1-1 『アイドルグループ SU☆PI☆KA』

            ―― 1st STAGE ―― 


 ――遡ること数時間前。


 東京都台東区。年季の入った雑居ビルが立ち並ぶ少し寂れた路地を、冷たい風が吹き抜けていく。歓楽街のメインストリートから二本ほど脇道に入っただけで驚くほど人通りは少なくなり、どこか陽の光さえも薄暗くなったように感じられる。


 そんな場所にその建物はあった。


 所々細かいヒビの入った外壁に、掲げられた看板だけが嫌に真新しい。そこには周辺の雰囲気に似付かわしくないポップな字体でこう書かれていた。


 『スター・トゥインクル・プロダクション』


 ここが桜子達アイドルグループ「SU☆PI☆KA」の所属する芸能事務所だった。アイドルを専門に扱う事務所だが、外の看板を見ても分かる通り、まだ設立して間も無く、所属している人数は両手で足りるほどだ。


 3階立ての建物の地下はトレーニングルームとなっており、今は桜子達5人の貸し切りとなっている。

 一面全部が鏡張りとなった壁に向かって横一直線に並び、目の前に映った自分の姿を見つめながら5人が踊っていた。


 それぞれが身に着けたTシャツは汗を吸い込んでぐっしょりと濡れており、顔を振る度に弾ける雫が床にパタパタと小さな水たまりを作っていく。


 流れている曲に合わせるようにダンスは激しさを増していき、盛り上がりがピークに達しようという瞬間――、唐突に5人のうちの一人が踊るのを止めてしまった。


「だーかーらー! そこの振りはそうじゃないでしょ!」


 突然の怒鳴り声に、桜子は振り上げた手を思わず止めてしまう。身を竦めた拍子にセミロングの髪を結わえている薄ピンクのリボンが反動で大きく揺れた。それに合わせ他の3人も踊るのを止める。声のした方を見ると、腰に両手をつけたポーズの亜希が桜子を睨んでいた。


「これで何回目!? 桜子、あんたやる気あるの!?」


「はうう、亜希ちゃん、ごめんなさいいい」


 ツインテールに結わえた髪を揺らしながら、亜希が項垂れる桜子に詰め寄っていく。


「昨日のライブでも間違えてたよね! ううん、それだけじゃないっ! この部分の他にも5回! Bメロに入った所と2番の出だしと最後のサビなんかまとめて3回も!」


「よく見てるな・・・」


 二人の様子を見ていた智花が静かに突っ込む。それは言外に「ライブ中に桜子のことばっか見ていたんだな」という軽い非難の意味を含んでいたのだが、その声が聞こえ無かったのか、もしくは聞こえてあえてスルーしているのか、亜希は更に声を荒げた。


「ライブ後の物販の時だってそう。あんなにオドオドして! ファンの人達困ってたじゃない!」


「で、でも、一生懸命謝ったらファンの皆も笑ってたよ」


「あれは苦笑してんの! 馬鹿にされてのよ!」


「ううう、ごめんなさい・・・」


 亜希の激しい剣幕に押され、目尻にうっすらと涙を浮かべる。


 昨日行われたSU☆PI☆KAの単独ライブ。その終了後には、CDやグッズ等の販売会が開かれた。桜子はその最中も緊張のためかオドオドしっぱなしであり、愛想を振りまく他の4人とは別の意味で注目を集めていたのである。


 落ち込む桜子を見かねたのか、ウエーブのかかった栗色の長髪をタオルで拭いながら美羽が間に割って入った。


「まあまあ、それでも一番売ったのはリーダーである桜子ちゃんなんだし、ステージで一番声援を受けていたのも桜子ちゃんなんだから」


「だから納得いかないのよ! なんでこんなトロイのが一番人気なのよ!」


 そう言って亜希が桜子を指差した。思わずビクっと体を震わせる桜子を見て美羽が苦笑する。美羽だけでは分が悪いと思ったのか、腰まで伸びるポニーテールを揺らしながら、智花もその輪に加わった。


「桜子はステージの上だと別人みたいにキラキラしてるからな。亜季もそう思うだろ?」


「それは――」


 反論しようとした亜季はそのまま口をつぐんでしまう。そして、その先を言うことが死ぬほど辛いとでもいうように顔を顰めると、喉の奥から絞り出すような声で答えた。


「――そうだけどさ!」


 認めてしまったことが余程悔しかったのか、口に出してすぐに踵を返すと、部屋の隅に置いてある自分のペットボトルを取りに歩いていってしまう。ようやく解放された桜子は大きくため息をついた。


「気にすることないわよ? あれは物販の売り上げでまた勝てなかったことの腹いせなんだから」


 美羽が優しく微笑む。


「ありがとう、美羽さん」


「そうだぞ。気にするな。まあ、毎回毎回同じ振付を間違えて、驚くほど進歩が無いのも事実だけどな」


「うう、何気にトモ姉が一番ひどいよう」


 言葉自体は厳しいが、智花がからかい半分で言っているということも分かっているので、先程よりも軽く受け流すことが出来る。


 そんな四人とは離れた処では、メイが座って汗を拭っていた。

 サラサラと流れるまっすぐなブロンドの髪の上からタオルを被り、まるで4人のやりとりに興味が無いように、青い水晶のような瞳で鏡に映った自分の姿をただじっと見つめている。


「さあ、もう一回最初からやりましょうか」


 美羽が手を叩くと。それぞれが自分のポジションに戻っていく。桜子も自分の立ち位置に戻ろうとして、不意に美羽に袖を引っ張られ、体勢を崩してしまう。


「どうしたの?美羽さ――」


「――桜子ちゃん、いつも言ってると思うんだけど・・・私のことは美羽『ちゃん』でいいからね。『ちょ~~っとだけ』年上だからって、気を使わなくていいんだからねぇ」


 「ちょっとだけ」という部分だけを妙に強調して美羽が微笑む。浮かべる表情は穏やかなままだが、その上を漂う有無を言わせぬ威圧感に、桜子はただこくこくと頷くことしか出来なかった。



 日毬桜子(ひまりさくらこ)、入宮智花(いりみやともか)、柊美羽(ひいらぎみはね)、栗林亜希(くりばやしあき)、メイナード・ルシル―――。

 この5人が絶賛売り出し中の駆け出しアイドルユニット「SU☆PI☆KA」のメンバーである。


 結成からまだ半年しか経っておらず、知名度は高いとは言えないが、地道な活動と事務所を上げてのプロモーション活動により着実にファンを増やしている。

 高校1年生の桜子をはじめ、メンバーは全員現役の学生で組まれており、学校生活の傍ら、空いた時間をやりくりしてアイドル活動に勤しんでいた。


 やがてトレーニングも終わり(終わるまでに5回ほど桜子は亜希に怒鳴られたが)、5人がそれぞれに休憩を取っていると、ドアをノックする音が響いた。

 

 近くにいた桜子が「はい」と答えてドアを開ける。


 入ってきたのは一人の女性だった。年齢は30代前半、かっちりと決めたタイトなパンツスーツ姿が妙に様になっている。その女性はかけていたサングラスを外すと、にこやかに微笑んだ。


「みんな、トレーニングご苦労様」


「島さんこそ、お疲れ様です」


 笑顔で会釈する桜子に続いて4人がそれぞれに挨拶をする。


 彼女の名前は島景子。『スター・トゥインクル・プロダクション』の若き女社長である。そしてSU☆PI☆KAを担当するマネージャーでもあった。


「今日はどうされたんですか? 確か外部へ営業に行くと仰ってませんでしたっけ?」


 美羽の問いかけに島が鷹揚に頷く。


「ええ。その営業が終わって電話したら、みんなが来ていると聞いたから・・・」


 そう言いながら差し入れのゼリー飲料を渡していく。差し入れを渡し終えたところで、島は「みんなに話があるの」と伝え、5人をその場に座らせた。


「実は今日・・・シエル・ミュージックに行ってきたわ」


 島の発した一言で、トレーニング後の気だるげな空気が一気に引き締まったものへと変わった。中でも一番敏感に反応した亜希が声を上げる。


「シエルって、あの業界最大手のシエルですか!?」


「そうです」


「な、何ですか!? 何の話ですか!?」


「だから、それを今から話すんだろ。静かに聞いてなって」


 思わず立ち上がりかけた亜希を智花が抑える。桜子も立ち上がりこそしないものの、シエルの名前を聞いた時から鼓動が早くなるのを感じていた。


「以前から水面下で進めていた話があってね――やっとみんなに伝えることが出来るわ」


 島がそう言って緊張した面持ちの5人を見回す。そして、いつも冷静な島にしては珍しく力の籠もった声で宣言した。


「SU☆PI☆KAは、夏のスターマジック・フェスに出演が決まったわ」


 瞬間、緊張した空気が大きく弾けた。


 室内に響き渡る5人の歓声。

 誰からともなく「やった!」や「すごい!」などの声が上がった。智花は大きくガッツポーズをし、美羽は驚いた顔で口元を押えている。隣同士にいた桜子と亜希は思わず抱き合って飛び跳ね、我に返った亜希が気恥ずかしそうに桜子から離れる。メイだけが座ったままゼリー飲料をちゅるちゅる吸っていた。


「す、すごいです! スターマジック・フェスって――スターマジック・フェスのことですよね!?」


 桜子が問いかける。興奮のあまり質問としておかしな形になっているが、島はその意味を正確に汲んでくれたようで「そうよ」とだけ微笑んで答えた。歓声の温度が更に一段階上がった。


 スターマジック・フェスティバル――。

 シエル・ミュージックが主催するイベントで、夏場に開催されるアイドルだけの屋外イベントとしては最大級のものだ。5日間でのべ6万人以上の観客動員数を誇る。第一線で活躍するアイドルはもちろん、人気上昇中のインディーズアイドル、果ては俗に言う地下アイドルまでが出演し、真夏の太陽の下、熱狂の渦に包まれながらパフォーマンスを披露する。


 アイドルとしては到達点のひとつであり、多くのアイドルグループがこのイベントへの出場を目標として挙げている。結成半年のアイドルが出場するなんて異例中の異例であり、前代未聞の大抜擢と言えた。


「亜希ちゃん、夢じゃないよね? ね?」


「当り前じゃない。ふふん、やっと、この亜希様の時代が来たみたいね」


 興奮が抑えきれず鼻息が荒くなっている亜希の横で、桜子も一緒になって喜ぶ。

 そんな中、美羽は驚きの表情のまま、未だに信じられないという様子で佇んでいた。


「まさか私達が出られるなんて・・・あ、もしかして――」


 ふと何か気付いたように声をあげる。


「――もしかして、噂になってるディスカバリーエントリーですか?」


「そうよ。さすが美羽、良く知っているわね」


 美羽が尋ね、島が肯定を示す。


「ディスカバリーーエントリーって何? 美羽さ――ちゃん」


 桜子の問いかけに、一瞬美羽の瞳に炎が宿るが、なんとか誤魔化せたようだ。


「今回のスタフェスから設けられた制度でね。まだ知名度の低い、ほとんど知られていないアイドルを特別に出場させようっていう試みなの」


「へえ、なんでまた?」


「表向きには、新たな才能や人材を発見することが目的とされているけど、実際は出場する面子が前年度とあまりにも似通ってしまった為の応急措置みたいね」


「あ~、確かに。新しいグループって3、4組だけだった気がするもん」


 亜季が納得とでも言うように何度も頷く。


「それにアイドルって、まだ誰も知らないうちに発掘して、自分が応援して大きくしていく、みたいな楽しみ方もあるじゃない? そういった楽しさを提供する意味もあるみたい」


 桜子と亜希が「なるほどお」と頷く中、智花だけは気分を害したように口を尖らせた。


「なんだよ。じゃあ結局オマケで出演ってことか?」


 しかし、智花のその言葉に島が被りを振る。


「いいえ、そうではないわ」


 その意外なほど強い語気に智花が一瞬怯む。


「確かにディスカバリーエントリー枠での出演にはなるけれど、それだって誰でも出られる訳ではないわ。今の時代、アイドルグループが一体どれだけ存在するか分かる? それこそ星の数ほどよ。

 そのうちの大多数が陽の目を見ることなく消えていく中で、特別枠とはいえ、スタフェスに出演させて貰えるということの意味を考えてみて。SU☆PI☆KAの実力と人気が認められたからこその出演なのよ」


 星の数ほど、というのはさすがにオーバーだとしても、デビューすら出来ないアイドルが大勢いるのは紛れもない事実だ。実力も人気も無ければ声すらかけてもらえないだろう。

 そのことを考えれば、今現在の知名度は無くても、実力や将来性も含めてSU☆PI☆KAが認められた、ということに違いは無いはずだった。


 それにしても島がこうして力説してメンバーに訴えるなんて滅多に無いことだ。恐らく、それほど出演にこじつけるまでが大変だったのだろう。決して短くはないであろう期間、何度も先方と交渉を繰り返してくれていた島の姿を想像し、桜子は感謝の気持ちでいっぱいになった。


「・・・そうだな。チャンスであることに変わりは無いもんな」


 納得した様子の智花を見て、桜子は両方の拳をぎゅっと握り締めた。


「そうだよ! それに今回は特別枠でも、ここで人気を上げて来年は正式に出演すればいいんだもん!」


 桜子の言葉に皆が頷く。


「ふん、なによ、桜子のくせに。そんなことはライブをノーミスでやってから言ってよね」


「あう、ひどいよう。亜希ちゃん」


「ひどくない! センターのアンタがミスると、まるで横にいる私達がミスしてるみたいに見えるんだから! 練習しろー!」


「練習してるもん! 毎晩発声練習2時間だもん!」


「ダンスの練習だー!」


 始まった『いつもの』やりとりに智花、美羽、島の3人が苦笑いを浮かべる。とりあえずじゃれあう二人のことは放っておくことにしたのか、智花と美羽が島に向き合った。


「よっしゃあ、やる気が出てきた! それで曲目は?」


「あとスケジュール。衣装もそれなりのものを準備するには時間がかかるもの」


「そのことなんだけど――」


 島が改めて5人を見回す。


「みんな、この後予定はあるかしら?」 


 突然の質問にきょとんとする5人。


「今日はこのまま上がるつもりでしたけど・・・」


「そうそう、そんで帰りにご飯でも食べていこうって話をしていたところさ」


「それは――時間が取れるということね」


「ええ、まあ・・・」


 島の言葉にそれぞれが曖昧に頷く。


「では、今日これから、シエルの担当者と顔合わせを行うわよ」


 全員、顔に「は?」という表情を浮かべる。


「時間は1時間後、場所はここの1階の応接室。全員参加でお願いね」


 次々に予定を決めていく島に桜子が慌てて口を挟む。


「いやいやいやっ、あのあのあのっ、これからって――これからですか?」


 相変わらず質問の形がおかしいが、島は「そうよ」とだけあっさりと答える。

 全員が驚きの声を上げた。


「ついさっきスタフェスに出られるって知ったばかりなのに、今日顔合わせって・・・ええええ!? こ、心の準備が出来てないですよう!」


「大丈夫よ。ただ会って自己紹介するだけだから。事務所には制服で来たのよね? 服装もそれで十分よ」


「そんな――」


 突然の急展開についていけず、全員の顔に焦りと戸惑いが浮かぶ。そんな中で、どうにか落ち着きを取り戻した美羽が島に反撃を試みる。


「でも、先方にもご都合があるのでは――?」


「ええ、だから既にアポイントは取ってあるわ」


 しかし、そんなことは百も承知とばかりにバッサリと切って捨てられる。


「いい? こういった交渉事はスピードが肝心なのよ。先方に心変りがおきないよう、ある程度までは一気に進めてしまうのが鉄則よ」


 有無を言わせぬその迫力に桜子達はただ黙って頷くしかない。


「各自、準備して45分までには応接室で待機。私は先鋒をアテンドしてから行くわ」


 早口にそう言うと袖口をまくり腕時計をちらりと覗く。


「あら、もう行かなくちゃ」


 そう言ってそのまま出口へと向かう。そして、ドアノブを掴んだところで動きを止めると、くるりと振り返った。


「くれぐれも、失礼の無いようにお願いね」


 強くそれだけを言い残し、島は部屋を出て行った。後に残された桜子達はポカンとした表情のまま、閉じられたドアをずっと見続けていた。

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