第2話 魔術のあるソウコエリア

 近くにある――そう表現すれば語弊もあるんだろうが、少なくとも交流があり、流通経路が確保された街と言えば、この近辺には表向き、三つしか存在していない。

 鍛冶全般が活発である、カザマエリア。

 銃器類を中心に軍が存在する、ネズエリア。

 そして魔術が扱える場所、ソウコエリア。

 こうして考えると、各エリアには、それしかないように思われがちだが、そういうわけでもなく、単に俺がそう捉えているだけだ。それほど間違いではない――が、じゃあカザマやソウコには軍がないのかと問われれば、似たようなものはある。加えて、高等部で在学する学園は、姉妹校のよう、それぞれのエリアに〝同一〟のものがあり、内容こそ違えど、情報交換なども行っており、だから。

 こうして、俺のように留学生として受け入れられることもある。

「はい、お待たせしました。ええと……純一郎じゅんいちろう・クスくん」

「ん? ああ、待ってはいない。気にするな」

 横に視線を向けてから、そこから下へ移動させてようやく、声の主を発見する。どうやら俺の担任らしいのだが、かなり小柄で俺の肩まで頭がないものだから、一体どこの中等部から迷い込んだんだと、そう思ったのは口に出さない方がいいだろう。

 職員室からは少し離れている空き教室――というより、空部屋に近い二十畳ほどのスペースは、学生会室の隣にあって、そこで俺は一人で待っていたわけだ。まだ朝も早いので、登校はそろそろしているだろうが、授業が始まる段階ではない。

「私はりり・コノアメで、クスくんの担任になります」

「よろしく」

「はい。すみません、検査結果が出るのが遅れてしまって」

「まるで病院の待合室みたいなことを言うんだな」

「あはは、そうかもしれません。ええと……魔力判定……S判定!?」

 へえ……やっぱり、そうなるか。どういう仕組みかはわからないし、魔力と呼ばれてもピンと来ないが、似たようなものなら俺も知っている。

 いや、把握していると言うべきか。

「高いのか?」

「え、ええ、珍しいくらいに。でも魔力回路がないそうです」

「それは?」

「ええと、術式を扱うためには、魔力というエネルギーが必要で、それを自身が持つ回路に通すことでようやく、構成……いわば設計図のようなものを作ることができるんです」

「なるほど、つまり俺は術式が使えない。で?」

「ええと……落ち込んでは、いない、ようですね」

「わかっていたことだからな」

 言って、しまったなと思うが後の祭りだ。そんなことは黙っておくべきだった。

「気にするな。それで?」

「あ、はい。私が担当する十二組は、あまり適性のない子ばかりですので、そちらに入っていただきます。一応、十一組までは、数字ごとにランク付けがされていると思ってください。それほど明確なものではないのですが、教えている内容もより高度になります」

「それが学園の方針か、なるほどな。制度そのものは違えど、ネズもカザマも似たようなことをしてるよ」

「ええまあ。私も昔はカザマに住んでいましたから」

「へえそう」

「ちなみに、ネズもご存知なんですか?」

「あそこは〝部隊〟の教育を念頭にしてる。つまり隊長と部下、そういう関係を学園内で作るわけだ。もちろん教員の指導が前提だから、程度は知れるけどな」

「はあ……それで」

「なんの話だ?」

「ああいえ、二ヶ月前にネズエリアからの留学生が来ているんですよ。四人ほど……ただ、今はなんだか、事後処理とかで二人は戻っていますが」

「…………」

「えっと」

「ちなみに誰が来てるか言えるか?」

 隠してませんよと、四人の名前を聞けば、ため息が落ちた。

「全員知り合いだ」

「――へ?」

「いや、個人的な話だから、あまり気にしないでくれ。昔馴染み……いや、幼馴染か。そういう関係性が少し、あってな。せっかくの新天地、楽しく遊んでやろうと思ったら、既に知り合いがいたって感じで、ため息を落としたくもなるだろ」

「そこは安心するところでは?」

「どうだかな。で――授業の前に、魔術ってのがどういうものなのか、概要だけでも説明してくれないか?」

「あ、失礼しました。その話でした。その前に、隣室に行きましょう。学生会長を紹介しておきます」

「ん」

 姉妹校なだけあって、学園の構造はほとんど変化がない。一般教室はともかく、教員室や校長室、学生会室なんかは位置が変わっていない――と、まあこれ、本当は俺が言えた台詞じゃないんだけど。

 廊下に出てから、隣室へ入れば、執務机で作業をしている手を止めた女性は、髪を肩の後ろに払いながら姿勢を正した。その間に、男が移動して彼女の傍に立つ。

「初めまして、クスくん。私が学生会長のかなめ・イールギーです。こちらは副会長の湯佐ゆさ・イールギー」

「純一郎だ」

 湯佐という男は、会釈をするだけで口を開かない――が、なかなか、面白い関係性だ。

 俺は意識して、両手を頭の裏に回す。

「その服装、ネズからいらっしゃったミヤさんと同じね」

「知り合いだよ、そいつはな。ところで、一ついいか」

「なにかしら」

「護衛の必須条件って、何だと思う?」

「――はい? ええと、護衛の?」

「少なくともネズでは、対象の死守と障害の排除、と答えるだろう。だがこれは条件というより状況だ。カザマは知らんが、俺なら要護衛対象に気付かれないことと、そう答える。けど、あんたはこう答えるんじゃないか? ――信頼関係、と」

「えっと……?」

「どう思う、なんてのは質問じゃなくて理解の押し付けがほとんどだ。右から左にスルーして、そんなもんかと口にすりゃそれでいいんだよ。湯佐さん? 何かをするつもりはねえよ」

「……失礼しました」

「いや、立派だと思ったから、つい口が出た。嫌味じゃなく、凄いよそれは」

「ありがとうございます」

 言葉数少なく、湯佐は窓に背中が当たるくらいの位置まで下がった。

 誰かを守ろうとしている時、その人間がどこに立つのかがわかる。近すぎれば動きが制限され、遠すぎれば間に合わない。その距離というのが実に微妙で、相手のパーソナルスペースに立ち入ることにもなる。

 そのバランスが、この男は非常に上手かったし、かなめも〝当然〟として受け入れていたことから、付き合いの長さが感じられた。

 たぶん、俺が護衛と言わなければ、二人は意識すらしていなかったはずだ。そのくらい当然の立ち位置――ま、余計なことか。

「それで、魔術ってのは何だ? できれば簡単に頼む」

「そうですわね。先生?」

「あ、はい。魔術とは、魔力と魔術回路、そして魔術構成を扱うことで、現実に可能な現象を具現することを指します。これを術式と呼ぶのですが」

「――なるほどな」

 現実に可能な現象、ね。

「器の内側から、その全容を望むことはできない――ってか」

「え? どういうことかしら?」

「人は法則を無視することも、概念を覆すことはできねえってことだろ?」

「……はい、そうです」

「湯佐、言ってることわかる?」

「正しく理解しているとは言いません」

「私たちは、あらゆる方法で火を熾すことができます。木と木をこすり合わせても良いですし、メタルマッチもあります。もちろん、術式もです。しかし、これは〝手段〟なんですよ。湖に石を投げ入れて火を熾すことは、できません。そういう法則があるからです」

「ええ、それはわかったわ。けれど概念というのは?」

「現象の中で、可逆ではないものを、そう呼びます。といっても、ほとんどの現象にこれは該当するのですが……」

「難しい話かしら」

「いえ……かなめさん、火は熾せますが、では熾きない火はありますか?」

「それは――おかしな物言いではなくて?」

「ではこう言いましょう。降らない雨は、存在しませんね?」

「――しない、と、思うけれど」

「そう、雨は降るものです。降っているから雨であって、降らなければそれは雨ではありません。こういう〝仕組み〟そのものを、概念と呼んでいます。法則の中、あるいはそれ以上のものと捉えるとわかりやすいかもしれません。その現象を起こすことはできても、使ったり変えたりすることが難しいんですよ」

「はあ……なるほど、ありがとうございます」

「いえいえ」

 俺が主体だってことを忘れてないだろうな、こいつら。

 もっとも、勘違いして欲しくないのだが、このあたりの考察や思考は、俺の友人のものだ。以前に似たような会話をしていて、それを覚えていただけである。

「で、幅はどのくらいだ?」

「……、あ、はい、幅ですか。ええとですね、術式そのものですと幅は非常に広いです。先ほど言った通り、現実に可能な範囲となります。ただ個人としては、魔術特性センスというものがあります」

「続けてくれ」

「いわゆる個性という幅です。得意なものと捉えるのが一般的になりますね」

「得意以外はどこまで教えてる?」

「ううん、実情としてはあまり教えていません。得意を伸ばす方が効果的ですし、目標を定めやすいのも理由ですね」

「どこも似たようなもんか……」

「カザマでもそうなの?」

「ん? いや普通に考えりゃ、対多数に教えるんだから得意を伸ばした方がいいだろ。面倒もない」

「あら、対一なら違うかしら」

「得意なんて放っておいても伸びるものを、一から説明する馬鹿がいるか?」

 ――なんて。

「こいつは俺の友人の台詞だ。まあ俺も同感だが」

「辛辣ですねえ……」

「すげー嫌味だろ? 言葉を選べって言ってんだけど、聞きやしねえ」

「で、でも壁にぶつかることもあるでしょう?」

「ぶつからなきゃ成長しねえし、ぶつかってからが出番だろ。馬鹿だと言ったのはな会長さん――走ることが得意なやつに、ボールの投げ方を教えないからだ。得意ってのは、そういうことなんだよ」

「それは……そうだけど」

 むすっとした顔に、やや雰囲気の変化を感じた。なんだ、会長としてそれなりに、態度を作ってるわけか。歳相応の顔も隠してるらしい。

 ああ、つまり、湯佐の方はお目付け役ってところか。

「クスくんは刀ですか?」

「ん、ああ、まあそう思ってもらって構わない。誤解のないよう、ここでは言っておくが、俺が留学を申請したのは、対魔術戦闘を経験しておくためだ。担任さん、俺の考課表に目を通したか?」

「あ、いえ、まだです」

「あそう」

「失礼、よろしいか」

「構わない、なんだ副会長さん」

「対魔術戦闘を経験して、対策を練るのが目的だと捉えて構わないか?」

「そこに、魔術での対策という意味が含まれていなければ、その通りだ」

「なるほど、ありがとうございます」

「これで終わりか?」

「あ、いえ、もういくつか。ええと、午後からは宿泊可能な場所の案内をさせていただきます」

「そう聞いてる」

「ペット可の方がいいですよね」

「……? 確かにその方が好都合だが、あれか、ペットってのに女も含まれるんなら、そこまでの気遣いはいらんぞ」

 そんな世話までされてたまるかと、頭の後ろから手を離し、左手を腰の刀、その柄にぽんと置く。右手は腰だ。

 いずれも、何もしないという表現である。

「あの……いいかしら」

「なんだ」

「頭の上に猫乗せてるのは、何故……?」

 そして、お前らどうして視線を反らす?

「いや、ここに来る前に拾ったんだよこいつ」

 頭の上で器用に丸くなっているのは、むしろ俺がバランスを崩さないからこそでもある。まあ子猫なのも理由だろうが。

「ネズを越えて二日目くらいだったか? 群れとはぐれたらしくて、どうせ魔物に殺されるならって同行を誘ったら、ついてきた。昔からこいつら一族には好かれるんだ……例外はいるけど」

「そ、そう……」

「そういう趣味かと思ってましたー」

「ちょっと先生!」

「いやべつに気にしないんだが」

「というか外で拾ったんですね。……あれ? でも、馬車なら二日くらいで」

「ん? 街道なんかほとんど安全確保できてるだろ。徒歩で充分だ。カザマじゃ調査隊の仕事を中心にしていたしな」

「どういう経歴なのよ、それ……霧子きりこの時にも思ったけれど」

「あいつと一緒にすんな」

 俺はカザマだが、あの女はネズの軍部に入っていて長い。学生であり、部隊を持っているが、訓練ではなく実働として動いているのだから、俺とはわけが違う。

「それと、ソウコでは霧が出ることがあります」

「へえ……?」

「これはとても危険なので、霧予報を随時確認するようにしてください。また、突発的な場合においては、最寄りの家に駆けこむように。それを断られることはありません」

「事例を聞いておこう」

「霧に飲まれて帰ってきた人の事例は、ほとんどありません。全体数から考えれば、いないのと同じくらいです」

「人を迷わすのか?」

「現実的には、魔物の発生が起きる、という捉え方で、霧が消えたあとは警備隊が動いて魔物の討伐を開始します。仕組み自体の解明はできていません」

「あるいは、解明ができても手が出せない――だな。諒解した、覚えておこう」

「……手が出せない、ですか?」

「個人の範囲まで考えれば、そこまで踏み込んだ人間が〝いない〟とは思えない。ここで生活しているかどうかも除外しての話だ。そして、核心に触れた人間が一人でもいて、解決可能ならば、試しているはずだろうって考察だよ。これもそれほど気にすることじゃない」

「私たちにとっては、当たり前のことですから、確かにそうかもしれません……」

「で、話はそれで終わりか?」

「はい。ええと、何か問題があるようでしたら、学生会長に相談してください。受け付けていますので」

「嫌だと断れない立場なのよね」

「まるで俺が面倒を起こすのが前提みたいに言うんだな……?」

 言えば、実に複雑な表情をした後、何かを言おうとしたかなめは、くるりと背中を向けて窓から空を見た。

「今日は良い天気」

「お前な……」

 何も知らない土地に足を踏み入れてんのは、こっちだぞ。



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