1-3 『現れた来訪者』

 

 シャワーを浴び、それぞれ制服に着替えた後、5人は応接室に集まっていた。


 応接室と言っても会議室の真ん中にローテーブルとソファを並べただけの簡素なものだ。


 時計の針は40分を少し過ぎたところ。なんとか指定された時間には間に合うことが出来た。5人はソファの一方に並んで腰かけ、来訪者が訪れるのを待った。


「ううう、緊張してきた・・・」


 桜子が沈黙に耐えかねた様に呟く。


「しっかりしてよね。また挙動不審だったりしたら承知しないわよ?」


 釘を刺してくる亜希に、桜子は乾いた笑みを浮かべた。


 再び訪れる静寂。一定のリズムを刻む時計の針の音だけがその場に響き渡る。カチっという音が鳴るたびに桜子は緊張の度合いが高まっていくのを感じた。


(あああ、早く来てくれないかなあ、緊張で胃に穴が開きそうだよ)


 膝の上で結んだ両拳にぐっと力を込める。


(こういうの苦手。早く終わってほしい・・・ああ、どうせならステージを見に来てくれれば良いのに)


 ファンとの交流でさえ緊張でガチガチになってしまう桜子にとっては、ステージで歌を披露する方がよっぽど気が楽だった。


 ステージの上では不思議とほとんど緊張することが無く、それこそ別人にでもなったように自分をさらけ出すことが出来た。


 桜子にとって普段の自分とアイドルの自分はイコールでは無い。


 普段のダメダメな自分が、ステージに立った瞬間から皆を笑顔にするアイドルに変わる。まるで昔TVで見たアニメの魔法少女のように変身することが出来る。それを桜子は本気で一種の魔法の様に考えていた。それだけにステージの上は桜子にとって特別な場所であり、神聖なる聖域でもあるのだ。



 その時、桜子の思考を遮るようにドアがノックされた。



 静かな室内に響くコンコンという音に、思わず飛び上がりそうになる。


「え? も、もう来たの?」


 桜子は先程考えていたこととは正反対のセリフを口にすると、慌てて居住まいを正した。美羽が発した入室を促す言葉に続いて、ドアノブが回されドアがゆっくりと開いていく。


 しかし、そこに居たのは桜子達が予想していた人物では無かった。


 姿を現したのはグレーのスーツに身を包んだ20代半ばぐらいの細身の男。白髪というよりは銀髪と表現出来そうな艶やかな髪を後ろになでつけ、眼鏡をかけた顔には人懐っこい笑みを浮かべている。


 「失礼します」とだけ言って部屋に入ってくる男に向けて、5人は訝しむような視線を投げかけた。島は「自分が先方をアテンドする」と言っていた。だからてっきり初めに顔を出すのは島だと思っていたのだが――。


(だ、誰? ・・・ひょっとしてシエルの人なのかな?)


 見知らぬ相手の登場に、5人の間に不穏な空気が流れる。


「あ、あの・・・? 失礼ですが・・・」


 誰ですか、とは口に出さず男に問いかける。男はその意味をちゃんと汲み取ったのか、ローテーブルを挟んだ向かい側に立つと大仰な仕草で頭を下げた。


「これはこれは、初めまして。私、こういう者です」


 そう言って胸元から取り出した名刺を一人一人に渡していく。


(ラクセル・ヘイム、さん・・・? 外人さん、かな・・・?)


 聞き慣れない不思議な響きの名前、それが率直な感想だった。

 顔を見ると、確かにすっと通った鼻筋や、そら寒ささえ感じさせるような白い肌は日本人離れしているようにも見える。

 桜子が男の顔を眺めていると、隣に居る亜希が不意に脇腹を小突いてきた。


(な、なに? 亜希ちゃん)


(会社名見なさい! 会社名!)


 小声で囁いてくる亜希に従い、名前の上に書かれた会社名に目をやる。


(え~と・・・ファンタジーワールドカンパニー・・・って、え? シエルじゃない!?)


 他の皆も同じことに気付いたのか、目に見えて男に対する警戒が高まる。そんな中、ラクセルと名乗った男は5人を値踏みするかのように眺めてからゆっくりと口を開いた。


「突然申し訳ありません」


 再び頭を下げる。


「SU☆PI☆KAの皆さんですよね・・・いやあ、こうして近くで見ると本当に可愛らしい方達ばかりだ」


 両手を広げる芝居じみた動きと妙に流暢な言い回し。常に笑っている様にも見えるその細い瞳に見つめられた瞬間、桜子はゾクリと背中が粟立つのを感じた。


「実は、私、先日皆さまのステージを拝見させて頂きまして。本日はスカウトに伺った次第です。はい」


(スカウト? ・・・え? 私達を?)


 スカウトという言葉に露骨に反応した亜季がその瞳を輝かせる。だが、桜子の表情は険しさを増すばかりだった。


 突然の話し過ぎていまいち理解が追いつかない。スカウトということは違う事務所に移籍して欲しいということだろうか。だが、今はせっかくスタフェスのチャンスが巡って来たというタイミングだ。正直な所、それ以外のことに構っているヒマは無い、というのが桜子の感想だ。


「あ、あの、実は今それどころじゃ無くて・・・それにこう言った話はまず事務所を通して欲しいので、後日改めて――」


 そこまで言って自分には荷が重いと感じたのか、桜子が困ったように美羽を見る。


 しかし、美羽はじっとラクセルを睨んだまま動かない。その様子に只ならぬものを感じた桜子が怪訝そうに首をかしげた。


 考えてみれば先程から美羽が一切口を開いていないのもおかしい。こういった交渉毎にはいつも率先して対応をしてくれるのに――。


「――美羽ちゃん?」


 桜子が呼びかけると、視線をラクセルに合わせたまま、美羽が口を開いた。


「・・・何故、ここへ?」


「ですから、先程も申しました通り、スカウトの話を――」


 表情を一切変えることなく答えるラクセルの言葉を美羽が強い口調で遮る。


「そうではなくて。どうやって、ここまで来たんですか?」


 その言葉の意味に気付いた瞬間、桜子は背筋に冷たいものが走るのを感じた。


 ―――そうだ。この人は『何故、ここに居る』ことが出来るのだろう。


 このビルは古い建物だが、それでも最低限のセキュリティは備えている。年頃の女の子が着替える更衣室やシャワー室もある為、特に入場に関しては厳しく制限されており、入り口に設置されたゲートを通るにはセキュリティカードか専用の鍵が必要だった。


 つまり関係者以外は入れない。


 島がわざわざ出迎えに行ったのもそういう理由があるからだ。


 しかし、この男はここに居る。それはゲートを乗り越えてきたか、もしくは何らかの方法で鍵をこじ開けたことを意味していた。もちろん両方とも不法侵入であり、犯罪だ。少なくともまともな常識を持っている大人の行動ではない。


(あ、あれ? ・・・これって実は結構危ない状況なんじゃ・・・)


 亜希も同じことに気が付いたのか、さっきとは打って変わって明らかな敵意をラクセルに向けていた。


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