第7話 いろいろ事情のある朝
この近辺は未踏破エリアと重なっているとはいえ、稼働はしていないので体感と実時間は同一だ。深夜近くに戻ってきたのだが、
人型とはいえ、猫族は細かいところで猫寄りだ。つまり、ダブルベッドの中に潜り込み、仰向けで寝る俺のわきの下で、腹部を枕にするよう躰を縮めるよう丸くなって眠っていた。呼吸困難になりそうなものだが、平気らしい。
こうやって一緒に寝るくらいで、手を出そうという気にならないくらいには、付き合いもそれなりにあるし、俺自身がそこまで貪欲ではない。だが、寝起きに尻を上げながら両手を前に出して、猫みたいな伸びをするのだけは止めて欲しいものだ。目のやりどころに困る。
顔を洗って、歯を磨いて、朝食を終えて、洗い物は俺が片づけて、珈琲は風深が落として、お互いにダイニングで椅子に座ってのんびりする朝、登校時間までは六十分以上の猶予があった。
そもそも、お互いに朝が早いのである。
「今日」
「ん?」
テーブルの上にノート型端末を置いて、キーを叩く風深は眼鏡をしている。普段から視力が強いため、すぐ目が痛くなるから、それを防ぐためだ。
「買い物?」
「いや、そういう予定は入れてない」
「入れておく」
「……? なんで?」
「食材がない。歯ブラシが私のしかない。箸もない。カップも私が持ってきた。枕が一つしかないし、爪とぎ場がない」
「ちょい待て。一応聞いておくが、お前の枕は俺だろ。あと誰の爪とぎ場だ……?」
「ともかく生活用品を買いに行く」
まさか風深の爪とぎ用か……? いや、いや、まさかな。普通のあれだろ、やすりみたいなやつだろ? な?
「わかった、わかった。金は俺が出すから選ぶのは頼む。……というか、居座るつもりか?」
「私の借りてる家に来る?」
「対外的にどうなんだそれは……?」
「でしょ?」
「俺はいいんだけどな」
「ならいいじゃない」
俺がネズにいた頃でも、さすがにこんなんじゃなかったぞ……? あれか、一年のブランクがそうさせるのか? よくわからんが、なんか封じ込めをされている感じがあって、なんだろう、身を委ねていいのかどうか迷う。
こんな状況で、うらやましいだろうと言える男は、やっぱりどっかハッピー過ぎるだろ。嫌じゃないけど、けど、どうなんだ……。
「じゅんいちろー」
「どうかしたか?」
「霧がうざったい」
「どのくらい?」
「隊長がにっこり笑顔でやってきて、ちょっと珈琲ちょうだいって言う時くらいうざったい」
なるほど、笑顔の裏には面倒がある話だな。
「よくわからんからもう一つ頼む」
「隊長がうんざりした顔でやってきて、ちょっと聞いてよ風深って言う時くらい」
わかった。つまり、どんな顔でやってきても、霧子がうざったいのはよーくわかった。
「そういう時、どうしてんの」
「話は聞くよ、隊長だから。仕方ないよ隊長だもん。仕事ならやるよ、命令だし」
こりゃ相当だな……大丈夫か、こいつらの部隊は。
「見えなくなった方がいいのか?」
「んー……眼鏡が欲しい」
「ああ、そういう。んー、知り合いに言えばツテがあるかもしれないが、どのみち時間がかかる。――あ、そうだ、総司に言ってみりゃどうだ? あいつの方が賢いだろ」
「言っておいて」
「俺か……まあいいけど、野郎も女に言われた方がやる気に――いてっ、すねを蹴るな」
「うるさい文句言うな」
「諒解」
「ノザメエリアのこと、話しても良かったの?」
「まあいいだろ……たぶん」
かん口令が敷かれているわけでもなし、だ。
この近辺に〝存在〟しているノザメエリアは、昨夜にも触れたが既に未踏破エリアと混ざってしまっている。
正直に言えば、結果として未踏破エリアに〝成って〟しまった方が、扱いは楽なのだ。そうすれば人は立ち入れないし、妖魔の支配があるにせよ、ないにせよ、一定のルールのもとでそのエリアが扱われる。
では、混ざった場所はどちらだ?
一般エリアなのか、未踏破エリアなのか。
どちらでもあり、どちらでもない? 存在しているのに存在しない?
左足だけ未踏破エリアで、右足だけ一般エリア、そんな状況がよくあったのを、覚えている。かつての俺もあそこで暮らしていて、それが〝当然〟だと思っていた。
よく覚えてはいないが、まるで夢のような世界だった気がして――けれど今は、まだ、足を踏み込むだけの実力がない。それは明らかだ、今になればよくわかる。
だからこそ、黙る。口を噤む。だって、あの場所はまだ混ざっているから、一般エリアからでも到着できてしまうから。
けどそこまでの責任は取れないし、そんな間抜けをする連中じゃないと思おう。
「つーわけで、あとで総司の家な」
「買い物のあと」
「わかってるって……つーかあいつ、学園行くのか? 連絡入れておくか」
「知ってるの?」
「んや、霧子を経由しようかと思って」
「私からしとく。ソウコエリア内の連絡網にはもう
「あんまり驚かすなよ……ネズと違って、こっちは電子戦そのものが疎いんだから」
「そうでもない。少ないけど」
「バックアップメインか」
猫族の特徴と言えば、なんだろうか。
猫族の特徴…………とにかく四つ耳、頭の上の猫耳が可愛い。あと猫と似たような行動があれこれ見える。それから――近くはともかく、遠くはよく見えるし、耳も良い。まあなんだ、可愛いんだこれが。猫みたいで。猫族だけど。
あとは、そう、雨が嫌い。風呂とかシャワーはいいんだけど、服が濡れると毛が濡れるみたいで嫌だって、買い物の途中で動かなかった時があったなあ。こうと決めると、本当に動かないんだこいつ――あ、途中から風深の話になってら。
でもそれは平時の話であって、仕事なら一切気にしない、嫌な顔一つしないのだから、さすがというか。
「んで、隠し事が上手い」
「なに?」
「ああ口に出てた。なんでも」
上手くこっそりやる。
慣れるとわかりやすいんだが――本音も隠す。
猫族は変身したところで、猫の姿になるだけだ。狼のように巨体でもなく、竜のように空も飛べない。そもそも彼らは、二つを状況に合わせて使うような者が、稀だ。
だがまあ、戦闘できないって、わけじゃない。
特質した能力がないことで、弱さを自覚している以上、猫族はかなり厄介だ。
「……巻き込みたくはなかったんだよなあ」
「今更?」
「俺のは稼業、お前は違う。でも選ぶのは風深だ」
「知ってる」
けど、猫の好奇心ってやつがなあ……。
「……さっきからなに見てんの」
「眼鏡をかけてる風深を見てる」
これはこれで良いんだよ。眼鏡はない方が良いとか、あった方が良いとか、ナンセンスだ。どっちも良い。風深は可愛い。うん。
顔にも出ないし口にもしないけどな。
「お前はなにしてんの」
「サーバの手配」
「ネズにお前のあるだろ」
「距離があって回線が重い。使えないことはないけど……だから、空いた部屋に置く」
おい。
空いた部屋ってお前の今の住居だろ……?
「ネズエリア専用宿舎だから、だいじょぶ」
「いや気にしてない」
どうせこいつらは、何とでもする。
勘違いしないで欲しいのだが、ネズの人間は大半が軍人――では、ない。
いわゆるカザマやソウコにおける警備隊や調査隊の役割を、ネズでは軍人が担っており、正式な訓練を受けた上でその仕事に就く。対魔物戦闘から対人戦闘まで幅広い可能性を考慮し、最低限の体力や上官に対しての礼節などを、肉体言語で学ぶわけだ。
そこから先、部隊への配属に際しては、尖った能力を所持していることが優先される。学園では一学年でせいぜい三十人程度くらいらしいが、部隊運用に関してもそこで一度学ぶわけだ。
そして、学園卒業後に、訓練校に入って今度は技術ではなく、現場への経験を含めて教わる。それを終えてようやく、実際の部隊配備へと動く。実際にその様子を見ていた第三者である俺から言わせれば、――厳しい。
自由意志なんてものはないと、徹底するようにも思える厳しさだった。それがどのような状況を前提にしているのかを探れば、こいつらは対人要素が強すぎるとすら思う。
何が言いたいのかというと、本来なら卒業後に行われる訓練校を、中等部で受けて卒業したのだから、バックアップがメインのように見えて、風深もちゃんと戦闘ができる。
しかも――えげつない。
なんでもやる。目的を達成するために躊躇はしない。
得物を引き抜いてようやく戦闘を始めるカザマとは大違いだ。その前からもう始まっているのにと、風深なら言うだろう。
「なによう」
「文句はない。まだ時間もあるし」
「……そういえば、走り込みとか、しなくなった?」
「ああ、ネズにいた頃は仕事しなかったからやってたんだよ。今はそれ以上に実戦を中心にしてるから、体力維持の走り込みとかは必要ない」
「そう言われると、確かに、基礎訓練しなくなって久しいけど、体力の衰えとかないなあ……」
「躰が馴染むんだよ。それにお前らだって、生活が仕事みたいなもんだろ」
「うん。どっかの隊長がすーぐ仕事持ってくるから」
「本人に言えよ」
「いつも言ってるよ?」
うん、すげー面倒だなお前ら。
「頭撫でてー」
「はいはい……耳の付け根な。猫って癖毛が強いイメージだけど、人型だとそうでもないよな」
「嫌?」
「綺麗だよ」
「んー……あ、猫のベッドも買わないと」
「お前のか?」
「あの猫の。布団には上がるなって言っておいたから」
それでソファに丸くなってたのか、あいつ。それほど寒くはないだろうが。
「まあリスト、作っといてくれ」
「うん。あと、――私、踏み込むから」
「どこにだよ……」
「純一郎に」
「あー……そうなの?」
「うんそう」
良いのか悪いのか、まあとりあえず総司の家に行って、話をしてからにはなるだろうけど。
この業界、夫婦で仕事をしてる連中は多いが、俺がそれを望むかどうかは別の話だし、風深が望むかどうかも先の判断だが――いずれにしても。
いつかこうなるんだろうと、そう思っていた時点で、俺には拒絶する言葉がなかった。
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