第5話 今の世界の在り方

 元より外来の宿泊施設なのか、家具全般が揃っており、俺が購入すべきは猫のトイレ、砂、餌くらいなもので充分だった。

総司そうじは、寮なのか?」

「いんや、俺は実家。魔術目当てで外から来る人もいるから、そういうのが寮生――まあ、それ以外もいるけど」

「俺みたいな留学生は別扱いか」

霧子きりこさんが来た時に規定を調べたけど、滞在期間が曖昧だろ? 寮だと家具が揃ってないことがあるから」

「なるほどな」

 3LDKとはかなり広いし、俺にはもったいないくらいだ。

「俺、料理作らないし、ベッドさえありゃそれで充分だったんだけどなあ」

「なんだ持てあますか? さすがにここじゃ、家事代行サービスなんてないぜ?」

「笑いながら言うなよ、そんなんどこにもねえだろ……雇ってるならともかく」

「そのくらいの金はありそうだけどな?」

「そうか?」

「さっき買い物してた時も、値段で選んでなかったから」

 ああ、そういうところで見抜いたのか。

「去年一年は、ほとんど仕事してたから、金に困ってはないな。うちの学園は鍛冶科、冒険科、一般科って分かれてて、俺は冒険科だったから、腕がありゃ問題ない。今年の進級も、面倒だったから教員数名とやり合っただけで、なんとかしたし」

「なんとかするのかよ……」

「調査隊に入って現場で仕事してりゃ、文句は言わんだろ、あいつらも。とはいえ、さすがに卒業資格そのものは欲しいからな」

「へえ、なるほど、そうか。制度を利用するんじゃなく、学園側にこっちの行動を認めさせる方法か。……そうか、なんとかできるか」

「お前みたいに、実力を隠してる場合は逆に面倒だろ」

「俺が?」

「そのうち、風深ふうかが来るから、その前に話しておくが、お前のそれ、――契約の対価だろ。お前自身はそれを〝好意的〟みたいだけどな?」

「……マジかよ。あ、いや悪い、確かに俺の〝現状〟に関しては納得してるし、あるいは解決も可能だ。けど……何故、そんなことがわかる? 霧子さんだって、契約と対価だと言ったところで、説明なしに理解はできなかったのに。これ、言っちゃ悪いが魔術的な分野なんだぜ?」

「そうなのか」

「どうしてなんだ?」

「どんだけ誤魔化したって、普通と違うってのは違和が残る。何よりも、本来あったものがなくなってるなら、その器に何を入れるかが問題だと思わないか? 魔力ってのは人が持つ気配に似てる。そいつがごっそり、溜まらずにどっかへ流れてんなら、何かしらの契約で渡してるんだろうなと想像するのは、一般的だろ」

「おい、おいおい、わかるのかよ」

「結果、わかったんだからいいだろ……」

 そこらへんを説明すると、さすがに時間がかかりすぎる。

「ただ総司、お前それ人間相手の契約じゃねえだろ」

「なんてことだ……マジでソウコは初めてなのかよ」

 俺にはその落ち込む理由がいまいち掴み切れないんだけどな。

「一応聞いておく。〝そっち〟じゃ人間以外ってのは、当たり前なのか?」

「霧子の反応を見てればわかるだろ、当たり前なわけがあるか。ただ俺はそれを知っている、それだけのことだ。そしてお前も知っている」

 相互理解ができるからこそ、口にしたんだが……。

「そりゃそうだけど……ああもういいや」

 呼び鈴が鳴ったので、俺は腰から刀を引き抜いてテーブルに置くと、出迎えをした。

「よ、きたか」

「……」

 あ、駄目だこの顔、まだ怒ってる。

「風深?」

「ん」

「ええと……あのな」

「はい」

「お、おう」

 猫を手渡され、中へ。俺はしばし考えてから玄関をしめると、白猫の目を見て、下に置いた。

「探索してこい」

 鳴き声一つなく、こちらを振り返ってすぐ歩き出す猫だったが、お前も苦労するな、みたいな同情の目だった。何を吹き込まれたんだお前は。

 まあいいと思って戻れば、風深はキッチンでお湯を沸かしていた。あーどうしようマジで。

「純一郎、得物をそこらに置いてくなよ」

「――ああ、そういや危なかったな。俺以外が抜くと〝怒る〟から、気をつけろ総司」

「そういう意味じゃなかったんだけどな……?」

「わかってるさ。じゃ、ついでにもう一つ。総司、今は霧が出ているか?」

「ん?」

 窓際まで歩いた総司は、外を見て。

「いや……出てねえけど。ちなみに、頻度としては夜が多いぞ」

「……」

 嘘を言っている気配はない……俺とは違う〝契約〟のようだ。それとも、最初から適性がなかった?

「なんだよ、心配してんのか? 霧子さんは結構、勇み足っつーか、好奇心で踏み込んだ感じもあったけど」

「夜間、外に出る人間は?」

「警備隊は日付が変わる前に、巡回はしてるが……」

「そうじゃない、エリアの〝外〟だ、総司」

「……いや、俺もそれはない。どのエリアも同じだとは思うが、だいたい二十一時前には出入りの門を閉じる」

「当然だな、内外を閉ざすのは魔物に対して素直であり効果的な対応だ。……風深、先に仕事の話だ」

「ん、珈琲」

「ありがと――で、どうする総司、座って話を聞くか、それとも部外者になるか」

「……厄ネタになりそうだ、邪魔じゃなけりゃ聞くさ」

「お前も好奇心で踏み込むタイプじゃねえか」

「ミリクネさんには悪いと思ってるよ……」

「ん」

 珈琲が置かれ、俺が椅子に座れば、その上に風深がどっかりと腰を下ろした。仕事の話だって言ってんのに……しょうがないと、腹部に手を回して固定してやる。

「ん……」

「悪いな猫、お前はベッドで寝てろ。今はこいつの指定席」

「俺帰った方がいいのかな……」

「いつものことだ、気にするな。で――どこまで見えてる、風深」

「五十メートルほど」

「悪い、そいつは俺の影響だ。もっとも、最初から〝持って〟なきゃ、影響はしなかっただろうけどな」

「……、一体何の話だ、純一郎」

「俺にはずっと、この街は濃霧の中だって話だよ」

「――」

「お陰で、自然警戒を〝抑える〟のが、日課になりそうでな。といっても、これはべつに〝問題〟じゃあない」

「問題じゃない?」

「自然現象だし、こうなって当然なんだ。見える俺の――俺たちの方がどうかしてる。安心しろ、ソウコはまだ境界を割っちゃいねえよ。なあ?」

「……うん、そうだね。それはない」

「なんでそう言える?」

「人が生活できてるから。でしょ」

「ん? ああ、まあな。そうか、風深の方はまだ情報が断片的か……霧子も知らないだろ」

 問えば、顔を上げて俺を見上げてきた。

「――そろそろ踏み込めって。私はウェルカムだけど?」

「偉そうに……」

「やっぱ俺邪魔だろ……」

「だから気にするな、見せつけてるわけでもないし、いつもこんな感じだ。あとで俺は謝るけど」

「そうしとけ」

「それで、総司は〝魔術師〟として、ソウコエリアの霧や、魔術が使える理由に関して、どこまで知ってる?」

「俺は比較的早く、その事実には気付いてる。だから逆に聞きたい――純一郎は、どこまで知ってるんだ? いや待て、先に断っておくが、俺が隠しておきたいわけじゃない。普段ならそうするが、お前も知ってそうな感じはわかってる」

「俺が知ってるのは、〝世界〟の仕組みだけだ」

「――」

「なんで知ってんの」

「不幸な偶然?」

「なにそれ。じゃあ私と出逢ったのは?」

「それは必然。出逢ってからはお互いの努力」

「ん、よろしい」

「ちょ、ちょっと待ってくれ。馴れ初めはどうでもいいけど、世界の仕組み?」

「総司、まずはソウコエリアの説明をしろ。どうして霧が出る? 魔術が使えるのはどうしてだ? 俺じゃなく、風深にな」

「あ、ああ……そこらへんの考察は以前、霧子さんに説明もした。ここは、領域が未踏破エリアと重なってできている。霧が出た時はその境目が曖昧になって、あっち側に紛れ込むことが多いんだ」

「未踏破エリア……私の認識では魔物の住処、人の立ち入れない領域だけど」

「合ってるよ。どうして立ち入れないかってのは、今更説明するまでもないけど、入り口も出口もわからないからだ。でもこのソウコエリアに関しては、領域が重複してるから、どこでも入り口だし出口でもある――そういう〝定義〟から術式を使えば、戻って来ることもできる。ただし、俺以外に自由に移動できてる人は、まあ、知らないね」

「……それ、未踏破エリアでは魔術が使えるってこと?」

「そういう考察はしてるし、そういうものだと聞かされてはいる。ただ、確認はできてねえ」

「純一郎、じゃあアレって」

「そうだな、風深の使うそれも魔術ってやつなのかも、しれない。俺のは違うけど」

「どういうことだ? いや確かに、俺の考察としては、ほかのエリアでも術式は使える」

「説明してくれ」

「魔力回路も魔術構成も、それ自体は自分の中にあるんだ。ここで問題になるのが魔力なんだよ。かつて、五十年ほど前にあった技術革新――つまり今の世界になる前は、今でも俺らの祖父世代がそうであるように、自分の中で魔力ってのを作ることができたんだ。けど、今は周囲から取り込んで精製する、っていう手間をかけてる」

「へえ、そうなのか……」

「だから、未踏破エリアと重なってるここは、その外の魔力が多い?」

自然界の魔力マナね。俺はネズまで行ったこともないけど、確かに外に出てしまうと薄いんだ。だから、充分なエネルギーが与えられない高速馬車みたいに、まともに動かなくなっちまう」

「そっか。でも私、そういう自覚ないけど」

「そこらへん、説明できるか、ミリクネさん」

「ん……私はよく〝感覚〟が飛ぶ。プログラムを作ってる最中に、両手でキーを叩いてるはずなのに、私はそのまま電子の海で立体的な作業を行っていることがある」

「……自覚して?」

「うん。あと、存在が不安定? 銃撃を食らったはずなのに怪我がなかったことも。こっちはなんか、タイミング。偶然かも。――ただ、昔から私は〝こう〟だったから」

「だから耳を隠してるもんな、俺には見えるけど」

「ふん」

 見れば、総司は珈琲を片手に持ったまま、視線を斜め上へ向けていた。

「……いや、だが、弾丸の飛来に対してなら……いや待てよ、内世界干渉系とも限らないか……」

「なんだ、内世界……なんたらって」

「内世界干渉系は、内側で完結する術式。遠く見たり、身体活性したり。実際に火を出したりするのが外世界干渉系。大きく二つの体系になってるんだって」

「相手の内部に侵入するのは? 精神汚染って、現実にできるなら術式にもあるんだよな?」

「それは外世界干渉系。自分以外だから」

「ああ、なんとなくわかった。あれだ、実際の世界に干渉するかどうかの区別か」

「そんな感じ」

「――ミリクネさん」

「ん?」

「いくつか、可能性はある。たとえば〝同一シム〟の術式を使った場合、対象と対象、二つのものを同一と定義することで、場合によっては無力化も可能だ。けどこれを扱っても、特定の状況でしか効果を発揮しないことが、ほとんどだ。簡単に言うと、魔術的な思考をした場合、ミリクネさんが座っている。俺が座っている。これを〝同一〟と定義することが可能だ」

「どうやって?」

「外堀を埋めるよう、構成を組む。椅子が同じ、状況が同じ、そこに含まれる〝違い〟を除外していくんだ。これは置換リプレイスなんかによく使われる手法だけどな。AとBの位置を入れ替える術式」

「……思ったより、きっちりしてるんだな?」

「そりゃ純一郎はまだ知らないだろうけど、魔術ってのはそういう〝理屈〟がベースになってる。一つでも矛盾があるなら、それを上手く定義しなくちゃいけない。構成なんてのは、精密なもので、綻びはないよ。それこそ、機械と同じだ。ネジが一本なくても、なんとか動くけど、それは暴走って危険性を常に孕む」

「なるほどな、続けてくれ」

「プログラミングは端末だろ? そっちで発想したのは〝同調シンクロ〟の方だ。これは自分自身を、対象と同じものにするが、あくまでも一部だな。じんさんに聞いたけど、あの人にとって狙撃銃は自分そのもの――みたいなこと言うだろ?」

「うん、照準器をのぞき込んだ陣は、狙撃銃になる。目を動かすのと同じ感覚で周囲を見渡すし、鼓動も一体化する。私から見ると、狙撃銃の仕組みそのものに、自分がなる感じだけど」

「そう、それが同調。術式の場合は範囲もそれなりに広いけど、自分を手に持ったナイフと同調させて、体内に送り込まれた毒物を無力化する――なんてことも、可能だ。でもこれだと、飛来した弾丸は、弾かれることになる」

「そいつはあれか? 弾丸同士がぶつかって、ひしゃげて落ちるのと同じだろ? 霧子が得意なんだよな、あれ」

「うん……」

「……いやその通りだけど、霧子さんマジかよあの人、やっぱおかしいだろ」

「あいつがまともだったことはねえよ」

「純一郎が言うな」

「悪かったなー」

「でだ、まだ確かなことは言わないが、おそらくそいつは〝憑依ドレスコート〟の魔術特性センスだ」

「ああ、豪華な食事会の入り口で求められるやつ」

「ミリクネさん、そいつはドレスコード。じゃなく、ドレスと、コート。身を包むものと羽織るもの。魔術の言葉を使えば、戦闘衣ドレスに、自己領域コート。それを憑依することと掛けてる」

「冗談だったのに……」

「わかってて、訂正してんだよ。けど総司、つまりそいつは似たようなものなんだな?」

「まあな。俺はそれほど扱えない術式だから、まあ曖昧にはなるけど」

「――へえ、つまりお前は、得意以外ができませんとは言わないってことか?」

 問えば、小さく笑った総司は、肩を竦めた。

「魔術師って呼ばれる人間は、術式が使えるかどうかじゃない。魔術という分野を探求するかどうかだ。それはな純一郎――世界を知ることと同義なんだよ。世界の仕組みとは、すなわち、魔術の仕組みでもある」

 なるほど? 法則を変えられず、その中で扱われる術式であれば、その探求は現実そのものを視認する行為に他ならない。

 それがどういう仕組みなのか。

 そうやって世界の一端を、知るわけか。

「憑依は、同一でも同調でもあるし、そのいずれでもない。ミリクネさんが使っていたのは、おそらくその初歩――対象と〝同じになる〟というものだ。プログラムの話に関しては、さっき言った通りだけど、弾丸の場合は少し違う。存在を奪うとでも言えばいいんだろうが……明確な定義は、違うんだ。弾丸と同じものになるんじゃなく、飛来してくる弾丸に、自分を憑依させる」

「――今、飛んでくる弾は私だ」

「その瞬間、ミリクネさんは存在して存在しないようなものだ。本来はもっと複雑な定義を行って、自分自身の存在を繋ぎとめるんだが、弾丸の〝役目〟を終えてから自分の躰に戻ったって感じかな。実際に憑依とは言うけど、何も魂が乗り移るとか、そういう感じじゃあないんだ。現時点では、これ以上の説明は難しい。うちに何冊か魔術書があったから、詳細を求めるなら見せるよ。貸すことはできないけど」

「わかった」

「そん時は俺も同行させろ。――面白そうだ」

「へいへい……ともかく、俺が知ってるのは、そんな感じだ」

「ありがと」

「次は俺の番――だが、どうも説明ってのは、得意じゃない。どうだ総司、今日の十九時過ぎ、俺は〝ちょっとした〟仕事をしなくちゃいけない。同行するか?」

「する」

「……風深、俺、本当は連れて行きたくないんだけど。あと総司に聞いたんだ」

「行く」

「あー、物騒な話か、純一郎」

「ある程度は。最悪を考えるなら心構えはしとけ。俺はいつものことだ」

「諒解。俺は一度、家に戻ってから……そうだな、夕方頃にまたここに来るよ。それまでに、ミリクネさんの機嫌をちゃんと直しとけ」

「当たり前だ」

「ん」

 当たり前なんだが……さて。

 どうしよう。

 俺の〝時間〟感覚が曖昧になるのは、これからの仕事でもわかるんだが……それ、言い訳かなあ。

「純一郎」

 総司が出て行ってから、相変わらずの姿勢のまま、顔をこっちに向けずに、言われて。

「な、なんだ?」

「……また逢えて、嬉しい」

「――おう、俺もだ」

 空白になってしまった一年より前は、俺がネズにいたからよく顔を合わせていたし、俺だって忘れていたわけじゃない。でもそれは俺の言い訳で。

「寂しかった!」

「おう、ごめんな」

「怒ってる!」

「ん」

 とりあえずこのまま、ちゃんと聞こう。

 まあなんだ、どうであれ――俺が悪い。うん、そういうことだ。



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