もうもくのねこ

いわしまいわし

もうもくのねこ

日本のど真(ま)ん中には山がそびえ立っています。深(ふか)い森に覆(おお)われていて昼(ひる)でも静(しず)かで暗(くら)いのです。


そこを青い蛇(へび)のような川が流れています。木曽川(きそがわ)と私たちは呼(よ)びます。山の方からぐねぐねとうねって、名古屋(なごや)の町に出ます。そして伊勢湾(いせわん)へ注(そそ)がれるのです。大きな川です。優雅(ゆうが)な川です。


さて、街(まち)に一番近い森の中に1匹の猫(ねこ)がいました。体は墨(すみ)を流したように黒(くろ)く、黄色い目が空に輝(かがや)く満月(まんげつ)のようです。


  しかし猫は盲目(もうもく)でした。生まれてすぐ目と脳(のう)をつなぐ糸のような細(ほそ)い線(せん)が切れてしまったのです。


 猫の目は世界を写(うつ)します。のぞき込んだ人の目も。風に流される雲も。しかしその映像(えいぞう)は脳に届きません。真っ暗です。夜の底まで黒いのです。


 もともと猫は街(まち)に生まれました。路地裏(ろじうら)の日向(ひなた)だまりが猫を育ててくれました。暖(あたた)かく、湿(しめ)った舌は母猫(ははねこ)なのか兄弟猫(きょうだいねこ)なのか。黒猫(くろねこ)は全く知りません。目の見える猫は目の見えない猫をしりません。同じように目の見えない猫は目の見える猫を知らないのです。


 それどころか急に走る鈍(にぶ)い痛みが怖くて閉じこもっていました。猫は気ままで薄情(はくじょう)です。少し涼(すず)しくなって日の向きが変わると周りの猫たちはいそいそとお出かけしました。自分だけが暖かい日の光を浴びるように競争しています。


 でも黒猫はできません。これからくる寒い夜に怯(おび)えなければなりませんでした。


 寒いのは嫌(きら)いです。真っ暗なのはもっと嫌(きら)いです。でも黒猫にとって1番嫌(いや)なことは「ひとりぼっち」でした。前に聞いていた子猫のじゃれあった声、シャーと怒りながらそれでも楽しそうな声。今は何も聞こえません。寂(さみ)しさが心をしめつけます。苦しい冬がやってきます。


 ある日暮(ひぐ)れのことでした。その日のエサにもこまりはてた黒猫はこのまま動かないとどうなるのか分かっていました。でも動くと全身(ぜんしん)に痛(いた)みが走ります。黒猫は怖(こわ)くて動けませんでした。そのとき、


「見てみて! 猫がいるよ!」


 急に大きな声がしました。ビックリして黒猫は顔(かお)を上げました。目をパタパタさせても何も見えません。でも「います」。何かが黒猫を見ているのです。このとき幼(おさな)い人間(にんげん)の少年(しょうねん)が黒猫を見(み)つけました。でも黒猫は人間(にんげん)を見(み)たことがありませんから、大きな声のする生き物(もの)だなとしか思(おも)えませんでした。


「連(つ)れて帰(かえ)ろうよ。ぼくがお世話(せわ)するから」


 何かは黒猫を抱(だ)き抱(かか)えました。懐かしい、でもどこか違う温(ぬく)もりがありました。黒猫は抵抗(ていこう)しませんでした。


 降(お)ろされたのはゴツゴツしていないところでした。さっきまでの寒さが嘘(うそ)のようです。(あったかい。)安心(あんしん)して黒猫は目を閉(と)じました。そうして深(ふか)い眠(ねむ)りに落(お)ちる直前(ちょくぜん)、黒猫は良(い)い声と悪(わる)い声を聞(き)きました。


 朝(あさ)になって、黒猫はいい匂(にお)いを嗅(か)ぎました。


「お食(た)べ」


 優(やさ)しい声の裏側(うらがわ)に子供の無邪気(むじゃき)が潜(ひそ)んでいました。でも食(た)べなければ死(し)んでしまいます。匂(にお)いを口の中に放(ほう)り込(こ)むと幸(しあわ)せなきもちになりました。


 酸(す)っぱい雨露(あめつゆ)に濡れた草の葉よりもずっと満(み)たされたきもちです。黒猫は救(すく)われたと思いました。でもそうではありませんでした。極楽(ごくらく)もまた長く続(つづ)かない運命(うんめい)を背負(せお)っているのです。


 黒猫には目の前(まえ)でブンブン音(おと)をたてている何かが気(き)になりました。お昼寝(ひるね)の邪魔(じゃま)です。このとき目にはめ込まれた水晶体(すいしょうたい)というガラスは赤紫(あかむらさき)色の毛を生やしたおもちゃを写(うつ)していました。黒目は大きいままでした。


 あまりのうるささに、黒猫はその場(ば)を立ち上がってピューと逃(に)げました。後(うし)ろからは


「チェッつまんないの」


 と少年(しょうねん)がつまらなそうな声で言っていました。



 明(あ)くる日、黒猫は小さい部屋(へや)に入れられました。ゲージです。ガタガタ揺(ゆ)れるゲージに黒猫は怖(こわ)くて何度(なんど)も鳴(な)きました。自由(じゆう)になりたかったのです。


「はいはい、もう少しで着(つ)くから我慢(がまん)してね」


 なにか言っていましたが黒猫には意味(いみ)がわかりません。ただこのままでは恐(おそ)ろしいことが起(お)こる予感(よかん)がして震(ふる)えが止まりませんでした。


 やっと揺(ゆ)れが収(おさ)まりました。安心(あんしん)して次に何が起(お)きるのか待(ま)つことにしました。そこはとても賑(にぎ)やかで慌(あわ)ただしく生き物(もの)が動(うご)いているようでした。


 そのあとも揺(ゆ)れたり止まったりしているうちに黒猫はゲージから出されました。知っている声が2つ、知らない声が1つしました。知っている声は少年(しょうねん)とお母(かあ)さん、知らない声はお医者(いしゃ)さんです。


「じゃあお薬(くすり)打ちますね。それと今度(こんど)くる時(とき)にはちゃんと名前(なまえ)をつけて上げてください。いつまでも猫ちゃんではかわいそうですから。でもおとなしい猫ちゃんですね。全然(ぜんぜん)暴(あば)れない」


 すこし静(しず)かな時間(じかん)が流れたあと、急(きゅう)におしりの辺(あた)りに激(はげ)しい痛(いた)みが走りました。黒猫はギニャーと声を荒(あら)げで手足をバタバタさせました。


「おっと、急にどうしたんだ?」


 大きな力が背中(せなか)を押しつぶすようです。黒猫は身動(みうご)きがとれなくなりました。しゃがれた猫の声だけが聞(き)こえました。


 しかし黒猫はどんなに苦しくても暴(あば)れるべきではありませんでした。そうすればきっと安全(あんぜん)で快適(かいてき)な生活(せいかつ)を送(おく)ることができたのです。


 知(し)らない声は気(き)づいたように言いました。


「おやこれは変(へん)ですね。おとなしい猫ではないのに注射(ちゅうしゃ)されるまで暴れなかった。まるで気づいていなかったようでした。少し検査(けんさ)させて下さい」


 黒猫は意味(いみ)のない時間(じかん)を過(す)ごしました。あのひとりぼっちを思いだすほどでした。長いような短(みじか)いような時間でした。いつのまにか知らない声だらけになっていました。


 沈(しず)んだ会話(かいわ)が始(はじ)まりました。


「多分(たぶん)ダメでしょう。ティッシュを何枚(なんまい)落(お)としても目が反応(はんのう)しません」


 静(しず)かな声は静かな空気(くうき)を招(まね)き入れました。なんとなく黒猫は見られている気(き)がしました。でもみんなが


(かわいそうなねこ!)


と思(おも)って見ていることには気づきませんでした。


 さすった手の温(ぬく)もりに飛(と)び上がると生暖(なまあたた)かい風(かぜ)があちらこちらからぶつかりました。はああと声が漏(も)れていました。


 またしばらくガタガタしたあと、黒猫はふわふわした地面(じめん)に寝転(ねころ)がされました。体(からだ)が沈(しず)みこむ感覚(かんかく)はまるで空(そら)をビューンと滑空(かっくう)するムササビのようでした。


 そうして体を預(あず)けていると意識(いしき)が遠(とお)くなりました。何も見えない黒いまぶたの裏側(うらがわ)には夢(ゆめ)が写(うつ)りません。それでも黒猫は幸(しあわ)せでした。夢(ゆめ)をみる喜(よろこ)びを知らない黒猫は夢を失(うしな)う悲(かな)しみも知らないのです。


 寝(ね)ているときにしばしば黒猫のわきばらに手が置(お)かれます。息(いき)を吸(す)う邪魔(じゃま)でしたが、黒猫は嬉(うれ)しいのでした。息(いき)の代(か)わりに愛情(あいじょう)を感(かん)じ取(と)ったからです。


「本当にちゃんとお世話(せわ)する? 飽(あ)きちゃったりしない?」


「絶対(ぜったい)大丈夫(だいじょうぶ)!」


 そんな子守歌(こもりうた)に似(に)た会話(かいわ)がよりいっそう黒猫を心地(ここち)よくさせるのでした。


 でも人間(にんげん)の子どもは嘘(うそ)つきです。1ど約束(やくそく)したことすらすぐに忘(わす)れて、悪(わる)い心(こころ)が芽生(めば)えるのです。


 黒猫は色々(いろいろ)な遊(あそ)びをさせられました。突然(とつぜん)頭(あたま)をなでて、ジャンプさせる遊(あそ)びもしました。家中(いえじゅう)にみかんやれもんの皮(かわ)を細(こま)かくちぎったものをしきつめて困(こま)らせたこともありました。エサを入れた器(うつわ)を黒猫の前(まえ)において、食(た)べようとした瞬間(しゅんかん)に器(うつわ)を持(も)ち上げて混乱(こんらん)した黒猫のようすを楽(たの)しむ日もありました。


 けれど3ヶ月も経(た)つと黒猫は飽(あ)きられてしまいました。新(あたら)しい遊(あそ)びも思(おも)いつかなくなって、黒猫のことなんてどうでもよくなってしまったのでしょう。


「ねえ、もう山に捨(す)ててこようよ」


 同(おな)じような声を黒猫はもう何度(なんど)聞(き)いたかわかりません。この大きな生き物(もの)の鳴(な)き声は不思議(ふしぎ)だなあと考(かんが)えていました。黒猫はずいぶん大人(おとな)になりました。


「そうねえ、トイレの位置(いち)覚(おぼ)えてくれなくて困(こま)るものね。でも.....」


 その日はたまたま、少年(しょうねん)のお父(とう)さんが家(いえ)にいました。黒猫は夜(よる)に目が冴(さ)える猫ですらウトウトする真夜中(まよなか)に大きなゴツゴツとした手が体をさするのを知っています。その手はやさしく、守(まも)ってくれる手でした。そのお父(とう)さんも会話(かいわ)に参加します。


「なんだとただあき! 命(いのち)をなんだと思(おも)っているんだ。飼(か)うと決(き)めた以上(いじょう)しっかり最後(さいご)まで責任(せきにん)を持(も)ちなさい!」


 すごく怒(おこ)っているのが黒猫にすらわかりました。怖(こわ)くなって走(はし)りだし、固(かた)いものに頭(あたま)をぶつけました。いつもよりもずっと強(つよ)い痛(いた)みが黒猫をおそいました。


 次(つぎ)の日、お父(とう)さんもお母(かあ)さんも出かけていて1番(ばん)早(はや)く帰(かえ)ってきたのは少年(しょうねん)でした。専用(せんよう)のベッドで寝(ね)ていた黒猫はガッとつかまれてゲージに押(お)し込められました。黒猫は初めて入れられたゲージよりも小さく感(かん)じました。


 久(ひさ)しぶりの揺(ゆ)れに黒猫は針(はり)で刺(さ)されたことを思いだしました。出なきゃまた刺(さ)されると思(おも)って必死(ひっし)に抵抗(ていこう)します。でもゲージは猫にこわされるようにできていません。強(つよ)い作(つく)りのゲージはまるでお城(しろ)のように立(た)ち塞(ふさ)がったのです。


 やがてガチャガタンと音(おと)がしてゲージの扉(とびら)が開(ひら)かれました。そこは、はっぱが夕日(ゆうひ)に照(て)らされてオレンジ色に光る山でした。


 少年(しょうねん)はゲージからむりやり黒猫を出(だ)すとこう言(い)いました。


「全部(ぜんぶ)目が見えないクロのせいだからな」


 そういうと少年はダッシュして山をおります。残(のこ)された黒猫はどうやって追(お)いかけていいのかもわかりません。


 夜(よる)がどんどん近(ちか)づいて風(かぜ)が吹(ふ)いてきました。吹(ふ)きすさぶ寒(さむ)さに体(からだ)が凍(こお)りそうです。夕日(ゆうひ)が木(こ)の葉(は)と木(こ)の葉(は)のすき間(ま)から黒猫にさしました。


 そのときです。


「君(きみ)、こんなところでなにをしているんだい?」


はっきり意味(いみ)のわかる言葉(ことば)で話(はな)しかけられました。


「え、君(きみ)こそ誰(だれ)だい?」


「見てわからないのかい?ぼくは山ねずみだよ」


黒猫はねずみの姿を知りません。獲物(えもの)であるかもわかりません。


「ごめん。ぼくは生まれつき目が見えないんだ」


山ねずみは特(とく)におどろいたようすを見せませんでした。


「ふーん。それでぼくをおそわないんだね」


「え? ぼくが君(きみ)をおそう?」


「うん。だって猫だろう? ぼくは死(し)にたいんだ。愛(あい)していたはずのねずみ娘(むすめ)は、ぼくのこと好(す)きでもなんでもなかったんだ」


寂(さみ)しそうな声でした。黒猫はなんとなく昔(むかし)を思(おも)いだして山ねずみのとなりに座(すわ)りました。


「簡単(かんたん)にそんなこと言(い)っちゃいけないよ。ぼくだって目が見えないのになんとか生きているじゃないか」


 夜(よる)がすぐそこまで迫(せま)ってきていました。


「もうすぐ暗(くら)く、いや寒(さむ)くなる。今日(きょう)はぼくの家(いえ)にくるといい」


 山ねずみのやさしさに黒猫は涙(なみだ)を流(なが)して喜(よろこ)びました。もう何年(なんねん)も前(まえ)からの友達(ともだち)に会(あ)ったような安心(あんしん)を感(かん)じました。


 山ねずみは村(むら)を作(つく)って住(す)んでいました。村(むら)は唐突(とうとつ)なお客(きゃく)さんにびっくり。それも猫と分かってから追(お)い出そうとするねずみもいました。


「おれの家族(かぞく)は猫に殺(ころ)されたんだ。こいつもその仲間(なかま)だ。そんなのを受(う)け入れられない」


そういうねずみがでる度(たび)に、友達(ともだち)の山ねずみはこう言(い)い返(かえ)してくれました。


「もしこの黒猫が凶暴(きょうぼう)だったら、どうしてぼくは生きている?こいつは本当(ほんとう)に目が見えない。静(しず)かにしていれば何も怖(こわ)くない」


ねずみたちは納得(なっとく)するしかありませんでした。山ねずみが生きていること自体(じたい)が動(うご)かぬ証拠(しょうこ)となったのです。でも中には黒猫を仇(かたき)のように見てくるねずみもいます。そこで村長(そんちょう)のねずみがこう提案(ていあん)しました。


「わかった。今日(きょう)だけ村(むら)で面倒(めんどう)を見よう。

そして明日(あした)になったら山の頂上(ちょうじょう)に行くといい。そこにでっかい木が立っておる。1万年(まんねん)に1粒(つぶ)その木は黄金(おうごん)の実(み)をつける。その実(み)をくちにすればどんな病(やまい)でも治(なお)るそうだ」


 黒猫は何度(なんど)もお礼(れい)を言(い)いました。山ねずみが案内役(あんないやく)を買(か)って出(で)てくれました。明日(あした)の朝一番(あさいちばん)に出発(しゅっぱつ)すれば、夜(よる)になる前(まえ)にはつくだろうと村長(そんちょう)が言(い)いました。


 黒猫には山ねずみのベッドは小さすぎて寝(ね)られません。村(むら)の外(はず)れにある木の下で眠(ねむ)ることにしました。空気(くうき)は冷(つめ)たいのに土からほんのりとした熱(ねつ)が流(なが)れ込(こ)んできます。


 その日の夜(よる)、生まれて初(はじ)めて黒猫は夢(ゆめ)を見ました。そこには山ねずみがいました。ぶにょぶにょとした塊(かたまり)ですが黒猫に手を振(ふ)っています。そこに黒猫が近よって行きます。なつかしい匂(にお)いがしました。山ねずみは笑(わら)っていました。


「何(なん)だかとってもふしぎなきもちだ」


「そうかい。ぼくは出会(であ)えてとっても嬉(うれ)しいんだけど」


「それは目が見えないからだよ」


「そうかなあ」


「うん」


 黒猫はだんだん山ねずみが真(ま)っ黒な世界(せかい)に吸(す)い込(こ)まれていることに気(き)づきました。いやそうではありません。山ねずみは自分(じぶん)から遠(とお)ざかっているのでした。


 パッと目が覚(さ)めると汗(あせ)をびっしょりかいていました。空(そら)が白(しら)んできてきれいな朝焼(あさや)けが東(ひがし)に見えました。川がゴウゴウと流(なが)れるのを見つめていました。


「やあ早(はや)いね。もういくのかい?」


「うん」


 ねずみたちが朝(あさ)を迎(むか)えはじめたころにひっそりと2人旅(たび)が始(はじ)まりました。


 ただ黒猫は山ねずみの姿(すがた)が見えません。だから山ねずみは考(かんが)えました。実(じつ)は夜(よる)の間(あいだ)ずっと考(かんが)えていました。


「ぼくが先(さき)を歩(ある)いて歌(うた)を歌(うた)っているからそれについてきてほしいんだ」


黒猫はすてきなアイデアだと思(おも)いました。


「いきてかえれりゃもうけもん

 つっぱるかぜにそのみをさらし

 てんよりちいさいいのちでも

 はなれずくっつきゃむれとなる

 だいすきなみんなをみにいこう

 めのびょうきがなおったら」


 調子(ちょうし)よくリズムをとって山ねずみは歌(うた)いだしました。黒猫も面白(おもしろ)くなって木の間(あいだ)を上手(じょうず)にすり抜(ぬ)けて行きました。それは山ねずみが走(はし)ったり止(と)まったりして上手(うま)く調節(ちょうせつ)してくれたからでした。


「ここで休憩(きゅうけい)しよう」


 大鷹(おおたか)がうるさく鳴(な)いています。キーンと音(おと)がすると、山ねずみがビクッとしました。黒猫はなんとなく手を動(うご)かしました。ちょうど山ねずみの頭(あたま)の上にぽんと置(お)かれました。


「ありがとう。今(いま)大きな声がだせないんだ」


「じゃあ静(しず)かにしていよう」


 黒猫と山ねずみはしばらくはっぱが風(かぜ)に吹(ふ)かれる音(おと)を聞(き)きました。


「じゃあ行こうか」


大鷹(おおたか)が遠(とお)くへ行ってしまったあと、山ねずみが言いました。


「そうだね。あまり遅(おそ)くなると君(きみ)にもうしわけない」


「そんなことない。ぼくなんか……」


「ぼくなんか?」


 山ねずみは困(こま)っているようでした。あれこれ頭(あたま)をひねりました。けれど結局(けっきょく)ブンブン頭(あたま)を振(ふ)ると「わかんない」とひとりごとを言うと


「ごめん。心(こころ)の中がぐちゃぐちゃで言葉(ことば)にできないよ」


「わかった。それならそれでいい。でも君(きみ)はそれじゃあだめだ」


山ねずみはまた歌(うた)を歌(うた)って歩(ある)きだしました。


「きたいをこめたふたりたび

 おいおいそのみはどこにある

 くるしくたのしくちんどうちゅう

 にていなくてもなかよくなれる

 いまがたのしきゃきにしない

 きみがいるだけそれだけで

 るびーのたいようはえわたる」


黒猫は山ねずみの歌(うた)がすきでした。


「ほらもうすぐ頂上(ちょうじょう)だ」


山ねずみが嬉(うれ)しそうに叫(さけ)びました。


 頂上(ちょうじょう)には一本の背(せ)が高(たか)い木がありました。


「あああれだ。たしかに金色(きんいろ)に光っている。少(すこ)しぼくには大きいな。君(きみ)でも食(た)べきれないくらいだ」


木から転(ころ)げ落(お)ちた実(み)はやまなしのような大きさをしていました。金色(きんいろ)に光って美(うつく)しい実(み)に山ねずみはかけよりました。


「君(きみ)、食(た)べて見なよ。ね、きっとこれで目が覚(さ)めるよ」


 黒猫はそれを一口かじりました。最後(さいご)まで山ねずみがサポートしました。するととたんに、実(み)から金色(きんいろ)が落(お)ちて茶色(ちゃいろ)い地味(じみ)な姿(すがた)になってしまいました。


「うん。おいしいよ。さわやかな香(かお)りが口に広(ひろ)がっていく」


「どうだい。目の調子(ちょうし)は。よくなったかい?」


 黒猫は何も言いませんでした。はっきりと目が見えるようになったのです。暗(くら)い世界(せかい)に光が差(さ)しこんできてびっくりしました。土の色と木の色が似(に)ていることに気(き)づきました。上はオレンジ色に染(そ)め上げられていることに気(き)づきました。そして足下(あしもと)に一匹(いっぴき)のねずみがチチ、チチチと鳴いているのに気(き)がつきました。


 そのとき、黒猫の心(こころ)がメラメラと燃(も)えはじめました。毛(け)が逆立(さかだ)ってしっぽをピンと立(た)たせます。


 なおもねずみは鳴(な)き続(つづ)けます。黒猫には何を言っているのかわかりません。


「ニャーー」


 するどい爪(つめ)がねずみの体(からだ)を貫(つらぬ)きます。声をだすことなくねずみは体(からだ)をのけぞらせました。がつがつと音(おと)がします。


 ねずみを食(た)べ終(お)えると黒猫は走(はし)りました。初(はじ)めて自由(じゆう)になった気(き)がしました。


 ふもとで「クロ~クロ~」と叫(さけ)ぶ低(ひく)い人間(にんげん)の声が聞(き)こえましたが、黒猫はそれに気(き)づくことなく川(かわ)にそって走(はし)って奥(おく)へ奥(おく)へと行ってしまいました。


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もうもくのねこ いわしまいわし @iwashi_nitsuke

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