第10話 予想外の手合わせにおまけ一つ

 俺と近しいという要因もあるし、俺の傍にいたことも一因――つまり、こっちの気配に上手く〝合わせる〟のが風深ふうか・ミリクネという女だ。普段はマイペースなのに、きちんと、そういうこともできる。

「――まったく」

「どうにかする」

「まったく……」

 続く言葉を封じられ、結局同じ言葉を繰り返すことになってしまった。

 俺の〝仕事〟に理解を示し、その上で考えた結果、ついて行くと。そして、そのためにどうにかすると、そういう意思表示だ。

「拒否はしないよ、ありがとな風深」

「……懸念はある?」

「いろいろと、お前の知らないことも含めて、な」

「うん」

 しょうがねえよなあ、こりゃ。

 ――まあ。

「悪いがそいつも、後回しな」

 ぐるりと見渡せば、野山の風景が広がっている。昨夜の時点で〝目印〟を置いていたからこそ、すぐ移動できたのは確かだが、俺はまず全体を把握するために術を広げ、当たりをつけて移動を始める。

「行くぞ」

「わかった」

 少し早めくらいのペースで崖を登るが、ついてこれるようだった。まあ、俺が足場を確保しているので、それを辿れば良いだけだが。

 川を越えて斜面を登れば、やがて開けた場所に出る――戦闘の痕跡、ここは鍛錬場か何かか? あ、そうか総司そうじか。

 ――そこに。

「へえ……よう!」

 昨夜に見たカタヒトと同じ存在が、しかし、間違いなく頭を持って、そこにいた。

 禿頭、まゆなし、ぎょろりとした瞳が俺を見ると、ゆっくりと膝をついて顔の位置をやや下げると、ゆっくり右手を地面すれすれに差し出した。

「これ、ウけトれ」

「ん――」

 ぽんと、風深の頭を軽く叩いてその場に留まるよう伝え、俺はゆっくりと徒歩で近づくと、その手の上に。

 やや小柄とも思える野郎が、傷だらけで倒れていた。

「――このクソ野郎、どうしたんだよ?」

「オレ、ウデダメし、カった。ヘンキャクする」

「ああそういう……弱いなあ、まったく、弱い弱い。ヘタレだなこのクソ野郎、はははおい間抜けめ、いいザマだ」

 さんざん言ってから、その手というか指の上にいた野郎の襟首を引っ張る。

「……てめ……あと、で……覚え、とけ……」

「生きてるじゃねえか」

 遠慮はいらないと、俺が勢いよく後ろに放り投げれば、どうにか空中で姿勢制御だけしたあいつは、風深の傍にべちゃりと落ちた。

「できるなら治療してやってくれー」

「んー」

 さて。

「ありがとな、きちんと受け取った。――要求を聞こう」

「オレと、テアわせ、ネガいたい」

「手合わせか」

「そうだ。コロさない、したくない。ウデダメし」

 そうだな、成長は人間の特許。だが、その人間を〝認める〟ことができる妖魔は、こうやって成長を知ることができる。

「ちなみに、理由はあるか?」

「おマエ、あいつより、――ツヨい」

 その言葉を、嬉しそうに、口元を三日月に変えて言うのだから、この妖魔は相当だ。

 この楽しみ方、妖魔特有ってわけじゃないけど、よくあるんだよな。まあだからこそ、争っているわけだが。

「少し待っててくれ。それと、あまり大きすぎると相手が面倒になるぜ?」

「そうだな」

 俺は一度、風深のところへ戻り、腰に佩いた刀と、ついでに懐中時計を手渡した。

「で、生きてんのかクソ野郎」

「てめ……」

「ちゃんと見てろ馬鹿。風深、悪いけど〝観客〟が増えたら、手を出さないよう伝えておいてくれ。総司もそうだけど、こっち側の連中が顔を見せるから」

「わかった。で、こいつだれ?」

「幼馴染」

 ――さて。

 ゆっくり、俺は無手のまま再び足を進めれば、背丈が二メートルくらいになっていた。巨漢の類だが、四メートル以上ありそうな巨体よりはマシだ。

「一つ、言っておく。後ろの連中に手を出すようなら、考えるからな?」

「テダしはしない。ただエイキョウはデる」

「そのくらいならいいさ」

「ならば」

 五メートルの距離、立ち止まれば相手は姿勢を正すようにして、ゆっくりと、あろうことか俺に対して、頭を下げた。

「おネガいします」

「――ああ、こちらこそ、お願いする。そして、もう一つだ。俺は、お前と同様に、殺さないし、殺したくはない」

 ああ、そうだな、わかっているさ。

 こいつと同じ笑みを浮かべているなんてこと――隠す必要なんてない。

「タチアイニン、アイズを――」

 一息。

「ハヤカワ・ゴロウ・ミヨシだ」

 こいつ、礼儀まで知ってやがるとは。

「風深、合図を」

 だったら俺も、礼を尽くそう。

「――玖珠くす純一郎じゅんいちろう原茂はらしげだ」

 そして。

「では始め!」

 本来、戦闘行為において必要とされない、合図をもって、この手合わせは開始される。

 言葉と言葉、そして名を交わした一時的な契約。

 これでお互いに、どれほどの殺意を抱いても、殺すことはないだろう。その前に自然と手が停まる――まあ、その〝結果〟として、たとえば治療が間に合わないとかで、死ぬことはあるだろうけれど。

 初手、合わせ。

 俺は左、ハヤカワは右、踏み込みの幅は違えど、同一のタイミングでまっすぐ、拳を合わせた。

「――」

 ぴたりと、お互いに停止する。拳は間違いなくぶつかり合ったのに、三秒の空白を置いてお互いの両足が、地面を割った。

 こいつは……まずいな。

 腕を引くのと同時に、三歩ほどステップを踏むようにして離れたハヤカワを見ながら、考えを改める。

 野郎があのザマなのも、頷けるだけの技量を有している。妖魔でありながらも、人間の真似をして、そして、どれほどの歳月を費やしたのかは知らないが――真に迫った。


『――構わん、やれ』


 隻眼がそんな言葉を、珍しく内側から投げかけるくらいには、面倒な状況らしい。

 んじゃ、しょうがない、やりますかね。

 ああもう楽しくてしょうがねえな、おい!


あまおりにてくうを見上げるは、晴天はれまを望むしんもなく――」


 しっかりと、地に足をつけた攻撃を、ぎりぎりの見切りで回避しながら、歌うよう、詠うよう、自然とそれが口から洩れる。


うは天よりの恵み、よろこびを上げし大地の声色こわいろ響き、ああ、惜しむはわが身に染み渡らんぞ――」


 蹴り、それが踏み込みに変わって拳、高速で行われる衝撃波つきのそれを、回避が間に合わなくなってさばきに入る。

 だが。

 ハヤカワは気付いているだろうか。

 ぽつぽつと、雨が落ちていることに。


「焦がれ求め欲するは、恵み受け歓びに震える我が身なれば――」


 故に。


「――れを、望み至ろう」


 雨に歓喜を、天に感謝を、躰に恵みを、――誰よりも先に、先へ。


 さあ、始めよう。


「雨天流槍術そうじゅつ水ノ行すいのぎょう第一幕、始ノ章しのしょう先水みずのやり〟」

 相手の攻撃をすり抜けるよう間合いの中、ハヤカワには〝滑る〟ように当たらなかったと感じただろうが、踏み込みそれ自体も滑って大地を噛む。触れたのは肘、僅かに押し出すような力から、鋭い穂先のような貫手ぬきてが肩に――触れる前に、回避したのはさすがと言えよう。

 けど、なんで避けやすい肩を狙ったのか、考えなくちゃな?

「――追ノ章ついのしょう打尻さかうち〟」

 伸びきった腕を戻す反動を使い、外側に回り込みながらも、右の肘を側面へ向ける、槍の柄尻を使った穿ちと同じ一撃を、今度は間違いなく腹部に叩き込んだ。

 そして。

「抜刀術、第三幕終ノ章しゅうのしょう、〝鋏軸はのさみ〟」

 首を刎ねる動きの、左右同時の〝斬戟〟――腹部の衝撃を強引に振り払うようにしたハヤカワは、上半身を勢いよく後ろに倒し、それを回避。後方へ回転しながら間合いを取る行動へと繋げた。

 追撃は、しない。

 この技の種類ならば、俺の中では三つで終わりだからだ。

 ――が、ハヤカワの姿が消えた。

 左右、顔も眼も動かさずに音と気配を頼る。踏み込みによって三ヶ所、大地がえぐれて弾けるのは視界の隅に映った。

 そう、妖魔には最初から力がある。それこそ、俺たちみたいに扱い方を覚えずとも、出せてしまう。それが成長を阻害する要因の一つだ。

 そもそも――抑えようと、しない。それが悪く転ぶことも、まずない。であればこそ、ハヤカワのような妖魔が稀なのだ。

 地面と水平に飛ぶような踏み込み、上空で躰を横回転させるよう威力を作りながらの振り下ろし。巨体であることもさることながら、左右に踏み込みをわけた時点で意識を向けていれば、到底間に合わない上からの攻撃を、背中を向けるよう前へ踏み込むことで回避した俺は、跳躍を一つ、躰を反転させながらの後ろ回し蹴り。

「抜刀術・水ノ行第四幕、始ノ章〝水走はしり〟」

 足が大地に触れる、僅かでいい、それだけで力の方向は変えられる――左右、一秒という時間の隙間で俺は水平の斬戟に追いつき、後方宙返り。

「追ノ章〝昇水竜のぼり〟」

 地表から這うようにした斬戟は、対象を前にして挙動を上へと変える。

 ――そう、同じく。

 俺は水平に飛んで空中にて、躰を横回転させるよう勢いを乗せた〝居合い〟を完成させた。

「――終ノ章〝崩落らっか〟」

「ぬっ、――」

 三つの斬戟が重なり合った――が。

「がぁ!」

 さすがに躰が頑丈だな! 両腕で受け止めて弾き飛ばしやがった。

「はは……」

 ま、笑っていられる状況じゃないんだが。

 こっちはまだ地に足がついておらず、相手は既に迎撃態勢。つまり一手遅れ――さて、判断はいかに?

 ――するりと、雨の間を伸びるように、人より少しばかり大きい手が、俺の腕を掴んだ。

 だろうよ!

 動きを制限する、しかも持続性の高いその選択は、実に合理的だが、その行動だけで俺の一手の空白を消費して対等になるのだから、果たして、良いのか悪いのか、見せてやろう。

 叩きつけだろうが、振り下ろしだろうが、そこは意識しない。ただ、相手の左手が拳を握ったのだけは意識の隅に置く。

 躰、そして掴まれた腕を強引にねじる。痛みなんぞ高揚だけで抑え込んだ。

 腕の内側から直線距離ではなく、逆の手で殴られることを考慮して、外側から内側へ左足を、狙うは顎。

扇術せんじゅつ木ノ章もくのしょう第六幕、終ノ章〝蛇穿だかつ〟」

 肩がみしみしと音を立てる。意識して肩を外してもいいが、それで得られるのは一時の猶予でしかない――。

 腕の表面をうねるように放たれた一撃を額で受けられたが、それが最善であることは知っているし、その対応も考慮していた。

 であるのならば。

 そこから先にある〝戦術〟も考察、いや、選択済みだ。

 蹴りの勢いを使って躰を戻す途中、ハヤカワの肘、その真上から膝を叩き込んだ。

槍術そうじゅつ・木ノ章第五幕、終ノ章〝放切ほうせつ〟」

 それは手から放たれた槍のごとく。

「ぐ、が――」

 肘を砕こうとした、その意志も威力もあったのに手を解かないのはさすが妖魔。その上で逆の拳が放たれるのも、さすがハヤカワ。

 さすがに威力がつきすぎて、肩が外れた――が、構うかよ!

 同じ位置、肘、そこに俺は右の拳を合わせた。

棍術こんじゅつ・木ノ章第八幕、終ノ章〝門破とびらひらき〟」

「がぁ!」

 確実に破壊した手ごたえと共に、俺は放り投げられる。勢いがつきすぎて、まず左足で地面を叩いて制動、脱臼した肩を強引にはめ込み、両手を使って跳ね、正面にハヤカワを捕らえた俺は、更に追撃をしようと力の転換を行い、踏み込もうとした直後。

「――っ」

 全身から汗が噴き出すような感覚と共に、毛細血管があちこちで破裂したのを感じた。

 ハヤカワが肘を破壊された力の余波で、立ち位置を変えていたのも、結果的には助かったのだろう。姿勢を崩していたからこそ、俺への追撃がなかったのだから。

 ハヤカワが、視線を落とした。フェイントではない、その視線の先にあるのは、自分の壊れた肘だ。

 髪も眉もないその顔が、ああそうだな、間違いなく、驚きを見せていて。

「お――」

 彼は。

「オレのマけだ、オわりにする」

 現実を見て、姿勢を正し、ゆっくりと頭を下げた。

「ありがとうございました」

「――、ああ」

 だから俺も、きちんと頭を下げる。

「ありがとうございました。……ハヤカワ! 俺が生きてたら、また今度な!」

「――ああ! タノむ!」

 ゆっくりと、背を向けたハヤカワの姿がすぐ消える。警戒は必要ない、相手はこの結果を飲み込んだのだ。妖魔だの人間だの魔物だの、そんな分類は関係ない。

 ……だが、助かったのは俺の方だ。

 軽く空を見上げて雨を感じるが、血に染まった服の色までは流れ落ちない。掴まれた左腕は真っ青になっているだろうし、翌日には腫れ上がるだろう。躰のあちこちから流れている血はともかく――酷使した躰は、次の戦闘に支障をきたす。あるかないかが問題ではない、可能性として次があると考えるのが、俺であり武術家の思考だと、教わっている。


『未熟な身で木神ノ行もくのかみのぎょうなんぞ使うからだ』


 笑っている様子もなく、酒を飲む感じでもなく、思い切り鼻でフンと笑った隻眼の声。それだけで落ち込むには充分だ。

 そもそも、雨天流において無手の技は、ほとんど存在しない。何故ならば、無手である雨天は、自身が得物となるからだ。

 故に、無手であらゆる得物を具現し、再現する。

 木神ノ行とは、本来最後に放つべき終ノ章を、違う得物同士で繋げた技だ。段階を踏んで最後に至るのではなく、至った最後を続ければ、肉体への負荷は、まあ見ての通り、かなりのものだ。

 ゆっくり、足を観客の方へ進める。

 一歩、それだけに苦痛が波のよう広がる。

 まあなんだ、この痛みのぶんだけ、ハヤカワが強かったのだ。仕方がない――いや、俺がまだ未熟なのだから、仕方ないとは言えないな。

「……お待たせ」

「ん」

 刀と懐中時計を受け取った俺は、ポケットと腰へ。五分とかからない戦闘だったお陰か、総司と霧子が合流しているだけで済んだ。

 そう、たった五分。

 ――それを、長いと捉えるのが戦闘であり、鍛錬では短い。

「さて戻ろう……あ、総司」

「ん……?」

「だいぶ地形を変えちまった、あのチビガキに伝えておいてくれ」

「おう……てか、さっきからそこにいるだろ」

「ん? ああ――」

 俺は。

 妖魔としての本質を取り戻した形の、彼女を見て、言う。

「――悪い。気配が小さすぎて、度外視してたわ」

「貴様……!」

 ハヤカワを前にしてみりゃ、小さいだろお前は。

 つまり、あいつはそれなりに、高位の妖魔なのは、確かで。

「行こう」

「うん、そだね」

 俺は、そのまま風深と一緒に、ソウコエリアにある自分の家に直接戻った。

 そこまではいい、まあなんとかなる。だがまあ――。

「悪い風深」

「わかってる、治療するから、――寝ろ」

「おう、すまん」

 俺はそのまま、床に突っ伏すようにして、倒れた。意識だけは手放さないようにするのが精いっぱいである。



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