?」
「あの人らしいな、わかることはいちいち教えない」
「マジかよジュン、あれからまだ一ヶ月?」
「向こうじゃ体感時間が狂うんだよ、それだけであって、実際の経過時間そのものが違うわけじゃない。人間の尺度で考えると、まあ、違うわけだが」
「そこらへんの考察はだいぶしたよ。おそらく、未踏破エリアにおける時間の差異は、そのまま、妖魔と人間の体感時間の差に直結しているはずだ。そもそも肉体の消耗が日常的に存在しない妖魔にとって、時間の尺度は曖昧だ。こちらの一ヶ月も、長いと感じることはない。一年ですら短いんだ」
「へえ……つまり、人間が感じる一年の〝重要性〟と同様の捉え方だな?」
「お、なるほどな。確かに十三、それが一番近い。妖魔の尺度ばかり前提にしてたよ」
「普通はこっちが先じゃね? 十二歳の者は、一生における十二分の一年だが、五十を過ぎれば五十分の一年でしかないって捉え方だな。いわば一緒における一年の密度、その移り変わりとも言えるが……妖魔の場合はそもそも、人間にとっての二十年だろうが、一年そこそこの感覚でしかない――死ぬことが稀だから」
「純一郎、それがエリア全域に影響を及ぼしてるのか?」
「言わなかったか? あっちは、妖魔の領域だ」
「これだよ、ジュンの悪いところ。俺がいる時は考察やら見解をこっち任せで、こういうこと言う」
「肯定とも否定ともとれるんだけど」
「それもいつものこと。――ま、ともかく、基礎を教えられたよ。魔物を刺激しないこと、領域ごとに住んでる魔物が違って、戦闘を起こさないようにする方法――で、ちょっと前に、じゃあどうやって帰るんだと聞いたら、よし教えてやろうと、あいつを紹介されてな?」
まったく、サクヤさんらしいやり方だな。
「ハヤカワと手合わせしてずたぼろになったら、そのままこっちまで運搬してもらえたわけ。帰れたなー、俺。よかったなー」
ほんとになー、次は使えそうにないよなー、なんてぼやきながら、隣で丸くなる猫に手を伸ばそうとして、しかし、その手が触れることはなかった。
触りたいが、やめろという猫側の主張が聞こえたらしい。
「猫って、気配で伝えてくるんだよな……なんでジュンの周りには猫が多いんだ? ミリもそうだし」
「私は違うけど、純一郎が基本的に無関心だから」
「え? おいジュン、お前、猫を触ったり可愛がったり遊んだりしねえの?」
「……? なんでだ?」
「なんでって……おい、おいソウ、俺がおかしいか?」
「いや俺もどっちかっていうと猫は神聖化してるし、遊んでいただけるなら幸いな感じだけど」
「お前はお前でなんか卑屈というか腰が低いな!」
「ばっかお前の方がどうかしてるぞ! 猫様の居場所を一時的にとはいえ借りるだなんて所業、怪我が頭にまで到達してんじゃねえのか?」
二人とも、認識がちょっとおかしいけどな。猫なんて〝そこにいる〟だけだろうに。
「――スズシロ、いつまで居座るの」
「へ? ああいや、この家に居座ることはしないよ」
「うん、それもそうだけど……学園への留学手続きが済んでるの、聞いてる?」
「なんでそんなことがわかる? 俺は一切聞いてねえけど」
「調べたから」
「リコ姉といい、ミリといい……もしかしてプライバシーとか知らない?」
「……? 知ってるけど、探られる方が悪い。ちゃんと隠せ」
「これだから電子戦に強いヤツは……まあいいや。それなら、魔術ってやつを俺も勉強してみるかねえ。ジュンはどうなんだ?」
「いやそれが、まださっぱり。つーか俺もお前も、机に座って覚えるより、現場で肌で感じた上での考察が基本だろ」
「まーな」
授業を〝受ける〟という行為に、否定的なのだ。受動的であっては頭に入ってこない。現場を見て、何を知るべきかを感じた上で、自ら机に向かうことこそ、勉学だと思っている。
「あ、そうだ忘れてた。ミリクネさんこれ、魔術書。一応、うちの蔵書だから大切に扱って、返却してくれると助かる」
「ありがと、忘れてた。感謝」
「ある程度の質問は受け付けるけど、まずは読んでみてくれ。感覚的な部分も多くあるから俺も説明できるとは限らない」
「ん、わかった」
「ソウは魔術について詳しいんだな?」
「そこらへんの教員よりは、よっぽど研究してるよ」
「なるほどね。じゃ、とりあえず一つ。――俺は魔術ってのが、扱えるか?」
「そりゃ適性があるかどうかって?」
「そういうこと。俺はジュンみたいに、使えなくてもいいから見ておきたいって思うほど、酔狂じゃないし」
「――ん? なんでそれを知ってるんだ?」
「あ? いやだって、こっち来る前にジュンがそう言ってたから」
「予想済み……? いや、そうか、領域を合わせる術としての側面が……にしたって、否定材料としては乏しい……本質的な差異? だが、魔術の領分において同一のことが可能なら、一部として捉えられるから、否定はできないはずだし……」
「ソウ、違うって」
「ん?」
「ジュンの場合、――使わないと決めてる。ただそれだけの話だ」
「……それはそれでどうなんだ?」
「新しいことを学ぶ前に、俺は鍛えるべき己がまだある」
だからといって、対応がおざなりになるのは避けるべきだ、という結果だ。
「めんどくせぇ野郎だろ」
「それがいい」
「風深、それは俺のフォローか?」
「ううん、ただの事実」
「あそう。ちなみに俺は風深のことが面倒だとよく思うけどな?」
「あそう」
いやまあ、お互いに、だからどうしたと、そういう感じなんだけど。
「……え? ミリとジュンって、そういう関係? 俺さっぱり知らんかったけど?」
「羨ましいか負け犬」
「うらやましくないヨ!?」
なんでそこで動揺するんだよ、お前は……。
「なんなら、ちょっと詳しく見てやろうか十三」
「おういいぞ」
「いいのかよ……ああ、術式は使えるな、これは。特性は、っと……」
「ジュン、特性ってなんだ」
「得意分野」
「ああそういう。苦手こそ意識しろって教わってるから、なんか変な感じだな」
「流動、いや干渉? ……自己認識? 内世界干渉系のまま外に出てる? にしてはその先に認識が……ん? いや……む?」
「どんな感じだ」
「俺? あーなんかこう、視線とかじゃなく、探られてる感じ。昨日、お前がハヤカワ相手に一発目でやったのと似たようなやつ」
「あれは〝挨拶〟だろう」
「言ってろ」
「――悪い十三、これ以上確かなことは言えない。つーか俺、今すぐ家に戻って調べる。お前の特性、ちょっと〝おかしい〟ぞ、それ。どうせ怪我が治るまで学園には行けないだろ? 一日もありゃいくつかわかるし、待ってろ」
「それよりもソウ、お前が待てよ」
「なんだ?」
席を立ち、珈琲ご馳走様と口にした総司を、十三はじっと見て。
「俺も連れてけ。一人じゃ歩けない」
「……ああ、そうだったなあ」
なんて、情けないことを言っていた。
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