1-4 『消えたアイドル』


「出ていけ。じゃなきゃ警察呼ぶよ」


 智花が桜子と亜希を庇う様に前へ進み出る。


「あらら、それは困りましたねえ・・・別に私は嘘をついてはいないのですが・・・こうも警戒されると素直に話を聞いてもらうのは難しそうですねえ」


「何をごちゃごちゃ言ってるんだ。出ていけって言ってるんだよ!」


 智花が再び警告を発した。その横では、余程警戒しているのか、メイが普段の彼女では見られないような厳しい顔つきでラクセルを睨みつけている。


「仕方ありません・・・不本意ですが、強引にでも来て頂きましょう」


 誘拐宣言ともとれるその発言に、智花が戦闘態勢を取った。それと同時に、不敵な笑みを浮かべたラクセルが右手を目の前に突き出す。


 ちょうど桜子達に向けて手をかざすような恰好だ。その右手中指に緑色の宝石のついた指輪が嵌められているのが見えた。細かく華美な装飾に彩られたその指輪は、ファッション目的で着ける物としてはやや大ぶりでゴツイ印象を受ける。


 ラクセルがゆっくりと口を開く。その瞳には狂気の光――いや、むしろ狂喜の光と表現した方が良いかもしれない。常軌を逸した昏い光が宿っていた。



「――起動開始(オート・キャスティング)」


 その呟きは、決して大きな声では無いのにも関わらず、不思議と耳元によく響いた。突然、メイが普段からは考えられない様な激しい声を上げる。


「逃げテ!!」


 その瞬間、指輪についた宝石から凄まじいまでの光が迸った。思わず目を覆うほどの光量が部屋の壁面に桜子達の影をクッキリと浮かび上がらせる。


「な、なに!? これ!?」


 突然の状況に思考がついていかず、桜子達はただ成り行きを見ていることしか出来ない。ラクセルが指輪を嵌めている右手をすっと右に動かした。


 直後。桜子は、信じられない光景を目にした。



 ――空中に、穴が、開いた。



 桜子にはそうとしか表現出来なかった。ラクセルの体の横――伸ばした右手の先に巨大な黒い穴が開いている。その穴は一切の光を通さないかのように、どこまでも昏く黒い。


 そして次の瞬間、風が吹いた。

 室内に暴風と表現しても良い程の強い風が巻き起こる。吹きすさぶ風の行く先は黒い穴の中。まるで丸い掃除機にでも吸い込まれていくようで、その引力は必死に踏ん張っていないと身体ごと持っていかれてしまいそうなほどだ。


 5人が悲鳴を上げる。穴へと引きずられていく身体をなんとか留めようと踏ん張る。

 だが風は勢いを増していき、すぐに堪えることも難しいほどになった。


「抵抗しても無駄ですよ・・・」


 室内にラクセルの嘲るような声が響いた。


 不思議なことに、これだけの風の中に居ても、ラクセルは平然とその場に立っている。それどころか髪も服も風にそよいでいる気配すらない。ふと周りを見回すと、室内の家具なども影響を受けていないのか、棚の上に並べられた調度品も、窓際のカーテンすらもピクリとも動いていない。


(な、なんなの!? もう、訳が分からないよ!)


 まるで桜子の疑問が聞こえでもしているかのようにラクセルが口を開いた。


「不思議ですか? ご安心ください、大切な家具には傷ひとつ付けませんよ。これは対象物だけを吸い込む術式ですから――」


 話しながら、空いている左手を顔の前まで動かし、


「もちろん、対象と言うのは――――貴方達5人です」


 指先を鳴らした。


 瞬間、今迄で最大の風が吹き荒れた。


 体がふわりと浮き上がるのを感じる。真っ先に飛ばされそうになった亜季は、体が水平になっていく中、無我夢中で手を伸ばし、指の先に触れた柔らかいものを必死になって掴んだ。


「亜季ちゃん! それ私のスカート! 脱げちゃう!」


「こらあ! スカートと私どっちが大事なのよ!?」


 亜希が上げた叫び声に重なるようにブツンっという音が部屋中に響いた。

 それは桜子のスカートのボタンが、引っ張る力に耐え兼ね弾け飛ぶ音だった。収縮する力を失ったスカートがスルリと抜け落ち、捕まっていた亜希と一緒に穴に吸い込まれていく。


「あ、亜希ちゃああああんっ!!」


 亜季の名を叫びながらも、桜子は自分の身体が浮き上がるのを感じていた。悲鳴を上げる間も無く、漆黒の穴の中へと吸い込まれていく。


 桜子が最後に見たのは、足先から少しずつ飲み込まれていく自分の身体と、同じように身体を浮かせ始めた智花と美羽の姿だった。


 立て続けに3人が飲み込まれていき、室内を満たしていた悲鳴が消え去る。その光景を満足げに眺めていたラクセルが、残った最後の一人へと目を向けた。


「さあ、後は貴方だけです」


 その小さい体のどこにそんな力があるのか、メイがこの破壊的とも言える暴風の中、足と手を踏ん張って耐えている。瞳はラクセルの顔を睨みつけたまま、必死に歯を喰いしばっている。その視線を受け止めたラクセルが、ふと訝し気に顔を歪ませた。


「おや?・・・貴方は・・・?」


 その呟きが終わらない内にメイがすっと立ち上がった。風を受ける面積が増えたことで少しずつ穴へと小さい身体が引き摺られていく。


 やがて、メイは観念したかのように瞳からふっと力を吹いた。


「・・・覚えてロ」


 それだけを告げると、メイは自ら足を地面から離した。体が少し浮きあがり、次の瞬間には荒れ狂う風が穴の中へとその身を誘っていく。


 メイが穴の中に完全に消え去ると、吹いていた風が嘘のようにピタリと止まった。


 ラクセルはそれを見届けると、右手の指輪を穴に向かって掲げる。


 弱まっていく指輪の光に合わせる様に、空中に開いた穴もその大きさを縮めていく。穴が最後まで閉じ切るのを待って、ラクセルが「ふん」と満足気に嘆息を漏らした。


 そして部屋の中を見回し、異常が無いことを確かめると指をパチンと鳴らした。


 途端、ラクセルの体が陽炎のように揺らめき、風景に溶けるかのように薄れ・・・やがて消えた。


 ラクセルが完全に消え去るとそこは完全な静寂となった。


 しかし、その静寂も長くは続かなかった。部屋を満たした静けさを再度打ち払うかの様に、ドアをノックする音が響く。続いてガチャリというノブを回す音。


 ドアを開けたのは、島だった。


 誰もいない室内を見回し、怪訝そうな表情を浮かべる。


「みんな――?」


 しかし、その呟きに答を返す者は無く、ソファの足元に残された5人分の鞄が、直前まで何者かが存在していた気配を残しているだけだった。


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