ⅩⅤ それは宝くじが当たったかのようなグリュックリヒカイト

「それでは、とりあえずだけどかんぱ~い!」

「……乾杯」


 俺が少女によって空間移動させられ、連れてこられた場所はこの間のカクテルバーであった。一度も来ていないはずなのに、懐かしさを覚えるのは店の売りだろうか。この店には少女のほかにはこの陽気なバーテンダーだけで、酒以外には他に何もないところだった。聞きたいこと、話したいことはたくさんあったが、俺は甘いだけの酒を一気に飲み干した。これが夢ではなく、現実に起きていることだと認識するために、である。


「おお、飲むねぇ」

「それで、僕はいったいどうなるのでしょうか」

「それは私の仕事じゃない」

「えっと、それじゃあ――」


 やっぱりこのオレンジジュースを両手で抱えてストローで吸い上げている、このいたいけな少女だろうか。超能力という物はお伽噺だと思っていたが、それを体現させたこの希望と恐怖と儚さの彼女に、俺は、自分の未来を委ねることになるのだろうか。


「――やはり、君なのか」

「いや、違うな少年。君はまだきちんと理解していない。その娘じゃないよ、少年。出来事を起きたその瞬間に把握しきることができれば、人間は悩むことはないだろうし、君のような間違いを考える奴もいないだろうが、だがまったく見当違いなのもそれはそれで困る。君にはよわい七、八年位の女の子がこんなをやったと思っているのか? もしも本気で信じたのなら君の考えは把握し切れていないのではなく、見当違いだよ、少年」


 闇のような暗さの急な階段から下ってきた女性。彼女の言葉はまさに俺の考えと状況を正しく分析しており、間違いをはっきりと示して指摘した。


「やあ、。ようやく会えたな」

「ようやく、ですか」

「そうだ。ようやく、だよ、少年」

「俺を探していたのですか」

「いや、こちらから君を探してはいない。君がこちら側に来るのを、私は待っていた、というべきだろう。そしてきみはここを訪れた。訪れるという、選択肢を選択した」

「あの、おっしゃっていることがよく――」

「君の聞きたいことを、全て、簡潔にまとめて、全部、はなしてあげる。マスター、いつものツイスターショットを、頼む。今日はいいやつを、開けてくれ。ああ、レモンも頼むよ。さて、まずは、君が巻き込まれた状況を、正しく、教えてあげよう」


 彼女は言葉を区切って話すのが癖の用だった。どもりや病気ではなく、それが彼女の話し方なのだ。そんな彼女はこんな自己紹介と説明を始めた。


「私の名前は教えない。このように、親し気に話すのも、ここでだけだ。私の呼び方は、自由で構わないが他の人間に合わせるのが無難、だろう。伝統や慣習のような名前だから、だ。私のことは、その程度でいい。お前が少女と呼ぶ――も、私も、導く役割でしかない」


 残念ながら俺はこのとき聞いたはずの少女の名前を思い出せない。顔もはっきりとは思い出すことができない。まるで誰かが邪魔をしているようだった。


「少年、きみはこのままだと、高校を卒業できなかったことになる。入学すら、しなかったことになる。単位は、存在しなかったことにされる。大学も、内定も、未来も消滅する。それは、だれも望むことではない。望んだことでは、ない」

「ちょっと待ってくれ。その言い分だと、まるで誰かのせいで俺がこうなったように聞こえるが」

「まてまて、少年」


 女性はショットをくっと飲んでは、マスターに返してお代わりを要求していた。


「焦るな、少年。女性を急かしたり、自分が先走るのは、恋愛も夜も厳禁だ。辛抱強く、待て。いいか、もしも誰かのせいでこうなったとしても、それは君の領分ではない。君がどうするかが、他人の人生よりも重要なことだろう。そうは思わないか、少年」

「それは自分のことしか見えていない愚か者と呼べるのでは?」


 俺もお代わりを要求し、少し強めの酒をあおった。どうやら飲んだのはウイスキーのようだ。まるで割っていない、バカみたいなやつ。女性は俺を見て初めて表情を変える。


「少年はなかなかいける、クチのようだ。強いのはすきだよ、少年。そうだな、答えを急ぎすぎたのは、私のほうかもしれない。少し、例え話しをしよう。少年は幸せとは何か、知っているかい?」

「幸せ?」

「そうだ、幸せだ。幸福、ハッピー、天にも昇るような心地。人生の絶頂期で、周りが見えなくなりそうな、そうだな、いうならば、新婚とか、男女の付き合いたてとか、宝くじが当たったかのような幸福だ」


「主観的価値観、だと思います」


「ほう……理由を聞いても?」


「幸せを追い求める。幸せになりたい。それは誰もが思うことだと、俺は二十二年生きてきて実感しています。皆、口をそろえて同じように言うからです。だけど、さっきの宝くじが当たれば幸せというのは、ただの買い物だと反論はしておきます。そんなものは時代に飲み込まれた物神崇拝者だけです。幸せっていうのは、そんなにも単純なものじゃない。得られるのは幸せではなく、幸福感だ。それは幸せではない。だって、幸せなどという物は、この世界には存在しないからです。夢も希望ももちろんありません。あるのは自分の中にだけです。スピッツだって『幸せは途切れながらも続くもの』だと奏でています。気休めにしかならないけど、幸せは常に存在するのです。それが他の何かで覆い隠されてしまっているから見えないだけで、人間は生きているだけで、幸せな環境にいるのは間違いない。生きていることは幸福だ。両親がいて、学校に通えて、衣食住不自由ない。それは幸せな環境です。だけど、そうでない人もいる。何かが欠けて、他人と比べて自分が持っていないものがあると、それは幸せではないように思える。不幸に感じたり、幸せを見いだせないのはそう感じさせる要因が他にあるから。くらべてしまうから。気づく幸せだけが幸福ではない。自分勝手に決めて、一喜一憂するただの概念。だから幸福というのは、自分が自分で勝手に決めつける主観的価値観だと、思います」


 女性はこの話を聞いて、またショットをキメる。俺も負けずに酒をキメる。


「なるほど。面白い考えだ。個人的にはかなり好みだね。気が合うのかもしれない」

「その、急かすわけではないのですが本題に戻りませんか?」

「ん? まだわからないのか、少年。簡単だよ。君は理不尽にも過去を変更され、未来を奪われた。だが君は強い。幸せなどというファンタジーをどのように定義するのか、きちんと自分で決めることができる。選ぶことができる。そうだよね」

「はい」

「これから君にはもう一度高校生をやってもらう。高校三年間をもう一度だ。いいかい。理解できないだろうけど、それでも覚えておいてくれ。君は過去を失った。だからもう一度取り戻すことにするんだ。高校の単位をきちんと取得し、卒業証書を手にするんだ。そうすれば君の人生は元に戻る。大学を卒業し、内定先に就職。本来の未来を過ごすことができる。わかった?」


 俺はここで叫んだ。なめられている。バカにされている。丸め込まれている。そう思った。なぜそんなことをしなければいけないのかと、口走った。なぜ巻き込まれているのか、殺人なんてしていないと、大声を出した。酒の勢いもあったのかもしれない。だが、彼女は俺に初めて同じことを言う。


「だから君はなんだ。いいかい、私は君を助けてあげると、言っている。これから紹介する高校に君は転校するんだ。そして三年間出席して単位を取得。取り戻す。大学は留学するから、休学みたいなものだと考えなさい。三年を終えればそれで元に戻る。これだけは保証する。だから必ず三年後の卒業式を迎えなさい。それでも愚問を並べ、私の手を振り払うのならそうしなさい。彼女がトイレに戻させてくれます」


 俺は考える。与えられた選択肢は二択だ。警察に捕まり、理不尽な見えざる手によって変えられた過去と俺が未来を失う先ほどまで過ごしていた、諦めかけた人生。もう一つは募る文句を諦めて、三年間高校生活をもう一度知らないところで行うこと。無事に卒業できれば俺の未来が保証されるという選択肢。


「これは【エクスポジション】というショートカクテル。スロー・ジン、チェリー・ブランデー、 ドライ・ベルモットが一対一のカクテルよ。私の助けを受けるのならこれを飲みなさい。そうすれば、そこに私がいるはず。あとは指示に従って入学して、青春を謳歌して頂戴。さあ、どうするの、?」


じゃないっ! なだけだ!」


 こうして俺は諦めた。俺をめちゃくちゃにした誰かに文句を言うのを諦めて、カクテルと共にすべてを飲み干したのだ。俺はただ高校生になって、もういちど三年間過ごすだけでよかったはずなのに、どうしてこうなるんだか。時間が逆戻りしたままだと、一生かかっても卒業できない。どうすればいいのか答えが出ないままに、チャイムは鳴り響いた。皆が肩を揺らしながら集合している。俺もあの女性である先生の元へと歩き出した。

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