第8話 信号の宿

 昼食前までに買い物は終え、配送手続きも完了したのだが、そこでサーバの配置に関して声がかかったらしく、六十分後に合流とのことで、一度風深ふうかとは別れた。

 ポケットから取り出した懐中時計を見て、時間を改めて確認してから、俺は霧の中を歩く。気配を掴めば人は避けられるし、実は左目を使わないだけでだいぶ薄くなる。見えていて見えないことを意図的に引き起こせれば簡単なのだが、さすがにそれは実行が難しい。

 さてと、俺はこの時にようやく街の全貌というか、繁華街を歩いたのだが、魔術のエリアという割に、システマチックな部分は強く出ている。並び立つ高層ビルなどもカザマエリアでは見飽きたが、まあ、こちらもあるらしい。

 途中で見つけていた酒場に、俺は足を踏み入れる。この場所だけ霧が薄くなっていたので、すぐに気付いた。中には数人の客がいたが、昼前から飲んでどうする、と思いつつカウンターへ。

 そうそう、霧は囲いの中までは侵入していない。つまり、出入りの開閉こそあれど、店内にまで侵入することは――まず、ない。それが混ざっていない証拠でもある。

「いらっしゃい」

 グラスを磨く手元から視線も寄越さないが、気にしない。そんなもんだし、袴装束の若造への偏見はどちらかと言えば、客からのっ視線だ。刀もそれなりに目立つ。

「ホットミルク、はちみつ入りで」

「――はいよ」

 そこでようやく俺を見て、嫌な顔一つせず、ミルクを短時間で温めてはちみつを入れ、カウンターに置かれた。俺はその時点で携帯端末を使い料金を支払い、マグカップを片手に持って、スタッフ専用と描かれた扉を開いて奥へ。

 細い通路が伸びており、やがて扉を開けば倉庫、そこに地下へと伸びる階段があった。どこでも似たような造りだな、まったく。

「……甘い」

 さすがにはちみつは入れなくても良かったかなと思い、階段を降りた先に扉があって、その先には会議室ほどの広さの一室があった。

「お――新入りルーキーじゃないか!」

 五人いた内の一人が顔見知りで、ようとカップを上げる。ちなみに酒場ではあるが、この場所は禁酒だ。

 ――信号の宿シグナルシェルフ

 ここは、未踏破エリアに臨む者が集まる場所だ。

「どうした、何か問題でも起きたか……?」

「カザマのことを言ってんなら、それはないな」

「じゃあなんでこっちに」

「俺、学生。そろそろ魔術に関して対応力を身に着けようって、こっち来たんだよ」

「お前が? 魔術の? ――なんの冗談だそりゃ」

「おい先輩、そもそも魔術師と戦闘する機会はないだろ。あんたらも術式は使うが、恒例行事の手合わせじゃ禁じてるじゃねえか」

「妖魔だって似たような術を使うだろって話だ馬鹿」

「似てるだけだろ。少なくともレッドハートの魔術師は、やり合ってはいねえが、そこらの妖魔よりよっぽど面倒だ」

「ふん」

 ちなみに、決して強い上下関係があるわけではない。基本的にここは、情報交換の場でしかないし――俺を新入りと呼ぶこの髭男だって、二十年も新しく入って来る者がいなかったから、ずっと新入り呼ばわりされていたのが嫌で、俺を新入りと呼ぶことで自分はそこから脱却しようと、そんな理由でしかない。

 まあ同情はしたので、俺も先輩と呼んでるわけだが。

「おい、このガキは〝やる〟のか、先輩さんよう?」

「うるせえハゲ頭」

「ハゲじゃなく剃ってんだよ……」

「試すのは止めやしねえが、俺の経験上、やめておいた方がいい。どうしたってこの新入りと手合わせすれば、考えさせられちまう」

「へえ、何をだ?」

「今まで生き延びてきた実績のある、てめえ自身が培った、経験則とそれに伴う戦闘技術そのものを――だ」

「おい先輩、そりゃじゃまるで、俺が否定したみたいに聞こえるぞ」

「実際にそうだろうが……お前、友達との戦闘訓練、まだ続けてんのか?」

「そう、それ。いや半年に一度でやってんだけど――あいつ、こっち来るって言ってたんだけど、きたか?」

「小僧、どいつだ」

「無手格闘術で、対武器破壊専門。一応、ギィールさんの孫だけど、たぶんサクヤさんあたりと行動してんじゃねえかな、と」

「――おう、逢ったぞ」

 奥で黙っていた女性が、片手を上げた。

「あれDさん、いたの」

「いたぞ」

 ちなみにDカップのDである。通称であり自称だ。

「で、野郎を見たって?」

「戦闘レベルS、経験と知識はE。飲み込みは良さそうだね」

 口笛を一つ。

「厳しい姉さんからの高評価だ」

「茶化すんじゃないよ玖珠くす。実際にありゃ厄介だし――あんたの話もしたぞ」

「へえ? あの野郎、なんて言ってた?」

「何度訓練で手合わせしたって、ただの一度も勝てねえ底のしれないクソ野郎だってよ」

「言うねえ……あいつが勝ち越してんのに」

「そろそろ用件を言ったらどうだい玖珠、ただの顔見せじゃないんだろ。ただし、やり合いたいなら他所へ行け」

「鬼教官のDさんがそれじゃ示しがつかないんじゃ?」

「とっととしろ」

 つれないねえ、この姉さんは。新人教育を誰がするか、そういう問題は常につきまとうが、中でもDさんは飛び抜けてる。年齢はまあ、女性なので黙秘するが、Dさんに育てられたやつらは現役で長くやっている。

 まあいいかと、俺はポケットから昨夜のカタヒトを取り出した。

「――コイツ、類似品を見たことはあるか?」

 Dさん以外がすぐのぞき込み、それぞれ手で触れはじめた。

「玖珠、そいつは?」

「昨夜、ソウコの傍で片づけた。実は数日前、カザマを出てすぐのあたりから、ネズを経由してずっと俺を尾行けてたんだよ」

「どうだフェロウ」

「マジかよ、でけえぞこいつは。首無し三メートルオーバー」

「ふうん? 玖珠、どんな感じだ?」

「俺の基準で話すと、たぶん先輩しかわかんねえだろうけど、なかなかやる。俺の踏み込みに合わせて攻撃してきたし、足手まといが三人一緒にいて、そいつらの背後を狙う状況読みまでしやがった。俺が確認した限りじゃ一匹だけだ」

「なるほどな。繋がってるかどうかはわからないが、こっちでも妙なカタヒトを発見してる。微動だにせず突っ立ってたり、膝をかかえて動かない大型のものだ。言葉も通じないが、こっちから敵意を見せるわけにもいかず、今はまだ警戒段階だぞ」

「Dさんは直接見たか?」

「まあね」

「考察は?」

「少なくとも群れになってる可能性は否定できそうだけど、そいつはまるで〝柱〟だな。俺の技にも似たようなのがあるけど――いわゆる、目印だ。複数発見されたんなら、何かしらの共通点は?」

「今のところ、何も。青にも赤にも緑にもいる。ただし中立地帯での発見はない。つまりこの近辺だ。そいつがお前を狙ってたんなら、面白い話だが、それにしては遅すぎる」

「まるで俺が顔を出すのを待ってたみたいだからな」

「可能性は? 調査じゃなく、戦闘そのものは、あたしなんかより玖珠の方が多いだろ」

「……」

 確かに、そうだろう。俺はそもそも、最初から戦闘目的で未踏破エリアに足を踏み入れている。

 どうしてと問われれば、たぶん納得しないだろうけど、俺にとっては鍛錬の一部だ。もちろん、話せる相手ならばきちんと話した上で。

 緑や青の妖魔に、いきなり攻撃をしかける馬鹿は、生き残れない。そのため俺たちは、第一に対話を心がけている。もっとも、妖魔の支配領域では独自の魔物が発生しており、そいつらはお構いなしに襲ってくるので、安全ではないが。

「なんでもある――んだが……あくまでも、俺の考えでいいんだな?」

「そこにいる先輩よりも、面白けりゃなお良いね」

「D、そりゃねえだろ……」

「一つ、これが〝遊び〟ならば夜の王だろう。この場合は考えを読むだけ無駄だ、結果どう転ぶかも予想がついてない。二つ、仮に意図があり、布石を打って〝楽しく〟やろうってんなら、猫だ。こいつは更に調査を重ねた方が良い。ほかのエリアまで巻き込んだ花火が上がる可能性が高い。三つ、それ以外であっても、まず調査をするのなら、頭を探せ」

「――頭が残っていると?」

「〝本体〟と言い換えてもいい。よく考えてもみろ、頭がないのなら思考はできない。指示は単一になりやすい――のに、状況を読んで俺に対応してきた。どうしてだ? 友人に言わせれば、人間には躰の記憶が存在する。習慣や感覚に寄ったものではあるらしいが、それなら納得できる。だとして? 一般的なカタヒトは、木型を作って組み上げるが、それだと理屈が合わない」

「本体の〝写し〟だと考えるのが自然か……」

「先輩ならわかるだろうけど、初手の踏み込みに対して、カタヒトは振り下ろしを選択した。やや遅れて突きあげた俺は、衝撃を表面を奥に通したんだが、ダメージを軽減させるために肩から空へ〝抜いた〟んだぞ、このカタヒト」

「マジかよ! 熟練の技じゃねえか……ん、一応これも聞いておくが、お前の師匠さんはなんか言ってたか?」

「なんも。そろそろ酒がなくなるから買って来いって。俺、あの人のせいでアルコール苦手になったんだけどな……」

 ガキの頃からずっと一緒で、傍でいつも飲んでるから、慣れたけど嫌いになったというか……。

「そういえば、ソウコの支配者はどうしてる? レッドハートと繋がってるんだろう」

「聞いてんのか、新入り。まあちょっとあったんだけどな? 人と暮らしたいから一回殺してくれって、そんな面倒を寄越しやがって、いろいろ相談して騙し入れてレッドハートが引き取るよう仕向けたんだが……ついこの前、その企みがバレてなあ」

 ああ、それで総司が妙な言い方をしてたわけだ。

「一晩、かなり責めたからもう許したって本人は言ってたなあ」

「そうなのか新入り」

「おう。気絶と覚醒を繰り返すくらい快楽と苦痛を与えたんだろうよ。そんなことを言ってた」

「へえ、羨ましいねえ」

「なんだDさん、そりゃやりたいって意味か?」

「あんた勘違いしてるようだから言ってやる。――あたし、夜はマゾだぞ」

 聞きたくなかったよ……。

「あとこれも確認。ソウコは安定してるよな」

「おう、一ヶ月ばかり俺はここに居座ってるが、そいつは確認済みだ。なんかあったのか」

「あんたらがどうか知らないが、俺にはこのエリアがずっと霧に包まれたままだ。数メートル先の視認も難しい……が、それが〝異常〟にはなってない。だから、確認だ」

「――それは、お前の〝眼〟か?」

「たぶんな」

 先輩は事情を知ってて、面倒がなくていいなあ。

「本当なら、お前みたいなのに調査を頼みたいんだけどな」

「それを言うなよ先輩。引退したご老人連中に、前線に出てくれと頼むのと同じだろ」

「悪い」

「気持ちはわかるけどな、こっちはまだ鍛錬中の身だ。こっち側にいるからって、妖魔と事を起こそうとは、まだ考えてない。あんたらの年齢になった頃には、足場も固まってるだろうさ」

「言うねえ、新入りルーキー

「先輩は特に、俺がまだ若いってことを忘れるからいけねえ。まあなんだ、しばらくこっちにいるってことを伝えにきただけだ」

「だけって……お前、ちゃんと話せよ」

「ん?」

「俺やDはともかく、こいつらはお前を知らないんだから、それだけじゃ伝わらない」

「……? なにが?」

「お前が! トラブルを! 引き寄せるって話だ! ――むしろもうカタヒトを引き寄せてるじゃねえか……」

「いや俺、自分で解決してるし」

「そういう問題じゃねえんだよ……」

 俺をトラブルメーカーみたいに言うな、不本意だ。あいつらが勝手に寄ってくるんだよ……その理由も、先輩は知ってるだろうが。

「俺のことは、Dさんか先輩に聞いてくれ。説明は面倒で好きじゃない」

 言って、俺はホットミルクを飲み干す。やっぱり甘い。

「じゃ、そういうことで」

「俺に丸投げかよ!?」

「そっちの問題は軽微だけど、女を待たせた時の問題の方が、妖魔よりよっぽど怖いって知ってるから」

「いろんな意味でクソッタレだなおい!」

 あんたまだ、女いないもんな。それが悪いとは思わないけど、本人は欲しがってるから、なんというか……。

 まあいいや。とりあえず戻ろう、風深ふうかを待たせたくない。



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