1-5 『やってきました!異世界!』
そこには暗闇だけが満ちていた。
といっても完全な闇では無い。どこかに光源でもあるのか、うっすらとだが周囲にあるものが見て取れる。どこからか隙間風でも入ってきているのか、辺りにはわずかだが風が流れ、その風に乗ってどこか湿ったような空気が辺りを漂っていた。
空間のちょうど真ん中に少女達が横たわっている。
桜子達SU☆PI☆KAの5人だ。流れる風が髪をくすぐると少女達はむずがるようにその身を捩った。
ふと暗闇の中で何者かの動く気配があった。厚手のローブを着た小柄な人影。フードを目深に被っており、素顔は陰になって確認出来ない。
その小柄な人影が、桜子達の寝ている場所へとゆっくりと近づいていく。
そして、桜子の傍まで来ると、その身体を両手で大きく揺すりだした。「ううん・・・」と小さく呻いた後、桜子はゆっくりとその瞳を開いた。
目の前に広がる薄闇に、桜子のぼんやりとした瞳が光を求めてゆっくりと彷徨う。
そして桜子は見た。
覆いかぶさるようにして自分の顔を覗き込む、ローブ姿の人影を。
「―――っ!!」
声にならない悲鳴を上げて飛び起きると、その場から物凄い勢いで後ずさる。そのまま逃げようと腰を持ち上げかけるが、目の前に倒れている仲間達4人の姿を認めると、桜子は必死の形相でなんとかその場に留まった。
「あ、貴方は誰ですか!?」
恐怖に震える心を奮い立たせ、なんとか声を上げる。だが、小柄な人影は首をかしげるようにしてこちらを見てくるだけだ。
無視しているのではない。まるで桜子が言った言葉が理解できないようなそんな素振り――。
桜子はせめて4人を守れる場所までは近づこうと、そろそろと足を伸ばした。
「あ、あの・・・何を、してるんですか?」
先程よりも大分弱々しくなった問いかけにも小柄な人影はやはり答えなかった。
桜子が訝しげな視線を向けていると、小柄な人影が立ちあがりフードを取り去った。下から現れた顔は、十代半ばぐらいの少女のものだった。
クリッとした大きな瞳が印象的で、どこか小動物的な愛らしさを漂わせている。だが、何より目を引いたのは、くるくるとしたくせっ毛から顔を出している二つの耳だった。頭の上に猫のような巨大な耳が付いているのである。
大きな瞳でこちらをじっと見てくる愛くるしい少女を前にして、桜子は強張っていた体から力が抜けていくのを感じた。とても自分達に害を為すような相手には見えない。
桜子は警戒を解いて近づくと、自分よりも年下に見える少女に優しく語りかけた。
「ね、ねえ、教えて欲しいんだけど・・・ここはどこなのかな?」
だが、少女はやはりきょとんとした顔を浮かべるだけで、期待したような答えは返ってこない。
桜子が困っていると、少女がゆっくりと口を開けようとしているのが分かった。何かしらの回答が得られるのかと、桜子の顔に微かな期待が浮かぶ。
「――ニャア!」
だが、少女から返ってきた可愛らしい答え(鳴き声?)に、桜子の肩は脱力したようにダラリと垂れ下がった。半眼で少女の顔を睨みつけると、少女は困ったように眉根を寄せる。
・・・ふざけているようには見えなかった。
「ニャアニャア、ニャニャン?」
必死な表情でニャアニャアと言ってくる少女に、桜子がどう反応するべきか困り果てていると、やがて少女は何かを諦めたようにため息をつき、部屋の奥の暗がりに向けて大きく「ニャン!」とひと鳴きした。
怪訝な表情でその暗がりを見ていた桜子の顔が、不意に驚愕に取って代わる。
暗がりの中から新たな人影が現れたからだ。
少女と同じデザインのローブ姿。フードで顔を隠してはいるが、肩幅が大きく背も高いその人物は、ひと目で男性だと分かった。ゆっくりと近づいてくるその男が放つ威圧感にも似た雰囲気に、桜子は身体が竦むのを感じた。
少女に感じていた親近感が恐怖で塗りつぶされていく。桜子は慌ててしゃがみ込むと、寝ている智花の身体を大きく揺すり出した。
「トモ姉! 起きてっ! 起きてようっ!」
呻き声を上げる智花はすぐにでも目を覚ましそうではあったが、それよりも先にローブ姿の男が桜子の目前まで近づいてきた。
間近で見るとその男の巨大さが良く分かる。
真上を見上げるようにして、桜子はその男が言葉を発するのを待った。ゴクリと喉が鳴るのが分かる。男がゆっくりと口を開いた――。
「――ニャア!」
桜子は今度こそ自分の身体が全力で脱力していくのを感じた。
――そうですか。そうきますか。
こめかみをピクピクとヒクつかせながら、桜子がせめて気の効いた文句のひとつでも言ってやろうと頭を働かせていると、目の前で二人がなにやら相談を始めた。
お互いにニャアニャア言っているだけのその不毛な会話を呆れた眼差しで眺めていると、少女が桜子に向かって唐突に頭を下げた。
「ニャニャン!」
――なんか謝られているような気がする。
桜子がそう感じた次の瞬間、少女が両手を桜子達に向かってまっすぐに伸ばした。その手に嵌められている指輪を見て、桜子の背筋がゾクリと粟立った。
(あれって――事務所でラクセルって人が使っていた指輪!?)
湧き上がってくる警戒心に身を固くしていると、少女が小さく何か唱えたのが分かった。指輪が黄色い光を放ったかと思うと次の瞬間、桜子達を激しい頭痛が襲った。
(なに・・・これえ!?)
立っていられないほどの激痛に桜子が膝をついて頭を抱える。
(あ・・・頭の中をかき混ぜられてるみたい!)
声すら上げることも出来ずに、その痛みに耐え続ける。全身から汗が吹き出し、視界が涙で滲んでいく・・・。
数秒後、その痛みは消え去ったが、じっとりとした汗が全身を濡らし、ただ荒い息を繰り返すことしか出来なかった。
「だ、大丈夫ですか?」
突然かけられた声に霞む視界を向けると、猫耳の少女が心配そうな表情で桜子達の顔を覗き込んでいた。
(・・・ふ、普通に話せるんじゃん!)
頭の中で思ったことを言葉として発しようとするが、激痛の余韻でまだ口が上手く動かせない。しゃがみ込んだまま痛みが落ち着くのを待っていると、視界の端で智花達が起き上がるのが分かった。
「痛ってーなあ――!」
「痛たたた・・・何なの? いったい――」
頭を押さえながら身体を起こす智花と美羽とメイ。亜季は――あの痛みの中でもまだ呑気に寝息を立てていた。
「――ここは、どこなの?」
周囲を見回し、自分を取り巻く状況に戸惑うように美羽が呟く。すると、少女が再び頭を下げた。
「いきなりで申し訳ありません! 痛みはすぐに治まると思いますので――」
先程の可愛らしい声そのままに、心配そうな表情を浮かべる。
「なんだよ!? 今のはお前の仕業か!? 滅茶苦茶痛かったじゃねーか!!」
「ひゃああ! ごめんなさい! ごめんなさい!」
智花が飛びかかるようなそぶりを見せると、慌てた少女が男の影に隠れる。尚も険悪な視線を向けている智花の前に、少女を庇うようにして男が一歩前に進み出た。そしてフードを取り去ると会釈するように頭を下げる。フードの下の素顔は、豪胆な武人といった風貌で、剃り上げた頭に口元の豊かな髭が良く似合っていた。
「無礼は詫びよう。意志の疎通を図る為、強引とはいえ早急に仕込ませてもらった」
「――仕込む? ・・・って、何をかしら?」
訝しげな視線を向ける美羽に男が答える。
「言語が違っていたようだったのでな。『頭』に直接書き込ませて貰った」
そう言って自分の頭を指先でトントンと叩く。
「言語?」
怪訝な表情を浮かべながらも桜子は唐突に気がついた。自分が日本語ではない言葉を話していることに。よくよく自分の声を聞いていると、先程目の前の男達が言っていたようなニャアニャアという言語を自然と口にしている。
「な、何これ!? 気持ち悪い!!」
先程少女と男が口にしていたものが同じ言語だということに今更気付き、桜子は頭が混乱していくのを感じた。それは美羽達も同じようで自分の口元を押さえて茫然としている。その様子を見て満足そうに頷き、男は改めて頭を下げた。
「申し遅れた。私はランジア王国の兵士長を務めるダンバンという者だ。そしてこっちが――」
隠れていた少女が猫耳をピクピク揺らしながら声を上げる。
「城付きの侍女で、セシアと申します!」
王国? 兵士長? 城?
普段聞き慣れない単語のオンパレードに桜子はただ茫然とした表情を浮かべることしか出来ない。その表情を見て察したのかダンバンが優しげに微笑む。
「いきなりのことで驚くのも無理はない。まずは俺達の話を聞いてくれないか」
そう口にすると、ダンバンとセシアが今の状況についてゆっくりと説明をしてくれた。
最初は落ち着いて話を聞いていた桜子達の表情も、ダンバン達が自分達の素性を語った辺りから、驚愕の色で彩られていく。
智花と美羽は言葉を失い、桜子に至っては(比喩ではなく本当に)ポカンと口を開きっぱなしだった。唯一メイだけがいつもの無表情で刻々と頷いている。
―――全ての話が終わった後、そこにあるのは茫然と立ち尽くす桜子達4人の姿だった。
「う、嘘でしょ・・・?」
呟く桜子の目の前でセシアが首を横に振る。
「嘘ではありません。ここは皆様の居た世界とは別の世界。私達はルイドーアと呼んでおります」
「じゃ、じゃあ、私達は異世界に来ちゃったっていうの?」
「そうなります。皆様にどうしてもお願いしたいことがあり、この遺跡の力を借りて、この世界に召喚させて頂きました」
淀みなく答えるセシアの顔をマジマジと見つめてから、桜子は美羽に向き直った。
「――どう思う? 美羽ちゃん」
「う~ん、簡単に信じられる話ではないけれど・・・私達はもう異常ともいうべき現象をいくつか見てしまっているのよね」
美羽の言葉が指しているものを頭の中で思い浮かべる。
事務所で見た自分達を吸い込んだ穴、見知らぬ言語を話せるようになった術、そして自分達が今いるこの空間だ。
薄闇の中で目を凝らすと、どうにか四方が石造りの壁で囲まれているのだと分かる。セシアが遺跡と呼んでいたこの広大な空間は、先程まで自分達がいた現代日本とは明らかに異質な雰囲気を漂わせていた。
周囲をキョロキョロと見回す桜子を見て、セシアが声を上げる。
「あ、少し暗いですよね――少々お待ち下さい」
頭上に手をかざし小さく呟く。
「――起動開始(オート・キャスティング)」
すると、セシアの手の上に眩しく輝く光の球が出現した。
サッカーボール程のその光球は緩やかに上昇していき、天井付近で停止する。照明を作り出したその工程を驚愕の表情で見続け、桜子と美羽は呟いた。
「これは、本当に―――」
「―――異世界、なのかしらね」
降り注ぐ光の下、笑顔を浮かべたセシアが満足げに頷く。
「・・・これは、魔法なノ?」
不意にそれまで黙っていたメイが口を開いた。何か気になる事でもあるのか、天井付近を漂う光の球を眩しそうに見上げている。
「いえ、これは魔技と呼んでいるものです。この指輪を媒介に、空気中のエーテルを魔力に変えて使っています」
セシアの言葉に反応した美羽が身を乗り出すようにして言う。
「エーテルって――エチルエーテルじゃないわよね。まさか第5元素のエーテルのことかしら?」
「はい、そうです」
「凄いわね・・・。私達の世界では19世紀に存在を否定されているはずの物質まで、ここでは実在するのね。でも、空気中にエーテルが満ちているとして、それを動力として使用出来るって事は無限に近いエネルギーを――」
手を口元に添えてぶつぶつと呟く美羽を智花が不機嫌そうに眺める。話が脱線していることにイラついているようだ。
「――それで? その、どうしてもお願したいことって何なんだよ。これだけのことをしたんだから、そう簡単なことでもないんだろ?」
「それは――」
「――それは王自らが話される。すまないが、一緒に王宮まで来てくれまいか?」
口を開こうとするセシアをダンバンの言葉が遮る。
「――どうせ、私達に拒否権は無いんだろ?」
「そうだ。その代わりと言ってはなんだが、協力してくれている限りは、身の安全と不自由の無い生活を保障しよう」
無表情のまま事務的に話すダンバンの顔を智花が睨みつける。だが、やがて観念したように嘆息すると、桜子へと向き直った。
「――だとさ。どうするリーダー?」
「え? え? 私? え~と・・・ど、どうしよっか、美羽ちゃん?」
右から左への見事な丸投げに美羽が苦笑する。
「とりあえずは従うしかないんじゃないかしら? 判断しようにも情報が無さ過ぎるわ」
「じゃ、じゃあそれで・・・」
完全に人任せになった判断を誤魔化すように笑っていると、未だに寝ていた亜季が小さく呻いた。
そして、眠そうな目をこすりながら、上半身をゆっくりと起こす。
「亜季ちゃん? もう! やっと起きたの?」
「あ・・・さくら、こ? ・・・あんた――」
「亜季ちゃんが寝ている間に凄いことになってるんだからね」
「――あんた、なんて格好してるの?」
「へ? 格好?」
亜希の呟きに桜子が間の抜けた返事を返す。
頭にハテナマークを浮かべながら言われた通り自分の恰好を確かめる。
胸元から下がって腹部、
更に下がって・・・、
そして――。
「っきゃああああああああっ!!」
部屋全体を震わせる程の絶叫に、周囲に居た皆が一斉に耳を抑えた。
「きゃあああ!! 見ないでえええ!!」
そう言って自分の下腹部を抑えて座り込んでしまう。
桜子は自分の恰好を信じられない気持ちで見つめた。
そう、パンツ丸出しの恰好を。
(な、なんで!? いつから!? あ! 事務所で穴に吸い込まれるとき脱げて・・・嘘でしょおお!?)
床に触れたお尻からひんやりした感触が伝わってくる。今まで気づかなかったのが不思議なくらいだ。
見ると、ダンバンは自分は見ていないとでもいうように顔を逸らしていた。しかし、それも、なにを今更、という感じがしなくもない。
「じゃあ、ずっとパンツ見られてたの!? 男の人にも!? 何よこれぇ! 何プレイよ!?」
混乱のあまり訳の分からないことを口走る。
「亜希ちゃん、スカート返してえ!」
「は? 知らないわよ」
「そんなぁ!」
「良ろしければ、これをどうぞ」
泣きじゃくる桜子を不憫に思ったのか、セシアが自分のローブを脱いで桜子に手渡す。
「あ、ありがとう・・・でも、貴方も分かってたなら教えてくれれば良いのに」
受け取ったローブを羽織りながら桜子が半眼で訴える。もはや完全な八つ当たりである。睨まれたセシアは多少怯みながらも口を開いた。
「いや、その・・・変わった趣味の方なのかなと」
「そんな訳ないでしょぉ!!」
桜子の怒声が再度部屋にこだました。
それから数分後、桜子が落ち着くのを待ってから話は再開された。事情を聞いた亜季が胡散臭そうに眉根を寄せる。
「それで? これから王様に会いに王宮に行くってわけ?」
「まあ、そうなるな」
「なんで私達がそんなことしなきゃなんないのよ」
「それは・・・我々にはどうしても皆様のお力が必要だからです」
セシアは目を閉じると唐突にその場に跪いた。ゆっくりと開かれたその瞳には、先程までとは違う感情の光が湛えられている。
「――お待ちしておりました」
その瞳に映るのは尊敬や憧れ、そして溢れんばかりの期待。大きな瞳を潤ませ、頬を興奮で紅潮させながらセシアがハッキリとした口調で語りかけた。
「我が国を救ってくださる――伝説の勇者様」
セシアの言葉に同調するようにダンバンも膝を折り頭を垂れた。
しかし、その儀礼に乗っ取った美しい所作も桜子達の視界には入っていない。
桜子達はセシアから発せられた思いがけない言葉に、ただただ茫然としていた。
5人が口を揃える。
「はあああああああ!? 勇者ああああ!?」
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