1-7 『意外な落とし穴』
「な、な、何これええええええ!?」
桜子が上げた声は、それ以上の歓声によってすぐに掻き消されてしまう。
眼下に広がっていたのは人の海だった。
広大な中庭を埋め尽くすように人々が溢れかえっている。
その人々は一人の例外も無く、バルコニーに居る桜子達を見上げ、歓声の声を上げていた。人々の声は次第に重なっていき、それはひとつの言葉となる。
『勇者様、バンザーイ!』
『勇者様、バンザーイ!』
『勇者様、バンザーイ!』―――
その大合唱は建物の壁面に反響して大気を震わせた。
桜子達はその圧巻とも言える光景をただ茫然と見下ろしている。ライブに来てくれるファンの何十倍もの人間があげる声―――。
自分達を称えているのであろうその声に、理由も無く胸が震えた。
「こりゃあ――」
「――す、凄いわね」
智花と亜季の茫然とした呟きも人々の歓声に巻き込まれよく聞き取れない。
横で同じように人々を見下ろしているハイドが笑みを浮かべた。
「町中に勇者様のことを知らせたら、すぐに集まりました。それにここだけではありません。街中にある各広場でも同じように人々が集まっているのです」
ハイドが空中に手をかざすと、空に大小様々な画面が浮かびあがった。空中ディスプレイともいうべきその技術にも驚きだが、その画面に映っている光景を見て桜子達は息を飲んだ。どの画面にも、眼下に広がる光景と同じように、人々が集まり勇者を称えている姿が映っていたのだ。
桜子達5人は背筋に走るゾクゾクとした快感に一時酔いしれた。
(これだけの人が私達を応援してくれているんだ)
桜子の脳裏に幼い頃に見た沙羅のライブの光景が浮かぶ。
・・・私は、あの人に、近づけているだろうか・・・。
陶酔するように自己の想いに浸る桜子の横で、ハイドが高らかに声を上げた。
「皆の者! よくぞ集まってくれた!」
瞬間、喧噪が嘘のように静まり返る。
声をなんらかの力で拡張させているのか、拡声器を持っている訳でもないのにその声は周囲に反響するようにして中庭に響き渡った。空中の画面を見ると音声は各広場へも中継されているようで、画面の向こうの人々もハイドの言葉に耳を傾けている様子だ。
「既に皆も知っていることだが・・・今、この国は危機に瀕している!」
人々の表情に影が差すのがバルコニーからでも分かった。
「この国始まって以来の大きな危機だと言えよう。皆も不安な日々を過ごしていることかと思う・・・だが安心して欲しい! 遂に私達が待ち望んだ、私達を救ってくれる救世主が現れたのだ!」
群衆から歓声が上がった。
「彼女らこそが! 我が国に古代から伝わる予言に記された、勇者達だ!!」
先程よりも更に一回り大きい歓声が中庭に響き渡った。人々の高く突き出した腕がまるで激しい波のように大きくうねり、向けられた大声援に桜子達は照れたように手を振り返した。
「そして!」
再び場が静まり返る。ハイドの一言に皆が注目しているのが雰囲気で伝わってきた。
「勇者殿は約束してくれた! 我が国を救うためにその身を捧げることを!」
再びの歓声。感動も多分に含まれているその声は、地の底から湧き上がってくるような残響を伴って桜子達の耳に届いた。
「――え?」
桜子の瞳には驚きが浮かんでいた。
(約束? 身を捧げる? そ、そうだっけ? 手伝いたいとは言ったけど・・・まだ詳しい話も聞いていないのに?)
今、耳にした言葉が理解出来ず、ただ茫然とハイドの姿を見つめる。
「これが証拠である!」
ハイドが腕を高く掲げると、まるでテープレコーダーを再生するような僅かなノイズ音に混じって、聞き慣れた声が中庭に響き渡った。
『――もし自分に少しでも出来ることがあるならば協力したいかなって――』
それは桜子の声だった。言った内容にも覚えがある。つい先程自分が口にした言葉だ。
――録音されていた。
その事実に思いが至った時、桜子は茫然とその場に立ち尽くした。
助けを求めるように仲間へ視線を移すと、美羽が「やられた」という表情でハイドを睨んでいるのが分かった。亜希の視線からは「だから安請け合いすんなっていつも言ってんの!」という桜子への非難がありありと感じられた。
群衆は歓喜の声を上げている。自分達の待ち望んでいた勇者が発した善意の言葉に、深く感動しているようだった。桜子は混乱する頭でその光景を見ていた。
人々が感謝の言葉を口にする。自分達が言われる覚えの無い感謝の言葉を―――
「そして、今!」
そんな桜子の混乱を無視するようにハイドは言葉を続けた。
「我らがランジア王国は、勇者と契約を結ぶこととなる!!」
懐から一枚の羊皮紙を取り出し、それを人々に見せつけるように高々と掲げる。
「さあ、勇者殿、我々と契約を――」
ハイドが桜子へ歩み寄る。淡々とした感情の籠もっていない言葉に桜子が後ずさった。
「桜子ちゃん! 駄目よ!」
美羽があげる必死の声に桜子は頷いた。桜子にだってそれは分かっていた。
この契約は結んではいけない気がする。いや、そもそも内容の説明もされていないのに契約なんて出来るわけがない。そんな桜子の心を見透かしたようにラクセルが口を開いた。
「契約の内容は、我が国が抱えている問題を解決するのに協力していただく、それだけですよ。それ以外に貴方達を拘束するような条項は含まれておりません」
「それを信じろってのかよ!?」
智花の言葉にラクセルがかぶりを振る。
「信じて頂か無くても結構ですよ。ただ契約に同意して頂ければ。ちなみに契約の仕方は『我は同意する』と一言口にするだけです」
桜子はラクセルの言っていることが理解出来なかった。契約のやり方についてではない。内容について納得出来なくても契約には同意しろ、と彼は言っているのだ。
その理不尽さに頭が理解することを拒絶する。
「な、なんで、こんなことをするんですか!?」
桜子はかぶりを振りながら叫んだ。
「こんなことをしなくても、私は出来る限りは協力するつもりでした! なのに・・・こんなことをされたら、そんな気も無くなってしまいます!」
しかし、桜子の言葉に微塵も表情を変化させることなく、ハイドは言う。
「出来る限り、では困るのだ」
「え?」
「――さあ、どうする勇者殿? 人々の不安はお前達の登場でかろうじて抑えられているのだ。これだけの群衆の前で契約を拒否したらどうなるか・・・期待が怒りに変わり、暴動が起きても不思議ではないぞ」
口調すら変わってしまったハイドの言葉に桜子が唇を噛む。
中庭に居る人々が、画面の向こうにいる人々が、期待に満ちた瞳で自分の言葉を待っているのが分かった。「この国を救う」と宣言する言葉を待っているのだ。
だがその人々の瞳が今の桜子には恐ろしく感じられた。数分前には感動すらしていたはずなのに――。今は人々が向けてくる視線が怖かった。
桜子は今更ながら理解した。この人々は桜子達に契約を強要するために集められたのだと。数百、数千の瞳が桜子へと圧力をかけてくる。
・・・でも、それでも。
桜子は口を開いた。
「・・・嫌です」
ハイドの眉が意外だというようにピクリと動いた。それだけのことに若干の満足感を感じながら桜子は言葉を重ねた。
「落ち着いて事情を話してください。そうすれば何か良い方法が――」
「ラクセル!」
桜子の言葉を遮り、ハイドが側近の名を口にする。
呼ばれたラクセルは「やれやれ、こんなことしたくないんですがねえ」と口にしながら自分の懐へ手を入れた。そのまま素早く亜希の後ろへ移動すると、首に腕を回し羽交い絞めにする。そして、苦し気に呻く亜季の首元に取り出したナイフを突き付けた。
「亜希ちゃんっ!?」
「・・・う、うそ・・・」
いきなりの展開に頭がついていかないのか、亜希は茫然とした面持ちで口をパクパクと開いたり閉めたりするだけだ。
「てめえ! 亜希をはなせ!」
「おっと、月並みで申し訳ないのですが手は出さないでくださいね。あと余計な言葉も口にしないこと。この子がどうなるか分かりませんよ? ・・・後ろに居る貴方も良いですね?」
こっそり後ろに回り込もうとしていたメイが舌打ちをする。
中庭に居る人々からはバルコニーが死角となってこちらの光景は見えてはいないのだろう。人々からこの状況に気が付いているような素振りは感じられない。
「さあ、勇者殿。契約を」
ハイドが契約書を手に桜子へ近づく。
「なんで、こんなひどいこと――」
「先程言った通り、俺達には時間が無いんだ」
「だからって!」
僅かな望みを賭けて美羽の顔を見ると、彼女も悔しそうに口を引き結んでいた。苦悶に表情を歪ませ、やがて・・・ゆっくりと頷いた。それは手だてが何もないことを意味していた。桜子はハイドに向き直ると口を開いた。
「――軽蔑します」
「覚悟の上だ」
桜子は肩を落とすと観念したように契約の言葉を口にした。
「・・・我は、・・・同意する」
桜子がその言葉を口にすると契約書が光を発した。そして何も書かれていなかった空白の部分に、まるで透明人間が字でも書いているようにスラスラと『SUPIKA』の文字が筆記されていく。
契約書の光が治まると、その紙を丸めハイドが懐にしまい込んだ。
「さあ! 今この瞬間、勇者殿は我が国を救う救世主となった! 我はここに宣言する! 危機は必ず回避されるであろうことを!」
ハイドの叫びに人々のボルテージが最高潮に達した。
どこからともなく再び「勇者様、バンザーイ」の声が掛かった。すぐにそれは先程と同じように大衆を巻き込んでの大合唱へと変わっていく。
『勇者様、バンザーイ!』
『勇者様、バンザーイ!』
『勇者様、バンザーイ!』――
人々の声がこだまする中、ラクセルがゆっくりと亜希を拘束していた手を解いた。その瞬間、亜希が肘鉄をラクセルにかます。ふいを着かれたラクセルが苦痛に顔を歪めると同時に、亜希が急いでその場を離れる。
「やれやれ、ひどいことしますねえ」
「どっちがっ!」
人々へ手を振り終えると、ハイドが桜子達へと向き直った。
「さあ、これでお前達は俺達に協力するしかなくなったわけだな」
腕を組んで仁王立ちするハイドは、先程までの和やかな好青年の仮面を脱ぎ棄て、皮肉そうな笑みをその顔に浮かべた。口調からも年齢相応の未熟さが滲み出ている。
「そのしゃべり方・・・初めから全部演技だったってわけね」
美羽の言葉にハイドが頷く。
「ああ。慣れない言葉遣いだったからな、いつボロが出るかとヒヤヒヤしたよ」
智花が怒りの表情を浮かべ、戦闘態勢を取る。
「――まあまあ、落ち着けよ。騙したのは悪かったが、別にお前らを取って食おうって訳じゃない。ただ仲間になったってだけだ」
仲間。明らかに出会った頃より険悪になっているこの雰囲気にそぐわない言葉を残し、ハイドが身を翻した。
「さ、こっちに来い。お前達が知りたがっていた詳しい話ってのを教えてやる」
そういうと再び部屋の中に戻っていく。
桜子達はそれぞれに納得の出来ない表情を浮かべ、しぶしぶ後に続いた。
これから一体どうなってしまうのか――。
桜子の頭の中では漠然とした不安が渦を巻いていた。
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