第4話 鈍感な馬鹿と女心

 ――まったく。

 まったく、あの男は。

 ああもう……腹が立ってきたので、怒りの表情が表に出ないよう心掛けながらも、私は前髪を整えて表情があまり見えないよう、目を隠した。といっても、ぎりぎりのラインで真横に揃えているんだけど。

「はふ……」

 確かに、そう、確かに? 私は学生でありながら霧子きりこ隊長の部下だから、今回のような特例がなくとも、日常的に〝仕事〟として任務を請け負っている。

 簡単に言えば、私たちのやることは膿を出すことだ。

 椅子に座っているだけの役立たずを排除すること――ネズはこのソウコエリアの二倍くらいの広さがあり、人口もそうなので、仕事はそこそこ多い。ただでさえ軍部は人手不足、身内狩りに似た仕事は私たちくらいしかやらないし、つまるところ、プライベイトの連絡なんかを受けられる機会も少ない、ということ。

 でも一年ってどうなの。

 しかもあの感じ、こんな偶然みたいな出逢いがなければもっと放置していた様子のあれ。

 どうなの?

 いやいや待て、落ち着くんだ風深ふうか、純一郎にだって何か理由があったのかもしれない。

 ……。

 …………。

 いやないよ、あいつには。どうせ忘れてたんだ、そうに違いない。

 購買に向かっていた足を、そのまま裏庭に。純一郎から離れてちょっと不満そうな子猫を抱いて、私の方が不満なんだぞと伝えておく。……伝えてどうするんだ。

 あーもう、あーもう!

 全部純一郎が悪い!

 裏庭にあるいくつかのベンチの中、遠い位置を選択して腰を下ろして、猫は膝の上へ。ちなみにこの猫は、私と同じ猫族だ。人型で活動する私のような者もいれば、こうして猫の姿のままでいる者もいるのが、私の種族である。

 携帯端末を取り出して、付属しているインカムを引き抜いて耳にかける。コールは三度で済んだ。

『なに?』

「報告。玖珠くす純一郎じゅんいちろうが留学してきた」

『…………え?』

「今朝」

『ちょっ、――ちょっと待ってなさい』

「わかった」

 霧子隊長は端末を離し、なんかきゃんきゃん――じゃない、吠えて……いや、何かを言っている。どうやら上司がそこにいるらしい。

 同僚である狙撃手のじん・シラフネと私、隊長は霧子さん。直属の上司が一人――部隊の関連性はそこで完結しており、基本的に横やりが入ることは一切ない。仕事も、三人でできる範囲のものしか……いや、無理をしてどうにかやるんだけど。

 ちょうど三年前だろうか、私が純一郎と出逢ったのは。

 霧子隊長の幼馴染であり、その時の純一郎はネズの姉妹校への留学できていた。中等部一年、その頃の話である。

 うちの訓練場でぼうっと様子を見ている彼を屋内から見て、当時から隊長だった霧子が言う。

「あれ、幼馴染。五分あげるから準備して、ちょっと殺してきなさい」

「……は? なに言ってんの隊長、いつも思うけど今日の頭も大丈夫か――いてぇ!」

「五分後、私が本人に連絡を入れて状況を説明するのが合図。あいつには、あんたらを殺さないように配慮させるから」

「おい風深、この隊長マジで言ってるぞ」

「うん」

「こいつは……いいんだけど、準備ってなんだよ」

「7.62ミリを五発あげるわよ。たぶん、三発で気付くとは思うけど」

「は?」

「まだわからないの? ――あんたらがどれほど本気になろうが、あいつは、死なないわよ」

 その言葉の意味を、私たちはすぐ知ることになる。

 隠れて接近した私は当然のこと、必中距離である千百ヤードからの狙撃を、あっさりを回避する――どころか、陣に言わせれば照準器越しに見た純一郎は、自分を見ていたと言うのだから、わけがわからない。

 そもそも戦闘にならなかった。戦闘をしなかった。その領域に立ち入ることもできなかったのが、私たちの実力だ。

 だいたい一年くらい、純一郎と過ごした。ほとんど授業には出なかったが、よくこちらの仕事は観察していたのを覚えている。

 死なない人がいるんだと、私は初めてそれを――馬鹿げた、ありえもしない幻想を、認めることができたのが、純一郎だ。

 そもそも人なんてのは簡単に死ぬと、幼少期に親を目の前で亡くした私は、それをよく知っていた。だからこそ、私は私自身の命でさえ、軽く扱う傾向にあったのは確かで――隊長もそこを治せと言ってくれたけど、そう簡単に治るはずもなく。

 ただ、私は信じることができた。

 純一郎は死なず、必ず生きて帰るのだと、そう信じられたし、それを本人にもちゃんと伝えた。


 ――じゃあ、お前も諦めるな。


 そう返された言葉に、私はよく考えてから首を傾げたが。

「死なない人間なんて、いねえよ。で、人間はともすればあっさり死ぬ。けど、死なないよう努力することは、誰だってできる。俺はな? ただ、必ず生きて帰ると、誓った。あらゆる状況下で、何があっても、そうすべきだと俺自身に刻んだ。それだけのことなんだよ」

 まるで、自分自身に改めて戒めるようにそう言うのだから、これはもう負けだ。私の負け。だってちゃんとそれを、純一郎は体現していて――私が、確かに、諦めていたから。

 仕方ない状況に追い込むことを仕事にしていたから、そういうものだと。

 諦めた。

 自分だってそうなるだろう、と。

 それは間違いだろと言われた気がして、頭に手を乗せられ、私はそれを拒絶できなかった。

 …………でも一年、音沙汰なしなのは関係ないよねこれ。

『風深?』

「はい」

『上司がね?』

「うん」

『楽しそうだから、サプライズとして黙ってたから、褒めて欲しいって』

「びっくりしなかったから貶してもいいと思う」

『それでどうにかなる上司だと?』

「そこはそれ」

 鋼の心臓を持ってる上司だからたぶん通じない。うんわかってる。昔からずっと上司だし。

『明日にはそっち行くわ。陣を置いてく。高速貨物車に入り込むわ』

「わかった」

『あいつが〝トラブル〟を起こしたら、さすがに現場じゃないと手が出せないし。風深も、手を出さないように――ああ、プライベイトならいいけど。随分逢ってないでしょ?』

「一年ぶりくらい」

『じゃあ積もる話もあるでしょ』

「べつに」

『…………あれ? なんか怒ってる?』

「怒ってない」

 いや怒ってるけど。それは純一郎に対してで。

「言葉に出てる?」

『出てるわよ。というかそれ、純一郎にちゃんと向けなさい。それと――これは仕事じゃなくて、本当にプライベイトの忠告だけど、そろそろ純一郎がやってることに、踏み込んでみたらどうなの』

「……隊長は、知ってる?」

『〝不可解〟な部分に対しての推測はいくつかあるけれど、ほかの幼馴染よりは理解が薄い。ただ、それに関しては口にしないし、部隊としても、私個人としても、立ち入るべきかどうかは、迷ってる。少なくとも前者では否定できるけれどね』

「珍しい。隊長が迷うなんて」

『だから、風深がどうしたって、私に報告はしなくていい。まあ、踏み込んだかどうか? 女として? そういうのは興味あるけど』

「隊長、参考にするのはいいけど、相手いたっけ」

『……うっさいわねえ。私に言わせれば、純一郎を相手にする方がおかしいわよ、あんなの』

「それは前から聞いてた」

『で、まだ時間はあるけど、問題は起こしてないんでしょうね?』

「うん。猫一匹、一時預かりしてるけど」

『またあいつは……猫族?』

「そう、小さいけど二十年は生きてる。来る途中で引っかけたみたい。まだ事情は聞いてないけど、群れから離れたのは聞いた」

『そっちは任せる。というか、どうせ純一郎は私らがいることも初耳だったんでしょうに』

「驚いた様子はなかったよ」

『でしょうね、昔からそう。感情の波がほとんどない。特に驚きは見たことない』

 あるいはそれを、想定していたのだろうけれど、たぶん純一郎は想定すらしておらず、驚きの前に飲み込んで納得する方が早い。

 どうせ私の不満にも気付いてない。

「あの野郎……」

『風深、ふーか、声に出てる』

「あ、ごめん」

『思い余って拷問しないようにね』

「しないよ、仕事じゃないから」

 私にだってそれくらいの分別はつく。

『その話、蓮実はすみにはした?』

 隊長の幼馴染四人組の一人、一緒にきている小太刀二刀の武術家で、ネズの所属。こちらも多少の交流があるし、それほど仲が悪くはないけれど、休み時間だから一緒に行動するほどでもない相手。

 まあ、たまには一緒になって話もするけど。

「してない」

『うーん……ま、それとなく伝えておいて。いや私からメール入れておく』

「わかった」

『そっち一人? 時間は?』

「だいじょぶ。午後からはサボる」

『ああそう……ま、怒ってるものね』

「怒ってない」

 怒ってるけどね!

『じゃ、ついでってわけじゃないけど――霧は、まだ見えてるの?』

「――うん」

 私は、裏庭でぐるりと周囲を見渡すが、やはり霧が見えている。といっても、五十メートルほどの視野は確保できているくらいの濃さだ。

 ソウコでは霧が出たら家に入れと、そういう仕組みになっているが、私にはずっとその霧が見えていた。お陰で狙撃への警戒がずっと消せないでいる。

 ただし、この状況は私だけらしく、陣も隊長も見えていないとのこと。原因に関しては、周囲に聞けないこともあって、追及もままならないのが現状だ。

『そう。……時間があるなら、純一郎に聞いてみて』

「純一郎に?」

『可能性の話だけど、たぶん、純一郎なら――知ってる。あるいは、もしかしたら霧が見えてるかもしれない』

「そう……なの?」

『あれは、私たち幼馴染の中でも、得体のしれない部分があるから、もしかしたらって話よ。人の理の中に、人じゃないのが紛れてるみたいにって昔に言ったら、目を丸くしてたのを思い出した』

 驚かないあいつが見せる、わかりやすい驚きの表現だ。

「わかった、聞いてみる」

『ん』

「そっちは?」

『事後処理自体はそう面倒もないけど、さすがに邸宅の爆破はやりすぎだって――上から言われたけど知ったことじゃないっていう、上司の愚痴を聞かされてた』

 うん、まあほぼ独立した部隊だからね、私たち。上司の愚痴は知らないけど。

『あと陣には、カザマにいる幼馴染の動向をちょっと探らせようかなと』

「私やろうか?」

『純一郎ほどじゃないけど、あいつも〝立場〟をあっさり捨てられるから、痕跡が残りにくいのよ。現場に行けばすぐわかるのに。まったく三人だとこういうとこ面倒よねえ』

「隊長が二人分くらい仕事してるから」

『……なんでだろうね?』

「上司のせい」

 それもあるけれど、実際には隊長のスペックだ。何しろ狙撃では陣と同じ仕事ができるし、情報収集や拷問、あと爆発物の取り扱いなんかも、私より上手い。

 それを悔しいと思って訓練もしたけれど、未だに劣等感はある。まあ、それを任されていることを嬉しくも思うけれど。

『ああ……でも、純一郎は術式が扱えるのかしら』

「どうだろ。まだこっちも二ヶ月だし、対策メインだから実用そのものは後回しだけど」

『うん、それでいいのよ。いいんだけど風深、いい?』

「なに?」

『気付いてるかどうか知らないけど、あんた純一郎のことになると、やたら状況に巻き込まれるんだから、ちょっと気をつけなさいよ?』

「……? そんなことあったっけ?」

『あったのよ! そして私が一番危惧してんのがそこなの! あんたら揃うと何をしでかすかわかんないんだから!』

「失礼な。そんなことない」

『あるのよ!?』

「魔物が勝手に寄ってくることはあったけど」

『あるでしょうが!』

 そんなのを私の責任にされても困る。

『今! もう今から出て今晩には行くから何もするんじゃないわよ!?』

「うん。……たぶん」

 あれ、おかしいな。

 もしかして純一郎より、私のことを問題視されているような……?



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