ⅩⅫ 消失していくのはヴェーア


 ばたん、と後ろ手で扉を閉める。ため息と共に地面に腰を滑らせておろした。名もない扉を背にして俺は扉だらけの部屋に戻ってきたことを確認すると、もう一度ため息を吐いた。たばこが吸いたかったが、いつの間にかポケットには入っていなかった。そこかで落としたのかもしれない。


 果たして、俺はいくつの教室を巡ってきただろう。そこでどれだけの可能性に出会い、欺瞞的な詭弁を宣ったのだろう。出会った人間は一組のメンバーばかり。それぞれ抱えた事情、迷い込んだ理由。教室から教室へと渡り歩きながら、俺は必死に駆け巡った。



 シロ。白城元気に出会った。


「人が普通にできることができない。俺は何もできない。何をやってもうまくいかず、達成できないできそこないだ」


 彼がこういうので、俺はこう言った。



「そんなことはない。自分をそう卑下するな。自分だけ心地よくなってどうする。他人は卑下したお前をどうにかすることはできないのだぞ。お前がそう思うのなら、仕方ないと差し伸べる手すらなくなってしまう。自分を信じろ。自分を信じられるのは自分だけだ。お前は歌が好きで、歌うことが好きで、それで歌を歌うことができる。如何せん俺は音痴だからな、羨ましいぜ」



「そんなに上手いわけじゃない、普通だよ。プロに比べればゴミだし、努力しているほかの人の方がよっぽど上手い。やっぱり、才能ってあるんだよ」



「お前は加えて楽器ができるじゃないか。歌も楽器もできる。さらにこの二つを同時にこなすことだってお手の物だろう。すごいじゃないか」



「できるってだけで、ただそれだけなんだ。できない人よりかはできる。でもできる人の中では、俺はできていない。特別に秀でていないんだ。むしろ劣ってるようにしか感じられない。そんな自分を信じることなんて、簡単にはできない」



「いいか。俺は自分で自分を信じろと言ったんだ。勘違いするなよ、小生。何か一つでいい。自分の中で信じられる物を信じろ。そして好きなものを諦めるな。好きなものは胸を張って好きだと言え。そこに他人を介在させるな。競争は相対的であっても己は唯一無二だ」



 場所が変わる。扉は開き、次の教室へ移動させられる。当然そこにいる人も変わる。



 あやめ。彼女は後ろで手を組み、机の間を縫いながら話す。



「幼いころはね、夢を見ていられたんだ。ケーキ屋さんとか、お花屋さんとか、お嫁さんになるとか。でも、それはもう、私にとってはすでに遠い記憶。何か一つを極めることができれば、打ち込めることができれば、それこそ何かプロとかになれたんだろうけど、ううん。プロでなくても、きっと私の中の支えになってくれた。でも、私、何もできなかったんだ。違うな。何もやらなかった、のかな。人にちょっかい掛けてばかりで、悪戯ばかりでさ。自分には何もないから他人に依存して生きてきた。誰かと一緒にいることが楽しくて、楽しい時間はあっという間で。気が付けば時間だけが過ぎていって、私だけ取り残された気分になるの。ふと、自分には何もないんだって自覚する」



 もう一人現れる。魔法少女だったり、魔女だったり、普通の女の子だったりするいちか。彼女は窓際の壁にもたれて言葉を口にする。



「やりたいことは、夢みたいなものはあるんです、あったんです。でも、現実ってあるじゃあないですか。他の人の言葉が気になって、惑わされて。いじめが、学校が全てじゃないってことぐらいわかっています。家での私も、学校の外で会う友達の私もいる。でも、学校での私も私なんです。くだらないって、そんなルールとか枠に捕らわれる必要ないって言うのは簡単なんですよ。でも、現実って結構厳しいんですよ。物理法則ってよくできているんですよ。はみ出すことすら、世の中では許されない。許さないし、許容しない。間違いは間違いで、失敗は失敗で何かほかの方法で乗り越えないといけない。乗り越えるようにって、強制してくるんです。正しく生きているうちは何も言われなくて、間違えると途端に私は異端者にされます」



「そう、悲観するな。何度間違えてもいいさ。なんでも乗り越えなくてもいいんだよ、避けても、逃げても意外と許されるものだぜ。自分の許容量を超えているのに、それ以上を求めるのは酷だよな。その上現実に終わりなんてものはない。でも、終わることがないと思えば、誰かのせいにしなくても生きていけそうだと、そう思うことはできないかい」



 俺は後ろに引き戻されていく。二人の表情はとても不安そうで、今にも泣きそうで、崩れそうだった。教室の扉は次々と閉じていき、強い衝撃と共にそれは終わった。俺は教室の机に体を強打して停止。何とか立ち上がると目の前にいたのは幼い、とても幼く見えるきらりだった。いや、この頃の名前だとゆり、か。



「同年代の男子が嫌いだった。だからと言って年上が好きなわけでもない。そうじゃない。そういうんじゃない。男子って声を掛けられるとさ、それと同時に自分が気に掛けられていると勘違いするんだ。わかる、分かるんだよそういうの。そういうのを分かるのがすごく嫌。挨拶をされたら好意的であると身勝手に受け止める。何もしなければ拒絶しなかった、照れてるんだとかって、身勝手に好意を押し付ける。一方的に向け続ける。男女での友人関係を築くのは不可能って言われるのよくわかるよ。もう、そういう探り合いとかさ、本音と建前で戦争しているのがどうにも駄目だった。男の人のすべてがそうでないのは、それはもう分かっている。すごくわかる。女子だってすぐに恋愛に結びつけるの多いもん。変わらないよ。でも質が違う。だから私はもうやめるんだ。過去を捨てて未来を手にいれて、そのためならなんだって犠牲にできる。男子とか女子とか、相手が良い人かどうかとかそんなロシアンルーレットもうしたくない。そんなことするぐらいなら接触を断つんだ」



「きらり……」



「きらり? そうだね。今のあたしを捨てたあたしがあんたの言うきらり。理想を手にした私の理想そのもの。ねえ、あんたもそうなんだよ。騙されているんだよ? ……私はもう、それでいい。騙されていていい。騙されていることを知っていて、それでいて騙されながら理想を手にするんだ。本音を探るだけの生活は嫌だから。だったらもう、ぬるい不幸につかりながら生きる方がずっと楽だし、幸せだ」



 そうか、そうだよな、と俺はゆりの言葉を受け止める。なんだか俺まで苦しくなってきた。ここまで俺は悲観する誰かのためになればと、声を挙げてきたけど、それももはや言い訳を取り繕うための詭弁だと、俺は自分を恥じた。自分を信じろ。大丈夫だ、強く生きろなんて俺に言う資格は初めからなかったのだろう。存在しないのに求めるのはおかしいと言ったのは俺ではなかったか。



 だから俺が誰かのために言葉をあげられるのだとしたら、それは抱きしめてやることだけだ。



「ゆり、どうしても気が狂って、自分を見失った時は俺がお前のことを教えることにする。それだけ。俺にできるのは存在が揺らぐことはないって教えるだけ。俺がここで観測者となってゆりを見ている。ゆりがゆりで、りらがりらであることをこの俺がここにいることで証明してやる。たとえここが虚構の存在だとしても、共に過ごしてきたことは揺るがない。大丈夫。きらりは昔と今が混ざって自分の時間が測れていないだけだよ。この悲しい夜をきっと一緒に超えられる」



「……夜? いまは夜なの?」



「そうだ。夜だ。悪いことは基本的に夜だよ。朝になれば悪いことは薄くなって見えなくなる。明日が見えて、明日を生きていくんだ」



「そんなの見えないふりをしているだけだ。誤魔化しているだけだ」



「それでいい。それがだめだとは、だれも言わない」



 俺は抱き留める。消えてしまわないように。

 現実世界で宿命に、運命に屈したからきらりは現実世界を見切った。世界と呼ぶことさえおぞましい場所であることを知って見限った。理想を求めた時間旅行は時間を歪めて、重複螺旋に巻き込まれて自分自身を見失った。死んでいるわけでも、生きているわけでもない。生きていることを中断している、に近い。中断ということは再開も可能だろう。では、そのきっかけは? 何が必要? 運命を、宿命を変えることか? いや、そうではない。なぜか俺はそう思った。これもデジャブかもしれないな。その宿命を超えるか、耐えて通り抜けるか、避けて通るか。宿命である以上世界を、宇宙を変えない限りその選択肢は存在し続ける。必要なのは生きるための強さだ。夢や希望は現実にはない。だが本人の中に作ることはできる。それが現実と偶然重なった時夢がかなった、希望が叶った状態になる。俺は教師ではなく生徒だ。そして同級生だ。できることは教えるのではなく、俺自身が生きる強さになる、若しくは与えられるような存在、生きる強さのような出来事やメモリーを与えることだ。現実的な最善策は最後の手法になりそうだ。



 がん、っと音を立てて背後に扉が現れる。それにしても、この学校の教室はどこにでも扉が出てくるな。



「じゃあ、また後で」



 まだもの欲しそうなきらりを置いて、俺は背後の扉に吸い込まれた。幼さを隠し切れなかったゆりは、きちんと表に可愛らしさとしてその幼さを受け入れたようだった。もうゆりはりらになっていて、きらりそのものだった。






 ***






 吸い込まれた俺は扉を後ろで閉める姿勢になっており、そのままそれに従った。扉だけの部屋を眺めていると、勢いだけで可能性の世界を駆け巡った徒労が襲ってきた。


 アンテキティラの少女が俺に何を託したのか。なんとなくわかった気がする。昏睡状態のきらりをどうするべきかというのも、俺の中ではすでに答えが出ていた。だからこその最後の対峙だ。あとは他の可能性に出会うだけ。

 勝手にまた扉が開いた。そこに書かれていた名前は誰だったか。よく思い出せないが、今度は不思議な力によるものではない。その扉を開いた人間がそこにはいる。その扉に鍵は付いていないことを知っていたのか、知らなかったけど教えて貰ったのかは知らないけどその人物は扉を勢いよく開けた。どうやら、向こうがこちらの扉を開ける番になったようだった。



 ダ ン



「おい、何寝そべってんだ諦。さっさと立てよ。お前のせいできらりが倒れたままなんだぞ。何とかしろよ、おら、何とか言えよ」 

 ああ。こいつきらりに惚れていたのか。そういえば妙な噂の時もやたら気にしていたっけな。



 ダ ン



「やめな、白城。そいつはもう選んじまったんだよ。だからこいつは今こうして、ここにいるんだ」

「おい、あやめ。そしたら、そうしたら俺たちはただ指をくわえて見てるしかないって言うのかよ! なあ!」


 どうした白城。なぜそんなに怒っている。いったい、何の話だ。ああ、そういえば、俺はこの扉の部屋に戻ってきてからずっとこの姿勢のままだったな。それにしても、どうしたのだろうか。なんか、体がだるい気がする。



 ダ ン



「諦くん、大丈夫ですか? ああ、どうしましょう。あの時止めていれば、まだ――。いえ、今はこれからの方が大事でしたね。諦さんをどこか別のところに運んだ方がいいのでしょうか。ベッドはあの状態ですし、いえ、それとも――」



 ダ ン



「諦さん! あぁあっ。もう。一体こんなところで何やっているんですか。これじゃあ、どんな魔法でも治すことはできないですよ。夢を追いかけるなって言ったのは誰ですか。強く生きろって言ったのは誰ですか。これじゃあ、これじゃあ、きらりちゃんが救われても、私たちが救われないですよ」


 この声はいちかか。お前まで何を言っている。なぜ泣いているんだ。ここは可能性の世界だぜ。さっきみたいに今度は俺が弱音を吐くんじゃないのか。この部屋を訪れた誰かが俺に言葉で勇気づけて、それで明日も一緒に生きようと手を取ってくれるような、自問自答タイムだったのでは。そう、思っていたんだがな。どうにも違うらしい。額を何か液体が流れているのを感じるが、それを拭って確認する気力ももう出てこない。



 ダ ン



「諦! ……ねえ、どうして。あんた、どうしてだよ。どうして、そんなことしか、……そんな方法しかできないんだ……」


 誰だ。そこで泣いているのは、佐倉か。どうした、きらりの過去よ。お前は俺を案じるほど、とある高校では俺と関わっちゃいないだろう。そういう可能性もあったのかもしれないが、それはどこか遠い世界のお話しだ。それにしても、さっきから目の前の霧が晴れない。ここが白い扉の世界ではなく、白い壁の保健室ようにも見えるが、なんだかずっと視界がぼやけていて、よく見えないや。


 

 ダ ン



 ダ ン



 ダ ン


 

 俺は次々に声を掛けられた。どこかで聞いたことのあるような、ないような人の声の内容は俺ときらりの話だった。俺、何かしたんだけっか。よく、覚えてないや。



 ダ ン



 連続した扉の音から少し間が空いた一つの

 足音が聞こえる。徐々にクリアで鮮明に聞こえてくるその音は俺の方を向いている。


「お疲れさま、駆け抜けた方の俺。さすがは俺だ。俺は自分自身を信じていたから、ここまで事を進めることができた。俺一人では何もできなかったし、きっと事実のすべてを知ることはできなかっただろう。黒羽根諦は十分に頑張った。あとは何も考えずに、もう眠っとけ。お前がいたあの悲しい夜の世界はもうないから、安心していい」



 俺が最後に聞いた言葉は、俺が一番聞きたかった言葉だったのだと、脳から広がる安らぎでそれを確かめることができた。あとに訪れたのは何か暖かい物とそっと温もりに包み込まれながら底なしへ落ちていく妙な感覚だった。




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