五 友

 スイの調子は、最高に良かった。この日のために準備をしてきたのだ。当然とも言えた。

 草原を、風そのものになって駆け抜ける。スイの黒い躯が躍動する。それに合わせて銀も、呼吸を、姿勢を、風に合わせていく。濃色の衣装に付着した血が、空気に触れてどんどん乾き、黒く変わっていく。一人と一頭は今、一つの黒い塊でしかなかった。

 冷静に考えれば、追いつける公算は低い。盗賊の頭たちは、銀が若い男と争っている間も、族長たちに事情を説明している間も先行しているのだ。

 だが、理性をかなぐり捨てただの塊になった銀には、出来ないことなど何一つないように思えた。

 同じ広い草原で、遊牧して生きる一族と、その範疇から外れて生きる盗賊たち。彼らはそもそも同じ土地に住み、馬を愛し馬と共に生きる、一族と同じ人間である。しかし彼らは決して相容れない。長い草原の歴史に刻まれた溝は深く、流れたちは等しく大地に染み込んで、根深い遺恨となって人を縛る。

 草原の端、異国の民と親しい土地を流れることが多かった彼らは、生きるすべに牧ではなく商いと略奪を選んだ。遊牧の民がそれを選ばせたとも言えよう。広く果てしなく見える草原は、そこに生きる全ての人を受け止め、全ての家畜に餌となる牧草を提供するには狭かった。お互いに憎み合う理由は十分あった。

 けれど、一族が盗賊を忌み嫌うことと、銀が個人で彼らを憎むことは全く別の感情だった。

 幸福だった子ども時代を一夜で奪われてから、八年。恐怖と孤独にただ震えることしかできなかった夜もあった。穏やかな毎日に、憎悪を忘れて暮らそうと思ったこともあった。けれど結局、一度この身を焦がした感情はどれも忘れることなど出来ず、更紗が奪われた怒りも相まって、今はもう、彼らを追うことしか考えられない。

 男たちが更紗を売ると言っていた国境。ここから一番近い異国との国境は西方にあり、夜も明かりが消えない賑やかな交流の街もあるはずだった。

 方角と、馬に踏み荒らされた跡だけを頼りに、銀はひたすらに馬を駆った。


 どれくらい走っただろう。

 空の色が、夕刻が近づきつつあることを教えてくれた。広い草原で、目指す国境はまだ遠い。

 盗賊たちは、ここまで追いかけてくるものかとたかをくくっていたのかもしれない。あるいは、草原の民の富を食い物にしてきた余裕のあらわれだったのであろうか。草原に浮かんだ馬影の一団はみるみるうちに大きくなってきた。

「スイ、行くぞ」

 身体を低くして声をかけると、スイは答えるように足を早めた。スイの速さは、既にそれまで銀も知らなかった世界に到達していたが、大きな黒い躯はぐっしょりと汗で濡れ、疲労の色も強かった。

「更紗」

 最後にひとつ呟いて、銀とスイは矢のように一団を追い詰めていった。腹の底から声を出す。なんのためにその咆哮をしたのか、銀自身はよく分からなかった。気合を入れるためだったかもしれない。恐れを払拭するためだったかもしれない、怒りを再確認するためだったかもしれない。あるいはその全てであったかもしれないし、意味などなかったのかもしれない。だがその咆哮で、相手は銀に気が付いた。少し揉めている様子があったが、その間にも銀は距離を詰める。

 近付いてくると、賊が十頭ほどの馬と人であることが知れた。栗毛が数頭、黒毛が一頭、そして、遠目にも分かる立派な身体つきの、年齢を重ねた芦毛が一頭。

 なんとなく、既視感があった。けれどそれを深く考える間もなく、既に一団は目の前に迫っていた。

 銀は腰の革帯に下げた剣を引き抜き、片手で手綱を強く引いた。大きく剣を振り上げ、速さを体重に乗せ、力任せにしんがりを叩こうとした。

 その刹那、黒い塊が鷹のように飛び込んできて、銀の剣を受け止めた。鋭い金属音が草原に響き渡る。

 その黒馬と、馬上の男に銀は息を呑む。

 その隙に、賊の黒馬は力の流れを反対に押し戻し、銀とスイを弾き返した。慌てた様子の一団を背にして、馬城の男は声を張り上げる。銀の咆哮と匹敵するくらい、力強く太い叫びだった。

「親父!! ここは俺が止める。みんな先へ行け!」

 ざわめいて栗毛の馬たちが足踏みする中、先頭を行く芦毛に乗った頭領は、塵ほど動揺を見せなかった。僅かに眉を寄せただけで、考え込むような素振りさえ一瞬もなかった。

「任せる」

 即決して馬の腹を蹴る。賊の仲間たちは逡巡するような動きもあったが、彼らの後ろに立ち銀を迎え討とうとする黒馬の主が堂々としていたからか、結局何も言わずにその場を立ち去った。

 芦毛の馬に、賊の頭領とともに更紗が乗せられていた。ぐったりと意識はない様子で、髪に隠れてその顔は見えない。思わず追いすがろうとして、やはり途中で銀は止まった。賊の黒馬が、銀の前に立ちふさがったからだ。

 確証があった。

 だからこそのろのろと、銀は顔を上げた。

 黒い馬はよく手入れされた美しい毛並みで艶めいている。その馬に、深い闇色を称える名がついていることを知っている。馬に跨る主は、銀と変わらない年格好の青年だ。彼は浅黒い肌と、その青年が馬を愛していることを、どんなに上手く馬と一つになるかを、どんな顔で笑うかを、銀は知っていた。

「アラム」

「銀」

 名を呼んだのは、どちらもほぼ同時だった。


 * * *


 交易の市場で出会い、一度だけ遠駆けした。他の誰とでも出来ないような早駆けだった。同じような黒毛を持つ馬を友とし、その馬を傍らに短い時間ではあるが草原で語り合った。お互いに、一人なのだろうと思った。自ら負うものも頼るものもあまりない。それを苦とも思わなかった。

 ほんのひと時の邂逅は、鮮やかな記憶だ。その理由はごく単純だった。こちらが分かっているということは、あちらも分かっているだろう。

 理由はごく単純。お互いに、よく似ているからだ。


 互いの武器をまっすぐ相手に向けて構えて、馬を少しずつ歩ませる。スイとみどりは、ぐるりと円を描くように間合いを保つ。馬上の主たちは、じっと黙して相手を見据えた。

 距離をおいて見ても、アラムの得物の槍はよく使い込まれているのが分かった。槍は、馬上で扱う武器としてはおそらく最も強力である。だからといって怯むような心を、草原の男は持ち合わせていなかった。銀は、養父から預かった剣を改めて持ち直す。鋭く手入れされた刃は広く長く、その間合いは槍にも負けない。馬上で片手剣を得物とするとしたら、これ以上はないだろうという代物だった。

「……相変わらず、いい馬だ。スイは」

 沈黙を破ったのはアラムが先だった。銀は答えない。アラムは気にしていないように続ける。

「まさか追いつかれるとは思わなかったから、俺も気を抜いてしまった」

「……そりゃ、そうだろうな。おまえとみどりが本気で走っていたら、他の連中はともかく、おまえに追いつけるわけがなかった」

 銀が小さな声で答えると、アラムは笑顔らしきものを見せた。以前見せたような屈託ない表情とは違う、ひどくいびつな笑顔だった。

「あいつを殺したのか」

 銀の乾いた衣から、濃い鉄の匂いが立ち上る。銀ははっきりと頷いた。アラムはわずかにうつむいて、うめくようにささやいた。

「なぜ、こんなところまで追って来たんだ。おまえには、女房はいないと言っていたのに」

「女房ではないが、更紗は一族の一員だ。渡せるか」

「それなら、なぜ一騎で来た」

 銀は返事に詰まった。それ見たことかと顔を上げ、アラムは、いろいろな感情がない混ぜになった複雑な表情で銀を睨みつけた。

「負うものは弟だけと言ったおまえなら、追って来ないと思ったのに」

「俺が追って来なかったら、なにが違うというんだ。またどこかの市場で会った時、遠駆けしようと誘えたとでも言うつもりか」

「そうだ」

 当然のようにアラムは答えた。予想外にはっきりした返事に、銀のほうが動揺した。

「俺にはそれができた。そのほうが良かった。おまえほどの乗り手は他にいないから。おまえだって、そうだったはずだ」

 銀はうつむいて相手から目を逸らした。一騎打ちの場で、あるまじき振る舞いであることは分かっていたが、アラムは不意をついたりはしないという確信があった。

 少し長めの逡巡のあと、銀はようよう絞り出す。

「確かに、そうだ」

 自身の感情のせめぎあいを認める言葉だった。今まで身の内に溜め込んできた怒りや恨みと、人や馬とのふれあいの中にある根源的な喜びとの矛盾を認め、一族を裏切ることにも等しい言葉であった。今まであまり深く悩むことなどなく生きてきた身には、それだけで苦痛だ。だが、自分と相手と、互いの馬だけが残されたこの草原で、自分に嘘をつき、この思いを認めないこともできそうになかった。

 顔を上げると、アラムはいつか見たような穏やかな笑顔で銀を見つめ返した。

「そうだな。おまえと、みどりと、また遠駆けがしたいと思っていた」

「それなら、やめるか」

 軽口を叩くように簡単に、アラムは彼自身が属する集団を裏切る言葉を口にした。その軽さは銀になく、とても理解できないものだったが、そう言いたくなるわけはよく分かった。銀は一つ息をついて構えを解き、剣を下ろした。

「おまえ、盗賊だったんだな」

「そうだよ」

 銀が穏やかと言ってもいい声でささやくと、アラムは気負わず頷いた。

「俺は……盗賊を……ずっと、憎んで生きてきた」

 草原に、風が一つ駆け抜けた。馬に踏まれて倒れた草が、それでもわずかに揺れて鳴く。さやさやさやと、忍び泣くように。アラムは感情が読めない声音で、そうかと短く答えた。

「更紗を…………」

 その、特別な名を口の端に乗せて、ぐっと唇を噛みしめる。

「更紗を、渡すわけにはいかない」

 そこで初めて、アラムは銀から視線を外し、深い溜め息をついた。心から状況を憂いているような、どんよりと暗い溜め息だった。

「それなら」

 アラムは沈んだ口調で発する。

「ああ」

 応えて、銀は剣を構え直した。一度手綱を引いて、スイの動きを止める。アラムも同じようにみどりの足を止め、槍を持ち直した。

 風が止まり、声もなく、草原から音が消える。視線だけがまっすぐに混じり合い、言葉でなくそれぞれの思いがただ爆ぜた。

 やるしかない。

 同じことを心で吠えて、二人の馬は勢い良く草原の大地を蹴った。


 鋭い金属音と共にお互いの武器がぶつかり合った。

 よく似ていると思った両者は、しかし荒事の力量においてはアラムの方に利があった。馬上試合からも逃げていた銀と、普段から盗賊として荒事の中に身を置いているアラムだ。それは当然だったかもしれない。その上、得物の利もアラムにあり、間合いの外から繰り出された一撃に、銀の衣は裂けて肩から胸にかけて赤い線が浮いた。銀はスイの腹を足で締め、半ば無理やりスイを前進させた。銀の剣がアラムの首筋に肉薄し、アラムは槍の柄を素早く短く持ち直す。かろうじて銀が互角に食らい付けたのは、おそらく銀の方が使命感と熱量で勝っていたからという、感情的な理由にすぎない。

 しかし数撃打ち合うと、不思議と心が冷えていくのを銀は感じた。きわどい戦いの中で冷静になっていくのとは違う、冷たい氷を無理やり飲まされたような、芯から底冷えする冷たさだった。

 それはやはり相手にも共通することだったようで、いつの間にかアラムから表情が抜け落ちている。

 理不尽ではないか、と思った。俺から何もかも奪っていくのは、いつもこいつらだ。俺に非はなく、こいつら盗賊が悪い。それは自明の理であるはずなのに、どうしてこの男は、この盗賊は、俺と同じように戦うことに苦しんでいるんだ。

「どうして……どうして、盗賊なんてしてるんだ!」

「お前たちがそうさせているんだろう!!」

 撃ち合いの中でもはっきりと、アラムはそう返した。完全に御していた馬と己の動きがずれ、銀の剣がアラムの衣を横一文字に薙ぐ。衣しか斬れなかったのは手応えで分かった。もう一歩踏み込もうとすると、アラムの槍が空を裂き、スイのたてがみが切れて舞った。

「……どうして、俺たちから奪う! どうして俺から、何もかも!!」

 思わず銀は声を荒げた。それは初めて声を大にして口にした不満だった。呪いの言葉にも似たそれと共に剣を振り下ろしたが、金属製の柄にいとも簡単に受け止められる。

「それならお前たちは、俺たちと分け合おうとしたことがあるのか」

 アラムもまた、一言一句叩きつけるように鋭く、はっきりと発した。槍の柄は広い刃を受け止めるにはやや頼りないようにも見えたが、うまく力を受け流して危険な均衡を保っている。

「別の土地へ行けばよかった」

「……おまえがッ、それを言うのか! この土地を愛している、おまえが!!」

 銀のいらえに、アラムは激昂して鋭く声を上げた。アラムは力任せに槍を構え直し、銀は跳ね飛ばされてあとじさる。時が戻ったように、戦いが始まる前と同じ位置関係に戻された。肩で息をしながら、アラムは自分に言い聞かせるようにひそやかに、けれど迷いなく呟いた。

「俺たちだって、草原を愛しているんだ」

 草原――馬や家畜と暮らす一族が、産まれ、生き、そして死んでいく土地。それは限りなく広大で自由なように見えて、真実はそれとは程遠い。水源から離れた痩せた土地は牧草もなく乾いた砂が続くばかりで、遊牧に適した土地は限られている。草原の民は自由きままに遊牧しているのではなく、僅かな牧草地を絶やし、限られた土地を殺してしまわぬよう、最新の注意を払って決められた道筋を流れている。

 遥か広く見える草原は、そこに生きる全ての人と家畜を養って生きていくことなどとても出来ない、ちっぽけで頼りない草原だった。

 だがその土地で暮らす人々にとって、草原は人生の全てだった。草原は美しかった。優しかった。暖かかった。儚くもろく、愛おしかった。

 例えば、一陣の風を受け裏返った草原の葉が、陽に照らされて眩しく輝く。

 そんな瞬間瞬間が、途方もなく愛おしく、草原の大地と風から離れては生きていかなかったのだ。

 ――草原を愛している。

 まさかそんな言葉が相手の口から出るとは思わず、銀は目を見開く。

 一瞬の自失があった。他の誰でも見過ごすような短い間であったが、よく似た相手はそれに気付いた。自失から覚めた時にはアラムはもう動き出している。元の位置関係に戻って、間合いの利を取り戻し、機を生かして飛び込んでくる。避けられないと思った。

 そして叫ぶ。

「やめろっ、スイ!!」

 黒馬は主の命令を無視して大きく跳ね上がった。

 首から胸、胸から脚へ、斬り裂かれたのは己ではない。産まれた時から育て続けた、半身とも言える、黒い馬。

 予想外の結果に面食らった一人と一頭に向けて、スイは倒れ込む。

 余計な思いは全て、虚空へ置き去りにした。

 ただ剣を、一心不乱に突き立てた。




 手応え。腕にかかるあたたかいもの。勝敗は決した。

 身体のあちこちが痛んだ。スイから落ちた時、受け身を取る余裕などなかった。保身より、相手を突き刺し命を奪うことを選んだ。銀はのろのろと起き上がって結果を見据えた。

「スイ」

 数歩離れたところであえいでいた半身は、身体の前面を大きく斬り裂かれていて、どう見ても助からない。万が一その傷を治すことが出来たとしても、足の腱が切られていてこれではもう走ることはおろか立つことも出来まい。それは馬にとって、死ぬのと同義だ。

「スイ」

 もう一度名を呼ぶと、深い沼のような穏やかな瞳がこちらを向いた。銀がその名を呼んで、早駆けすると喜んで、夜空の星を映し込んだように輝いていた瞳にもやがかかり、静かにその生命の終わりを告げている。

「ごめん、助けられない」

 そう告げると、気にするなと言うように鼻を胸に押し付けてきた。もっと幼い仔馬だった頃、甘える時にしてきた仕草でもあった。

 苦しみを早く終わらせてやったほうがいいのだろうかと剣を探しかけたが、その考えを察したように、スイは胸の中でいやいやと首を振った。銀が馬場から離れる時にむずかっていた仔馬のスイを思い出し、例えようもなく胸が痛んだ。首を抱きしめ、たてがみに顔を埋めると、太陽のにおいがした。

「スイ、スイ、スイ」

 これまで何度呼んだかわからない名を、繰り返して腕に力を込める。少しずつ生命が失われていくのが分かる。スイの額に顔を押し付けたまま、銀は最後にささやいた。

「ありがとう、今まで」

 巨体からするりと意志という意志が抜け落ちた。その瞬間、スイが死んだことを銀もさとった。愛すべき相棒だった躯はただの肉になる。別れる前に、もう一度だけ額を柔らかな黒毛に押し付けて、銀は腕を離した。

 ゆっくりと身体を反転させる。もう一つの結果を見なくてはならない。

「アラム」

 自身が討ち果たした青年は、たった今、彼の相棒である馬と別れを告げたところだった。力なく緑の鼻先を撫でていた手がぱたりと落ちて、銀ははっとして駆け寄った。

「アラム、おい」

「…………ぎん……」

 彼はまだ息があったが、自ら手を下した相手の最期をどう看取ればよいのか、判断しかねて混乱した。そうしているうちにまた指先が弱々しく持ち上がり、銀の衣の端を掴んだ。その手を取っていいものかも分からず、銀は固まる。しかしアラムは、銀の迷いなど気にしていない様子でほとんど息だけでささやいた。

「おれは……おれたちは、おまえの、かぞくを、ころしたのか…………」

「…………ああ。俺の親と、共に遊牧していたみんなを」

「そうか…………」

 ふ、とアラムの瞳から色がなくなった。こと切れたかと、銀は慌てて彼の手を取り、強く握った。死を目前にして弱々しくはあったが、脈は確かにまだあった。銀の動きに応えたわけではないだろうが、アラムは感情のない瞳のまま、ぼそぼそと言葉を続けた。

「おまえには……わるい、ことをしたと…………おもう」

 銀は反応できず、ただ木偶の坊のようにアラムの言葉に聞き入ることしかできない。

「けど……おれたちには……このいきかたしか、できなかった…………!!」

 ふいに瞳に強い力が宿った。あの市場で出会ったときのような、まっすぐな瞳で、屈託のない笑顔だった。しかし銀はその笑顔に応えられない。ただ彼を見守り、言葉を待つことしか出来ず、背後から近付いてきた蹄の音に振り返ることも出来ない。

「ぎん」

 血を吐きながらこぼす言葉は聞き取りづらい。

「おれの、みどりをつかってくれ……!! おまえなら、きっと、のりこなせる…………きっと、おいつける……」

「……アラム」

 かろうじて名を呼ぶと、それを肯定と受け取ったのか、アラムはほっとしたような満足げな表情を浮かべた。それから、鼻先を寄せるみどりを見て少し笑い、最期に暮れはじめの空を見上げて呟いた。

「いい…………馬、だったなァ……スイ……」

 それを最期に、息絶えた。

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