武術へ臨む者、対魔物専門家

雨天紅雨

第1話 無手格闘術と抜刀術

 ただ、ただ、心底から〝楽しい〟と――それがお互いに抱いているものと、信じて疑わない。

 派手と、そう呼ぶべきなのかどうかは、定かではない。少なくとも彼らにとっては地味なやり取りであり、結果、それが派手な現実と直結したところで、そこにはあまり意味を求めなかった。


 袴装束の少年の手がブレるような移動を見せた直後、斬戟が水平で二種、左右から挟み込むようにして〝直進〟の動きを取った。


 水ノ行すいのぎょう第三幕・始ノ章しのしょう鎌撫かまなで〟――。


 直後、無手の少年が踏み込みから一気に距離を縮めて、中央ではなく左右それぞれを、手の甲と肘を使って〝軽く〟砕いて見せた。

 続く攻撃の前に、相手が踏み込みの足を地面に叩きつけたのを見て――見るよりも早く、ほぼ同時となるよう袴装束の少年もまた、足で地面を叩く。だが踏み込みではない。

 大地という足場を媒介にして、振動における領域の〝確保〟を封じた形だ。

 封じられた? まさか、その程度で封じられるような技なわけがないだろう。

 叩いた力をそのままに、後方に宙返りをするようにしたまま、今度は上下で挟み込むような斬戟が相手へ向かう。


 ――追ノ章ついのしょう尖角双ふたつたつき


 だがそれを、あろうことか踏み込んだ足で払い、茂みをかき分けるような動きだけで、二つを壊してしまうのだから、参る話だ。

 そう――相手は、必ず壊す。

 この廃墟が地形すらも変わってしまうほどの、戦闘の残滓は今までの積み重ねではあるものの、全てと言っても構わないほど、原因は相手だ。彼の斬戟は全て壊されている。

 最大効果範囲。

 追ノ章が壊された時点、瞬間、刹那、抜き放たれた刀の軌跡は、始ノ章と同じ左右から。だが斬戟を飛ばすのではなく、間違いなく刀身そのものが、まるで念押しをするかのよう、首を刎ねる動きを取った。


 ――終ノ章しゅうのしょう鋏軸はのさみ


 お互いに笑っている。

 こんな状況でも、視線を一度たりとも切りはしない。そこを外せば対人戦闘が一瞬にして終わるからだ。

 どちらかの死によって、終わるから、視線だけは外せない。相手の意図を読まなくなれば、読めなくなれば、そこから先はただの〝惨殺〟だ。

 大前提。

 相手は彼の刀を、壊せない。

 彼は二つの斬戟を〝同時〟に出しているわけではない――実体が一つだから。しかしそれは現実として、同時になっているだけ。

 避けると積む、相手はそれを理解している。将棋で言う詰めろの一歩手前、壊すことを主体として戦闘を構築する相手は、この瞬間だけ、回避を選択することで後手になる。その一手で、ギョクは逃げ場を失うだろう。

 だが、壊せないのだ。

 ――だから、実のある刀身を両手で〝受け止め〟つつ、額を当てるようにして片側の斬戟を壊した。

 時間が停止する。

 その状態で二人が――いや、相手がゆっくりと両手を離して、一歩、二歩と間合いを開いて。

「――がっ、は」

 両手を血だらけにして、肩から脇まで服を切断されながらも、血を流す相手を前に――納刀までを、一つの動作として仕込まれている彼は、その行為をできず、膝をついて胃の中からせり上がってくる血を、我慢できずに吐き出した。

 遅く、刀が納められ、口の中の血液を吐き出してようやく、満足な呼吸が戻ってくる。


 ――ああ。

 今日も、また、雨が降っているじゃないか。


「はあ……」

 おおよそ六十分ばかりの戦闘、いや〝鍛錬〟を終えて、彼はどっかりと地面に腰を下ろした。

 負けは負け、先に膝をついたのはこっちだ。これが本当の戦闘ならば、首を刎ねられているのは彼の方。戦闘であるならば、あらゆる状況でも立ち続けるのが、彼の在りようだ。

 ああいや、そうではないか。

 攻撃をしているようでいて、彼はずっと、防戦一方だった。相手の攻撃が届いていたからこそ、躰のあちこちに軋みが出ているのだから。

「ため息落としてんなよ、そりゃ俺の方だろ」

「ん……」

 顔を上げれば、傍にある瓦礫に男が腰を下ろしていた。

「また雨だ。半年に一度、これでもう八年。どういうわけか、俺とお前がやり合う時は、こんな雨だ」

 しとしと、そんな雨。ふわりと風が吹けばそれだけで方向を変えてしまうような、地面に染み込み野菜を育てる、穀雨こくうに似ていた。

「だから、雨が降ると古傷が痛む。どうしたって思い出すし、次はどうしてやろうって考える。お前のせいだぜ」

「俺かよ……まあ、何であれ俺は、雨は好きだ」

「馬鹿、お前が呼んでるって言ってんだよ」

「わかってる。血が洗えて丁度良いって話だよな?」

「お前は……」

 致死を前にして、人は抗うものだ。それこそ本気になって、限界を超えてでも、受け入れるのは最後の最後。

 そんな戦闘をしていたというのに、終わった後の二人は、こんな様子であった。

 だって、楽しめていたから。

 この程度で相手がくたばるはずはないのだと、心の底から信じていたから。

「全部、まあ結果的には俺の勝ちってことになってるなあ」

「ん? 実際にその通りだ」

「だろうよ。小太刀、小太刀二刀、刀、薙刀、槍、棍、扇なんてのもあったなあ……毎回のように、気まぐれみてえにお前の得物は変わってた」

「まあな」

「――無手じゃ、一度もなかったんだけどな?」

 その問いに、彼は沈黙を返した。

 だから。

「ここからは、ただの独り言だ。あくまでも個人的見解。お前は防御をしようとしねえ――とは、言い過ぎだが、できないんじゃなく、多くの場合において、やらないを選択することが多い。何故って、それをやっちまうと、攻撃が成立しない場合がほとんどだからだ」

「それはお前も似たようなもんだろ」

「まあ、攻防一体、こいつは理想だよな。けどお前は違うだろ? 単純に、試したいのが攻撃だからだ。いや試してるのは俺の対処か。まあどっちでも。つまりさ、――お前、俺と同じことができるだろ」

 その問いにも、彼は返答しなかった。

「単純な衝撃用法を突き詰めたのが、これだ。俺の場合は対武器破壊の特化型、とかく武器と呼ばれるものなら壊すことができる。だがお前は、それを今まで俺に見せなかった。どうしてだ? ――お前のことだ、たぶんこう考えてる。俺を相手にいつも見てるのに、わざわざ見せる必要がどこにある?」

 やはり黙ったままだったけれど――それは正解だろう。

 何故ならばこれは、鍛錬だから。

「〝だから〟――お前はどんな得物を使っても、一度も、衝撃用法を主体にしなかった。俺の打撃の芯をズラすとか、致命傷を避けるためにやるくらいでな」

「芯をズラすとか当然だろうが……」

「こう言っちゃなんだが、まともに喰らうと肉ごと腹部が吹っ飛ぶからなあ」

「まったくだ」

「しっかし、前から不思議には思ってたんだぜ? ふらっといなくなるのは、まあ俺が気にすることでもねえけど――同い年にしちゃあ、お前は、過ぎる」

「お前が言うな」

「そりゃ俺と比較しての話だろ馬鹿。十六年、俺は爺さんの元でこいつを突き詰めてきた。ん? 去年までだから十五年? ……まあいいや」

「この刀以外、さんざん壊してくれたからな……? うちに溜まった経費の書類を見せてやろうか」

「キャンプにはまだ早いぞ」

「燃やすつもりかこいつ……」

「早くもねえか、まだ春は来てないし。ともかくだ、俺は去年に一人暮らしを始めて、鍛冶をやり始めてから、改めて感じたわけだ。十五年、べつに一人前だと認められたわけじゃないし、爺さんには一通りの基礎は終えたから、なんて言われてる」

 だが、それを何よりも実感しているのが、本人だ。

「爺さんの言葉は事実だ、そうだろ?」

「……まあ、今回と前回、つまり実家を離れてからのお前の方がよっぽど〝面倒〟だよ」

「そうなんだよなあ……体力維持とか、最低限しかやってないのに。ほとんど鍛冶に没頭して、あとバイトで金稼ぎしてたくらいなもんだぜ、おい」

「そういうものだ」

「――って、言えるお前が、おかしいって話なんだよこの野郎。お前は一つの得物に十五年も費やしてねえのに、扱える。しかも、相当なレベルだ。技の精度一つ一つ、俺が間近でそいつを見てきた。いや〝方法〟じゃねえよ? そいつは、あるんだろう。そういうやり方があってもおかしくはない。極論かもしれないが、俺にとってこいつが対武器格闘を突き詰めた先だったとして」

 一息。

「お前のは〝武術〟を突き詰めた先だ。あらゆる得物、あらゆる技術、武と呼ばれる総合の、つまりは総称か。言い過ぎな気もするけどな、実際にお前がいる。だがな、そこに気付いた俺はこう考えたわけだ。――師がいなけりゃ、そいつは無理だってな」

「……」

「実際に俺は爺さんに手ほどきを受けてる。じゃ、手ほどきってのは何だ? 技か? もちろん、それもある。重要だ。お前の技のバリエーションを考えただけで、頭が痛くなる。あらゆる得物一つに対し、軽く三十はあったからな。だが、それらの技を扱えるだけの躰は、そう簡単に作れるものじゃない。俺だってそうだ、爺さんから教わったのは、体術よりも――それに耐えられる躰だと、そう思った」

 彼は答えない。

「技ってのは、多種多様だ。けど基本は、躰をどう使うかだろ? だからこそ、使える躰にしなくちゃならねえ。爺さんはそれをわかってたから、この体術に合った躰の作りを、ガキの頃から鍛錬として教えてくれた。――だとして? お前はその、無数にある技が扱える躰を作っていることになる。いつ? そりゃ幼少期だ、成長期で合わせる必要もあるが、その時点では遅すぎる。だったらお前は、ガキの頃から無数にある技を〝想定〟していたのか? ――否だ、んなわけねえよな」

 現実的じゃねえと、小さく笑いが落ち、血がだいぶ流された手を見た。握ればまだ痛みもある。

「ガキの頃に出逢って、従妹連中と遊んでる中に、お前はもういた。今じゃ充分に幼馴染だ。いや最初からそうだったけど……そんだけ付き合いが長いのに、お前には師匠の〝影〟なんて、今まで見たこともねえ。どうしてだ? ――たぶん、爺さんは知っていた。だったらそれは、秘匿されるべきものだったからだ……と、まあこんなところか」

「長い独り言だな?」

「お互い、まだ歩いて戻れねえだろ、いいじゃねえか。それにいちいち、答えられる内容じゃねえだろ? それはたぶん、お前の問題よりもむしろ、俺が聞ける立場にねえって話なんだろうけどな」

「……ま、どうであれお前はよく考えてるよ。そう大きく外れちゃいねえ」

「けど核心的な部分でズレがある?」

「わかってんならいいだろ」

「いいけどな。――俺、ちょっと未踏破エリアに行ってくるわ」

「へえ」

「軽い反応だなあ……」

「お前の行動に、なんで俺がいちいち口を挟まなくちゃいけねえんだよ」

「友人としてなんかねえのか」

「なんか……ああ、じゃあ俺はソウコエリアに行くわ」

「何故そうなる……?」

「そいつは俺の理由か?」

「そうじゃねえよ、なんかこう、あれだ、そうじゃねえだろ!?」

「知るかよ……」

 だって、そうだ。

 今までもそうやってきた。

「半年後、お互いに生きてたらまたやろう。それでいいだろ?」

「ったく……ああ、わかってるよ。半年後だ――また雨なんだろうなあ」

「嫌なのか?」

「――お前と同じで、好きになりそうなのが嫌だ」

「面倒な野郎だ」

「お前に言われたくねえよ!」

 険悪ではなく、普段でも顔を合わせる幼馴染で、同級生。

 半年に一度は、こうやって腕を試しあう間柄。

 ――この時はまだ、二人の関係は、それで充分だった。



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