1-2 『シャワーを浴びながら』
急な展開に面食らっていた桜子達だったが、何はともあれ、とりあえずシャワーを浴びようということになった。それほど準備はいらないようなことを島は言っていたが、さすがに汗臭いのはまずい。
5人はトレーニングルームを出て、同じ階にあるシャワー室に向かった。
シャワー室のドアを開け、更衣スペースに入る。建物自体が大きくないため、5人も入ると更衣スペースはぎゅうぎゅうになってしまう。5人はその中で自分用のスペースを器用に確保し、慣れた手つきで脱いだ衣服をロッカーに入れていった。
「ふんふふーん♪ ふふふんふーん♪」
「ご機嫌だね、亜希ちゃん」
「当り前じゃない! スタフェスよスタフェス! 出られるのよ? 憧れの舞台に!」
「そうだね、未だに信じられないよ」
桜子がロッカーのフタを開け、脱いだ靴下を中へ入れていく。亜希が思わず鼻歌を歌ってしまうのも分かる。桜子だってこうしているだけで顔がにやけてきてしまうぐらいだ。
「残念なのは顔合わせを制服でやることよねー。せっかくのアピールの場なのに。・・・私だけ衣装に着替えようかしら」
「そ、それは止めてほしいなあ」
「でもさ、毎度のことだけど、本当に強引よね、島さんの進行って」
亜希が上半身下着姿になりながら誰ともなく話しかける。
「確かにな。私達に用事があったらどうするつもりだったんだろ?」
上着の裾に手をかけたまま、呆れたように智花が声を上げた。
「まあ、島さんのことだから、きっと私達が時間を取れることを分かったうえで調整してるんでしょうけどね」
美羽の言葉に桜子が素早く反応する。
「なんで? なんで分かるの?」
「それは分からないけれど、不思議と島さんがブッキングした場で都合が悪くなったことって無いのよねぇ」
美羽が優雅な仕草でTシャツを脱いでいく。Tシャツに押し上げられた豊かなバストが脱ぎ切った瞬間反動で大きく揺れる。それを見ていた桜子と亜希から、おおお、といった歓声が洩れた。
「美羽ちゃん・・・また大きくなった?」
「そうみたい。この分だと、またブラを買い替えないといけないわねぇ」
「ちなみに今つけてるのは何カップなの?」
「Gよ」
「ジ、G!? ・・・ってことは次はH?」
「そうなるかしら。肩が凝って仕方ないわ」
「わあ、贅沢な悩みだねえ」
「そうかしら。私は桜子ちゃんぐらいがちょうど良いと思うけど。形も綺麗だし、張りもあるし――」
そう言って美羽が桜子の胸を指先でつついた。
「きゃあ、くすぐったいよぅ」
桜子が身をよじって美羽の指から逃れる。その拍子に隣にいた亜希にぶつかってしまう。
「あ、ごめん、亜希ちゃ――」
桜子が振り向くと亜希は自分の胸を見下ろしながら、何やらブツブツ呟いていた。
「・・・Gってなに? ・・・意味わかんない・・・そもそも、アルファベットってそんなにあったかしら?」
「あ、亜希ちゃん?」
呟く亜季の目つきに若干の恐怖を覚えながら桜子が声をかけると、亜希がキっと振り向いた。
そして自分の胸元 ――グレーのスポーツブラ―― と、桜子の胸元 ――中心にリボンのワンポイントのついたシフォンレース地のピンクのブラ―― を見比べる。
「―――桜子は?」
「へ?」
「桜子は何カップかって聞いてんの!!」
いきなりの剣幕に少々怯えながら桜子が答える。
「・・・Dだけど?」
瞬間、亜希の目が見開かれ、全身から怒気のようなものが膨れ上がる。思わず「ひいっ」と悲鳴を上げた桜子の脇腹へ、容赦無い肘鉄が何度もねじ込まれた。
「桜子のくせに、桜子のくせに、桜子のくせに、桜子のくせに―――」
「い、痛っ。痛いって、亜希ちゃん!」
「これで勝ったと思わないでよね!」
「思ってないってば。そもそも、そんな勝負してないよう」
「ぐぬぬぬ、勝者の余裕ってわけね」
「違うって。大体、私より美羽ちゃんの方が大きいよ?」
「あれは問題外よ! 規格外よ! 化け物なの!」
「あらあら、酷いわねえ」
化け物呼ばわりされた美羽が頬に手をついて呟く。
「じゃ、じゃあトモ姉は?」
慌てた桜子が智花に話を振る。
「んあ? 私か?」
ショーツ以外を脱ぎ捨てた智花は驚いたように声を上げた。
「私は、そんなに大きくないぞ」
特に気にした様子も無く朗らかに笑う。
だが上半身だけで振り向いた体は、よく鍛えられていて無駄が無く、背の高さも相まってとても均整が取れている。そのスラっとしたプロポーションは所謂モデル体型というべきもので、大多数の女子が理想として挙げるスタイルだろう。
総合的に見て負けと判断したのか、亜希の目が険悪な光を増す。それを察した桜子はワラにもすがる気分で、残り一人の名を口から出す。
「メ、メイちゃんは・・・?」
隅でのろのろと着替えていたメイが桜子達の方を見る。
「・・・ワタシ、小さい、ヨ?」
確かに小さい。起伏の少ないその体型は「つるぺた」と表現しても差しさわりが無いほどだ。だが彼女の場合、その整った顔立ちと細く小さい手足が、どこか人形のような神秘的な美しさを醸し出しており、体の起伏の少なさも、むしろその雰囲気にとてもマッチしていると言えた。
速攻で敗北を悟った亜希が絶望の表情を浮かべるのを見て、メイがぼそりと呟く。
「・・・気にするナ」
サムズアップのポーズ。
「うるさいうるさいうるさいうるさい―――」
「痛い、いたたたって。だからなんで私なのぉ!?」
亜希のボディブローをその身に受けながら桜子が涙目になって声を上げる。
「ほらほら、ふざけてないで。時間も無いんだから、さっさとシャワーを浴びてしまいましょう」
見ると時計は15分を少し回ったところだった。45分までには着替えて応接室に行かなくてはいけない。美羽の言葉に5人がシャワースペースに移動する。
シャワーはスペース毎に足首から首元ぐらいの高さまで仕切りがされており、ちょうどそれぞれの胸元から下が隠れるようになっている。コミュニケーションを取りやすいように配慮したのか、単に資材をケチっただけなのかは分からないが、それ以外は丸見えの状態だ。
桜子は一番手前の仕切りの中に入ると、シャワーの角度を調節し蛇口を捻った。
初めは冷たい水が出てきてビクリと体が反応するが、ゆっくりと温度を上げていくシャワーのお湯に思わずため息が零れる。体の曲線に沿って流れていくお湯と一緒に、トレーニングの疲れも流れ出ていくようだ。
しばらくその感覚に身を委ねてから、ふと隣でシャワーを浴びている美羽のことを見た。仕切りが中途半端に低いせいか、隣にいると胸元から腰の辺りまで覗くことが出来てしまう。湯気の向こうに見えるその見事なポロポーションには同じ女性でも思わずドキリとしてしまう色香が漂っていた。
頬が紅潮するのを感じて気恥ずかしさに顔を逸らしてしまう。その行為を誤魔化すかのように桜子は先程からずっと気になっていたことを聞いてみることにした。
「ねえ、美羽ちゃん――フェスの出場者が前年度からほとんど変わっていないって言ってたじゃない?」
「ええ」
「それって、新しいアイドルが出てきていないってことなのかな?」
「うーん、一概にそういうわけでも無いと思うけど・・・」
歯切れの悪い美羽の言葉に桜子は不安そうな表情を浮かべる。
「桜子ちゃんが気にしているのは、アイドル自体の人気が落ちて来ているんじゃないかってことかしら?」
「え? う、うん、まあ・・・」
言ってもいないことをズバリと言い当てられ、桜子の顔に明らかな動揺が浮かんだ。
「そうねえ・・・」
長い髪をかきあげた後、顎に手を当て考え込むように目を閉じる。
「アイドルの人気が落ちてるとは思わないけど・・・やっぱり沙羅以降、魅力的なアイドルが出てきていないのは確かかも」
「沙羅・・・」
美羽の口から出てきたその名前に鼓動が高鳴るのを感じる。
「あの人の存在は大きかったから、一般の人達には今のアイドルはみんな小粒に映ってしまうんじゃないかしら」
「そうだよね。沙羅に比べたら誰だって霞んで見えちゃうに決まってるもん」
口ではそう答えても、どうしても夢想してしまう。
沙羅の様に歌う自分。沙羅の様に踊る自分。そして沙羅の隣で歌う自分――
例えそれが実現不可能な夢だと分かっていても考えずにはいられない。
沙羅――。
そのルックスと神秘的な歌声で数々のミリオンヒットを記録し、日本中のファンを熱狂させた伝説のアイドル。数えきれないほどのファンが彼女に魅了され、また多くの女の子が彼女に憧れ、アイドルを目指した。彼女のようになりたい、彼女と一緒に歌いたい、と。
しかし、2年前を境にパタリとTVで見なくなってしまう。
そのあまりにも突然な消え方に一時期は「消息不明」だの「誘拐された」だの色々と話題になったものだ。今も様々な噂が飛び交っているが、芸能界を引退して一般人と結婚した、というのが有力な説になっている。その強烈な個性は、アイドル史を語る上では外せないファクターとして、2年経った今なお強い影響力を持っていた。
そして、それは桜子にとっても例外では無かった。
「沙羅かぁ・・・」
陶酔した様に再びその名を口にする。
桜子にとって沙羅は憧れであり、手本であり、辿り着くことの無い目標であった。
発売された沙羅のCDは全て購入したし、ライブにも何度も通った。沙羅に書いて貰ったサイン色紙は自分にとっての宝物だ。桜子にとっては、アイドルを目指したきっかけも沙羅なら、目指しているアイドル像も沙羅そのものなのだった。
「桜子ちゃんは本当に沙羅が好きなのね」
美羽の言葉に、妄想しかけていた思考が引き戻される。
「うん! だって私にとっての憧れだもの!」
「ふふ。でもね、気をつけなくちゃいけないこともあるのよ」
「え? なに?」
「さっきも言ったことだけど、沙羅という特別なアイドルが居たおかげで、今のアイドルに対する要求はとても高いものになっているわ」
顔を向けると、こちらを向いている美羽と目が合った。その顔に浮かんでいるのはいつも通りの優しい微笑み。だが、瞳に宿る光は真剣そのものだ。
「本当にトップアイドルを目指すなら、沙羅と同じか超えるものを示さなくちゃいけない。それはとても難しいことよ」
「・・・そうだね」
「そう言う意味では、今の時代のアイドルにとって、沙羅は「呪い」とも言える存在なのかもしれないわね」
「沙羅が・・・呪い」
その言葉の意味を確かめるかのように呟く。それは桜子にとって考えたことも無い事実だった。呪いという響きがザラリと喉の奥に溶け込んでいく。
「そっか・・・でも、やっぱり美羽ちゃんって凄いね」
「え? なんでかしら?」
「頭が良いって言うか、常に物事を冷静に見ていて把握している感じ。私もそんな風になりたいよ」
「そう? ありがと」
美羽が照れたように微笑む。すると話を聞いていたのか、美羽の向こうにいる智花が口を挟んできた。
「それは、やっぱり年の功ですかねぇ。『指揮官(ザ・コマンダー)』殿」
「あぁら、それはどういう意味かしらぁ、『戦場の番長』さん?」
ニヤニヤと笑う智花にコメカミをピクピクさせながら答える美羽。桜子はそんな二人のやりとりに乾いた笑いを浮かべるしかなかった。
ちなみに、それぞれが呼び合っている呼び名は二人がハマっているオンラインゲームでのものだ。
本物の戦争をモチーフにした本格的なSLGで、二人に強く勧められて桜子も一度遊んだことがある。プレイヤーは兵士の一人になって戦場を駆け回るのだが、あまりにもリアルな描写に驚いた桜子が死にまくっている横で、二人が敵兵を片っ端から蹴散らしていく姿は今でも脳裏に焼き付いている。
後日二人にゲーム参加を辞退する旨を伝えると、残念がりながらも美羽は「敵兵を罠に嵌めて一掃するのが快感なのに」と言い、智花は「そうだよな、どうせ撃つならやっぱり実物の方が良いよな」という意味深かつ物騒なセリフを口にした。
どちらにも同意出来ないと思いつつも、その時は二人の意外な一面が見られて少し嬉しかったりもしたものだ。
軽口を叩きあう二人から目を逸らし、他のメンバーを見回す。
亜希は気合が入っているのか、いつも以上に念入りに頭を洗っている。一方メイの方は相変わらずマイペースで、今も両手に着いた泡でシャボン玉を作り遊んでいた。
桜子はそれぞれの自由さに思わずくすりと笑う。この一見バラバラな5人が、あのスタフェスに出演出来るのだ。感慨深い想いがこみ上げてくる。
姉御肌でいつも頼りになる智花。優しくて物知りな美羽。アイドル歴が長くプロ意識の高い亜希と、ちょっと天然だけどとっても可愛いらしいメイ。
出会ってからまだ半年しか経っていないが、桜子はこの4人が、SU☆PI☆KAが好きだった。
そして、いつも夢見ていた。いつかこのメンバーで大勢の観客の前で歌うことを。
それが、もうすぐそこまで迫っているのだ。
ふいに目頭が熱くなるのを感じ、慌ててシャワーで顔を流す。
誰にも見つからなかったはずだ。顔を流れる水の中に、お湯とは違うしょっぱい何かが混じっていることは。
桜子は暫くの間、シャワーに顔を向けたまま震える体をぎゅっと抱きしめていた。
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